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空を飛びたかった蜘蛛の物語 −追悼・hide− 星 洋一
極楽鳥は虹色の尾羽を翻らせて舞い降り、小枝にとまって羽根を休めた。
「こそこそ隠れている必要はない。姿を現すがよい」
独り言ではない。彼は傍らに張られた蜘蛛の巣に向かって話しかけたのである。
「私を恐れるのはわかる。だがあいにく、貴様のような食ってもまずいものを取って
食わねばならぬほど、私はひもじい思いをしておらぬ」
葉陰から、一匹の派手派手しい色を纏った蜘蛛が姿を現し、自らの巣の上に、虚勢
を張るように足を大きく拡げて陣取った。
「・・・なぜだ」
「愚問だな。貴様のけばけばしい色は、空高くから見てもよく目立つぞ」
蜘蛛はむっとして、牙をかちんと鳴らした。
「そんなことを聞いているんじゃない。なぜ、俺のようなものに話しかけるんだ」
極楽鳥は、蜘蛛を見下ろして言った。
「貴様と私は、よく似ている」
その目は、さげすむような、哀れむような、複雑な光をたたえていた。極楽鳥は蜘
蛛に、自虐的な親しみを覚えていたのかもしれない。
「貴様のその色だ。鮮やかな桃色は、孤独の裏返し。貴様は自分の巣にかかる全ての
ものを傷つけ、縛り上げ、食らい、生きてきた。小さな巣の上で、ずっと一人で。そ
うだろう」
「それがどうした」
「貴様に無くて、私にあるものが一つある。それが何だかわかるか」
蜘蛛はいらいらするように、足で巣をふるわせた。
「知ったことか」
極楽鳥は鼻を鳴らし、空を見上げた。
「貴様はずっとここにいて、頭上に広がる青空を見上げたことはないのか。この空の
果てにもっと広大な世界が広がっていると、想像したことはないのかね」
再び蜘蛛を見下ろした極楽鳥の強い視線に、蜘蛛は思わず萎縮した。
「私にあって貴様に無いもの、それは翼だ。そして、この翼で空を飛ぶこと、それこ
そが自由というものだ」
極楽鳥のくちばしが、残酷な形に笑ったように見えた。
「貴様には翼が無い。したがって、自由も無い。知っていたかね。・・・それとも、
知らない方がよかったか」
蜘蛛はふるえながら、八本の足それぞれで、しっかりと足下の糸を握りしめた。
「この巣は全て、俺が作り上げた。この、枝と枝の間に張り渡された巣こそが、俺の
世界。俺の全て。・・・それで十分だ」
極楽鳥はわざとらしく忍び笑いをもらした。
「ふん、勝手にするがいい。自らの張り渡した網に捕らわれているのが自分自身であ
ることに、気付かないでいるのなら、それもよかろう」
そして、翼をひろげ、背を向けかけた。
「・・・おっと、一つ言い忘れていた。貴様の巣にかかる者達もみな、翼を持ってい
るのだぞ。特に、貴様に負けず劣らず派手な彩りの翼を持った蝶・・・、あれほどの
翼があったなら、貴様も空を飛ぶことができただろうがな」
それだけを言い捨てて、極楽鳥は飛び去っていった。蜘蛛はぴくりともせずに、じ
っとその背中を見送るのであった。
そして今、蜘蛛の前には、不運にも網にかかった蝶がいるのである。
「蜘蛛よ。こうなってしまった身としては、もはや覚悟はできています。あなたは私
をその糸で絡め取り、そして食べるのでしょう。しかし蜘蛛よ、今一度、私に生きる
機会を与えてくれるのなら、私はあなたのために、命以外のものなら何でも捧げまし
ょう」
「その言葉、聞き届けよう」
もはや自分の命は尽きるものと思っていた蝶は、蜘蛛の意外な反応に驚いた。
「俺はおまえの翼が欲しい。翼を頂いたら、おまえをこの網から解き放ってやろう」
「それだけは許して下さい。命は助かっても、飛べなくなったら私は死んだも同じこ
と」
畏れおののき、ふるえる蝶を、蜘蛛はしかし、冷酷に見下ろすのだった。
「おまえの運命は俺が決める。俺はおまえの翼で空を飛び、自由を手にする。おまえ
は、地を這って生きていく者の悲しみを知るがいい」
蜘蛛の腕が蝶の翼にかかる。蝶はもはや命乞いをあきらめ、自らの運命を受け入れ
ようとしていた。
「悪く思うな。俺は翼が欲しい、それだけなんだ」
