トヨタでのKAIZEN・カイゼン・改善

世界語になっている、トヨタ用語の「KAIZEN(カイゼン、改善)」は専門家の手法ではない。
私が新入社員のころから、喜寿の現在に至るまでにおこなった大小様々なKAIZENを紹介します。
一人ひとりが持ち場・立場でKAIZENに取り組めば、その底力が躍進につながるはずです
最初の改善は「定期券」の継続購入化
わたしは商業高校だったので、ソロバンと簿記は必須科目でした。
卒業までに、それぞれ最低3級以上を取得するノルマを与えられていた。
理屈で理解できる簿記は難なく3級に到達できましたが、不器用な私にはソロバンはいつまでたっても4級でした。
高校3年生の冬休みは、学校でスキーに連れて行く行事があったが、ソロバンの補習で連れて行ってもらえないしまつ、友だちはみんな楽しんでいるのに、わびしい高校最後の冬休みでした。
その私が、トヨタに入社して、人事部に配属されソロバンで給与計算をする破目になった。
ソロバンが苦手なので、何とか計算を単純に出来ないか、計算自体を省けないかと一生懸命考えるようになり、事務改善を進めるきっかけになったような気がします。
当時の従業員は電車通勤がほとんどでした、通勤用の定期券は会社が購入手続きをして、本人に配布し、料金は会社補助額と個人負担額に分けて給料から控除していました。
期限が切れるごとに、申込書を集めて手配するのが先輩の手順でした。
この業務を引き継いだ私に、ソロバンでの集計作業がなかなか一致せず苦労の連続でした。
考えてみると、当時の従業員はほとんど地域の住民で、通勤ルートが変るのは稀だったのに着目し、定期券継続購入制に変更しました。
変った人だけ申請してもらうことにし、計算量は数%に減らすことが出来たのでした。
申込書は左端に縦に多くの閉じ穴が並んでいるバインダーカードの2部複写、バインダーカードは1穴ずらして閉じると必要項目が一覧できるように設計しました。そして1部は通勤区間別に閉じ駅への注文用に、もう一部は従業員コード順に閉じて給料控除用の台帳にしました。
今でも4隅が余白と待っているお役所の届け書類を見ると、もう少し工夫すれば楽になるのに、と思います。
手段は1つだけではない、ソロバンが苦手でも別の手段で乗り越えられ、案外より開でいけるものである。
太平洋戦争に日本が負けたのは日本人がソロバンが上手だったせいだ!。 コンピューターをアメリカが開発したのは、大砲の弾道計算を早くするためでしたが 日本軍はソロバンで弾道計算がやれたのでコンピューターの開発に着手しなかったというもっともらしい話を根拠に、屁理屈をいっていました。
習うより慣れろ!
子供の頃、母親は田畑の耕作し父親は夜勤も多い会社勤め、日曜日は夫婦で田畑の耕作・・・ 子供はガキ大将の後ろについて野原を駆け回るのがしごと! 本など買ってもらったことの、読んでもらったことも、ましてや自分で読書することなどなかった。
そのせいか、高校生になっても読むことが苦手で、特に英語などは、長い単語だと分割しないと読めない始末。
トヨタの入社試験の競争率は10倍近くだった。
ところが、苦手な英語の翻訳問題がすんなりできたのでした。
それは、Carryという単語が多く含まれていたため、解けたようなものでした。
私は高校でバスケット部に所属していましたが、バスケットではキャリングという反則があり、英語というより私には日本語以上の日用語だったのでした。
入社後、IBM者によるコンピュータの講習会に参加したときも、パソコンに興味を持って、解説書を買ったときも、専門用語の横文字で挫折してしまいました。
今、こうしてパソコンが趣味になり、横文字を並べてプログラムを楽しんでいるのがうそのようです。
これも「習うより慣れろ!」という本の巻頭文を信じて、パソコンを買ってなぶったからでした。
バスケットの反則用語もパソコンのプログラム用語も、英語ではなく日常語になって行ったのでした。
50歳代でいち早くパソコンを習得したことが、その後の会社での地位や定年後の人生に大きく役立った。
高卒新入社員も一人前
入社1年目、9月に入って、次年度の採用試験が始まり、内定は身元調査をした上で通知されていた。
私は人事部の1員なので、数人の身元調査を割り当てられ、 上司からは、トヨタから身元調査に来たことが解らないように!、と注文された 高卒の私は夏までは学生服と会社の作業服で通勤し、夏はワイシャツなので、まだ背広は作っていなかった。
叔父さんに頼んで背広を借り、受験者の近隣で評判を聞き歩いた。
「あそこの娘さんは、今高校生なので、まだお嫁さんには出さないと思いますよ。」 嫁取りの身元調査と間違えられたりもしました。
ある人は、住所が、企業の社宅になっていた。
管理人に聞けば解るのではないかと尋ねたら、管理人が受験者の親だったことがある、接待を受けてしまった。
上司に言えば叱られると思うが、飛込みで訪れた飾らない本人の家や親を見る方が、近所で聞くよりよほどよく解ると感じた。
考えてみればまだ新入社員の入社教育の最中にさせられた仕事、なのである。
新入社員教育の仕上げは秋に合宿で行われた。真珠湾に特殊潜航艇で突っ込み、幸か不幸か、座礁して太平洋戦争の捕虜第一号になり九軍神に入れなかった酒巻和男さんが面倒をみてくれた。
