新規メッセージ投稿 返答メッセージ投稿 このメッセージのキャンセル
名前: yaji <E-mail>
題名: 「SWEET MEMORIES」について。
日付: 2001/01/17 19:46:55

以前から気になっていたことで、少し前にココで話題になっていた
大村雅朗さんについてですが、私も忘れないうちに(?)
ちょっとお話ししてみようかと思います。


まず、昨年12月18日に放送された日テレ系番組の「スーパーテレビ特別版」。

関連HP情報:
★日本テレビHP番組リリース情報
http://www.ntv.co.jp/press/0012/20001218-4.html

★サンケイスポーツHP情報「離婚・聖子、笑顔の次は号泣」(2000年12月14日付)
http://www.sanspo.com/geino/hakyoku/ha0012/top2000121401.html


この番組で取り上げられた他の歌手やグループは、
お亡くなりになったり、解散したり、もしくは休業中(?)
だったりしているのに、なんで松田聖子は、まだ現役バリバリなのに、
もう伝説の歌姫のようになっているのか?、、、
なんて思いながら見ていましたが、意外や意外、
曲の「SWEET MEMORIES」のことや、その作曲者である
大村雅朗さんついて語られている部分もあったので
結構、面白かったですね。(^^)

個人的には初めて見た大村さんの写真や聖子とのツーショット、
さらには、以前のラジオ番組で話されていたとかいう
録音テープがあって、その大村さんの声まで聞けるとは
思いもよらなかったです。

あと、大村さんをよく知る(?)レコーディングスタッフの方でしょうか、
当時はスキャンダルにもなりかねない?、今はもう時効でしょう、、、
とか言って(苦笑)、話した内容は、
聖子が親子喧嘩をして家を飛び出した時、
真っ先に大村さんのところまで行って、そのあと
大村さんの方から聖子のご両親に電話連絡して、
大村さんを挟んで仲直り(?)というようなことだったでしょうか、
当時の大村さんは、聖子にとって駆け込み寺のような?
そんな存在でもあったのかと思いましたけどね。(もちろんイイ意味で(^^;;)

あと、大村さんの親族の方が遺品として大事にとってあった
たくさんの楽譜の中から、「SWEET MEMORIES」と書いてある封筒を見つけ、
番組スタッフがそのままインタビューする先の聖子のところまで持って行って、
その時差し出された「SWEET MEMORIES」の楽譜を見入る聖子の反応は、
さすがに感慨一入だったようですね。

ただ、今思うのは、
この番組制作の取材途中で、離婚騒動があったから、
内容的にそのような(お騒がせの)一面も
触れずにはいられなかったのでしょうけど、
逆に離婚騒動がなかったら、
ピュアな「SWEET MEMORIES」ストーリ(?)
のようになっていたのでしょうかね?

歌姫伝説というよりも、内容的には
「SWEET MEMORIES」伝説といった方がいいかもしれませんね。


「スーパーテレビ特別版」については、そのような感じですが、
もうひとつ、「SWEET MEMORIES」に関するネタを、というか、
以前もココで話したことがある「リサイクル」ネタですけれどもね。(^^;;

4年前(1997年)の夏のコンサートツアー@福岡公演(第2日,7月27日)
でのお話しですが、時期的には、大村雅朗さんが亡くなられて約1か月後のことです。

コンサート報告の抜粋ですが、その時のアンコールは...

