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日の光、血の光          イズミカズヨシ

 
 
 永久物質イモータル、またの名を「ヘカテ」、その力の全てを知ることは太陽終末
期における人類の科学力では不可能だった。ヘカテ研究、第一人者の名は海藤賢治。
私の父だった。父はヘカテがこの全宇宙のあらゆる存在を司る最終物質であると私に
語った。その研究の矛先は真っ先に太陽の復元へと向けられた。
 
 何も見えない。夜は視界が0になる。空を見上げると月が微かにあるのが分かる。
 「ここは不便でならない。早く<塔>へ行くんだ」
 声になるかならないか程の小さな声で私は呟いた。それから唾液を飲み込むと、乾
燥した喉に鋭い痛みが走った。肺も寒さで焼けそうだった。
 服のすそが引っ張られた。
 「なんだ」
 声を出すのが面倒で堪らなかった。
 「なんだ」
 「・・・・」
 私はチッと舌打ちをすると鞄からエーカ灯を取り出して付けた。緑色の淡い光がと
もった。再び服のすそがぐいと引っ張られた。ブ・トーの体の輪郭は薄っすらと確認
できたが、その表情まではこのレベルのエーカ灯では照らしきれない。私はトーの腕
を思い切り掴むと、彼女の体を思い切り自分の体へ引き寄せ、顔とエーカ灯を彼女の
顔に押し付けた。
 「・・・・」
 トーはエーカ灯の光と私を嫌がって顔を引き離そうとしたが、握っている腕に力を
込めてそれを制した。
 「どうしたんだ」
 「・・・・」
 トーは首を横に何度か振り、ぎゅっと目をつぶると片手で自分の下腹部を指した。
 「ふん。そこですませろ。この闇の中で遠くへ行かせるわけにはいかないんだ」
 私はそう言うと、鎖を少しだけ緩め、エーカ灯をカチッと切った。辺りに闇と静寂
が戻った。しばらくトーはそのまま動かなかったが、やがて心決めたのかすぐ側で用
を足した。
 
 顔を知り合った不人達が私たちを<塔>上部へと導いてくれた。トーの事にはだれ
も触れなかった。みんな私の仕事を理解しているからだ。不人たちは普通の人間より
ずっと感覚が鋭敏だ。もしかしたらトーの事を気づいた者もいたかもしれない。けれ
ど彼らが私を信んじていることは知っている。おそらくはトーが青色人だと知っても
黙っていてくれたのだ。
 <塔>上部へと抜ける間際、門の所で不人の一人に「猫の喫茶へ」と囁かれた。
 
 太陽は衰えていた。人類科学限りのエネルギーで力場を恒星周囲に展開。人工的に
老化を促進させ超新星爆発後、恒星中心部にて重力炉を加速させる。大質量崩壊一歩
手前で「ヘカテ」を誘発。人工恒星の誕生、それが長老会の計画だった。
 
 「大老たちに会うんだな」
 部屋の奥の椅子に座る白いじいさんは、まるで周囲の古びた置物と同化しているか
のようだった。
 「そうだ。あんたはどっちの味方なんだ?不人の命と人の命、そしてこの子の命だ」
 白いじいさんは何も言わなかった。たださっきから右手で顎鬚を撫でているだけだ
った。鎖の先がゴトリと動いた。見るとトーが何かを見つけたらしい。トーの視線の
先にあったものは棚の上に並べられた旧時代の写真だった。
 白いじいさんのもうおそらくは視力の尽きたその目も、トーと同じ場所に向けられ
た。トーが震えながらひざを床に落とした。古びた木の床にぽたりぽたりと涙が落ち
た。
 「お嬢さん、そいの写真を持ってえきなされや」
 トーはその細い腕で涙をぬぐって私の顔を見上げた。泣いたせいで頬が赤かった。
 「取れ」
 写真を取ったトーは、それを大事そうに懐へと仕舞い込むと、再び私を見上げ、そ
して抱き着いた。それが感謝の意味をあらわしているということに気づくのにしばら
く時間がかかった。
 猫の喫茶を出た。
 
