岡山の地形ー弥高山からの眺めー GoogleMap    
         
      
         
     
    大山方面ー弥高山山頂よりー  
     
  高山市(こうやまいち)方面     弥高山公園  
  岡山の地形ー弥高山からの眺めー
岡山県は、北は中国山脈、南は四国山脈にはさまれ、西は九州の山々にまた、南東部は紀伊半島の山々にさえぎられている。
従って、地中海性の穏やかな気候で風水害も比較的少ない。台風やその影響による風雨も、これら周囲の山々で弱められることが多い。
特に県の南部は、雨や雪も少なく晴れの日が多い、比較的乾燥した気候。県の南部で雪が降るのは一年に一回あるかないかの程度。
そうかといって、水不足になるかというと、高梁川、旭川、吉井川の三大河川に恵まれ殆んど水不足になることもない。
また、県内には大きな活断層がないため、地震被害も少ない。旅行するにも、住むにも、企業を誘致するにも最適の地域。
県も検討を始めている様子ですが、活断層から比較的遠く地盤も固いと考えられる、県中南部の高原地帯などは、コンピュータのデータセンターなどの誘致には最適なのでは?
加えて、原子力問題や化石燃料による温暖化問題もここまでくると、いよいよ太陽エネルギーを始めとする自然エネルギー利用の重要性が高まって来る。
「晴れの国岡山」こそ、太陽エネルギーを利用するには最適の土地。
企業誘致や家庭での発電にも最適。さんさんとふりそそぐ太陽の下、クリーンなエネルギーで快適な生活を。

高山市(こうやまいち)について
弥高山から西方約0.5qの所に高山市がある。
ここではこの辺の産物を集めて大八車で井原へ運び、そこで福山、笠岡方面の雑貨等を仕入れて帰ったのであるが夕方坂尻へ着く頃には家族は牛を連れて出迎え千峯の急坂を車ごと商品を引っ張り上げていた。
こうして高山市が南北商取引の中心地となって繁昌したのである。
高山市には式内社の穴門山神社、弥高山のお大師様、備中三十三ヶ所観音霊場第十三番札所円福寺跡などがあり穴門山神社の門前町、東城往来の宿場町としても賑わっていた。
その上評判の良かった高山牛の牛市も立ち遠方から博労が多数集まったし、明治5年より宇都宮鉱山、これを大正5年から引き継いだ三菱三原鉱山の好調な発展により高山市の繁栄が続いたのである。
戦後は交通機関の発達と、道路整備により高山市の中継地の意味はなくなって、次第にさびれるようになった。しかし昔の面影はあちこちに残っている。
(現地案内版)
 
  岡山の三大水系(岡山県庁ホームページより) 岡山県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴(地震調査研究推進本部) 岡山県内予測震度 (IAUホームページより  
        
   
  高梁・備前・岡山方面ー弥高山頂頂よりー 瀬戸大橋・竹林寺山方面ー弥高山頂上よりー 弥高山産地直売所  
   
   弥高山山頂   弥高山の地蔵尊     弥高山登山道  
  県北―鳥取県との境―海抜1,000―1,300mの山並みが東西に連なっている。
県中央部―吉備高原と呼ばれる、海抜400-600mの平坦な高原が東西に広がり、その中を旭川・高梁川・吉井川が深い谷を刻み込んで流れている。
県南部―なだらかな丘陵地と平野が広がっている。
この地形の変化がよく分かる所。高梁市川上町の西にある弥高山(海抜654m)。
晴れた日には頂上から吉備高原はもちろん、北は中国山地、南は瀬戸内海の島々、さらに四国の山並みまで眺望できる。
ふもとにはキャンプ施設が整い、季節ごとに自然を楽しむ人々で賑わう。
弥高山をつとに有名にしているのは、古歌にも詠まれた雲海である。とくに、晩秋が素晴らしい。
早朝、ふもとのキャンプ場から、渦巻き状の道をたどって、10分程で山頂につく。未だ明け初めぬ小暗き山頂には、日の出を待つ人々がたたずみ、カメラの放列が出来る。

黎明の中、谷あいにしらじらとたなびく雲の海。まだ醒めやらぬほの暗き島山。多島海の夜明けにも似て、一幅の水墨画を見るようである。23senryo
やがて、東の果てがあからみはじめる。茜色に染まった雲海の一点から、さっと、金色の光がほとばしる。日が高くなると、吉備高原が姿を現す。なだらかな山並みが、うねるように連なって平原が広がっているように見える。飛び抜けて高い山はほとんどない。

深い谷が高原を刻み込んでいるはずであるが、山陰になって見えないので、高原が続いているように望まれる。
近くに見下ろされる高原上の集落や畑地の散らばりも、遠くになるにつれて、ブルーの大平原の中に溶け込んでしまう。山また山のなかに岡山県の大部分が納まり、北の果てには、県境をなす中国山地が望まれる。

 
           
  伯耆大山     吉備中央町   岡山市   
 

よく晴れた日には、伯耆大山の姿も見られる。日本は山国である。
山国というと、長野県や山梨県などを思い出しがちである。
岡山県には、日本アルプスのような3,000m級の高山地域はない。しかし、中国山地・吉備高原・瀬戸内丘陵を合わせた面積は、県全体の80%を越している。
  

