国指定 史跡ー岡山県内ー(◎は特別史跡)      
             
   
             
   熊山遺跡   楯築遺跡    鬼城山   
名称・ふりがな・員数 指定別・指定年月日 所在地・所有者又は管理者 概要
浦間茶臼山古墳
(うらまちゃうすやまこふん)
国指定
昭和49年11月25日
岡山市浦間・淺川
岡山市
最も古い墳形を示す全長130cmの大型前方後円墳。
発掘調査により、長大な竪穴式石室をはじめ銅鏡など多数の遺物が出土した。
岡山市へ
大多羅寄宮跡
(おおだらよせみやあと)
国指定
昭和2年4月8日
岡山市大多羅
岡山市
岡山藩主の池田光政が領内の神社11,003社を601社にまとめ、正徳2年(1712)、次の藩主である綱政がこのうち5社だけを残して、596社をここに移して合祀した宮跡である。
大廻小廻山城跡
(おおめぐりこめぐりさんじょうあと)
国指定
平成17年3月2日
岡山市草ヶ部、岡山市
瀬戸町観音寺・笹岡
岡山市、個人ほか
大廻小廻山城跡は、東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されている。
発掘調査の結果、土塁線や一の木戸等の水門、石塁構造が確認された。
岡山城跡
(おかやまじょうあと)
国指定
昭和62年5月30日
岡山市丸の内・後楽園
岡山市他
宇喜多秀家が、豊臣秀吉の助言を得て現城郭の基をつくり、その後数代の城主の交代を経て池田光政が入城、以後明治維新まで池田氏の居城となった。
特別名勝岡山後楽園を含む。
岡山藩主池田家墓所 附津田永忠墓
(おかやまはんしゅいけだけぼしょ
つけたりつだながただはか)
国指定
平成10年4月8日
岡山市円山
備前市吉永町和意谷

和気町吉田 
曹源寺、個人他
岡山藩主池田家墓所は、光政が造営した和意谷墓所とその子の綱政が造営した曹源寺(正覚谷墓所)の2ヶ所にある。
この2つの墓は、それぞれ儒教と仏教の影響を受けた個性と特色を示している。
尾上車山古墳
(おのえくるまやまこふん)
国指定
昭和47年7月29日
岡山市尾上
岡山市
5世紀ごろ築造の全長140mの大型前方後円墳、浦間茶臼山古墳と並ぶ、初期の大型古墳の代表的なものである。 岡山市へ
旧岡山藩藩学
(きゅうおかやまはんはんがく)
国指定
大正11年3月8日
岡山市蕃山町
岡山市
岡山藩主の池田光政が藩士の子弟教育のために設けた学校跡。昭和20年(1945)の岡山空襲で講堂や校門等の建物群は全焼し、現在では泮池だけが残っている。
賞田廃寺跡
(しょうだはいじあと)
国指定
昭和47年3月16日
岡山市賞田
岡山市他
白鳳時代の創建と推定される備前地域では最古の寺院跡。
地方寺院には珍しい壇上積基壇の遺構も出土している。
近くには備前国庁跡や唐人塚古墳などもある。
神宮寺山古墳
(じんぐうじやまこふん)
国指定
昭和34年5月13日
岡山市北方
岡山市
市街地の中にある全長150mの前方後円墳で、後円部頂上の天計(あまはかり)神社社殿の床下には竪穴式石室の天井石が露出している。
惣爪塔跡
(そうづめとうあと)
国指定
昭和3年2月7日
岡山市惣爪
岡山市
長径2m、短径1.5mの花崗岩自然石の上面に直径70cm、深さ17cmの円柱穴を掘り、さらにその中底に径16cmの小穴を備えた、奈良時代の層塔の心礎を残している。
高松城跡 附水攻築堤跡
(たかまつじょうせき つけたりみずぜめ
ちくていあと)
国指定
昭和4年12月7日
岡山市高松
岡山市
戦国時代の大正10年(1582)6月、羽柴秀吉がこの城の周囲に堤防を築き、足守川の水を引き入れて、清水宗治が守る城を”水攻め”した合戦跡として知られる。