大卒の入社教育の仕上げには社交ダンスのレッスンが含まれていたが、高卒にはなかった。
酒巻さんと団体交渉して、高卒も、このレッスンに加えてもらえるようになり、以降クリスマスのシーズンになると楽しいダンスパーティーに参加できた。
まだ10代の新入社員を、このように信頼して仕事をさせ現地現物で体験させて育てた人材が、トヨタの成長をさせる大きな要素になったのだろうと思います。
19歳が毎月一億円を搬送
当時のトヨタ自動車の取引銀行は、三井銀行と東海銀行だった。
給料日になると、銀行に給料袋への袋詰めをお願いするのだが、当時のトヨタでは銀行から届けていただけないので、こちらから取りに行った。
三井銀行は挙母市(現豊田市)には支店がなかったので名古屋まで車で往復しなければならなかった。まだ19才の私だったがこの現金輸送の担当をさせられたのである。
ジュラルミンの箱に詰めた、合計1億円の給料袋の輸送である。
銀行が強かった時代、迷宮入りになっている、東芝府中の3億円強奪事件も同じで、給料運搬業務を、お客さん側で行うことのを不思議とは思わなかった。
東芝府中との違いは豊田警察署にお願いして私服の警察官が同乗してくれていたことです。
運転手つきで輸出用の左ハンドル車の助手席(右ハンドル車なら運転席)に乗っての名古屋までの往復で、右ハンドル車の運転感覚が身に付いたのか、 その後の技術会主催の無料の運転講習ではAクラスに編入され、運転免許の実技試験は一回でパスというオマケが付いた、学科は再試験を受けたので、運転免許取得費用は総額3000円。
すべての届出を一種類の帳票に
入社して2年目、退職金や慶弔見舞金の支給業務も担当に加えられました。
仕事量自体はたいしたことはないのですが、帳票の種類が多くて、それらの帳票の在庫管理、印刷依頼がとても面倒でした。
市役所の市民課のように届出をする人が私のところに来るのであれば、帳票の保管は一ヶ所でよういのですが、従業員には仕事があるので、各部署の人事担当者が面倒を見て、記入された届書を社内便で送ってくる。そのため、各部署の人事担当者の机の引き出しには、この多種類の帳票を保管しているのです。
記入項目をよく見ると「結婚届」も「死亡届」も「退職届」も記入項目に共通なことが多い。
「所属、従業員コード、氏名、押印、上司確認印、届出月日、・・・」などなど、どの届書類も共通している。
そこで、すべての届書の項目を、1枚の用紙上にレイアウトしてみた。その結果、紙の大きさは2倍ぐらいになった。
次に項目の必要性を吟味してみた。たとえば、結婚届にあった「仲人」欄、出産届けの「病院」欄など、事務処理には不必要で従業員を信頼していればなくても削除できる項目も多かった。
残るは「結婚」や「出産」と「死亡」が同じでは縁起が悪い、と思うかどうかだ! 帳票を「結婚届」とか「死亡届」とするから、感じるのであって「退職・慶弔見舞申請書」のような、届出者の本来の目的「金銭の支給」をメインの帳票にすれば違和感が起きないだろう。
サイズのまちまちの多くの届出書類が1種類になり、帳票の在庫管理や印刷依頼だけでなく各部署の人事担当者の引き出しもすっきりし、さらに受付後の処理、そして処理後のファイリングも整然と出来るようになったのです。
社長の手土産
20代前半は、総務部庶務課庶務係ですごした。聞こえはいいが、専門部署がない仕事は、庶務係りの担当である。事務所の掃除を担当する美装班、自家用車を運転する車庫班、来客にお茶の接待をするお茶室、役員室の食事の給仕をする配膳室、われわれ事務員は総会屋ややくざの対応、宴席の手配から交際費の処理、贈答品や記念品の手配、記念行事や神事の催行などを数人で担当した。、もちろん正面玄関の受付嬢もそうであった。
社長に会わせろ!、といって受付に来る総会屋(実はタカリ)は、自分の発行する雑誌に広告を載せて広告料をせしめるのが目的、それを20才そこそこの私が、数千円を持たせて追い返す仕事も担当した。
「宮本課長様」という封書をひらいたら、大阪の飲み屋のママからだったりする、交換した名刺を使って飲んだのだろう。
役得もあった。おばちゃん「寝坊して朝食たべれなかったよ!」と役員室の勝手口から配膳室に行けば、おにぎりとかうどんが食べられた。
あるとき社長から「名妓連の踊りの発表会に招待されている、お土産に”あんまき”を300本買ってきてくれ」と頼まれた。包装もなくロジにそのまま積み重ねたものがトヨタの社長でも芸子さんたちへのお土産でよかった。
それらの仕事を、5年間順次体験して、田舎者で高卒の私がそれなりに社会人に成長させていってくれた。
ここでも費目管理部署だった「交際費」「雑費」などの消費部署からの申請書と経理部への支払い依頼書バインダーカード化しワンライティング化して転記作業を不要にする改善などもしました。
同期生の中で本館勤務は私だけだったので、キャンプやスキーなどに女の子を誘って集める担当もされたりもした。 女房と出会ったのもこの職場だった。
QCの落第生を部長が補習教育
25才のとき、職場を変った。生産管理部部品管理課という部署だ。
入社以来8年間のトヨタの中枢、本館勤務から工場の事務所への移動は地方へ飛ばされた様な気持ちになった。
