富山城(とみやまじょう)跡 GoogleMap
富山城跡(すべり山より)
富山城跡 岡山市街南部(魚見台より)
   モバイルはこちら    モバイルはこちら  
富山城(とみやまじょう)跡
岡山市街の西、万成石で有名な標高131.3mの矢坂山上にある連郭式の中世山城。
ここは、岡山市街主要部のほとんどと倉敷、玉野方面を一望の下に見ることができる絶好のビューポイント。
健康づくりのための散策には最適。また、遠景の山の頂や町の建物、道路を見ながら行ったことのある場所との関係を考えると楽しいものです。眺めていて飽きません。
岡山市内地図を持って行けばもっと面白いかも。
大野幼稚園の園児もよく登っているのか、道案内も大野幼稚園の先生方が作られている様子。
採石場が近く、一部散策路脇が絶壁になっていて危険な個所もあるので注意が必要。
富山城の歴史
仁和元(885)年に富山重興が築城。
応仁元(1467)年、松田元隆により攻められ当時の城主富山長頼は自害、富山氏は滅亡。
文明15(1483)年元隆の子元成は、弟親秀にこの城を譲り金川城に移った。親秀没後は、松田氏の重臣、横井土佐守が居城。
その後、松田氏の治める金川城は、永禄11(1568)年浦上宗景の傘下の宇喜多直家により落城、金川城主元賢は討ち取られた。
その時同時に富山城も落城し、丁度金川城に行っていた当時の富山城主松田元脩(元賢の弟)は備中へ逃げ伸びた。
富山城では、宇喜多直家の弟忠家が城主となり西の丸、東出丸を築き城を拡張。
慶長4(1599)年宇喜多家中で内紛が起こると、忠家の子で城主であった宇喜多詮家(後の坂崎直盛)は城を捨て大坂に出奔。
関ヶ原の戦いで宇喜多氏は東軍に敗れたため、岡山には小早川秋秀が入封、その直後、慶長6(1601)年廃城となった。
岡山城の石山門はここ富山城の大手門を移築したものであると伝えられていたが第二次世界大戦による岡山空襲で焼失してしまった。
古代には、吉備津彦命が山陽道に派遣された時陣を構えたとの伝承があるとのこと。
以上はWikipediaを参考に作成

魚見台はその名の通り、魚を探すための見張り台、戦国時代以前にはここから見える市街地のほとんどは、瀬戸の穴海と呼ばれる自然豊かな海であった。
宇喜多の時代よりこの瀬戸の穴海の干拓が始まり、江戸時代から昭和時代まで続いてきた。
岡山市街 石垣 夫婦岩
   モバイルはこちら    モバイルはこちら   モバイルはこちら   
岡山大学・東岡山方面 魚見台への路 富山城への路
この岩は? 岡山空港方面 一宮方面
   モバイルはこちら   モバイルはこちら     モバイルはこちら  
国道53号線・津高・笹ヶ瀬川方面 富山城登山口の一つ 松山長昌寺地蔵石仏
太然寺 富山城登山道(太然寺付近より) 富山城跡(ハッピーズより)

Home 岡山・備前地域へ 岡山市へ 城跡を訪ねてへ