新規メッセージ投稿
返答メッセージ投稿
このメッセージのキャンセル
名前: アートシアター
<E-mail>
題名: あっちゃんさんにはごめんなさい。そして私が個人的に思うこと
日付: 2000/10/09 17:58:14
これから書くことは私のごく個人的な意見です。
私はアイドル歌手は基本的に好きではありません。それでもいままでに
何人かの好きなアイドルはいます。それは、アイドル歌手だからすきなのでは
なく、私にとって感動できる歌を歌ってくれるから、私にとってのアイドル
(本当の英語の意味の)なのです。
松田聖子という歌手は、デビュー直後から私を感動させてくれました。
ゆえに、彼女は最初から私にとってはアーティストでありアイドルなのです。
もちろん、そこに松本隆氏の存在は大きかったし、他の作曲家たちの存在も
大きかったでしょう。しかし、彼等はほかの歌手たちにも詩や曲を提供して
いますが、私にはSEIKIO女史が歌ったときほどの感動は無いことが多いのです。
SEIKIO女史の歌詞に不満のある方は多いようですが、私にはSEIKIO女史はアメリカの
歌をそのまま日本の歌にしたいと考えているように思えます。それは日本風にとか
洋楽風にということではなく、もっと本質的な部分での話です。
よく考えてみて下さい。洋楽のカバーはたくさんありますが、ほとんどは訳詞と
いうよりは日本語詩です。それは訳詞では日本語の歌として成立させることが
難しいからです。もちろん日本人は洋楽の詩を理解していないというのもありますが。
しかしSEIKIO女史は、英語で詩を理解したうえで、ほとんど直訳にちかい形で
ちゃんと歌として成立させています。もちろん作詞家ならもっと感動的な詩が書ける
でしょうが、それでは元歌の持つ世界とはちがうものになってしまうのではないでしょうか?
そう考えてSEIKIO女史の詩をみると、ひじょうに洋楽的だと思うのは私だけでしょうか。
それをSEIKIO女史がやるべきかは別として、私には彼女の詩が、ただ陳腐だとは思えません。
それと、SEIKIO女史はわがままで自分かってというイメージがファンの間にもあるようですが
私は彼女ほどファンのことを考えている歌手は少ないとおもいます。
福岡のZeepライブの2日目に来た人は知っているでしょうが、Zeepライブのビデオが発売される
予定はあの時には無かったのを、一人のファンの発言で実現したようなものなのです。
それは、あのビデオが非常の画質が悪い(たぶんお金がかかってない、たぶん16mmではないか?)
のをみてもわかると思います。またセルフプロデュースのアルバムには、それぞれのファンのため
に大人っぽい曲からアイドル的な曲までバラエティーにとんでいます。実際それぞれのファン
によって、好きな曲もばらばらであることはファンクラブの会報などを見てもあきらかです。
もし、あるファンが全面的に好むアルバムを作ったとしたら、べつのファンは全面的に嫌い
という可能性もあるのです。それを考えれば、あれらの選曲はすばらしいものだと思います。
もっとも、たった10曲では多方面化したすべてのファンを満足させることは難しいでしょうが。
以上は私のごく個人的な意見です。
それと松本氏の歌を歌っていた歌手の方のファンの人には申し訳ない発言をしたことを
おわびすます。私は松本氏が自身が体験したわけでない戦争の歌をつくることが今必要な
ことなのか?ということに、かなり疑問をもったのです。もちろん今でも世界各地で
戦争は行われているのであり、それなりの意味はあるとおもいます。しかし、それが
大人のポップスなのか?ということになると私にはよくわかりません。
これも私のごく個人的な意見です。
さいごに私が松田聖子をSEIKIO女史とよぶのは、ファンとアーティストとして以上に
表現者として尊敬しているからです。私にとって彼女は聖子ちゃんでも聖子さんでも
聖子姫でもないのです。これも私の個人的な話ですが…