移動して驚いた、職場のみんなが集まって毎週、勉強会をやっているのだ。そして月に一回部長が出題してテストをするのである。
私は、異動して最初のテストを落第した。落第生を集めて部長が補習教育をされるのだった。
勉強をしていたのはQC(QualityControle:品質管理)だった、すでにライバルの日産自動車が受賞していたデミングショーの取得を目指して、製造部門は猛勉強中だったのである。
地方へ飛ばされたどころか会社の本質にふれ、のうのうと過ごしてきた自分が恥ずかしくさえ感じた。
その後、部長の補修講義で教わった「パート図」について、宮本式パート図というものを考案した、パート図とは、日程時間表、着手から完成まで工程別に要素作業をつないで、一番期間のかかるクリティカルパスが分かるようにかいた図表のこと、上位管理者はこのクリティカルパスを支援し管理していけば目標どおり完成できるというツールだが 時間が進むにつれ工程が分岐し完成に近くなると結合して少なくなる。
中央に多くの工程を書きやすくするには、紙を斜めに使って、左下をスタート点に右上をゴールにして、中央を左上から右下までを使えるよう、日程線を斜めにしいたのでした。
実用はともかく、コロンブスの卵だと部長が感心して、落第生がいつの間にか優等生扱いされるようになった。
改善事例集に何度も収録されQC事例発表会の部門代表にもなって充実した日々が続いた。
かんばんを3分割
1965年、部品調達は管理部門から工場の所属に変更になった。
そして、今のトヨタの高収益体質の原点となった「かんばん方式」の展開に参画することになった。
工場内の工程間は製品移動に「かんばん」と呼ぶ札が使われていた。
厚紙を切り刻んで、ゴム印で品番や個数を押し、マジックインクで品名や工程を書き、絵具で色を塗って識別をするという原始的な方法で作っていた。
仕入れ先からの部品調達も、この「かんばん」という札を使っておこなうように検討を始めた。
「かんばん」では、古臭く、田舎まるだし、外部展開には、もっと近代的な命名をすべきだ!、と大卒の人たちが主張して「SD方式(Synchronised Delivery)」という名称で展開しました。
このSD方式で使う「かんばん(SDカード)」の設計は、私が担当しました。
部品を使い始めるときに、部品の箱からはずされて「かんばん(SDカード)」を集めて仕入先別に分類して、かんばんポストに集め、仕入先が納入の帰りに持ち帰る、持ち帰るとき品番別に分類して枚数を記録したものが注文数になる。
この作業を間違えなく出来るように「かんばん(SDカード)」を工夫した。
仕入れ先の識別を確実にするため、文字だけではなく社章を入れることにした。
さらに仕入先では納品先の識別が確実に出来ないといけない。
仕入先と納品先の組み合わせて事前に活版印刷をした用紙を準備するの種類が膨大になってしまう。
そこで考えたのが「かんばん(SDカード)」を保護するビニール袋を3分割して、左に仕入先カード、右に納品先カード、中央に部品情報カードを挿入して作ることで解決しました。
今ならパソコンで好きなイラストを挿入して印刷するのは訳のないことだが、当時は活版印刷
7枚複写が3枚に
外注部品が新設されると、その調達手続きに7枚複写の伝票を起票して、関係部署に送らなければならなかった。
日本能率協会の帳票の流れ分析手法を使って、送られた先がどのように使っているか?、を調査してみたら「使っていないが送られてくるので捨ててしまっては不安、綴じて保管させている」というところや「転記して捨てている」というところなど、整理していったら、3枚複写でよくなったのです。
もちろん綴じているだけというところは廃止し、捨てているところは「回覧」にしたのでした。
時の経過やシステムの変化で、必要がなくなった情報が送り続けられてくるが、送付元は、そのことを知らないでいることが結構多い。
国鉄がJRになる時、余剰人員をトヨタで受け入れた時、その契約書類を見たことがあるが100個近くの印鑑が並んだ表紙がついていた。
トヨタでは印鑑は「起案、チェック、承認」で3個以内と決まっているが、送り先の必要性まで考えて押印していなく、国鉄を笑えない現実があった。
円盤型品番早見表
私が生産管理部部品管理課へ移籍して担当したのは「ランドクルーザー」の外注部品調達だった。
他の担当者は組み付けライン別に分担していた「エンジンライン」「アクスルライン」「フレームライン」「艤装ライン」という単位で、ランドクルーザー以外のすべての車種をなのに対し私はランドクルーザーのすべてのラインで使う部品を受け持った。
理由はランドクルーザーは輸出がほとんどで、輸出先ごとに仕様が違い、一台ごとに輸出仕様書から必要部品をばらさなければならなく、個々の担当者に分担すると全員が負荷オーバーになってしまうため、この部分を分離して、新入りの私に割り付けたのでした。
特にトランスミッションの種類が多く、仕様書から品番を調べるのが大変でした。
エンジンの種類、ハンドルの左右、デファレンシャルの種類、ウインチ有無、スピードメータの単位(メートル/マイル)等の組み合わせで品番が変わる、 品番一覧表にはそれなりの分類はしてあるが、数ページに渡っていし、縦見出しと横見出しで仕様を絞り込み、その交点にに書かれた品番を、一つ一つ探し出さなければならない。
