クロの森
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大野 晃
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リョウは、林の中の一本道を村に向かって
必死の形相で走り続けました。
一体どれだけ走り続ければ村にたどり着く
ことができるのでしょうか。
とうの昔に陽は落ち、あたりには冬の寒く、
暗い闇夜が広がっています。
同じ景色が続く林の中を走り続けるリョウ
には、自分のいる場所もわからなければ、時
間の感覚さえもなくなっていました。
このまま永遠に林が続くのではないだろう
か。このまま夜が明けることがなく暗い闇夜
が永久に続くのではないだろうか。そんな気
さえし始めているのでした。
どこまで走ったのだろう。
そう思い、自分のいる場所を確かめるため
に、立ち止まり振り返ってみようと何度も思
うのですが、恐怖のあまり走る足を止めるこ
とができません。
冬の冷たい風が、悪魔の息吹のように幼い
リョウの小さな背中に襲いかかってきます。
東の空高くに月がポッカリと浮かびあがり、
青白い光が、まるで悪魔の目のようにリョウ
の走る姿を静かに見つめています。
あたかも悪魔の両腕に抱きかかえられたか
のように、リョウの走る一本道の両脇を林の
木々がおおいつくしています。
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人っ子ひとり、それどころか、けもの達さえも闇を恐れたかのように姿を見せよう
とはしません。
冬の林の闇夜は、シンと静まり返り、リョウの息づかいと、木々のざわめきだけが、
かすかに闇の中を流れていきます。
もうだめだ。
走り疲れたリョウがそう思ったそのときでした。突然、目の前の視界が開けたかと
思うと、ようやく長い林を抜け、リョウは広い野原に放り出されました。
林を抜けることができたリョウは、少し安心して走る足をゆるめるのでした。
その途端、今までがまんしていたかのようにどっと汗が吹き出てきました。額から
滝のように流れ出た汗は、頬をつたいポタポタと地面に落ちるのでした。
「ドッキン、ドッキン」と心臓が音を立てて脈を打ちます。
「ハアハア」と大きく肩で息をします。
ここまで来ればもういいかな。
そう思い、リョウは立ち止まり、今きた道を振り返りました。
林の向こうに目をやると、クロの森が、静かにその姿を暗闇の中に浮かび上がらせ
ています。
月夜に見るクロの森は、遠くから眺めるだけでも、圧倒されてしまいそうです。
リョウはその威圧感に思わず後ずさりをするのでした。
まるで、リョウの全てを見透しているかのように、グッとリョウを見下ろしていま
す。
ブルッ、と身震いをして、クロの森から目をそらしたリョウは、再び村をめざして
走り始めました。
さらに広い野原を二つ越えると、ようやく村の家々の明かりが見え始めました。
その明かりを見たリョウは、安心感から、急に身体の力が抜けていくのでした。
やっと家に帰れる。
ゲンは心配しているかな?
村にはいり、遠くに見える家の前に、ゲンの姿を見つけたとき、リョウは思わず涙
があふれそうになりました。
ゲンは、脇に薪を抱え、風呂場に向かうところでした。
暗い道の遠くにリョウの姿を見つけたゲンは、そのままの姿勢でリョウが近づいて
くるのを待っていました。
ゲンが見ている。
気づかれないようにしなきゃ。
涙を見せないようにしなきゃ。
リョウはそう心にいいきかせました。
「ただいま」
ゲンに見つめられて、リョウはきまり悪そうに、ぶっきらぼうにいいました。
ゲンは、しばらくの間、じっとリョウを見つめていましたが、フッと目をそらすと、
風呂のかまどの前に座り、薪をくべ始めるのでした。
しばらく薪をくべるゲンの様子を見ていたリョウでしたが、急に喉の乾きをおぼえ
ると、家の土間に飛び込みました。リョウは土間に置かれた水桶にかけよると、立て
