国指定史跡 大多羅寄宮跡(おおだらよせみや) 昭和2年4月8日指定 GoogleMap

国指定史跡 大多羅寄宮跡 昭和2年4月8日指定
岡山藩主池田光政は、寛文6年(1666)領内の神社の由緒を調べさせ、翌年、産土神(うぶすながみ)601社および由緒のある神社を残し、社や祠(ほこら)10,524社
を廃して、71社の寄宮(よせみや)に合祀(ごうし)しました。
その後正徳3年(1713)、藩主池田綱政はこの地にあった句句廼馳(くくのち)神社境内を拡張し、66社の寄宮をこの地に合祀しました。
これが大多羅寄宮です。
寄宮には藩から、毎年修理料と御供料が支給されていましたが、明治維新後はそれも途絶えたため、明治8年、祭神を布施(ふせ)神社に合祀、現在は東西9間
(約16m)、南北10間(約18m)の境内地と石垣を残すのみとなっています。
   平成18年3月    岡山市教育委員会

現地案内板

大多羅寄宮跡 操山南部 操山
操山北部 芥子山