旧中山道の宿場町 醒井(さめがい) GoogleMap

この水の豊かな醒井の地を訪れて、日本が水に恵まれた国であること、清浄な水の大切さを改めて強く意識した。
(1)まず、地蔵川周辺の人たちが本当に水を大切にし、いつくしんでいることである。
  妻が言って気が付いたのであるが、緑豊かな川沿いや川に落葉がほとんど無く、きれいにとり除かれていた。
(2)次にこの地の水の豊かさと潤いをみて、かって植林で訪れた、内モンゴルのフフホトを思い起こした。
  内モンゴルは、地下水は豊富であるが、乾燥化により緑が失われつつある地域である。
  地球温暖化、それによる砂漠化の進行が、現実のものとして身近に迫りつつある今日、この地を訪れて、水の大切さや、水が人の心にあたえる影響について改めて考えるよい機会であった。

梅花藻とハリヨの町
醒井は、かって中山道の宿場町として栄えた。旧街道沿いには、湧き水の小川「地蔵川」が流れ、町並みに落ち着きと潤いをもたらしている。
                                                                                 醒ヶ井駅周辺観光マップ

水の宿駅 地蔵川と中山道 居醒(いさめ)の清水
醒井(さめがい)水の宿駅
国道8号線沿い、JR醒ヶ井駅の前に「醒井水の宿駅」がある。ここから、国道21号線の信号を渡り200mほど歩くと、湧き水の小川「地蔵川」が脇を流れる旧街道、中山道に達する。
そこは、国道の喧騒とは全く異なり、心癒される静寂と潤いの世界である。
地蔵川
醒井の清水を源流とする湧水の川。水温は年間を通じて14℃前後と一定。いたるところにある”かわと”は今も人々の生活の一部となっています。
(現地案内板より)
居醒(いさめ)の清水
景行天皇の時代に、伊吹山に大蛇が住みついて旅する人々を困らせておりました。そこで天皇は、日本武尊にこの大蛇を退治するよう命ぜられました。
尊は剣を抜いて、大蛇を切り伏せ多くの人々の心配をのぞかれましたが、この時大蛇の猛毒が尊を苦しめました。
やっとのことで醒井の地にたどり着かれ体や足をこの清水で冷やされますと、不思議にも高熱の苦しみもとれ、体の調子もさわやかになられました。
それでこの水を名づけて「居醒の清水」と呼ぶようになりました。
(現地案内板より)
居醒の清水 延命地蔵尊 湧き水の一つ
醒井延命地蔵尊縁起
弘仁8年(西暦817年)百日を越える旱魃が続き、野も山も草木は枯れ、川や湖は干上がりました。
ご心配になった嵯峨天皇の命により、伝教大師(最澄)は比叡山の根本中堂に祭壇を設け、降雨をお祈りになりますと、薬師如来が夢の中に現れ、「ここより東へ数十里行ったところに
清浄な泉がある。そこへ行って雨を求めよ。」とお告げになりました。
伝教大師が泉を尋ねてこの醒井の里へこられますと、白髪の老翁が忽然と現れ「わたしはこの水の守護神である。ここに衆生済度、寿福円満の地蔵尊の像を刻み安置せよ、そうすれ
ば雨が降り草木も生き返るであろう。」と言い終ると水の中へ消えてゆきました。
大師は早速石工を集め、一丈二尺(3.6米)の地蔵尊の座像を刻み、祈念されますと、黒い雲がみるみるあらわれ、大雨が三日間降り続きました。
この雨で緑は甦り、生気を取り戻した人々は、地蔵菩薩の深いお慈悲と、伝教大師の比類なき知恵と徳行に、尊信の念をいっそう深くしたということです。
本尊の地蔵菩薩は、はじめ水中に安置されていましたので俗に「尻冷し地蔵」と唱えられていましたが、慶長13年9月濃州大垣の城主石川日向守が霊験を感謝し、佛恩に報いるため砂
石を運び、泉の一部を埋め、辻堂を建立したと伝えられています。
                      米原町・米原町観光協会・醒井区
(現地案内板より)