 
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第一級の高山はなくても、また南縁に瀬戸内海があると言っても、岡山県はやはり山国である。人口は県南の平野に集中しているが、山地に住んでいる人々も少なくない。だから、山地に対しても、正しい認識と理解がほしいものである。
平野は、主に瀬戸内海沿岸の山地や丘陵の間にある。日本では弥生時代以降、伝統的に稲作中心の農業が営まれてきたから、水田耕作に適した沖積平野に人々が集まっているのは当然といえよう。さらに、現代生活の基盤として平野はますます重要になっている。しかし、地形の成り立ちからみると、沖積平野というものは、山地から土砂が運びこまれてきたものであって、山地があってこそ生まれたものと言える・地学的には、山地と対にして、または山地に従属するものとしてとらえたほうがよい。その意味で、まず山地を理解することが、平野を知るもとになるだろう。
   県立森林公園    蒜山高原    草間台地  

中国山地
中国山地と親しむには、県立森林公園がよい。津山から吉井川に沿ってさかのぼり、奥津渓の手前で別れて、支流の羽出川さらに曲谷川沿いの道をたどって森林公園につく。

中国山地の源流部の、緩やかな谷あいで、ブナ、ミズナラ、カエデなどの夏緑広葉樹林やカラマツなどの人工林の中を散策したり、四季折々に咲く湿生殖物の花を嘆賞しながら湿原を巡るのは楽しい。

中国山地の尾根にたどりつくのは、登山道入り口から40分程登ればよい。そこが山陽・山陰の分水界であり、鳥取との県境になっている。尾根伝いの道は、アップダウンはあっても、楽に歩ける。みはるかすと中国山地の山並みがうねるように続く。さらに大山を眺望し、日本海を見下ろすことも出来る。

日本列島の背骨をなす山脈の一つとしては、中国山脈の峰々はたおやかである。日本アルプスのような、そそり立つ尖鋒や切り立った大岸壁はない。
緑におおわれた尾根が、穏やかに波打っている。中国山地はなぜ山容が穏やかなのか。

日本アルプスのような険しい地形は、ひとつにはピュルム氷期(第四紀最後の氷期)に氷食で作られたことにもとがある。
山頂高度1,000-1,300m程度に過ぎない中国山地には、氷河は全くなかった。現在でも、冬季には積雪を見るが、中部山岳地帯のように、万年雪となって雪田や雪渓を生ずることがない。
氷食作用を受けていないということが、中国山地の山容を決める要因の一つである。中国山地の山の形は、もっぱら流水の侵食によって作られたものである。山地を刻み込む谷はV字谷である。その谷底から見上げると山腹斜面は急で、のみで削り込んだような山ひだも見られるが、多くは山頂部まで浸食作用が及び切っていない。侵食輪廻の段階でいえば、中国山地は早壮年期の山容なのである。
その山頂は、ほぼ同じくらいの高さにそろっていて、遠くから見晴るかすラインは平坦である。この山頂の連なりは、かっての準平原の名残であろう。
但し、海抜1,000m前後のなだらかな山頂の中には、直接準平原に由来するものではなく、第三紀鮮新世の熔岩に起因するものもある。五輪原高原・
黒岩高原等がその例で、鮮新世に噴出して中国山地の浅い谷を埋めた玄武岩は侵食に対して強いので、周囲が削りとられてもテーブル状に残ったものである。


中国山地の景観を穏やかに見せているもう一つの理由は、山地全部が森林限界以下にあるので、山頂まで豊かな緑に覆われていることにある。
元来ブナ帯であるが、人手が加わってミズナラ・コナラ・カシワなどの二次林に変わり、スギ、ヒノキなどの植林地も多く、ブナ林は減少した。また、放牧地や採草地となっていたところは、ススキ・シバ・ササなどの草原になっている。

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蒜山山地群はやや趣を異にする。
中国山地の主脈から少し北に外れて、下蒜山・中蒜山・上蒜山・皆ケ山・擬宝珠山と約1,000mの峯々を東南東から西北西方面に一列に連ねる山地列である。
その延長に大山が位置する。
このような配置は、蒜山山地が中国山地の中で得意な存在であることを物語る。蒜山山地を構成する岩石は安山岩である。
いうまでもなく火山噴出によるものである。
その噴出の時期は、第三紀鮮新世末から第四紀更新世初めと考えられていた。近年、火山岩の年代がK-Ar年代測定によっておよそ90万―50万年前と求められたことから、蒜山火山群の主活動期は更新世前期末から中期中頃にかけてと改訂された。