 太陽の復活は人のため。不人は日の光の下では生きてはいけない。そしてヘカテを
稼動できる青色人もまた、同じく。父がその計画に賛同的であったかどうかは今とな
っては分からない。父はずっと昔に実験中の事故で母と共に死んだ。
母には一度も会ったことがなかった。父がそれを許してくれなかったからだ。私は
彼らの本当の子供ではない。孤児だった私を父が養ってくれたのだ。私は優しく強い
父だけで満足だった。父と母が死んでまもなく、父の旧友であるという男に私は引き
取られた。その男は不思議な人物だった。男は「猫の喫茶」という小さな店を<塔>
の上層部に開いていた。以前は父の研究にも参加していたらしく、店には度々政府関
係者が訪れた。不人たちからも厚く信頼されていた。不人たちは彼の事を年齢に関係
なく「白いじいさん」と呼んでいた。そのわけは、父が私に母を合わせなかった理由
と共にやがて分かった。彼こそ母の父親だったのだ。そしてまた彼も母も不人であっ
た。不人は圧倒的差別下の元生きることを許されている生物だ。人間が不人と付き合
うことはあまりこころよく思われない。あらゆる意味で、彼、白いじいさんは不思議
な存在だった。
 私が成人を迎えた時、白いじいさんが長老会のメンバーの一人であることを知らさ
れた。そして21になった時、南で確認された青色人を確保する任務が私に課せられ
た。それは長老会命令としての絶対任務だった。その時、私は白いじいさんの推薦で
長老会直属のチームに所属していたのだ。
 
 青色人の確保に3年を要した。その間に私はずいぶん変わった。今、全人類の再起
を投げ打ってでも私はこの少女のことを守りたいとさえ思ってしまった。その事を私
は、<塔>最上部にある長老会室直通の全長499キロのエレベーターの中で彼女に
伝えた。
 ブ・トーは私の顔をじっと見上げたままだった。かわいく結われた三つ編の髪を手
で撫でた。
 「こんな所まで連れてきて悪かった」
 そう言ったら、彼女は私の手を強く握り締めて、首を激しく左右に振った。
 「もう気づいているんだろう。私が知ったのも、あのじいさんの店でだ。・・・・
そうと分かっていれば、私は・・・・8百億の人類の未来よりもおまえの命を選んで
いた」
 彼女の私の手を握る強さはますます強まった。彼女は胸からそっと写真を取り出し、
そこに写る人物3人の姿をやさしい目で見た。
 私はエレベーターの緊急停止ボタンを押した。数分後エレベータは停止した。トー
が不可解な目で私を見る。
 「もうやめだ。人類など一生闇の中で暮らせばいいさ。不人たちの命を奪ってまで
人類にそんな権利はない」
 トーが私の手を引っ張り抗議しようとしたが、私はかまわず彼女を抱きしめ上げキ
スをした。トーは私の手を振りほどいてエレベーターの隅に逃げた。しばらくの沈黙
の後、彼女は私の手を取りそこに指で文字を書いた。それはとても長く、とても哀し
い文章だった。
 「父さんは言っていたわ、不人こそ人のために人の進化した形なんだって。人にヘ
カテの力は何も及ばなかったけれど、不人にはヘカテが反応したの。母さんは自ら実
験台になってヘカテの恩恵をその身に受け私を生んだ。私はヘカテと母さんの子。私
はヘカテの使い。それはヘカテを正しく扱うため使命を負った運命なんだって。ヘカ
テは人に再び光を取り戻させるために私たちに与えられた物なんだって。私行くわ。
私、そのために生れてきたんですもの。私が太陽と星と月を救うの。愛してるわ、私
のたった一人のお兄さん」
 
 
 

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