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造山古墳(第1・2・3・4・5・6)
(つくりやまこふん)
国指定
大正10年3月3日
岡山市新庄下
岡山市
履中天皇稜に次ぐ全国第4位の規模(全長350m)をもつ前方後円墳で、上・中・下の三段からなり、円筒埴輪列を巡らせていた跡が確認されている。
墳丘上まで上がれる、全国でも唯一の前方後円墳として知られている。
岡山市へ
津島遺跡
(つしまいせき)
国指定
昭和46年1月5日
追加指定
平成14年12月19日
岡山市いずみ町
岡山県
縄文時代晩期から弥生・古墳時代にかけての大規模な集落の遺跡。
竪穴式住居跡をはじめ多量の石器・土器が出土し、弥生時代中期の半乾田が確認された。貴重な遺跡である。
幡多廃寺塔跡
(はたはいじとうあと)
国指定
昭和19年11月7日
岡山市赤田
岡山市
白鳳時代に創建され、平安時代末までに廃寺になったと見られている伽藍跡に残ってい
る、県下最大の塔心礎。
真金一里塚
(まがねいちりづか)
国指定
昭和3年3月24日
岡山市吉備津
岡山市
備前・備中の国境に近い旧山陽道にあって、一里塚の様子をよく示している。
道路を挟んで両側に塚があり、北塚に黒松、南塚に榎の巨木があったが、枯れたため今は若木が植えられている。
万富東大寺瓦窯跡
(まんとみとうだいじかわらがまあと)
国指定
昭和2年4月8日
追加指定
平成16年9月30日
岡山市瀬戸町万富
岡山市
鎌倉時代に奈良東大寺大仏殿を再建した際、その瓦を焼いた釜跡の一つである。
大寺山と称する丘陵の南端の南端の畑の上の切り立った崖の斜面に窯跡が現れている。
牟佐大塚古墳
(むさおおつかこふん)
国指定
昭和5年2月28日
岡山市牟佐
岡山市
備中のこうもり塚古墳(総社市)・箭田大塚古墳(倉敷市)と並んで、岡山県における三大巨石墳の一つ。石室の奥壁の幅は2.7m、玄室の長さ5.8m高さは2.6mあって、内部には貝殻凝灰岩製の家形石棺がある。
伊部南大窯跡
(いんべみなみおおがまあと)
国指定
昭和34年5月13日
備前市伊部
備前市
室町時代から江戸時代にかけて、備前焼の同業者が共同で使用した大窯で、山麓の傾斜地に長さ60mに及ぶ半地下式の登り窯を築いている。 備前市へ
旧閑谷学校
(きゅうしずたにがっこう)
国指定特別史跡
昭和29年3月20日
史跡
大正11年3月18日
備前市閑谷 岡山藩主の池田光政が、寛文6年(1666)、領内の庶民教育のために創立した学校で、聖廟、講堂、小斎、習芸斎、文庫、門、閑谷神社、石塀、石門等、主要な施設が非常に
よく保存されている。
丸山古墳
(まるやまこふん)
国指定
昭和32年10月11日
備前市畠田・福田・香登本
備前市
岡山県南部における代表的な円墳。竪穴式石室の内部に特殊な石棺を納めており、30数面の青銅鏡や優れた多数の副葬品が出土した。
門田貝塚
(かどたかいづか)
国指定
昭和60年3月6日
瀬戸内市邑久町尾張
瀬戸内市
東西200m余、南北100m余にわたって厚さ1mの貝層がひろがっている。
貝類はバイガイ、シジミ他8種類に及び、遺物としては石器や弥生式前期の土器が多数出土した。現在は史跡公園。
瀬戸内市へ
寒風古窯跡群
(さぶかぜこようせきぐん)
国指定
昭和61年2月5日
瀬戸内市牛窓町長浜
瀬戸内市
7世紀前半から8世紀にかけて操業された窯跡。出土遺物の製作法は優れていて、吉備地方における須恵器編年の標識にもなっており、学史上に高い価値を有している。
朝鮮通信使遺跡
牛窓本蓮寺境内
(ちょうせんつうしんしいせき、
うしまどほんれんじけいだい)
国指定
平成6年10月11日
瀬戸内市牛窓町牛窓
本蓮寺