今のようにパソコンがあれば、ちょっとしたシステムで検索抽出できますが、ソロバンで計算していた時代です。
このとき工夫したのが「円盤型品番早見表」です。
ボール紙で大きさの違う円盤を作り、中心をハトメで止めて回転するようにします。
大きい円盤の外周に、等間隔に分類項目を書きます。小さい円盤には合わせマークを書きます。
円盤の内側に、細長い窓を、位置をずらして2つ開けます。
分類項目に合わせマークをあわせて、 表側に窓の一方に右ハンドルでメートルの品番を、もう一方に右ハンドルでマイルの品番 裏側に窓の一方に左ハンドルでメートルの品番を、もう一方に左ハンドルでマイルの品番 を記入します。
合わせマイクをすらして、すべて書き込んで完成です。
使い方はもうお分かりのことと思います。
仕様書を見ながら、合わせマークをあわせれば答えが窓に現れます。
スピードは数倍、ミスもなくなりました。
余談ですが、私の写真入りで社内報に紹介され、取材した記者が「花嫁募集中」と書いてしまった。
婚約中だった相手の親が読んで、苦情を言われた思い出のある改善です。
かんばん枚数計算尺
トヨタ生産方式のベースとなっている「かんばん方式」による外注部品の増加に伴い、部品の必要数計算の並んでかんばん枚数の計算にも時間を取られるようになってきた。
当時の計算道具は「ソロバン」だが、掛け算や割り算には向かない。
タイガー式計算機という歯車を使った機械もあったが1桁ずつ処理するものでスピードアップは無理。
そこで技術屋が使っていた計算尺に目をつけた。
計算結果は有効数字2桁が求められれば問題なかったからである。
計算尺はカーソルの置き換えが発生するので両手で操作しなければならず、筆記具の持ち替えやペーにめくりなどと絡めて処理スピードを阻害する。
そこで計算尺のメモリを紙の端に移し、さらにその紙を丸めて、円盤の円周上に転写した。
中心点から目盛に線を引き、大きさの違う円満を2枚作って、中心をハトメで止めた。
出来上がったのは円盤式計算尺である。円なのでカーソルを置き換えなくてもつながっていくのです。
片手で操作できる計算尺が出来上がりました。
これは特許物かと思いましたが、後日ドイツ製の腕時計の外周に対数メモリのリングをつけたものをみて、世の中には存在したことを知りましたが。
さらに内側のメモリは決められた定数のメモリだけに整理し、必要数にメモリをあわせれば、その部品の納入条件のマーク上にかんばん必要枚数の答えが出るようにしました。
多分、この部分の事務効率は10倍ぐらいになったのではないかと思います。
アスターリスク プラスマイナス(*+−)方式による部品必要計算
トヨタの部品調達は必要なときに必要な物を必要なだけ引き取る、かんばん方式と言えども、個々の部品の必要数は計算し内示して人や設備や材料を準備しておかなければ運用できない。
車の構成部品は1車種あたり数千種類がある上、輸出先の拡大で車の種類もどんどん増加してきた。
コンピューターで個々の部品の必要数を計算するのだが、その原単位マスターは部品単位に使う車をマークする方式でした。
そのため、車種が追加されるたびにメンテナンスしなければならず、マスター修正がついていけず、計算された電算リストを各担当者に配布し、手計算の結果と照合し訂正したものを、仕入先別に分類して配布していました。
担当者が手計算をしている台帳を見ると「クラウンに使う、ただし左ハンドルは除く」と言うように書いてありました。
これならエンジンの大きい車が増えた場合なら訂正しなくてよい。
「*+−方式の引き当て編成システム」のマスターを工夫して人が読めコンピューターも計算できるようにしました。以降、リストは担当者を経由せず、直接仕入先に配布されるようになりました。
担当者はマスター制度の維持に専念すればよくなりました。
−−−−−−−−−−*+−方式によるマスターの書き方−−−−−−−−−−
RS***L***   +2      R型エンジンのクラウンの左ハンドル車に2個使う
RS***L**M   −2      ただしM型ミッション搭載車には使わない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この改善は、当時のデミング賞取得のための優秀事例に部門の代表として選ばれました。
残念ながら発表会当日、出張が重なり、上司が代役を努めてくれました。
かんばん事例集の編纂
今では世界で通用するトヨタ生産方式だが、当時はルールブックや標準書など、ここにはあったかもしてないが、まとまった文書はなかった。
かんばん方式の生みの親の大野耐一さんが工場長だった、新たに赴任した私の上司の部長が「言われた通りやったのに、また叱られた、文章にまとめて、確認しておこう」ということになり、1966年工程別の「かんばん事例集」の作成に着手し、週に一度部長が大野さんに確認してもらいに行きまとめていった。
1,組立および組付ライン、
2,総組立ラインの部品引き取り、
3,ユニットの組付けと支給
までまとめたところで、私は労働組合の執行委員に選出されてしまった。
なお、この事例中、私自身が確立したかんばん方式は
豊生ブレーキからのブレーキアッシーの引取と