続けに何杯もひしゃくに水をすくい、ゴクリゴクリと喉に流し込むのでした。
ようやく、心臓の高鳴りも落ちつき、ホッと一息ついたとき、ゲンが家の中にはい
ってきました。
「今までどこへいっていたんだ」
ゲンの口調は穏やかでしたが、たしなめるような怒りが感じられ、リョウは一瞬ド
キリとしました。
何か気づかれたんじゃ……。
そう思い、リョウはゲンを上目遣いに見上げるだけで言葉がでませんでした。
「もう飯は済んだぞ。早くおまえも飯をくって、風呂にはいれ」
そういうと、それ以上問いかけることなく、ゲンは風呂場に向かいました。
リョウはホッとして、いろりの前に座わると、火にかけられた鍋からお粥を茶碗に
すくい食べ始めました。
ゲンの作ったいつもの味のお粥を口にすると、安堵感が心に広がり、さっきまで、
林の中を必死で走り回っていたことなど夢の中のできごとのように感じるのでした。
お粥を食べ終わると、リョウは、茶碗を水桶につけ、後片付けをし、風呂場へ急ぎ
ました。
リョウが脱衣所から風呂場をのぞくと、ゲンが湯船につかり、一日の疲れを取るか
のように、大きな伸びをしています。
「今はいるから待ってて」
リョウは、湯船のゲンにそう声をかけると急いで着物を脱ぎ始めました。
裸になったリョウは、バッシャンと勢いよくゲンの待つ湯船に飛び込みました。
ザーと音を立てて湯船からあふれ出たお湯が流れ落ちます。
しばらくの間、二人は黙ってゆらゆらと立ちのぼる湯気を見ていました。
リョウはぼんやりとクロの森のことを思い浮かべました。
ゲンに話したらなんていうだろう。
きっと怒るだろうな。
「ゲン?」
リョウは思い切って声をかけました。
「ん?」
ゲンは、首を回しながら大きく息をはくと、大きな両手でお湯をすくいあげ、バシ
ャと音を立てて顔を洗いました。
「ゲンは、ぼくの母さんのことを覚えている?」
その問いかけに、ゲンはしばらく目を閉じていました。
いつもゲンは、母さんのことを話したがらない。
今日もか……。
リョウがそう思ったとき、ゲンが口を開きました。
「お前が生まれる前から知ってる」
そのこたえにリョウは目を輝かせ、身を乗り出してさらにたずねました。
「どんな人だったの?」
それはずっと前から何度もゲンに問いかけている質問でした。
リョウが覚えているのは、母さんの暖かく柔らかい肌の感触だけでした。
「さあ、先に出るぞ」
リョウの問いにはこたえず、ゲンはそういい、ザザーと大きな水音をたてて湯船か
らあがると、風呂場を出ていきました。
風呂場の窓から差し込んだ月の光が、ひとり残されたリョウの顔を照らし出します。
リョウは月を眺めながら母さんの顔を思い出そうとするのでした。
遠い昔、母さんに抱かれ、こうしてこの風呂場から月を眺めたことがあったような、
そんな気がしてならなかったのです。
でもどうしても母さんの顔を思い浮かべることができません。
リョウの父さんは、リョウが生まれる前になくなったので、リョウには何の記憶も
残っていませんでした。
ものごころがついたときには、ゲンと一緒にこの家で暮らしていたのです。
母さんとの思い出も、ひょっとしたらその後ゲンに聞いたことだけで、実際には何
の記憶も残っていないのかもしれません。
そう考えると、リョウは、たったひとりぼっちで取り残されてしまったように感じ
るのでした。
リョウが風呂から出て、部屋に戻ると、既にゲンはふとんにはいり、静かに寝息を
たてていました。朝早くから日が暮れるまで一日中仕事をして、疲れ果ててしまって
いるのです。
ゲンは、どうしてぼくと一緒に暮らしているのだろう。
それもリョウの不思議でならないことのひとつでした。
ゲンはなぜ、父さんも母さんもいないぼくのことを、こんなにも大切に育ててくれ
るのだろう。
ゲンは昔のことを何一つとして話そうとはしませんでした。だからこのリョウの疑
問はいつまでもリョウの心のどこかに引っかかっているのでした。
リョウは、明かりを消すと、ゲンを起こさないように静かに隣のふとんにはいるの
でした。
