人魚伝説
                           西野 純
 昔、ある漁村に真という若者が住んでいました。
 真は、幼いころに両親をなくし、ひとりで漁をして、生活を営んでいました。
 真は、夜のうちに海に出て網を仕掛け、次の朝早く、網にかかった魚を引き上げる ために、再び海に出るという生活を繰り返していました。
 ある日のことでした。
 真はいつものように、朝早く網を引き上げるために海に出ました。
 ここのところ不漁続きのため真の表情はさえません。
 その日も、ひとつひとつ引き上げる網には、魚の姿はありませんでした。
「今日もだめか」と思ったその時でした。
 網を引く真の手に大きな手応えがあったのです。
 真は、ただ事ではない手応えに、腰を据えて網を引きました。
 そして、その手応えが強くなるにつれ、海面が金色に輝きはじめるのでした。
 やっとの思いで引き上げた魚は、真が今までに見たこともない金色に輝く美しい魚 でした。
 しかし、その美しさの反面、その魚を見たとき、真はなにかしら恐ろしさを感じ、 背筋がゾクリとするのでした。
 船に引き上げられたその魚は、真に訴えるように跳ね回ります。
 その魚の目が真を捕らえて放しません。
 突然、真は、何を思ったのか、その魚を抱きかかえると、海にほおり投げてしまう のでした。
 そして、腰が抜けたようにその場に座り込んでしまうのでした。
「久しぶりに網にかかった魚なのに、どうして逃がしてしまったのだろう」
 しばらくの間、放心状態で波に揺られながら、ぼんやりとそんなことを考えていま した。
 その夜になっても、真は、あの魚のことが 気になって仕方がありません。
 布団に入ってからも、寝付けないで、何度 も寝返りを繰り返していました。
 そんな時でした。
 トントン
 戸をたたく音がして、真は跳び起きました。
「こんな夜遅くにいったい誰だろう……」
 そう思いながら真が戸を開けると、そこに はひとりの若い娘が立っていました。
「すみません、道に迷った旅人です。……今 晩、一晩だけ泊めていただけないでしょうか?」
 その娘は真に向かってそういうのでした。
 あまりの出来事に驚いた真ではありました が、訴えるような娘のまなざしに、真はうな ずくことしかできませんでした。
 
 次の朝、真が目を覚ましたときには、既に 娘は起き、真のために食事の支度をしている ところでした。
 その日、真は、娘が作ってくれた弁当を手 に漁に出ました。
 そして、久しぶりに網には大量の魚がかか っており、船いっぱいに魚を積み、浜へ帰っ てきました。
 浜に着いた真は、魚を売りさばくと、急い で家まで走り帰りました。
「確か、一晩だけといっていたが……。もう家を出てしまったのだろうか」
 家に駆け込んだ真は、朝出たときと同じように、食事の支度をしている娘の姿を見 つけると、ほっと胸をなで下ろすのでした。
 娘は、真の姿を見ると微笑みながらいいました。
「大漁だったみたいね。よかったわね」
 
 その日から、真とその娘の生活が始まりました。
 娘はその名を咲といいましたが、それ以上のことは何も語ろうとはしませんでした。
 真も、何も聞こうとしませんでした。
 その日から、真の漁は大漁続きでした。
 咲は、いつも真が帰ってくるのを笑顔で迎えてくれるのでした。
 ただ真には、ひとつ気にかかることがありました。
 食事のとき、咲は、一口として魚を食べようとはしないのです。
「魚が嫌いなのかな?」真は、ぼんやりとそう思うのでした。
 
 そんなある夜更けのことでした。
 ふと、真が目を覚ますと、咲の姿が見当たりません。
 真は心配になって、家の外に出て、咲の姿を探しました。
 しばらく歩き、海岸まで来たとき、海に突き出した岩礁の上に咲の姿を見つけまし た。
「あんなところに……。危ないじゃないか」
 真が声をかけようとしたその時でした。
 咲は、大きく飛び上がると、その姿を金色に輝く美しい魚に変え、海面に飛び込ん だのです。
 その光景を見た真は、驚きのあまり言葉が出ませんでした。
「さ、咲は、あの時の魚だったのか……」
 真は、その夜眠ることができず、布団の中で咲の帰りを待っていました。
 咲は、東の空が明るくなり始めた頃、家に戻ってくると、そのまま朝の食事の支度 を始めました。
 その日から真は、漁に出ることがつらくて仕方がありませんでした。
 魚たちは、自由に海の中を泳ぎ回り、楽しく生きているのに、わが身のために捕ま え、殺し、食することが許されていいのだろうか。
 こんな自分を咲はどう思っているのだろうか。
 真は、笑顔で迎えてくれる咲の姿を見ることがつらくなりました。
 どうして、咲の仲間たちを捕まえるぼくのことを、そんなに優しい笑顔で迎えてく れるのか。
 そして、とうとうある日、咲を前にして全てのことを打ち明けました。
 あの夜、咲の本当の姿を見てしまったこと。
 それでも咲のことが好きで、これからも一緒に暮らしたいということ。
 そして、咲の仲間を捕まえ、殺す漁師を続けることがとてもつらく、もう漁師をや めようと思っていることも。
 真は、自分が思っていることを、全て咲に話しました。
 咲は、だまって真のいうことを聞くだけでした。
 その日は、そのまま夜を迎え、真は眠りにつきました。
 そして、次の日、真が目を覚ますと、咲の姿はなく、手紙が残されているだけでし た。
 
 
  真へ
 
 真の気持ちを聞いて、私はとてもつらかったです。
 私の本当の姿を知っても、私のことを好きでいてくれる真の気持ちはうれしいけど、 そのために真が漁をやめるなんて……。
 真が漁をしていることは、罪でも何でもありません。
 誰も傷つけないで生きていくことなんてできないのではありませんか?
 みんな誰かの犠牲の上に生きているのです。
 だからといって、自分を責めないで下さい。
 そうした犠牲の上に自分は生きているんだって、気がついてくれればそれでいいの だと思います。
 神様だって、人間に完全なものを求めてはいないと思います。
 そういう犠牲の上に成り立っている自分に気づき、苦しみながらも生きていく人間 の姿を、神様は優しく見守っているのだと思います。
 私のせいで、真が漁をやめるというのなら、とてもつらいことだけど、私は真のも とから離れます。
 今日も漁に出て下さい。
 そして、いつの日かもう一度、真の網に私がかかったとき、再び真の前に咲として 現れます。
 だから、漁をやめないで。
 私も、もう一度、真と一緒に暮らしたい……
 
 
 手紙を読んだ真は、しばらくの間泣き続けるのでした。
 そして、立ち上がり、咲の姿を思い出すかのように朝焼けの空を見上げると、海に 向かって歩き出すのでした。
(イラスト 星川千秋)