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ひまわり航空便 星 洋一
第二話 ポエム
いつもいつも、壊れるのではないかと思ってしまうほど、豪快な音をたてて回るポ
ンコツ洗濯機から、洗濯物を引きずり出して、かご一杯に放り込む。いい加減、修理
屋さんに来てもらったほうがいいのかなぁ。その前に、ケンさんに見てもらおう。
・・・あーあ・・・
ひまわり亭の外ではすでに、お客さんの使った一部屋分のシーツとふとんカバーが、
そよ風に真っ白く翻っている。さっき、お手伝いさんと一緒に干したのだ。鼻歌でも
歌いたくなるような洗濯日和。なのに、ケンさんのことを思い出したとたんに、気が
滅入ってしまった。
ケンさんったら、あたしの詩のノートを後ろからこっそりのぞき見て、笑ったのだ。
そりゃね、出来がいいとは思ってないし、あとで見て自分でも恥ずかしくなるよう
な詩もあるよ。でもさぁ・・・ なんで、笑うかなぁ?
ばんっ、とシャツをはたいて延ばし、張り渡したロープに洗濯ばさみで吊す。ロー
プが揺れて、とまっていたスズメが、チチチと鳴きながら飛び去っていった。あたし
は、そのスズメの宙を舞う軌跡を、野原に消えていくまで眺めていた。
小鳥、小鳥・・・
仕事をしながらも、思いついたら詩の文句を考える。単調な毎日も、少しは面白く
なると思うんだけど。
・・・そうか、ケンさんにとって、毎日は単調なことの繰り返しじゃないんだろう
な。いつも喜々として空を飛び回ってる。だから、あたしが詩を楽しみにしているこ
となんて、きっと理解できないんだ。
ブラウスのしわを延ばしながら、ひとつ、ため息をついた。
「サトミ姉ちゃん、手伝おうか?」
振り向くと、コースケが日に焼けた笑顔で立っていた。
「ありがと。そっちのロープでお願いね」
「よーし」
コースケはかごから洗濯物を引っぱり出して、軽くしわを延ばしてから、背伸びし
てロープに吊し始めた。あれ、何かが足りない・・・ ふと、そんな気がした。あた
しはすぐに、その違和感に思い当たった。
「コースケ、背が伸びたね」
「そう?」
「ちょっと前まで、ロープを緩めなきゃ背が届かなかったじゃない」
「そう言えばそうだね、じゃあ、あと三日で姉ちゃん追い越しちゃうな」
「まさかぁ」
なんて言っている間にも、コースケは次々と洗濯物を吊していく。はたと気が付い
た。あたしも負けていられないじゃない。
まるで弟みたいなコースケは、いつも有り余る元気を分けてくれる。毎日が楽しく
て仕方がない年頃なんだろうな。
きっと本当は、楽しいことなんて、どこにでも転がっているんだ。詩を作るという
ことは、それを言葉に変えて、心にしまっておくこと。いつもの道端に、小さな宝石
を見つけていくことなのだ。
だけど、今日は何だか、言葉が悩んで出てきてくれないみたい。
まるで競争のように洗濯物を干していくうちに、かごの中身はあっという間になく
なっていった。あたしは空になったかごの側に座り込んで、一息ついた。コースケは
まだ干し足らなさそうだ。
「ありがとう。おかげで助かったわ」
「お礼なんていいよ。お客じゃないんだしさ」
「いい子ね、コースケって。またパンケーキ作ってあげるね」
「へへへ、やったね」
あたしは後ろでまとめていた髪をほどいた。肩の後ろで、洗濯物に合わせて、髪が
そよ風に揺れる。あたしとコースケは、しばらくそこでぼーっとしていた。太陽はさ
んさんと降り注ぎ、洗濯物を乾かしてしめった風は、涼しくて気持ちいい。
やがて、コースケが言った。
「ケン兄ちゃん、遅いなぁ」
「ずっと前に、配達に飛んでいったよ」
「うん。もう予定の時間を過ぎてるのに、まだ帰ってこないんだってさ。さっき義父
