虎倉城跡(こぐらじょうせき) GoogleMap
虎倉城址碑
虎倉トンネル出口付近より虎倉城跡を見る。 石垣
御津町指定重要文化財 虎倉城跡
虎倉城跡は城山山頂に築かれていた中世の山城跡です。
15世紀後半に金川城(玉松城)の出城として服部伊勢守が築いたといわれていますが、詳しいことは分かりません。
16世紀前半に伊賀氏の居城となり、以後三代にわたり城主となりました。16世紀後半の伊賀久隆の頃が全盛で、宇喜多氏の有力武将として、備前国北西部から備中国東部を支配しました。
やがて宇喜多氏と対立し、子の与三郎は虎倉城から出ました。その後、長船越中守の居城となりましたが、1588(天正16)年、一族の争いで城は焼けてしまいました。
虎倉城跡のある城山は急な山で天然の備えとなっています。また、主要交通路の金川と高梁を結ぶ道、現在の県道高梁・御津線を見下ろすことができる重要な所です。
虎倉城は連郭式山城で、慰霊碑のある郭から東へ200mの山頂に本丸があります。本丸から東に二の丸、出丸が、西に三の丸があります。
郭の先には堀切が設けられています。本丸は石垣で築かれ、35x25mの広さがあります。瓦片も見つかっています。
虎倉城は重要部に瓦ぶきの建物が建ち、土塀が巡るしっかりした城であったのでしよう。しかし、この城は戦いの時に備えた城で、ふだんは山麓の根小屋で生活していたようです。
   御津町文化財保護委員会 御津町(現岡山市)教育委員会
(現地案内板より)
                                                    虎倉城跡案内図
これは何の跡?
三の丸 本丸には多くの瓦が・・・ 二の丸?
東の出丸?
本丸のすぐ東下の竹薮 竹薮の下のわずかな通路(二の丸へ)
本丸の東下は上の真ん中の写真のように竹薮となっており、二の丸・東の出丸方面へは通ることができない。なんとか行きたかったので探していたところ、本丸から東に向かって右下に、わずかに通路と思われるところがあったのでそこを通って行った。二の丸へは右上の道を100mほど歩いたところに大きな岩があるのでそのすぐ東の斜面を上にあがると到着する。
二の丸から東の出丸まではさらに100mほど歩く。
空堀 虎倉城跡登り口三十番神社前の案内板 登り口への道路
虎倉城跡登り口 歓喜山 慰霊碑
登山道 虎倉城跡(北側より) 虎倉城跡(南東側より)
虎倉城跡は見る方向によって見え方が大きく異なる。南東側から見えるのは出丸跡であり本丸ではない。