ふとんにはいると、昼間のことが心によみがえり、なかなか眠りにつけません。
隣のふとんではゲンがいびきをたてて眠っています。
リョウは取り残されたような思いがしました。
外は風が強くなり、ガタガタと戸をたたく音があたりに響きます。
リョウは、天井を見つめながら目を大きく見開いたままでした。
いつも見慣れている天井の木目模様が、クロの森の悪魔のように見えてきて仕方が
ありません。
家の外の風を切る音が、クロの森の木々のざわめきのように聞こえてきます。
あの林を抜け、振り向いたとき見たクロの森の恐ろしげな姿を思い出し、リョウは
身が震える思いがしました。
クロの森から吹き出した風が、家の回りを駆け巡るっているのだろうか。
クロの森が黒い悪魔となって襲いかかってきたのだろうか。
リョウは、ふとんの中にもぐり込むと、じっと時がたつのを待つのでした。
チュン、チュンチュン
朝の早い鳥達の鳴く声が家の外に聞こえ始めた頃、疲れ果てたリョウは、ようやく
眠りにつくのでした。
一体どれだけの時間リョウは眠り続けたのでしょう。リョウが再び目をさましたと
き、既に陽は高く上り、部屋の中は明るい日差しに包まれていました。
ふとんから身を起こしたリョウは、もう何日も寝ていたかのように頭がクラクラす
るのを感じました。
両手をいっぱいに伸ばし、大きく背伸びをしたリョウの目に、布団の上に横たわる
ゲンの姿がはいりました。
「ゲン、どうしたのこんな所で……」
ゲンの様子を不審に思ったリョウは、不安げにゲンの顔をのぞき込むのでした。
ゲンは、静かな顔をして、息を引き取っていました。
「ゲン……」
リョウは、何が起きたかわからずに、しばらくの間、呆然とその場に立ちつくして
いました。
「ゲン! ゲン!」
リョウは、ゲンの身体を大きく揺すりました。しかし横たわったゲンは目をあけよ
うとはしません。
自分の手に負えないとわかったリョウは、家を飛び出すと、助けを求めに隣の家ま
で走りました。
どうしてゲンが……。
昨日まであんなに元気だったゲンが……。
あまりに突然のできごとに涙を流すことさえ忘れていたリョウでしたが、走りなが
ら突然涙があふれ出てくるのでした。
涙で揺れる道を走り続け、隣の家に飛び込みました。
隣の家の土間では、おじさんが野良仕事に出かける用意をしていました。
「リョウじゃないか。病気はよくなったのか」
えっ?
ぼくが病気だって?
リョウにはおじさんが何をいっているのかわかりませんでした。
「どうしたんだ。泣いているのか?」
隣のおじさんは、リョウの泣き顔に気がつくと、心配そうに顔をのぞき込みながら
いいました。
「ゲンが、ゲンが……」
涙で言葉になりません。
「どうしたんだい、一体」
おばさんも出てきて心配そうに見つめます。
「ゲンがどうかしたのかい?」
その言葉にリョウはウンとうなずきました。
「ゲンが、ゲンが死んじゃったんだ……」
ようやく言葉になりましたが、おじさんもおばさんも自分の耳を疑ってしまいまし
た。
「何だって、もう一度いってごらん?」
「ゲンが、死んじゃった……」
そういうとリョウは、おばさんのふところに顔を埋めて大きな声を出して泣き出し
ました。
おじさんとおばさんはしばらくの間、信じられないといった顔をしてお互いの顔を
見合わせていました。
「とにかく、お前さん。ゲンの家に行ってみなさいよ」
おばさんの言葉に、我に返ったおじさんは、家を飛び出すとゲンの家に走り出して
いきました。
残されたリョウは、いつまでもおばさんの胸の中で大きな声を出して泣き続けるの
でした。
それからは、まるで決められた手順を踏むかのように、淡々と、ゲンのお葬式が行
われました。
棺の中に眠るゲンの顔は、まるで生きているかのように穏やかな顔でした。
リョウは棺の中のゲンのまわりをゲンの好きだった花でいっぱいに敷き詰めました。
「これだけの花に囲まれて、きっとゲンも寂しくないよ」
隣のおばさんがそういって、リョウをなぐさめます。
そして、ゲンは裏山に運ばれ、土の中深くに葬られました。