ちゃんが言ってた」
「遅れてる?・・・」
ケンさんは、仕事の時は、だいたいコースケのおじさんの立てたプランに従って飛
んでいる。遅れたとしても、いつもならせいぜい十分程度。でも今日は、洗濯物を干
し始める前からだということは、だいぶ遅れていることになる。
何かあったんだろうか。配達の手続きに時間がかかっているとか。それだけならい
いけど、あるいは・・・
宙に浮いている物は、支えていなければ地面に落ちることぐらい知っている。
「まさか・・・ ねぇ」
あたしは、嫌な考えを振り払った。
「ボク、義父ちゃんのところに行ってみるよ。無線が入ってるかも」
コースケはそう言って、格納庫の方に走っていった。あたしは一人、揺れる洗濯物
の間に取り残される。
ひとたび不安になってしまったら、あとは募っていくばかり。ケンさんは優秀なパ
イロットだって、おじさんは誉めているし、ケンさんもそう自負しているみたいだけ
ど、・・・何が起こるかわからないのが空だよ、とも言っていた。
空を飛ぶって、どういうことなんだろう。そう言えば、いつも怖がって、飛行機に
乗せてもらったこともなかったな・・・
「 あおいことり・・・ 」
ふと、湧いてきた言葉をつぶやく。詩が生まれてくる予感がする。
「 うたうだけで
とぶことを
しらない 」
あたしはその場で寝ころんだ。頭の下で芝生が柔らかい。ロープに左右を切り取ら
れた細長い青空を、淡い雲がゆっくりとよぎっていく。
「 そらをまう
ゆめだけでも
みたい
のに
そらのたかさを
しらない 」
あたしは空に向かって、雲をつかむように手を伸ばした。
「 とびらをあける
ゆうきを
かぜをつかむ
つばさを 」
目を閉じて、指の間をすり抜けていく風を感じる。手応えのない風。
「 ・・・すべては
そのてにあることを
しらない 」
あたしは力無く手を下ろした。指先でしっとりとした草の感触を確かめる。
「 いごこちのいい
かごのなかで
なぜかふいに
なきたくなって・・・ 」
と、その時、遠くから耳慣れた音が聞こえてきた。あたしは目を開いて、がばっと
身を起こした。どんどん近付いてくるこの音。間違いない。リヒトホーフェン号のエ
ンジンの音だ!
「帰ってきた!」
あたしは飛び起きて、滑走路に向かって走った。そのあたしの頭の上を、軽快なエ
ンジン音を轟かせながら、真紅の影が横切っていった。翼の影が一瞬、あたしの上に
幕を降ろす。あたしは太陽に目を細め、手のひらを額にかざしながら、その赤い翼を
目で追った。
リヒトホーフェン号は滑走路の向こうで反転すると、エンジン音を低めて、ゆっく
りと高度を下げていった。
飛行機は一旦滑走路を戻って端まで走っていくと、ぐるっと回って頭を滑走路の先
に向けて、あたしの前で停まった。
「お出迎えご苦労!」
エンジンを止めて、操縦席から降りながら、ケンさんはそんなことを言う。あたし
は彼の無事な姿にほっとしながらも、ため息をついた。心配していたのが馬鹿みたい。
「どうした? 辛気くさい顔して」
こうも何事もなかったかのようにされると、詩を笑われたことも相まって、なんだ
か腹が立ってくる。
「・・・帰りが遅いから、どこかで落っこちてるんじゃないかと思ってたの!」
「俺が墜落する? そんなわけないだろ。馬鹿だなぁ」
どうしてこう、デリカシーがない男なんだろう。あたしは思いっきりむっとしてや
った。でもケンさんは、からから笑っていたりする。
と、この大馬鹿野郎ー、と叫ぶどら声が聞こえてきた。おじさんが格納庫の方から
走ってくる。その後ろを、コースケが、燃料のタンクを載せた台車を押しながら追い
かけてくる。