「いいでしょう。この翼で飛べると思うのなら、それであなたの求めるものが手に入
ると思うのなら、私の翼を使いなさい」
蜘蛛は蝶の翼をもぎ取った。蝶は、泣きわめきなどはしなかった。
「私は地を這う者の悲しみを知らない。しかしあなたも、飛び続けなければならない
者の辛さを知らないのです」
蜘蛛は蝶の身体に絡まった網をほどいてやった。
「空を飛ぶことは決して自由になることではありません。風に流され、雨に打たれ、
それでも羽ばたき続けなければならない。いくら空を飛び続けても、神の手で定めら
れた理から逃れることはできない。翻弄され続けるだけなのです」
蜘蛛は、蝶から奪った翼を両腕に構えた。蝶はそんな蜘蛛を、哀れむように見つめ
ていた。
「どうした、もうおまえに用はない。立ち去れ」
「見届けましょう。飛びなさい、蜘蛛よ。そして、空を飛ぶことの意味を知るのです」
「・・・勝手にしろ」
蜘蛛は二度、三度、大きく羽ばたいた。翼は風をはらみ、蜘蛛の足はついに自分の
巣から離れた。そして蜘蛛は、ぎこちなく、ゆっくりと空へ舞い上がっていった。
蜘蛛はかつてなく高揚していた。目の前に、今まで見たこともない世界が姿を現し
始めていた。
空高く、雲がゆっくりと流れてゆく。その下を、渡り鳥の群が、見事な陣形を整え
て南への旅路をたどっていた。地平は視界に遠く広がり、その果ては霞んで見えない
ほどだった。
すばらしい。蜘蛛は今、純粋な感動を覚えていた。これが自由というものだ。世界
は、かくも広大なのだ。そして蜘蛛は、これから自分が飛んで行けるであろう未知の
世界へ、胸を高鳴らせていた。
しかし、しばらくすると、蜘蛛は羽ばたきを続ける腕に疲れを覚え始めた。しかし、
ここで腕を休めてしまったら、自分は落ちてしまう。蜘蛛は、疲れをおして羽ばたき
を続けるしかなかった。
困難はさらに続く。蝶の翼から生気が抜け、しおれ始めたのだ。鱗粉は徐々にはが
れ落ちていき、空気をうまくつかめなくなってきた。そのため、蜘蛛は前にも増して
激しく羽ばたかねばならなかった。それはもう、蜘蛛にとって苦痛をともなう行為と
化していた。
そしてついに、力尽きた蜘蛛の腕から、翼がすっぽ抜ける。もう、どうしようもな
かった。蜘蛛は墜落していく絶望と、地面に叩きつけられて死ぬ恐怖、そしてなぜか、
拷問から解放されたような安堵感を感じながら、まっさかさまに墜ちていった。
蜘蛛の命を救ったのは、図らずも自らが飛び立った巣であった。しなやかな糸で編
まれた巣は、空高くから墜落した蜘蛛を、やさしく受けとめたのである。
自ら張った網に絡め取られながら、蜘蛛は、なおもじっと空を見つめていた。
いつか、再び空を飛んでやる。蜘蛛は、心に固く決めた。今度は、奪った翼で飛ぶ
のではない。自分自身の力で、それがどんな方法なのかは今はわからないけれど、自
分自身の力で空を飛ぶのだ。そして、今度こそ自由を手にするのだ。
夕日に染まった、あの桃色の雲のように。
* * *
少し残酷な、大人向けの童話。そういった趣のこの物語は、一体何なのでしょう。
元ネタをご存知の人は、にやりとするか、あるいは激怒されているでしょう。この
物語は、5月2日に自殺した元X−JAPANのギタリスト、hideの遺作ソロシ
ングルの一つ、「ピンクスパイダー」から書き起こしたものなのです。hideが最
期にこの世に残したものは、重厚なサウンドを纏った、かくも寓意に満ちた物語でし
た。
私自身は、Xのファンでもなく、hide個人のファンでもありませんでした。私
が高校生だった頃、Xは派手なメイクしてやかましい音楽を演奏するバンドだという
ぐらいの認識しかなくて、何故か敬遠していました。Xのバラードがいいなと改めて
思い始めたのは、解散する寸前のことです。
hideがソロ活動をしていたのは知っていましたが、TVでXとはまた違った、
からっとした明るい曲を楽しげに歌っていたのを見て、私の好きなアーティストの範
疇に入るかなと思っていた程度です。彼が個人であれほどのファンを擁していたとは、
