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おやすみ、コネコ イズミカズヨシ
「宇宙がない」という真実が公表された14年後に、ぼくは生れた。 17の時に両親は飛行機事故によってこの世を去った。父方の親類がぼくの擁護を かってでてくれたが、彼らとはうまくやっていく自信がなかったので、ぼくは両親の 残したロンドン郊外にある一軒家に一人で暮らすことを主張し、そして実行した。 母が第一交配世代だったため、ゴート機構からの支給金によって生活には事欠かな かった。もしかしたら、親類たちはそのお金が目当てだったのかもしれない。 一ヶ月ごとに送られてくるゴートからの手紙と、およそ同じ時期に届く母の受胎体 提供者(匿名)の手紙をポストから取り出すと、ゴートの方は机の一番上の鍵付きの 引き出しに締まって、もう一方の手紙を手に二階のベランダへ行き、それから封を切 った。 東にそびえる空中回廊が顔を出したばかりの陽に照らされ、その巨大な影をロンド ンの街に落しているのが見える。 「あれからどれくらいの時間がたったのかしら。年寄りにはもう数を数えることさ えできません。この前の手紙に書いてあったこと。18回目の『子供返り』をなさる んですって?あなたにまた私のことを説明しなくちゃいけないのね。でももうそれも 慣れました。それはあなたがレイコとの思い出を大切にしてくださってる証拠ですも のね。今、私はこの手紙を京都行きの新幹線の中で書いているのよ。そう、レイコと スコットさんのお墓参りの帰りなんです。日本にはお盆といって、夏の終わりに亡く なった人たちを供養する習慣があるの。来月また手紙を書きます。レイコの母より」 便箋をテーブルの上に置くと、辺りが突然暗くなった。巨大な影がこの家をすっぽ り包んでいた。 両親の事故死からしばらくの間、親類からの電話が毎日のように続いていたが、1 9の誕生日、少年一人にはありあまるお金を銀行から引き出し、その束を持って病院 で擬似幼年期への退行手術を受けると、それまでのほとんどの記憶の消滅とともに親 類からの連絡も途絶えた。 3ヶ月の入院後、施設の人に同行してもらいぼくは自宅へと無事帰還した。始めは そこが自分の住んでいた家だという実感が沸かなかったが、二階のベランダから見た 空中回廊の風景がぼく自身のわずかな部分を思い出させた。 今日は大学にフィニステール古代書の翻訳を頼まれている日だったが、それはひと まず後回しにして、ぼくは朝食後ロンドン中心部にある国立病院に向かった。モラン 先生は私を見ると、またかと言った風に額を手で覆うと、ため息をついて「おはよう」 と言った。 「モラン先生・・・・」とぼくが言うと、先生は「おお、私の名を憶えていてくれたか ね。前回は手術後の検診を他の医師に任せていたのに」と笑いながら言った。 「ゴートの連中は君の手術を推進しとるそうじゃないか。まあ、ただでさえ十何回 もこんな事をしとる奴は珍しいのに、それがメグなら、貴重なデータが手に入るとい うものだがね。あ、いや、すまん。ちょっと口が動き過ぎたな」 「いいです、先生。あまり先生の事は思い出せませんが、とても親しいという感じ だけはあるんです。きっと先生はイイ人なんでしょ?」 モラン先生はカルテから鉛筆を離すと、こちらを向いて「理由は聞かんよ。そうさ。 理由なんてものほど馬鹿げた事はない。この胸の中の思うがままさ」と言った。ぼく は先生に微笑みかけた。 ぼくがメグであるという記憶は、不思議なことに何度子供返りを経た後でもはっき り思い出された。それはフィニステール古代文字を生まれながらに理解できるという 特殊能力と共通するものかもしれない。この情報はゴート機構の委員たちを十分に喜 ばせた。次の月からは支給されるお金が倍になった。年に2度ゴートへ赴き、精密検 査と生活状況の報告をこなすだけで莫大なお金がぼくの元へと転がり込んだ。生活は 豊かになっても嬉しいと感じることはできない。いくらのお金を支払っても、背負わ された荷を下ろすことは不可能だからだ。 夢を見た。世界が始まる夢だった。何度も見ている夢、そう19回目に見る夢だっ た。 目がさめた。確実にある記憶を確かなものにしていっている、とぼくは思った。毎 回その夢が朧げな光景を鮮明にしていくのだ。でも、再び6才に戻ったぼくの頭では 難しいことはすぐに追いやられ、代わりにベッドの横の棚に置いてあった小猫の人形 に気は集中された。 「猫ちゃん。猫ちゃん寝てるの?」 黒いふさふさした毛の物凄く小さなその猫は、足を微妙に震わせながらゆっくりと 立ち上がると、ぼくの顔をチラッと一瞥し、それからすばやくぼくのお腹の上へと飛 び移った。