米原市指定文化財(歴史資料) 石造地蔵菩薩坐像 鎌倉時代 総高270cm 像高234cm 法善寺所有
花崗岩を丸彫りした半跏像(はんかぞう)で、その彫刻の特徴から鎌倉時代後半の制作であろうと考えられます。
総高270cmを測る大形の丸彫り地蔵尊の類例は全国的にも数少なく、滋賀県下では本像が唯一のものです。
明治時代に火災に遭い補修が激しいのは惜しまれますが、体部の納衣(のうえ)や手足の彫刻はよく残されており、特に光背(こうはい)の蓮弁(れんべん)のレリーフは鎌倉期の写実彫
刻の作風をよく伝えています。
古くより延命地蔵尊の名で親しまれ、毎年八月二十三・二十四日におこなわれる地蔵盆は盛大で、近郊はもとより遠方からも多くの人々が参詣に訪れます。
    平成十年三月   米原市教育委員会
(現地案内板より)
日本武尊の像 蟹石 鮫島中将の歌碑
鮫島中将の歌碑
明治2年、北白川能久親王は、台湾で熱病にかかられ、重体になられました。
病床で「水を、冷たい水を」と所望されましたが、水がありません。付き添っていた鮫島参謀は、かって醒井に来られた時の水の冷たさを思い起こされ、一枚の紙に
   あらばいま 捧げまほしく 醒井の うまし真清水 ひとしずくだに
と詠んで親王にお見せになると、親王もにっこりされたと伝えられています。
鮫島中将の直筆の歌碑です。
(現地案内板より)
地蔵川の梅花藻 地蔵川の梅花藻 醒井木彫美術館
バイカモ(沈水植物 キンポウゲ科)
水温15度前後を保つ澄んだ湧水を好み、川の水底に群生し、流れに沿って這うように育つ鮮やかな緑色をした多年生水草である。手のひら状の葉が特徴で長さ約50cmの藻である。
初夏から晩夏にかけて水面上に梅花藻の白い花が咲く。バイカモが繁殖することにより急流をさえぎり、ハリヨの巣づくり・産卵に絶好の場所を提供している。
ハリヨ(トゲウオ科 イトヨ属)
体長4〜7cmで生息分布は限られ、滋賀県東北部と岐阜県南西部の湧水をもつ水温20度以下の清流に生息している。
ウロコはなく鱗板(りんばん)が前半身に6枚ほど一列あるだけで、後半身は黒緑色の雲状模様がある。
トゲが背部に3本、腹部に1対、臀鰭(しりびれ)の直前に1本ある。繁殖期になると雄は婚姻色が現れ、その頭部の下側部は朱紅色を呈し、胴部は暗青色を帯びる。
雄は縄張りを持ちその中心に水草や根などの繊維質のものを用いてトンネル状の巣を作り、雌を誘い入れて産卵させる。
雄は卵が孵化するまで餌もとらず辛抱づよく巣を見張り続ける。寿命は短く年魚である。  平成5年3月醒井区
了徳寺 御葉附銀杏(おはつきいちょう) 中山道醒井宿 加茂神社
御葉附銀杏(おはつきいちょう)
周囲 約2.5m 高さ 約12m 樹齢 約150年 雌株
毎年8月から11月上旬ごろの間、数多くの銀杏(ぎんなん)を実らせますが、その一部は葉面上に付いています。
銀杏の発育が不完全なものが多く、小さくて、長楕円や、細長く普通の銀杏と著しく形が異なっています。
葉面上に生じる銀杏の数は、多いもので5〜8個ですが、おおむね1〜2個で葉脈が次第に太くなり、先端の所が主に形作られていきます。
化石から出土された「いちょう」に良く似ていて、銀杏が葉面上に生じるのは、花が枝や葉の一部だという学説を裏付けるものです。
「いちょう」は、中国及び日本の特産で、わが国においては神社仏閣の境内に数多く植えられていますが、この「おはつきいちょう」のような葉面上に銀杏を生じるものは少なく、
貴重なものとされています。
昭和4年12月17日 国の天然記念物としてして指定されました。
  米原市 米原市観光協会 浄土真宗本願寺派 石龍山 了徳寺
(現地案内板より)
松尾寺政所 醒井郵便局 醒井宿資料館
松尾寺
松尾寺は典型的な天台宗の山岳寺院です。寺伝では役小角が天武天皇9年(680)に入山し、神護景雲3年(769)僧宣教が霊山七ヶ寺を創建したうちの一つであったと伝えています。
平安時代には伊吹山寺の松尾童子が堂宇を整え、寺の興隆に力を注ぎました。戦国時代には兵火にあったものの、江戸時代には五十余坊を有する大山岳寺院として栄え、今も山中のそこ
かしこに坊跡を残しています。
今ここ醒井の政所に、雲中より飛行したと伝わる本尊空中飛行観音をはじめ、すべての寺宝が安置されています。
(現地案内板より)

