玉松城跡(臥竜山) GoogleMap
   
本丸跡
金川城(玉松城)跡 玉松城碑
玉松城碑
臥龍山にはじめて砦が築かれた年は明らかでない。
戦国時代の初め1480(文明12)年頃、松田左近将監元成が本拠を金川に移して以来5代約90年にわたって西備前随一の山城として栄えた。
1509(永正6)年城主元勝は三条西実隆より玉松・麗水の二書を贈られ、以後玉松城と命名した。
1568(永禄11)年7月5日、宇喜多直家に攻められ、城主元輝嫡子元賢共に壮烈な戦死を遂げ7日早暁ついに落城した。
その後、1603(慶長6)年、徳川幕府の一国一城令によって廃城となった。
落城ここに四百年の星霜を経る。
  昭和41年4月 板津謙六撰文

史跡 金川城(玉松城)跡
この城の築城は諸説があって定かでないが松田氏系図第8代元成が松田氏本城としたのは確かのようである。
永正6年(1509) 玉松城と命名(三条西実隆)
永禄11年(1568) 宇喜多直家により落城 宇喜多春家在城
慶長8年(1603)年 日置忠俊修築
廃城も不明であるが元和の一国一城令まであったかもしれない。現状は最終的遺構である。
(以上現地案内板より)
                                                                  玉松城平面略図 玉松城跡登山案内地図
 
玉松城(臥龍山)遊歩道 所要時間
妙覚寺⇒(30分)道林寺丸跡⇒(20分)頂上(玉松城本丸跡)⇒(15分)二の丸跡⇒(35分)三叉路(御津支所のすぐ上)⇒(20分)妙覚寺
(金川地区活性化推進協議会作成地図よりーこの地図は各登山口にあり)
 
   
供養塔 天守の井戸跡 白水の井戸
玉松城の本丸跡には、供養塔、玉松城の碑と案内板、休憩舎などがある。玉松城のある臥龍山は、樹木が長い間伐採されておらず、まるで原生林のようにうっそうとしている。
本丸からの眺望も良くはない。出丸、道林寺丸、道林寺丸下など数ヶ所のみ樹木が伐採され、眺望を楽しめる所がある。
天守の井戸は、本丸跡から20mほど北の丸方面に下った所。その大きさには驚く。
白水の井戸は、北の丸への登り口を少し下った所にあるが、樹林の中にあり、そばに案内板も無いので分かりにくい。
北の丸跡 堀切 道林寺丸跡
宇甘川(道林寺跡より) 本丸一の門・二の門 杉の木井戸跡
北の丸の少し北方に2本の堀切と呼ばれる切り通しが切られている。城のあった頃はもっと急な崖状になっていたのであろう。
それにしても、400年も前の井戸や堀切は、当時の様子を思い起こすに非常に良い遺構である。
二の丸跡 治部ヶ谷コース登山口 原生林
治部ヶ谷コースの登山口、案内板は、妙覚寺のすぐ西にあるJR津山線ガードを超えたところにある。

玉松城のあった臥龍山は、現在、160haに及ぶ国有林の一部になっており、明治38年以来伐採されたことのない、多様な常緑樹が山をおおっている。
遊歩道には、総数1,764段の階段が設けられており、御津支所前に登山口がある千鳥坂コースは、比較的急な1,210段の登り階段となっている。
(各登山口に置かれている案内図を参考に記載)
御津金川(道林寺丸より) 道林寺丸付近登山道 千鳥坂コース登山口
千鳥坂コース登山道
千鳥坂コースの登山口は、岡山市御津支所のすぐ前。
鎌倉時代に相模国の松田郷から地頭として鎌倉幕府より派遣され、1483(文明15)年、福岡の合戦を経て、1568(永禄11)年宇喜多直家に攻められ滅亡
するまで備前の地に勢力を広げていた。その松田氏が城を築いたのがこの臥竜山。