布団越しに猫の体重が心地よく感じられた。 「キミは?」と小猫の人形は言った。 「ええと。ええと」 「キミは?」 「ファ・・・・、ファウスト。ファウスト・タケハラ。あ!ファウスト・タケハラ・メ グだ。ぼくはファウスト・タケハラ・メグだよ、小猫ちゃん」 「あたしはク・ステフよ。ファウストくん」と人形猫は言うと、ぼくのお腹を登っ て顔のすぐ前まで来ると、ぼくの鼻の先をぺろりと舐めた。 「あなた、18回もあたしと会ってるって知ってた?」 日本人で生命工学学者だった母は、メジハとの第一交配実験に自ら志願して被験者 となった。第一交配実験では世界中より集められた199名が実験体となり、内16 3名が受胎後一ヶ月以内に死亡、19名が未受胎、9名不明、残りが8名が実験を成 功させ出産と報告された。 母がぼくを生んだ時、母には既に夫となる人がいた。それがぼくの父スコット・ロ ーランドだった。父も母同様に科学に身を捧げた人だった。飛行機事故といっても、 民間航空機航行中の事故ではなく、メグ実験担当者であった父と母の空中遺跡ゴスペ ルへの赴任途中の事故が事実上の出来事であり、そしてまたそれはゴスペルの謎の爆 発に巻き込まれた結果であった。 その時遂行されようとしていた第二次交配実験は、ゴスペルの消滅と共に採取され ていたサンプルも腐敗し未遂に終わる。よってぼくらが最初で最後のメジハの子らと なったのだ。 この世に産み落とされたメジハの血は8人。解き明かされきらなかった全ての謎は ゴスペルと共に消えゆ。 「キミは知ってるの?ぼくの夢のこと」 ク・ステフは窓際での日向ぼっこを中断すると、何にも嫌がることなくぼくの元へ と近づいてきて、やさしく顔に頬擦りした。 「ええ。今度も聞くと思っていたわ。あなたが思い出すのを待っていたの。それと も、もう思い出していたのかしら?」 「うん。始めに目が覚めた時に、始めに思い出したことなんだ」 「そうだと思ったわ」 「どうして分かったの?」 「それはね、この前も同じことをあたしに言ったからなのよ、ファウストくん」 計画が終了を迎えたのは、第一次交配実験から72年が過ぎてからだった。その理 由の一つは、計画当初の実験者たちの大半が寿命を迎えたことであり、またそれだけ の年月を待ってしてもメジハの子たちに何ら異変が起きず、古代書の解読による成果 もほとんどなかったからである。血の落とし子8人の中では、家庭を持ち、子を生ん だ者もいたが、第二世代にメジハの血は受け継がれなかった。それはフィニステール 言語の読解不能、遺伝パターンの相違などから証明され確定された。 目覚しのなる2分前に目が覚めた。いつものように朝食の準備をし、表へ郵便物を 取りに行く。ポストを覗くと手紙が2通入っていた。1つはゴートから。そしてもう 1つは・・・・「キミコ・タケハラ」と差出人の欄に書かれてあった。 空中回廊の影はまだ遠くにあった。いつもなら真っ先に読むはずの手紙をテーブル の脇へと寄せると、ぼくは先にゴート機構からの報告書を開いた。 「ファウスト・タケハラ・メグ(ナンバー8)様。今月分の援助金を下の口座へ振 り込みいたしました」 そう書かれた下には続きがあった。 「メグ計画第一交配世代ナンバー4方が先日4月4日にお亡くなりになりました( 死因、老衰死)」 8人いた兄弟はぼくを含め3人だけになった。ゴートからの報告が事実なら、これ で4名は寿命を全うし、1名が不慮の事故死ということになる。 計画はとうの昔に封印されたものの、計画の出資者であったゴート機構は今もなお その見守り役を受け継いでいる。その理由は不明。 もう一つの手紙の封を切ろうとしたら、回廊の影に光が閉ざされてしまった。隣の 家で飼っている猫が屋根づたいにぼくのいるベランダへと渡ってきた。見ると隣は強 い日差しの中にあった。猫は日陰を求めてやってきたのだ。 「お元気ですか?とてもとても長い間書き続けたあなたへの手紙もこれが最後にな ります。先日、死亡申請を出しました。来月の初めに私はこの世を去ります。 あなたは寿命を信じるかしら。この前、お台所で夕飯を作っている時にふと感じた のです。私はもうすぐ死ぬんだわって。これまでも死ぬことについて何度も考えたこ とはあったわ。でも今度は何か違っていたの。これが寿命というものなのねって心か ら分かるのよ。 死が近づくと忘れていた昔を思い出すと言うけれど、若かった頃を思い出していた らとてもあの頃に戻りたくなりました。あなたが記憶を犠牲にしてまで子供に返るこ とを望む理由が、ほんの少しだけ分かった気がします。 もうすぐあなたの18歳の誕生日ですね。