豊生ブレーキでの組付けラインの着手順決定
がありますが、それぞれ多くの人びとが工夫の集合体とも言えます
3年間の労働組合の出向を終えて帰った時には
すべての工程が、個々の工程の実務担当者によって、書かれて完成していました。
4,機械工場
5,車体工場
6,鍛造工場
7、鋳造工場
8,購入部品
0,概要(原則、必要事項、約束事)
当初は部長の若干不純な動機で着手したものだったが、 今に残る、トヨタ生産方式の最初の書物となった。
日本一の賃金を目差す
労働組合の執行委員となって初代の賃金対策部長に就任しました。
目標は高いほど良いと思い「日本一の賃金を」という表題の冊子を作りました。
賃金体系を年功序列から職能給に移行し、当時トップだった鉄鋼の賃金水準を追い越す内容でした。
煽りすぎて収集がつかなくなると心配され、 内容はトーンダウンさせましたがタイトルは変えず3年間推進しました。
生涯賃金の算定で、東京地区の人から、地価を坪単価とu単価と間違えていないかと指摘されるぐらい地域によって生涯生活費の違いを痛感しました。
3年間では達成出来ませんでしたが、その後に起こったオイルショックによるインフレで名目賃金ベースでは達成してしまいましたし、 私もその賃金計画で目指したとおり、36歳で戸建ての持ち家が出来ました。
詳細は「トヨタ自動車労働組合の長期賃金計画」の復刻版を参考にしてください
調査票はミシンを入れた封筒で回収
賃上げ交渉は「組合員平均、何円」という合意を労使でするが、 会社は個人別に査定して、本人に通知するだけで、 その額が平均何円になったかを組合側が確認することは出来ない。
そこで、組合員に調査票を配布して、いくら上がったかを書いて提出してもらっていた。
この調査票は職場の役員が集めるが、中身を見られては問題なので封筒に密封して提出させていた。
ところが数万人の組合員から集めた封筒の口をハサミで切り取り、中から調査票を取り出し整理するのは大変な作業だった。
翌年から、封筒のお尻にミシン目を入れた封筒を配った入れてもらうことにした。
集まった封筒にお尻をつまんで引くと切れた封筒の底と、調査票が一緒に抜けてくるように設計したので数倍の速さで開封作業ができた。
さらに、封筒自体も傷つかないので、社内郵便用の封筒として再活用されたのでした。
あれから数十年たって、先日豊田市役所からきた封筒にも同じミシン目が入っていた。お役所にも同じようなアイデアをだす職員がいるのだなと頼もしく思った
月曜日から始まるカレンダー
一般のカレンダーは日曜日から始まり土曜日で終わっています。
ところがトヨタのカレンダーは先頭が月曜日で、終わりが土曜日、日曜日となっています。
私が執行委員の時、それまで週休1日だった勤務を欧米並みの週休2日制にする上部団体の方針が決まりました。
「2日も休んで何するの」という意識が、組合員には一般的でした。
そのため過渡期として夜勤明けは2日休む、隔週週休2日を要求し、数年後週休2日を要求するように取り組みました。
その組合員啓蒙の一つとして土曜と日曜日を並べたカレンダーを作り組合員に配布しました。
今ではトヨタの会社もさらに関連会社もこの様式のカレンダーを使っています。
永年勤続者「夫婦海外旅行制度」
1962年のこと。
 執行委員として活動方針の作成に参加していました。
 丁度退職金の改訂時期になっていましたので、要求案を皆で検討しました。
 「少しくらい、退職金を増額しても、子供に使ってしまい、 自分の為にはならないだろう、
 それより一緒に苦労している奥さんに喜ばれる制度を要求しよう!。
 これからは国際化の時代、在籍中に夫婦で海外旅行をして 国際的な視野にたって仕事をした上で定年を迎えられたら 充実した会社生活になるのでは...」
という私の主張が活動方針に盛り込まれ、要求書となって会社と交渉した結果、制度化されました。
私も54歳の時、その恩恵にあずかり、夫婦でヨーロッパ一周をしました。
創意工夫提案用紙でイベント啓蒙
トヨタ自動車では「よい品よい考」という標語が各所に掲げられていた。
従業員の知恵を製品つくりに活用して、さらなる高品質を実現しようというねらい。
その手段として「創意工夫提案制度」が積極的に展開されていた。
工場には、安全月間とか品質月間とか、いろんなイベントを企画して従業員の意識高揚を図るが、そのつどチラシを作って入門時に配布していた。
チラシというのはすぐごみ箱に行く運命、読んでからなら捨てられてもやむ終えないが、ただのゴミとして取り扱う人も多く見受けた。
そこで、チラシを創意工夫の提案用紙のサイズにして、裏に提案用紙の必要項目を凝縮して印刷した。
品質月間なら「品質に関する創意工夫特別募集提案用紙」にしたてたのでした。
提案件数が大幅に増加し、支払い賞金額がかさんだが、啓蒙したことを行動につなげる有効な手段となったのでした。
新入社員はパソコンでプログラム作りを3ヶ月体験してから配属
私がトヨタの本社工場の事務課長だったとき、工場へ配属された管理部門の新入社員を3ヶ月間、職場配属をせずに、テーマを決めてBASICによるパソコンプログラムを作らせました。
これからの事務員・技術員はパソコンが使いこなせるこが必須能力と考えたからです。