》アンコールのプログラムでは、「さよならの瞬間」が終わった後は、
》すぐアンコール2曲目の「輝いた季節へ旅立とう」に入るのですが、
》「さよならの瞬間」が終わると、突然MCになりました。
》
》「先ほど、ダブルアンコールという話(ラストの「大切なあなた」に入る前の
》  エンディングのMCの時に、会場の前列付近にいた方たちが、
》  ステージ上の聖子に向けて、英語で書かれた【ダブルアンコールのお願い】の
》  横断幕を広げて見せて、それを聖子が英語で読み上げたというもの)
》 がありましたが、ここで【SWEET MEMORIES】をお送りしたいと思います...」
》と聖子が言うと、会場に拍手が湧き起こりました。
》
》今思えば、アンコールに入るまでの時間が、
》いつもよりか少し長かったように感じたのですが、
》おそらく、聖子と他のメンバーとの間で、予定外の「SWEET MEMORIES」を演奏する
》といった意志の疎通があったのだと思います。
》
》バンドのメンバーが打ち合わせをしてスタンバイをしている間、
》聖子は、「SWEET MEMORIES」を選曲するにあたり、
》大村雅朗さんについてコメントしていたのですが、
》その要旨は、以下の通りだったと思います。
》
》 「...私がデビューしたころからいっしょに仕事をしてきて、
》  この【SWEET MEMORIES】とか【セイシェルの夕陽】とか、いろいろなすてきな曲を
》  書いてくださった大村雅朗さんという方が、福岡の出身なのですが、
》  すごく親しくしていただいたのですけれども、ついこの間お亡くなりになって、
》  私にとっては、本当に思い出の曲となってしまいましたので、
》  今日は福岡ということもあって、【SWEET MEMORIES】をみなさんに、
》  そして大村雅朗さんにお送りしたいと思います」
》
》今回の「SWEET MEMORIES」は、キーボードを中心とした
》サックスとドラムも加わった演奏で、フルコーラス歌いあげられました。
》
》聖子は、歌っている途中で、胸をつまらせることが何回かありましたが、
》会場から「がんばって!」と声援が送られたシーンもあって、
》問題なく歌いこなしました。
》そして、歌い終わった後は、ちゃんと合掌をしていて、
》「久しぶりに【SWEET MEMORIES】お送りしましたが、
》 これからも大事に歌い続けていきたいと思います」とも言っていました。

といった感じの、大村雅朗さんへの追悼の意味を込めて
聖子が歌った、涙&涙の「SWEET MEMORIES」でした。

さらに、その約1か月後の新聞情報では、
大村雅朗さんに関する、以下のような記事が確認できました。

‖「Sweet…」で最優秀賞編曲家・大村雅朗さん死去
‖ 6月に46歳で
‖
‖ 松田聖子の「Sweet Memories」の作曲、編
‖曲などで知られる編曲家・大村雅朗(おおむら・まさあき)
‖氏が、六月二十九日に肺不全のため都内の病院で死去して
‖いたことが二十一日、分かった。四十六歳。故人の遺志で六
‖月三十日に密葬が行われた。
‖ 福岡県出身。高校卒業後、ヤマハ音楽振興会主宰の第一
‖期合歓音楽学院に入学、首席卒業。二十四歳で上京後フリー
‖の編曲家に。八三年の「Sweet Memories」
‖では第25回レコード大賞の最優秀編曲賞を受賞。
‖主なアレンジ作品に八神純子「水色の雨」、岸田智史「君
‖の朝」佐野元春「SOMEDAY」、渡辺美里「My R
‖evolution」など約千曲。作曲は映画「野菊の墓」
‖サントラなど約百曲ある。
‖
‖     (「スポーツニッポン」1997年8月22日付)


謹んで大村雅朗さんのご冥福をお祈りいたします。(合掌)


P.S.

サントリーのHPでは、当時
「SWEET MEMORIES」が流れたテレビCMで
懐かしいペンギンのアニメ映像がありますね...

》■【1983年放映】「サントリー缶ビール」
》
》 「ペンギンがでてるビールのCMって何のCMでしたっけ?」
》「松田聖子の唄をペンギンが歌ってるCMありましたよね?あれはなんていう唄ですか?」
》
》 今回のなつかしのCMシリーズでは、サントリー 「ペンギンカサブランカ」(1983年)に注目してみました。
》松田聖子の声にあわせて、アニメのペンギンが唄う、ペンギンのアニメCMの第一弾です。
》ペンギンと缶ビールがブームになりました。
》尚、このCMは、フジサンケイグループ広告大賞をはじめ多くの広告賞を受賞しました。 
 
》CM情報 
》使用曲 SWEET MEMORIES(ガラスの林檎のB面) 
》作詞 松本隆 
》作曲 大村雅朗 
》唄 松田聖子 
》コピー 泣かせる味じゃん。サントリー缶ビール 

http://www.suntory.co.jp/kyakuso/cm/natukasi.html

この映像には、テロップに「唄/松田聖子」ってありますが、
このCMが流れた当初は、そんなテロップありましたっけ?

私はこの時、まだファンじゃなかったので、
どっかのガイジンさんが歌っているのかと思ってました。(^^;;

ということで、「SWEET MEMORIES」伝説は、このCMから始まった?