蒜山山地と中国山地にはさまれた蒜山盆地もまた特異な過程を経て作られた盆地である。蒜山火山噴出時のこの地方は、中国山地の北斜面で、いわば山陰側であった。
蒜山山地の形成に伴って、この山地と中国山地との間は東西に長いくぼ地となる。くぼ地の水は、東から西に流れ、日野川筋を通って日本海に注いでいた。山陰の水系である。
その後、大山の噴出によって流出した大量の火砕流がくぼ地の西側をふさぐと、河川はせき止められ、くぼ地は湖となった。
この湖を古蒜山湖と呼んでいる。湖には珪藻が繁茂し、湖底には珪藻殻が沈積していく。こうして形成された珪藻土は、現在盆地東部で露天掘りされている。珪藻土は濾過吸収材、保温材などに広く利用される。
湖の水は、山陽側から上流にさかのぼって侵食をすすめてきた旭川に排水されるようになる。このようにして、蒜山盆地は山陽側系の水系に組み込まれた。
排水が次第に進んで、やがて湖底は干上がり、さらに、旭川の下刻によって盆地内に三段の段丘と沖積低地とが形成されたのである。

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吉備高原
吉備高原は、高原と呼ばれるように、緩やかな斜面が波打つように続いている。波浪状地形と表現した人もいる。高原上の起伏は小さく、弥高山のような玄武岩の残丘を始め、いくつかの残丘状の突出はあっても、抜きんでて高い山頂は少ない。
先に述べたように、小藤文次郎は、侵食輪廻の考えを日本の山地に初めて当てはめ、吉備高原を隆起準平原とした。
山地が長い間侵食されて、次第に起伏が小さくなり、ついには平原状になった地形を準平原という。それが隆起して、高い位置になったものが隆起準平原である。
隆起した吉備高原では、次の輪廻が開始し、谷を刻み始めたが、未だ広い平原状の地形が残されているので、現在は幼年期の地形といえる。但し、吉備高原の高度は600m前後から300m程度まであり、詳しく見ると、単一の準平原というよりは、高度のことなる小起状の地形面の集合といってよい。
ある研究では、吉備高原から瀬戸内丘陵群までを4段に分けて、吉備高原面(600m程度)、瀬戸内一面(450-300m),瀬戸内二面(300-150m)、瀬戸内三面(100m以下)と命名した。
下位のものほど新しい侵食によって平坦化されたものである。

なだらかな高原状の広がりを見せる吉備高原は、対照的に深い谷を持つ。
中国山地から流れ出た高梁川・旭川・吉井川やその支流が、いずれも吉備高原を深く削り込んでいる。両岸の急な谷壁もろとも蛇行して川は流れている。
谷底から高原上に出るには、つづら折りの急坂を登らなければならない。かって「辞職坂」と呼ばれたのはその辛さを巧みに表現したものである。

坂を上りつめると、一転してゆるやかな高原上に出る。

穏やかな小丘は雑木林や松林となり、緩やかな斜面には民家が点在し、畑地が開け、広く浅い谷には水田が作られるといった風景が展開する。吉備高原の特色は、起伏の少ない山地上に、かなりの人々が住んでいるということにある。
このような多くの人々が住んでいる高原・高地は、日本では余りない。
しかし、深い谷で分断されているため交通面では恵まれなかったので、近年過疎化が進んだ。
岡山県の面積の半分以上がこの吉備高原である。自然を護りながら、どのように利用していくかが、現代の重要な課題であろう。吉備高原都市は、その試みの一つといえる。

吉備高原も新生代第三紀後半(新第三紀中新世:2千5百万年前)には海の底であった(左上図)

                  「岡山の自然」 第2版 岡山県自然保護課(平成5年3月)

国営備北丘陵公園(国が全国の主要拠点に設置をすすめている国営公園の内中国地方の拠点公園。
驚くほどでっかい公園。現在オープンされているのは全体計画の1/4程度。隣の四国地方にも
国営讃岐まんのう公園がオープン)

  • 中の広場(公園入り口には、明治年間に庄原にあった英学校を模したデザインのビジターセンターがあり、ゲートをくぐると「中の広場」が広がっている。
  • 広場の手前には花で囲まれた池を見下ろす「ウッドデッキ」、正面には「布滝」、さとの入り口には長屋風の茶屋等がある。)
  • ひばの里(中の広場を過ぎると奥には「ひばの里」が広がる。ここには、中国山地の暮らしと備北地方の風土を背景に再現された「ふるさと」の原風景が広がる。
  • 中でもたんぼや畑を前にした屋敷や農家のあぜ道を歩くと、懐かしいふるさとがよみがえる。ふるさとでの懐かしい遊びをおもいだしつつ、ゆっくり一日を過ごすことが出来る。)
  • 花の広場(春から秋にかけ、約60品種70種の花が咲き競う30,000uの広場には、縦横に道が延び花に囲まれて散策することが出来る。)
  • 大芝生広場(園内中央には、広島ビッグアーチの約4.5倍の広さを誇る芝生の広場がある。)
  • 林間アスレチック(国兼池を見下ろす小高い丘に、木立をぬって39種類の遊具が配置されており、ツチノコ・ビバゴン・日本ピラミッド等の名称が付けられている。)
  • 交通(中国自動車道 庄原I・Cより約4q 三次I・Cより約18q JR芸備線 七塚駅より 徒歩約15分)

連絡先 備北公園管理センター TEL08247-2-7000

http://tabioka.com/i.html

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旅おかやま(たびおか)(iモード)

   

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