仕事そのものを習得する段階から、パソコンが操れる能力をもっていれば、若い力が仕事自体を革新して行ってくれることを期待して。
この新入社員たちが配属後、期待にこたえて、それぞれの職場で多くの仕事を改善して行ってくれた。
ある運動部推薦で入社してきた新入社員は、一覧たな卸し票というたな卸しシステムを構築してくれました。
従来は1品1葉のたな卸し現品票で行っていたものを、ラインサイドの置き場の棚の順に印刷された一覧表でたな卸しをしようというものです。
トヨタのラインサイドの置き場はいつでも移動できるように滑車が付いていて、生産量が変化すると作業組み合わせがすぐ変えられ、それにともない置き場も移動される。
従来のコンピューターシステムでは、その変化に、追随してマスターをメンテナンスしていくことは困難でした。
これを職場のパソコンで、担当自身が維持していくようにしてくれ、あわせて棚番表示板もこのパソコンで作るようにして、メンテナンス漏れがなくなりました。
たな卸し時間が大幅に軽減できたのはもちろん、たな卸しもれ、回収漏れも防げました。
それから数十年後私は定年退職し、トヨタのOBが一堂に会する社友会に参加したとき、その彼がトヨタの車通信システム[GAZ0」の開発に携わり、その紹介にきていた。
新入社員をパソコンで遊ばせていると揶揄されたこともったが、あの3ヶ月が役に立っていたのだと自己満足をしたしだいです。
マイプログラムコンテストで最優秀賞受賞
自宅のパソコンを、おもちゃのようなPC6001から会社と同じPC9801に買いかえた。
このパソコンは高性能なグラフィック機能があり、従来の計算機というコンピューターのイメージが大きく変わった。
そのグラフィック機能を使って「麻雀や将棋、テトリスやプヨプヨ、」といった楽しいゲームが沢山作られて出回っていた、これらで遊ぶのがとても楽しかった。
これらのゲームに、ガードされてはいるが、BASICで作られているものも多かった。
そくで、自分でも作ってみようと、トヨタの技術会が毎年開いていたマイプログラムコンテストを目指すことにした。
1年目は「麻雀ゲーム」を作り「銅賞」に入賞した。
2年目は「お絵かきCAD」を作り、描いた手順を記憶して再現できるように工夫した。
展示時には、その再生ロジックを利用して、デモが繰り返されるように作り、来場者の目を引き付けるのに成功し、ついに「最優秀賞」を獲得しました。
事務屋の私が技術屋の集まる技術会のイベントで最優秀賞をとってしまったのでした。
組織力に勝ったパソコン選挙
地域の自治会長を勤めていたとき、市会議員を地元から立てることになって総務部長をになうことになってしまった。
できるだけ多くの人に演説会や辻立ちに集まってもらい、さらに選挙事務所に顔を出してもらえるような動員方法を企画しなければなかった。
それには地区別の後援会が競争をするように仕向けることが効果的と考え、パソコンを持ち込みBASICでプログラムを作り、参加者を確実に把握して毎日の選対会議にグラフ化して報告しするようにして競争を煽った。
把握方法は参加受付け票に書かれた電話番号をキーにデータベースを構築し、後援会組織の末端組織まで動員状況を詳細に分析してアクションを取れるように資料も提供した。
労働組合の組織候補と競合して心配してたが、大きく差をつけて上位当選をはたした。
カイゼンの出稼ぎ
会社の経営環境が厳しくなり、工場への原価改善目標の割付が従来に比べて大幅に増額された。
従来通りの体制での改善活動では達成は困難だ。
工場の原価改善推進責任者として、達成する耐えの方策を検討しなければならなかった。
そこで、仕入先の工程改善の支援チームを作り、仕入先の製造原価を低減させた場合、その半額を、購入単価に反映していただき、支援した部署の原価改善額に加算してもらうという制度を本社に了解させた。
チームを編成するため各部署から人材を集めたところ優秀な人材を出してくれた、上司から、推進部署としても、担当ベースではすまなくなった、君に加わってほしい、ということになり、私の仕事は部長が兼務し、私も専従でチーム加わり、要請のあった仕入先へカイゼンの出稼ぎに行きました。
改善効果の半分は仕入れ先に残すので仕入先からも喜ばれ、もちろん出稼ぎカイゼンによる購入単価低減効果額が工場の原価改善実績に加算できたことで、本社から与えられた目標を達成することができました。
音楽を使ったアンドン
トヨタ生産方式のツールの一つに「アンドン」というものがある。
いろんな指示を書いた半透明の板を並べておき、中から必要に応じてスイッチを入れ電球で明るくする装置だ。
これを天井につるして、どこからも見えるようになっている。
使われ方はいろいろで、不具合が起きたら点灯させ監督者を呼ぶとか、材料がなくなったら点灯させて運搬させるとか
鍛造工場の自主研究会に参加しているとき、自動機で一定数製品を鍛造したら、抜き取り検査をすることになっている工程で カウンターが定数になったらアンドンを点灯させて作業員を呼び出して検査させることになった。
ところが、大きな装置の自動鍛造機を何台も担当しているため、アンドンが見えなかったり、見落としたりの問題が発生した。
私に家に、初めて買ったパソコンのPC6001が眠っていた、何分テープレコーダーがプログラムなどの外部記憶装置という代物。