ゲンのお墓の前で手を合わせて、ひとりまたひとりとお墓の前を去っていきます。
リョウはその様子をずっと見守っていました。
そして、誰もいなくなり、リョウはひとりお墓の前に残されました。
お墓の前に座るとリョウはゲンに話しかけるようにいいました。
「ゲン。一体何があったの?」
リョウは、ゲンのお墓を見つめるのですが、何もこたえは返ってきません。
「村のみんなは、あの日一日ぼくが病気だったっていってる。そして、ゲンが一日中
看病していたって。――それが、次の日になって、ゲンが死んじゃうなんて……。ぼ
くはこんなに元気なのに……」
リョウには何が起きたのか全く理解することができませんでした。そして、何が起
きたのか説明できる人もいませんでした。
いつまでもリョウは名残惜しそうにゲンのお墓の前に座り込んでいるのでした。
そして、陽も落ち、あたりが暗くなり始めると、ひとり家に帰りました。
家に帰ったリョウは、あらためてひとりぼっちになったことを感じました。
ゲンと一緒に暮らした家は、リョウひとりではとても広く感じられ、寂しさがつの
ります。
その夜、リョウは、ひとり布団にはいり、こみあげる涙をこらえていました。
「何故、ゲンは死んでしまったの?」
そればかり考えていました。それだけがどうしてもわからないことなのでした。
そして、いつの間にか泣きながら眠りについたリョウが、夢の中なのか、現実なの
かわからないウトウトとした、その時のことでした。
枕元にぼんやりと黒い人影を感じたリョウは、ふとんから跳び起きました。
枕元には、ひとりの老人が立っていました。その老人は、白髪を肩まで伸ばし、顔
はしわだらけでしたが、目だけが鋭く、暗闇の中に輝いていました。
その姿を見たリョウは、驚いて、ふとんから飛び出ると、部屋の隅まで走り、ひざ
を抱えて怯え、震えました。
「リョウ、わしは、クロの森の神じゃ」
その老人が、リョウに向かって話し始めました。その声は、まるで深い穴の底から
聞こえてくるかのような太い声で、暗闇に響きわたります。
クロの森の神?
その時、忘れかけていたあの日のできごとがリョウの脳裏によみがえりました。
「何故ゲンが死んでしまったのか、お前は不思議に思っているのだろう」
クロの森の神の問いかけに、おそるおそるリョウはうなづきました。
「そのわけをお前に伝えてほしいと、ゲンに頼まれてな。ゲンの最後の望みを果たす
ために、わしはおまえに会いに来たのだ」
やっぱりクロの森と関係があったんだ。
リョウの胸に、今まで、考えたくなかった思いがよみがえってきました。
「リョウ、おまえはあの日、クロの森にはいったな」
クロの森の神は、鋭い目をリョウに向けて、問いただしました。まるですべてを射
抜いてしまうかのような鋭い視線です。
リョウは、恐怖のあまりこたえることさえできません。
「リョウ! そうだな!」
再び問いただされて、リョウは、コクリとうなづきました。
「クロの森は、死者の森だ! 生きている者がそこにはいることは大きな罪だ! そ
れを知っていたのか!」
その声は、部屋中に響きわたり、部屋の壁がミシミシと音を立てます。
「ご、ごめんなさい……」
クロの森の神の怒りに震え上がったリョウは、やっとの思いで言葉を口にしました。
さらに、クロの森の神は、ギラリとリョウを睨み、話を続けました。
「わしは、クロの森の神として、おまえを許す訳にはいかなかった。次の日、わしは
罰として、おまえを永遠の眠りの中に引き込んだのだ」
クロの森の神はそこまでいうと、リョウから目を離し、ゲンの位牌に目をやるので
した。その目には鋭さがきえ、悲しむような目になっていました。
「その時、ゲンがそのことを知ってな……」
再びリョウを見たとき、クロの森の神の顔には、怒りはなく、哀れみの表情でした。
「ゲンは、どうしてもおまえを許してくれとわしに泣いて頼んだのじゃ。その時ゲン
はなんといったと思う?」
リョウは、クロの森の神の話にすっかり飲み込まれていました。
「ゲンは、自分の命を引き替えに、お前を助けてくれといったんだ」
そんな!