醒井郵便局
旧醒井郵便局は大正4年(1915)に米国出身のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって建てられた木造二階建の擬洋風建築です。
現在残されている建物は昭和9年(1934)に外側を木造モルタル張りの建物に改築されたもので、基本的な内部構造は創建時の建物を利用しています。
平成11・12年度に実施した修理工事中には各所にその痕跡が認められました。尚、この建物は平成10年度に国の登録文化財に登録されています。
利用案内
入場料    大人(高校生以上) 200円 小人(中学生以上) 100円 問屋場と二館共通
開館時間   午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで
休館日    月曜日(月曜日が祝・祭日の場合はその翌日) 年末年始12月27日〜1月5日
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
明治13年(1880)米国に生まれる。24歳で英語教師として来日。近江兄弟社を設立しキリスト教の伝道活動をする。宗教以外にも各種芸術活動に携わり、中でも建築にはとりわけ熱心に取り組
みヴォーリズ建築事務所を開設する。彼の関わった建築作品は全国各地に存在し、その数は一千を越える。(現地案内板より)


米原市指定文化財 醒井宿問屋場(旧川口家住宅)
この建物は中山道醒井宿で問屋を営んでいた川口家住宅です。問屋とは宿場を通過する大名や役人に人足・馬を提供する事務を行っていたところです。
現在、宿場に問屋が残されているところはほとんどありません。また、建築年代が17世紀中〜後半と推定される貴重な建物です。
平成12年より修理をおこない、再び江戸時代の宿場の問屋として公開されることになりました。
利用案内
入場料    大人(高校生以上) 200円  小人(中学生以下) 100円(郵便局舎と2館共通)
開館時間
  午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日    月曜日(月曜日が祝・祭日の場合はその翌日) 年末年始(12月27日〜1月5日)
中山道醒井宿概要(天保14年(1843)中山道宿村大概帳による)
町並み 東西八町二間  人口539人  戸数138戸  本陣1軒  脇本陣1軒  旅籠11軒  問屋7軒
(現地案内板より)
西行水(泡子塚) 十王水 番場の忠太郎像
泡子塚
岩の上には、仁安三戌子年秋建立の五輪塔があり、「一煎一服一期終即今端的雲脚泡」の十四文字が刻まれてあります。
伝説では、西行法師東遊のとき、この泉の畔で休憩されたところ、茶店の娘が西行に恋をし、西行の立った後に飲み残しの茶の泡を飲むと不思議にも懐妊し、男の子を
出産しました。
その後西行法師が関東からの帰途またこの茶店で休憩したとき、娘よりことの一部始終を聞いた法師は、児を熟視して「今一滴の泡変じてこれ児をなる、もし我が子なら
ば元の泡に帰れ」と祈り
    水上は 清き流れの醒井に 浮世の垢をすすぎてやみん
と詠むと、児は忽ち消えて、元の泡になりました。西行は実に我が児なりと、この所に石塔を建てたということです。
今もこの辺の小字名を児醒井といいます。

十王水
平安中期の天台宗の高僧・浄蔵法師が諸国遍歴の途中、この水源を開き、仏縁を結ばれたと伝えられる。もとより浄蔵水と称すべきところを、近くに十王堂があったこと
から、「女王水」と呼ばれるようになったという。