彼の葬儀の映像を見るまで知りませんでした。
「ピンクスパイダー」は、いわゆる一般受けする音楽ではないでしょう。しかし、サ
ウンドもアレンジも見事だと思います。そして何より、そのサウンドに載せられた歌
詞。hideがこの曲の発売前に自殺してしまったという事実がなおさら、この歌詞
に込められた意味を深読みさせてしまうのです。
hideはXのメンバーになる前は、別のアマチュアバンドを率いていました。し
かし、そのバンドが解散することになり、夢をあきらめて美容師を目指そうかと考え
ていた時、知り合いだったXのYOSHIKIに声をかけられたのだそうです。
Xは一世を風靡しました。確実に、一時は頂点に登り詰めていたでしょう。hid
eも夢の実現を感じていたはずです。しかし、時は流れ、Xの活動は間を空けるよう
になっていきました。そしてついに、Xは1997年の終わりをもって解散してしま
ったのです。
hideはXを離れても、一人で十分にやっていける才能の持ち主でした。以前か
ら始めていたソロ活動に拍車をかけ、新たなバンドを率いて新しいシングルを世に送
り出し、立て続けにさらに2曲のレコーディングを終えて、後は発売日を待つばかり。
まさにこれから自らの翼で飛び立とうと言うときに、hideは死んでしまったので
す。
ピンクスパイダーは誰で、極楽鳥は誰だったのでしょう。だとしたら、蝶は一体誰
を指していたのでしょう。再び飛び立つことなく、死を選んでしまったhideは、
ピンクスパイダーではなかったのでしょうか?
ジョン・レノン、ジェームス・ディーン、尾崎豊、夏目雅子。悲劇的な去り際と共
に、伝説となった人々です。hideも間違いなく、そういった伝説の一つとなった
ことでしょう。しかし彼は、ヒーローであり続けることはできませんでした。
hideの死は自殺ではなく、事故だったと見る向きもあります。いずれにせよ、
彼は自分にのしかかるプレッシャーに耐えることができなかったのでしょう。しかし、
彼は思い悩む前に、自分は求められている人間であると自覚し、それもヒーローであ
るための代償なのだと、受け入れるべきでした。彼が死ぬということがどんな波紋を
引き起こすのかを、推して知るべきでした。
後を追って自殺してしまった若者。5万人が参列した葬儀。その何十倍のファンが、
彼の死を悲しんだことでしょう。
そんな若者達の行動を、大人達は理解できないと嘆くニュース番組・・・ あなた
達は理解できないわけじゃない、理解する努力をしないだけです。いつの時代だって
こういうヒーローはいたはずです。吉田拓郎は、つま恋に6万人を集めたそうじゃな
いですか。個性の許されない社会で生きていくためには、自分を紛らわすためにも、
自分に代わって夢を実現してくれるヒーローが必要なのです・・・
とすると、ピンクスパイダーは誰なのでしょう。借り物の翼で飛ぼうとした蜘蛛と
は? そして、その翼を与えた蝶とは?
「ピンクスパイダー」は、hideが我々に向けたメッセージなのかも知れません。
自らの翼で飛び立とう。それがたとえ辛いことであっても・・・と。「ピンクスパイ
ダー」の前後に発売されたシングル「ROCKET DIVE」と「ever fr
ee」が、まさに「飛ぶこと」を歌っていることを考え合わせると、なおさらそのメ
ッセージが明確になります。
それでもhideは、自ら蝶となるべきではありませんでした。翼を与える存在で
ある必要はなかった。空を飛ぼうといつまでもあがき続ける、ピンクスパイダーであ
ればよかったのです。それでこそhideは、ヒーローであり続けることができたは
ずだから。
しかし、今となっては何を言っても遅すぎます。彼がその道を選んでしまったこと
は残念でなりませんが、私だって人間の弱さはわかります。今はただ、彼の残した音
楽を聴きながら、hideの冥福を祈りましょう。
おつかれさま。長い飛行の果てに、ゆっくりとその翼を休められんことを。
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