ただ、その後のパソコンにない、音楽をプログラムして演奏させる機能があった、「ドレミファソラシド」は「CDEFGHIJ」と書けばよかった。
そこで数種類の童謡をBASICでプログラムし、呼び出した鍛造機ごとに違った音楽が流れるように作って、活用した。
耳で聞くアンドンである。 今のスマホなら、電話の相手によって着メロを変えるのは珍しくないが、
飛越レーンを作って平準化
平準化生産とか1個流しが原則のトヨタ生産方式だが、5個まで纏めることが許されていた。
工程間が別建屋や他社の場合、運搬する容器にしろ台車にしろ、一個収容では、運搬ばかり多くなり空気ばかり運ぶことになるので5個まで許されたのだ
機械工場の自主研究会のリーダーを務めたとき、後工程が他社なのでアッセンブリーラインは5個単位に組み付けてパレットに収めるが 前工程の溶接ラインは種類によって作業量が大きく違うので一個流しにして作業量の平準化をしたかった。
そこで溶接工程と組み付け工程の間にフリーローラーで飛越レーンを作って、解決しました。
設備の能力の限界に騙されるな
関連会社の鍛造工程の改善支援に出かけているとき 作業改善を進めた結果、手待ちが発生するようになった。
高周波加熱機の能力が限界で、これ以上スピードアップはできません。
確かに高周波加熱機は能力はいっぱいだった。
よく観察すると、加熱機が加熱していない時間が多いことが解った
過熱完了→払い出し↓
    運搬装置に加熱材を乗せ→鍛造者の手元へ→材料台へ戻る→冷材を乗せる→過熱口へ移動→停止して待機
                                        ↓加熱機に挿入→過熱開始
そこで運搬装置の動きを
          過熱完了→運搬装置へ払い出し↓
材料台へ戻る→冷材を乗せる→過熱口へ移動して待機→鍛造者の手元移動
                        ↓加熱機に挿入→過熱開始
と変えて、加熱機から加熱材を出したらすぐ冷材を入れるように、冷材を加熱機の前で待機させて、加熱機のの空き時間を縮めたのでした。
部長にも改善目標をあたえ、発表会を行う「部課長自主研」を推進
改善目標は、組織に割り当てられるのが普通だ。部長は組織の長なので部下をリードして改善活動を展開するのは当たり前だが、ややもすると、下部組織に目標を分割して割り当てるだけで、自から改善を手がけることのない人もいて、部下からは能力を疑われたりする。
そこで、工場の部課長を集めて、部長をリーダーに改善チームを数チーム作って、自分の担当組織以外で課題工程と改善目標をあたえて毎週一度4時間、現地現物で観察と改善活動を行わせ、数ヶ月後に発表会をさせる、もちろん発表は部長自身が行うという活動を展開しました。「工場部課長自主研究会」と呼び事務系の部署の部課長でも例外にはしませんでした。
改善効果はもちろん、組織外でも工場の隅々まで知ることができ、親密な人間関係ができ、本来業務に関する情報収集に役立つ活動になりました。
部課長本人の改善能力向上は、その後、仕入先の経営者に転出したときに、トヨタの「カイゼン」を自信を持って展開するのに役立ったことと思う。
風車型にデスク配置
トヨタの事務所は殆どが大部屋だ。部や課の境に壁はもちろん衝立も立てない。キャビネットや書棚などを並べて仕切るのも嫌われる。
そんな大部屋でも机の配置の形はいろいろあった。
最初の部署は、部課長が窓側から中を向き担当者が窓側を向き対面した教室タイプ、次に異動した部署は、上司を横に見る、列に連なった配列だった。
その次の部署は上司は横に見るのは同じだが担当同士が向かい合わせて机を寄せ合った配列だった。
それらの配列は、合理的な根拠にもとづくものとは思えなかった。
私が新任係長になったとき、自分の係りの机の配置を考えて風車型にしてみた。
4つの机の右上がすべてが中心にくるようにすると風車のように並ぶ。
皆が隣の人の横顔を見るように着席させるのだ。
執務中は目線が合うことがないので仕事に集中できるし、必要な時には横を向くだけで対話できる。
当時は電話機が数人に1台しかなかったが中心に置けば全員手が届く。
さらに発展させ、この4人を小グループにして、グループ間の改善提案の競争をさせた。
効果があったかどうか、比較対象がないので定かでないまま、事務所が手狭になってきたので通路面積の少ない対面型に戻さざるを得なかった。
リフレッシュ活動「トヨタ1のきれいな工場に」
私の勤務する本社工場は私の誕生と同じ1938年に操業を開始した工場で50年余が経過していました。
トヨタ生産方式では5S(整理、整頓、清潔、清掃、躾け)が基本として強調されていましたが よる年波には勝てず、壁の色はくすんで暗く感じ、床は油が滲んだ状態でした。
そこで「トヨタ1のきれいな工場に」をスローガンに「3年計画リフレッシュ活動を展開し、新設工場に負けない工場によみがえらせる活動を展開しました。
当時事務課長だった私が企画、推進の責任者にされました。
最初の頃は、 自分たちで洗浄したり、掃除をしたりして、その上にペンキを塗り見た目はきれいになりましたが、機械から飛び散る研摩水、機械に敷かれたオイルパンからの漏れ、作業靴やリフトのタイヤで汚れの拡散等々、発生源をなくしないと維持できないことを痛感。