江戸時代に将軍の襲職を祝賀するため来朝した李氏朝鮮の使節団の寄港地。
鎖国下の日本にとって、この通信使は東南アジア情勢を把握する上で大きな意味を持っていた。福山市鞆の福禅寺と清水市興津の清見寺とともに指定された。
熊山遺跡
(くまやまいせき)
国指定
昭和31年9月27日
赤磐市奥吉原
赤磐市
標高508.6mの熊山山頂にある石積み遺構で、石積みは3段からなり、初段の一辺は長さ7.8
mある。戒壇に似た、類例のない特殊な遺構である。
赤磐市へ
備前国分寺跡
(びぜんこくぶんじあと)
国指定
昭和50年7月19日
赤磐市馬屋
赤磐市
発掘調査によると、寺域は東西180m、南北240mと推定されている。
奈良時代の後半ごろ創建され、室町時代のころ火災で焼失したものとみられている。
両宮山古墳
(りょうぐうざんこふん)
国指定
昭和2年4月8日
追加指定
昭和53年2月8日
追加指定
平成18年1月26日
赤磐市穂崎
赤磐市他
周濠を持つ県下では唯一の前方後円墳で、全長200m。
前後両丘の均斉がよく取れている。付近には廻り山古墳、森山古墳、茶臼山古墳がある。
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楯築遺跡
(たてつきいせき)
国指定
昭和56年12月9日
倉敷市矢部
鯉喰神社
弥生時代末期頃の墳丘墓。発掘調査で弧帯文石などが検出されており、弥生時代から古墳時代への墓制を考える上で貴重な遺跡である。 倉敷市へ
箭田(やた)大塚古墳
(やたおおつかこふん)
国指定
昭和4年12月17日
倉敷市真備町箭田
倉敷市
6世紀後半~7世紀築造とみられる横穴式古墳。
石室に巨石が用いられており、玄室の3基の石棺のうち2基は追葬されたもので、明治34年
(1901)年の調査時に馬具や金環などが多数発見された。
津雲貝塚
(つくもかいづか)
国指定
昭和43年5月11日
笠岡市西大島
笠岡市
沖積平野に移行する南向きの傾斜地にある縄文時代後期の遺跡。
かって170体ににも及ぶ人骨をはじめ、多くの遺物が出土した。
笠岡市へ
鬼城山
(きのじょうさん)
国指定
昭和61年3月25日
総社市黒尾・奥坂
総社市
鬼城山に作られた古代の城郭遺跡で、総延長約2.8kmの城壁をはじめ城門、水門、倉庫跡の礎石群などが確認されている。 総社市へ
こうもり塚古墳
(こうもりづかこふん)
国指定
昭和43年2月15日
総社市上林
岡山県
全長約100mの前方後円墳。後円部にある横穴式石室は巨石を用いた全長19.5mにも及ぶ巨大な物で、中に家形石棺が安置されている。
作山古墳 第1古墳
(つくりやまこふん だいいちこふん)
国指定
大正10年3月3日
総社市三須
総社市
全長286m。県下では造山古墳に次ぐ大きな前方後円墳で上、中、下の3段からなっており、中、下の2段には埴輪が巡らされていた跡が確認されている。
5世紀の典型的な前方後円墳である。
備中国分尼寺跡
(びっちゅうこくぶんにじあと)
国指定
大正11年10月12日
総社市上林・宿
岡山県
奈良時代の尼寺跡で、台地の松林の中に遠景の造り出しのある金堂の礎石が往時のままよく保存されている。
その他、南大門、中門、講堂、塔の跡なども確認されている。
備中国分寺跡
(びっちゅうこくぶんじ)
国指定
昭和43年2月15日
総社市上林
国分寺・岡山県他
奈良時代の寺院跡で、旧山陽道をのぞむ丘の上に整地された寺域の地割り及び礎石の一部が残っている。
現在の寺院は江戸時代に再建されたものであるが、県内では唯一の五重塔がある。
福山城跡
(ふくやまじょうあと)
国指定
昭和11年12月16日
総社市西部
総社市
南北朝初期に足利尊氏が九州から東上した際、新田義貞配下の武将の大井田氏経がこの城に拠って足利直義軍を迎え撃ったところである。
