キズ
                           足立 進
 今日が昨日だとわかったのは、目が覚めて から小一時間経ってからのことだった。
 洗面所で、ハブラシをくわえた鏡の中の自 分の姿をしばらく見ていて気がついた。
 昨日散髪に行ったのに、また元のボサボサ 頭に戻っていたのだ。
 最初は、昨日散髪に行ったのが夢だったの かと思ったが、新聞受けの朝刊を見たら昨日 の新聞だった。
 テレビをつけると、各局ともこの異常現象 の特番をやっていた。どうやら世界的な現象 らしい。
 テレビの情報によると、日本時間では、夜 中の二時ちょうどに、丸一日分時間がさかの ぼってしまったということである。
 テレビでは、各地の状況が報告されていた。  徹夜で仕上げた書類が、真っ白になってし まい怒っている会社員。
 やっとの思いで産んだ赤ん坊が、おなかに 戻ってしまいゲッソリしている妊婦さん。
 反対に交通事故で死んでしまったのに、生 き返り、「私は死後の世界を見てきた」と叫 んでいるおじさん。
 一方、僕はというと、毎日ゴロゴロとテレ ビばかり見て暮らしているから、今日が昨日 であろうとさして影響はなかった。
 夜になり、テレビでは、科学者や評論家たちが集まって、この現象についての討論 会をしていた。
 多くの科学者たちは、この現象を説明できないのか、難しい専門用語を並べ立てて お茶を濁していた。
 そうこうするうちに、再び午前二時になった。
 突現、目の前が真っ暗になり、僕はベッドの中にいた。
 再現したのだ。
 それから、この現象は決まって日本時間の午前二時に再現し続けた。
 一週間ほど繰り返されると、人々はいい加減うんざりしてきた。
 中には、死後の世界を見てこようと自殺する奴もいたが、大多数の人々は何をやっ ても元に戻ってしまうのだから、何事にもやる気をなくしていた。
 テレビ番組も内容がマンネリ化し、科学者たちの討論会もラチが開かなくなってき ていた。
「それでは、そろそろ午前二時になります。昨日に戻る時間になりましたから、本日 の討論会も終わりにしようと思います」
 テレビの中の司会者が無気力にいった。
「ちょっと待って下さい!」
 その時、討論会に出席していた一人の男が立ち上がった。
 その男は、少しでも趣向を変えようと、スタッフが呼んだSF作家だった。
「これはキズです」
 男はしゃべり始めた。
「時の流れにキズができたのです」
 科学者たちは、冷ややかな目で男を見つめた。
 男は、冷たい視線を無視して話し続けた。
「時の流れというのは、レコードと同じように回転しており、時間はレコードの針の ように、溝に沿って流れているのです」
「それがどうした!」
 科学者たちは苛立たしげにいった。
「今回の現象は、その溝にキズがあるために時計の針が跳んでしまうのです」
 スタジオにいた残りの人々は、その言葉を聞くと、一瞬、言葉を失い、お互いの顔 を見合わせると大声で笑った。
「そんな非科学的な」
「バカバカしい、実にくだらん」
 その笑い声にひるむことなく、男は前に進み出た。
「私の理論が正しいことを証明して見せましょう」
 そういうと、男は、テレビカメラの前に立ち、時計を見ながらしばらくそのままの 姿勢でいた。
 午前二時の直前、男は、右足を大きく上げた。
 午前二時ちょうどに、男は、右足を勢いよく床にたたきつけた。
 その振動で、針はキズを跳び越え、時間は正常に流れ始めた。
(イラスト 星川千秋)