でもまたあなたは18になる前に子供に 戻ってしまうのかしら。200年も生きてまだ一度も大人になったことがない人だな んて、なんておかしいんでしょう。今までずっと私の手紙の返事を書いてくれてどう もありがとう。私はあなたにレイコの姿を写していたの。最後に一度お会いしたかっ たけれどやめておきます。もしあなたの顔がレイコにそっくりだったら死にたくなく なるかもしれないもの。今までちゃんと名前を書かなくてごめんなさい。私はあなた が怖かったのです。人間ではない血が混ざっているあなたのことが。でも確かにあな たはレイコの子供です。さようなら。あなたのおばあちゃん、竹原君子より」 いつのまにか回廊の影も隣の猫もベランダからいなくなっていた。影はロンドンの 遠くに落ち、猫は鳴き声も聞こえなかった。 ぼくは一階へ降りると、電話機をとって病院に電話をかけた。モラン先生を呼び出 すと、ステフに会えないかと聞いた。 幼少期から思春期、青年期にかけての期間に異常な執着をぼくは持っているのだろ うか。 擬似幼年期への退行手術は、通常、重度犯罪者や精神異常者のための心理改造およ び人格再形成の必要有りと診断された者のために行われる処置である。一度の手術に は莫大な費用と、大半の記憶が代償となる。それでもぼくは大人になることを拒み、 6歳から17歳を19度体験し、通算年齢は217歳に及んだ。最初に擬似幼年期へ の退行を試みたのは19の時、両親が死んでから2年後のことだった。 「夢のためでしょ?」 「あの夢のことのため・・・・、そうかもしれない」 「あなたはそう言っていたわ」 ぼくはク・ステフを右腕に抱えたまま家の玄関の扉を開けると中へと入った。そし てベランダへと上がった。 「猫の匂いがするわ」とステフが首をキョロキョロさせた。 「隣に猫が住んでいるんだよ。時々ここに遊びに来る」 テーブルの上にそのままにしてあった手紙を片づけると、彼女をそこに乗せた。 「あなた、あたしよりもその猫が好きなんじゃなくて?」 人形が本物の猫に嫉妬する様にぼくはおもわず笑みを漏らした。 「ごめん。いいや、君ほどに美しく気品ある淑女はいないよ」と彼女の喉を撫でて あげた。 コロコロと喉を鳴らしていたステフは、急にぼくの手を伝って顔のすぐそばへと登 ってくると、チョンとぼくにキスをした。 「あたしを連れて行ってちょうだい。星の海へ!」 地上666万キロの地点を境に、空間は消滅していた。それ以上の無空間、非絶対 領域に侵入したあらゆる物質は無化されると同時に完全にその質量を失った。遠くに あると観測された星々は、非絶対領域から及ぼされる強力な力場によって歪められた 距離感を天文学者に与えていた。 全ての物質は半径666万キロ内に存在し、「宇宙がない」という真実が公表され た13年後、上空40万キロ地点、ほぼ月と同軌道の位置に発見された人工物と思わ れるほこら、空中遺跡ゴスペルより発掘された有機体MEGIHA(Memorial eighth gospel in high airspase )と、人間の卵子との受精が可能であることが発 表された。 「あなたは18回の深層心理のダイブで眠った最古の記憶を目覚めさせたのよ」 ぼくらの乗った空中回廊は地球軌道上に作られた人工都市セカンド・ゴスペルへと 続いていた。同乗している客の何人かが、18にもなる青年が肩に猫の人形を乗せて いることを珍しそうに見ていた。 手術後の記憶補完のためにぼくに与えられた猫のおもちゃは、それまでその記憶回 路に積み重ねてきたおよそ200年分のデータをぼくに告げはじめた。 ハイ・エアスペース専用高速航行艇を買い取るには、それまでぼくが貯め続けた全 財産の9割が必要だった。幼年返りならおよそ50回分の値段。店の主人は猫のおも ちゃを連れた18の青年がこれほどの大金を持ち得ていることに目を丸くした。 高速航行艇と言えど、絶対境界線にたどり着くまでに10日を要した。 「ファウスト、あたしはあなたに会うことができて嬉しいの。こんな素晴らしい時 をあなたと迎えることができるなんて!」 境界線から記憶通りの場所は、その部分だけぼくを待ち続けていたようにまっすぐ に道を作っていた。 一歩でも踏み外せばたちまち非絶対領域が身も心も闇に返してしまう。ぼくらを乗 せた船は、更に相対距離約8千万キロを静かに航行し、121日後、闇の中の小さな 光に到達した。 第一創始者の残した墓標は、人類とフィニステール人の混血児と機械人形の黒猫を 真の宇宙世界へと導いた。
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