ドルトン・ランベス


サー・ヘンリー・ドルトン

味わい深い陶芸品

 ドルトン・ランベスの陶芸品というのは、現在のロンドン、ランベス地区にあった ドルトン製陶所の陶芸部門で1870年前後から制作が始まった装飾器や陶器の総称です。 この製陶所は現在は閉鎖されておりますが、残された作品は陶芸として味わい深いもの で、今もなおこれを惜しみ慈しむ人々が絶えません。

女王にも愛されて

 ドルトン・ランベス窯は1815年ロンドンのテームズ河畔にジョン・ドルトンの 手によって開窯された生活陶器の生産工場でしたが、息子のヘンリー・ドルトン (1820-1897)により陶芸部門が設けられました。彼は、当時、製陶所の近くにあった 美術学校から多くの人材を採用しこの部門に投入、 思い切り自由に創作の腕を振るわせました。その結果生まれた作品は好評を以て 識者に迎えられ内外で愛好を集めました。愛好者の中にはビクトリア女王や英国 自由党党首グラッドストーンの名前も挙げられています。

多彩な作者たち

 ランベス陶芸の発展に伴って、優れた多くのアーティストが現れました。
なかでもジョージ・テインワースは文芸評論家の大家ジョン・ラスキンをして 「まがうことなき天才」とまで言わしめた陶房随一のアーティストでした。彫刻の 才能に優れ「粘土のレンブラント」とも呼ばれています。
 ハンナ・バーロは、ドルトン最初の女性アーティストとして有名です。 彼女は素地に動物を彫り込む事を特技として一躍名声を高めました。相前後して 入社した兄のアーサ・バーロは将来を嘱望されながら34才で天折しました。ハンナ の妹のフローレンス・バーローは鳥を彫り込むことを専門にした優れた女性アーティスト で、初期の作品には姉と同じように動物をテーマにしたものも残っています。
 フランク・バトラーは聴覚と言語の障害を克服したアーティストで、デザイン や装飾に多彩ぶりを発揮しています。
 フローレンスと同期の女性アーティスト、エライザ・シマンスは、50年以上に わたる創作活動を通じて数多くの名作を残しております。特にアール・ヌーボー の様式を取り入れた作風に定評があります。
 ランベス陶房では女性の数が圧倒的に多く、これまでの陶芸の世界で 認められなかったアーティストの地位を得る事ができました。また、アーティスト には完全な創造の自由が与えられたことによって、存分に創造力を発揮することができ、 これが原動力となってランベス陶芸は急速に発展し繁栄を続けました。

ランベス窯の終焉

 ヘンリー・ドルトンは1885年、英国陶業界では前例の無かった「学術院アルバート勲章」 を授与され、続いて1887年には、これも陶業界では初めての「ナイト爵位」を授与されました。
 かくして名誉と栄光に包まれたヘンリーは1897年に77才の生涯を閉じました。このように 繁栄したランベスの陶芸ですが、時代の傾向は渋くて重厚なものから明るく伸びやか なものに、格調高くオーソドックスな陶器から軽やかで繊細な陶磁器に移り、 ヘンリー死後は大幅に製作規模が縮小され、相次ぐ世界大戦により陶芸品 の製作自体が事実上不可能になり、第二次大戦後には環境汚染問題が発生し、 1956年ランベンス窯が閉鎖されると同時に、両大戦の間際を縫うようにして 続けられて来た芸術陶器の製作もついに終止符が打たれることになりました。

ドルトン愛好者は永遠に

 しかし、これによってランベス陶芸品に体する愛好者の趣味はむしろ高まった観が あります。現在ではランベス陶芸品を含めたドルトン愛好者は、イギリスは勿論、 アメリカ、カナダなど世界各地に広がり国際的なドルトン愛好者クラブも生まれ、 会員相互の連絡や情報交換が行われるようになりました。1983年以来、ロンドンでは ドルトンフェアーの開催が定例化し、各国でも展示会やフェアーが開かれています。