この地には、それ以前に山上仏教が繁栄していた。
笠神の文字岩
(かさがみのもじいわ)
国指定
昭和16年2月21日
高梁市備中町平川
高梁市
高梁川の支流である笠神の瀬にある鎌倉時代の河川交通の遺跡、徳治2年(1307)の航路が完成した旨の碑文があるが、現在では新成羽川ダムの貯水池の底になっている。 高梁市へ
備中松山城跡
(びっちゅうまつやまじょうあと)
国指定
昭和31年11月7日
高梁市内山下
高梁市
典型的な山城の遺構として有名。天守閣や二重櫓が往時のままに残っており、また、二ノ丸、三ノ丸、大平門などの石垣や水源の台地、車井戸など遺構もよく保存されている。
下道氏墓
(しもつみちしはか)
国指定
大正12年3月7日
矢掛町東三成
矢掛町
丘陵の斜面を整地して造営された下道氏の墓地。ここから和銅元年(708)の銘文のある銅製骨蔵器等が発見され、奈良時代の墓制を知ることができる貴重な遺跡とされている。 矢掛町へ
院庄館跡(児島高徳伝説地)
(いんのしょうやかたあとー
こじまたかのりでんせつち)
国指定
大正11年3月8日
津山市神戸
津山市
美作守護職の館跡。元弘2年(1332)後醍醐天皇が隠岐へ配流された際、児島高徳が天皇を慕って桜の幹に十字の詩を記したという伝承の地として有名である。
三成古墳
(さんなりこふん)
国指定
昭和54年10月23日
津山市中北下
津山市
全長35m、4世紀築造の前方後方墳で、4体の人骨、仿製変形四獣鏡、鉄剣、鉄鏃片、鉄斧、勾玉などが出土しており、近年、墳丘が復元整備された。 津山市へ
津山城跡
(つやまじょうあと)
国指定
昭和38年9月28日
津山市山下
津山市
津山藩初代藩主の森忠政が慶長9年(1604)から13年の歳月をかけて築城したもの。
建造物は明治初年に取り壊されたが、見事な石垣だけは今も残っている。
一帯は鶴山公園として、西日本一の桜の名所となっている。
箕作阮甫旧宅
(みつくりげんぽきゅうたく)
国指定
昭和50年3月18日
津山市西新町
津山市
幕末(19世紀初めごろ)の洋学者である箕作阮甫の生誕地。
阮甫は21歳で津山藩医となり、後に江戸に出て洋学を学んだ。
カラフト問題でロシアと交渉した時の日記「西征紀行」はよく知られている。
美作国分寺跡
(みまさかこくぶんじあと)
国指定
平成16年2月27日
津山市国分寺
津山市他
吉井川近くの台地上に所在する古代寺院。
主要伽藍が判明し、遺構の残存状況は良好である。出土した瓦から中央との強い関係が想定され、古代美作国の政治情勢を示す上でも重要である。
美和山古墳群
(みわやまこふんぐん)
国指定
昭和52年3月8日
津山市二宮
津山市
津山市街地の西方の丘陵上に並んだ数基の古墳群を呼ぶ。最高所には全長約80mの前方後円墳胴塚、南に下がって直径約40cmの蛇塚と同規模の耳塚の円墳が続いている。
古墳時代中期のもの。
四ツ塚古墳群
(よつづかこふんぐん)
国指定
昭和4年12月17日
追加指定
昭和63年9月8日
真庭市蒜山上長田
真庭市
蒜山高原の中央部に16基の円墳がある。そのうち代表的な4基を”四ツ塚”と呼ぶ。
その1号墳の石室は片袖式で天井と壁面に朱を塗り、底部には石と木炭を敷いて水抜きの装置が設けられていた。
真庭市へ
月の輪古墳 岡山県指定
昭和34年9月15日
美咲町飯岡
美咲町
吉井川と吉野川の合流点を見下ろす山の頂きにある径59m、高さ9mの円墳。発掘調査の結果、多数の副葬品が出土し、古墳時代に美作の一角に君臨した豪族をうかがう貴重な資料となっている。
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