発生源対策に取り組み、オイルパンを外しても床に油や液が落ちない対策を進めました。
評価は段ボールを機械の下に挿入して、そこに油類の滴が落ちないこととしました。
とは言え、職場単位の活動では、技術も予算も限界があり落ちこぼれが出てきました。
そこで、残った問題部署に、工場内の部課長を割り当て、彼らに達成責任を持たせました。
自分の組織も部下も動員して対策にあたらせたのでした。
3年後には塗ったペンキが維持できるようになり、見違えるような向上になりました。
今ならISO14000という外部の認定が使えるのだが、当時は油まみれは男の職場という意識のころの活動でした。
バーコード入り一体かんばんの発行のパソコン化
私は外注かんばんを設計したり、かんばん事例集を執筆したりした古巣の生産管理課長になった。
外注かんばんはその後バーコードが挿入され、リーダーで回収したかんばんを集計して納品書まで作るように改善されていたが、相変わらず3分割した様式が使われていた。
バーコード入りのかんばんは専門の印刷会社に外注して作られていた。
問題は増産で休日出勤して生産する場合だ。
ルールは、休日出勤分は、その前に臨時かんばんを発行して数日に分けて引き取り、備蓄して使うことになっていた。
納入先の工程に大きな波を起こさない、平準化のルールによるものだが その都度、臨時かんばんを発行しなければならなくなる。
手作りではバーコードが入れられない。
そこで、パソコンで作れないか、取り掛かったのだがデンソー製のバーコードの公開はされていなく、バーコードの解読から始めなければならなかった。
解読し、パソコンのBASICでプリンターのドットグラフィックを使ってバーコード入りで3分割しない一体かんばんを作ることができるようになりました。
パソコンでインフレかんばん退治
かんばんによる外注部品の引き取りで最大の問題は、かんばん枚数を計算通り維持することです。
発効したかんばんは品番ごとに金庫という置き場に保存して、月々計算されるかんばん回転枚数だけ流動させます。
理論上は
総発行枚数−金庫に残った枚数=回転中の枚数
なのだが
「いつも在庫が切れそうになる、かんばんが紛失しているのではないか、とりあえず1枚増やして置こう。」 ということが続いて、実回転かんばん枚数」はインフレになり勝ちだった。
そこで、かんばんリーダーとパソコンをつなぎ、ソーターを通った品番ごとにかんばんの発行番号を記録して、回転枚数以上に発行番号が現れたら止めるシステムをBASICて作った。
以降、月々、増やす操作は人が行うが、抜く操作はパソコンで行えっるようになった。
一覧現品票による稼動日棚卸し
棚卸は、休日にして、在庫を人力で数え、棚卸現品票に記入させ、立会人が確認しながら現品票を回収するのが一般的だしトヨタもそうだった。
これを、昼勤が終わり夜勤が始まるまでの直間に行うことに挑戦することになった。
かんばんには、必ず置き場や棚番、収容数が記入されている。ということはコンピューターのマスターにも入っているのだ。
そこで、現品票を個々に使うのではなく、置き場ごとに棚番別に並べた一覧表で準備した。
しかも、個数を記入するのではなく、現場には「箱数+端数」を書いてもらい、回収後「収容数x箱数+端数」を事務員がパソコン処理して経理部に提出することにしたのです。
棚卸ミスの多くは「収容数x箱数+端数」の計算を作業員にさせ、個数を書かせていたことによるものでした。
現品票回収漏れもなくなったのは言うまでもありません。
パソコンのBASICでホストコンピュータを使う
トヨタの賃金体系には比重は小さいが能率給部分がある。
現業部門は能率向上率の高い順に並べられ製造部長を集めた歩合会議でABCDの4ランクに分類される。
賃金差は小さいが、職場の順位が付くので各部長は上位になるよう頑張るのだ。
しかし、この能率のデータは現場の組長が書く日報を集めて電算処理して集計されるので、歩合会議のデータが配られるまで部課長は分らないのだ。
電算機やパソコンが進化してきたのでLANで職場をつなぎ、紙の日報から直接入力に変えることになり、能率の状況も日々確認できるようにシステム化することになった。
その方法について
データベースをコンピュータに構築するのは同じですが、
そのデーターベースを使って管理資料にするのをホスト側でプログラムするホスト/端末型か、
エンドユーサー側がニーズに応じてパソコンでプログラムできるようにするクライアント/サーバー型か
で本社の電算部と私の主張が合わなかった
当時BASICでいろんな管理資料を作っていた本社工場は、各部署のニーズに合わせて使いたかったのです。
結局本社工場だけエンドユーザーコンピューティングで自力で構築することになった。
NECにお願いしてBASICにホストのデータベースアクセス機能を付けてもらい、特命チームを編成して各部署のニーズに合うよう開発していきました。
今のホームページサーバーをパソコンが自由に使っているイメージだったように思います。
詳細は日経コンピュータの特集記事をご覧ください
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