そんなことが……。
「ゲン……。ぼくは、なんてことをしてしまったんだ……」
ことの真相を知らされたリョウはその場に泣き崩れました。今のリョウにはただ泣
くことしかできませんでした。
「わしも、ゲンの想いに心を打たれたんだが、クロの森の神としておまえのやったこ
とを許す訳にはいかなかった」
クロの森の神は再び厳しい表情に戻るといいました。
「わしは、お前の命と引き替えに、ゲンの命を奪ったんじゃ」
しばらくの間、リョウは何も言葉にすることができませんでした。
何度も何度もリョウは、クロの森の神の言葉を頭の中で繰り返し、やっと現実に起
こったことを理解することができました。
「なぜ、ゲンはぼくのために……」
リョウは、救いを求めるかのようにクロの森の神に問いかけました。
しばらくクロの森の神は黙ってリョウの顔を見つめて、そしていいました。
「それは、ゲンがお前のことを自分の命より大切に思っていたからじゃよ」
その言葉を聞いてリョウは、今まで心に引っかかっていたすべての疑問が解けてい
くような気がしました。
「ゲン……」
しばらく泣き続けたリョウは、唇を噛みしめながらいいました。
「ゲンは、ゲンはどうなってしまったの?」
リョウの願うような問いかけにクロの森の神は、仕方なくこたえました。
「ゲンは今、クロの森にいる」
「クロの森に……」
「そう。クロの森は死者の森じゃ」
「もう、ぼくはゲンに会うことができないんですね。――最後に一言、お礼を言いた
かったのに……」
そういうとリョウは、がっくりと肩を落とすのでした。
その姿があまりにも哀れに見えたのでしょう。クロの森の神は、何かを決心したか
のようにうなづくといいました。
「ひとつだけ願いをかなえてやろう」
その言葉にリョウは、救いを求めるような目でクロの森の神を見上げました。
「リョウ。夜明けまでにゲンに手紙を書くのじゃ、そしてその手紙を枕元において眠
りにつくのじゃ。明日の朝、起きたときにはその手紙はなくなっているだろう。わし
が、最後に一度だけその手紙をゲンに届けてあげよう。ゲンへの想いのすべてをその
手紙に書くのじゃ、いいな」
そういい残すと老人の姿は次第に薄くなり暗闇の中に溶けるように消えていくので
した。
ハッ、と思って気がついたリョウには、今あったことが夢だったのか、現実だった
のか、すぐにはわかりませんでした。
しかし、リョウはクロの森の神の顔を鮮やかに思い出すと、ゲンへの最後の手紙を
書き始めるのでした。
クロの森のゲンへ
ごめんなさい、ゲン。
クロの森の神様からすべてを聞きました。
ゲンがぼくの身代わりになって死んだって。
クロの森へはいってはいけないことは知っていました。でも、行かずにいられなか
ったのです。
クロの森に行けば死んだ人にあえると聞いた日から、ずっと、遠くに見えるクロの
森を見ていました。
あそこに行けば、母さんに会えるって。
そう思うと、行かずにはいられなかったのです。
ぼくは、もう一度、もう一度だけでよかったんです、母さんに会いたかったのです。
いつも思い出そうとして思い出せない母さんの顔を目に焼き付けたかったんです。
あの、暖かくて、柔らかい母さんの胸に、もう一度抱かれたかったんです。
でも、そんなわがままなぼくのせいで、この世で一番大切にしなければいけなかっ
たゲンを死なせてしまったなんて。
ごめんなさい、ゲン。
これからはゲンの分も一生懸命生きます。
ゲンが守ってくれた命なのだから。
ゲンもクロの森でぼくのことを見ていて下さい。
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最後に、ゲン。
クロの森でぼくの母さんにあえましたか?
ぼくは母さんには会えなかったけど。
ゲンが、もし母さんに会えたなら、ぼくの
ことを、ぼくが元気にしていることを話し
てあげて下さい。
じゃ。ゲン。本当に今までありがとう。
リョウは、手紙を書き終わると、枕元に手
紙をおき、眠りにつくのでした。
次の日リョウが目覚めると、枕元の手紙は
なくなっていました。
クロの森の神様が約束を果たしてくれたん
だ。
リョウは、朝日の中、家の外に出ると、北
の空はるか遠くのクロの森を見渡しました。
「ゲン。ありがとう!」
リョウは、クロの森に向かってそう叫び、
もう一度ゲンにお礼をいい、そしてお別れを
するのでした。
その日の朝、その冬初めて降り積もった雪
で、クロの森は白く覆われ、まるでリョウの
言葉にこたえるかのように、朝日を浴びて銀
色に輝くのでした。
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(イラスト 生知由宇)
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