「一時間も遅れやがって。次の仕事が入ってるんだぞ!」
「え? そりゃ珍しい。無線で呼んでくれりゃよかったのに」
「飛行機の側にいなかったじゃねえか。街で遊んでたんだろう。ほれ、これがプラン」
ケンさんに地図を突きつけるおじさん。後ろではようやく到着したコースケが、タ
ンクにフィルター付きのポンプを差し込んで用意していた。
「ここで荷物を受け取って、ここが配達先。行って帰ってきても、給油する分で燃料
は持つはずだ。わかったら、さっさとすっ飛んでこい」
「了解。・・・おやじ、かんべんな」
「わけは後で聞く。お客には丁重にお詫びしとけよ」
操縦席に飛び乗るケンさん。背伸びしながら、機体の背中の給油口に手を届かそう
と奮闘していたコースケに代わって、おじさんがポンプを差し込み、ものすごい勢い
でハンドルを回し始めた。アルコール燃料の流れ込む音。ケンさんがつぶやく計器チ
ェックの声。見てるだけのあたし。何だか淋しい。
あたしだって何かできることがあったら手伝いたいのに、何をしたらいいのかもわ
からない。入り込むすき間もない世界。男の仕事、なのかなーと思う。女って・・・
なんか、損だ。
「給油終わり!」
おじさんはポンプのホースを抜いて、コースケが台車を下げる。給油口にフタをね
じ込みながら、おじさんが叫ぶ。
「出発準備よし。行ってこい!」
おじさんが機体から離れるのを確認して、ケンさんはエンジンに点火した。バリバ
リと音をたてて、プロペラが回り始める。機体がびりびりと震動するのを、台車を引
っ張ってきたコースケが、感慨深げに眺めている。あこがれの飛行機を飛ばす、クル
ーの一人として活躍させてもらったのだ。嬉しくないわけがないだろう。
コースケも男の子になっていくんだなぁ、と思う。彼の前には大きな空が広がって
いて、いつか彼はそこに飛び出して行くんだろう。あたしは・・・ やっぱり、怖が
って、飛び立ちもしないのかな・・・
「サトミ!」
エンジン音の影から名前を呼ばれて、ぼーっとしていたあたしは目を上げた。と、
目の前に紙袋が飛んできて、あたしはそれを反射的に受け止めた。手のひらに、堅く
軽い手応えがあった。ケンさんが、操縦席から放ってよこしたのだ。
「お・み・や・げ!」
そう言うと、ケンさんはにっと笑いながら、こめかみのところで指をぴっと振って
みせた。
あたしは袋を開けてみた。その中にあったのは、・・・本。ちゃんと箱に入った、
立派な装幀の、真新しい本。あたしがずっと前、読みたいと言っていた詩集。・・・
本屋さんは街にしかないし、たまに行ってもなかなか見つからないのに・・・
きっとほんの一瞬の間だったんだろうけど、あたしはだいぶ長い間、その本の表紙
を見つめていたような気がする。そして、この本が今、あたしの手の中にあることの
意味を、じっくりと考えた。
やがて、光が射した。雲が割れて、青空が顔をのぞかせるように。
「ケンさん!」
あたしの声は、高まったエンジンの音にかき消された。プロペラでかき回された風
が、あたしの髪をなびかせて吹きすぎる。滑走を始めたリヒトホーフェン号はどんど
ん遠ざかり、やがて宙に浮いた。
「あの野郎、可愛いことするじゃねえか」
おじさんが、にたにた笑いながらつぶやいた。
あたしは詩集を胸に抱きしめて、旋回する真紅の飛行機を目で追い続けた。
「 ・・・うたをうたうよ
かぜにのせて
くもにとどくまで
うたって・・・ 」
誰にも聞こえないように、小さくつぶやいた詩の続き。風の妖精が届けてくれるこ
とを祈って。
「 くれないの
つばさをよぶよ・・・ 」
ひまわり航空便 第二話 終
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