新規メッセージ投稿 返答メッセージ投稿 このメッセージのキャンセル Translation into English
名前: johnansaz <E-mail>
題名: fNnpqQBHDNZUrHsOW
日付: 2022/04/19 14:05:35
返答先リンク: msg5/03930
松本隆 2022/6/17 慶應義塾大学「言葉の教室」シンポジウムにて  瑠璃色の地球はちょうど沙也加ちゃんがおなかの中にいて、おっきいんですよ。そうやって母になるぐらいだから、ほれたのなんだのでない、ちょっと大きなテーマでも歌えるかなってああいう歌ができた。瑠璃色の地球はトランプのジョーカーみたいな存在。時代とか社会がすごく困ったときに、本当に救ってくれる。そんな歌を作ろうなんて思ってなかった。コーラスで歌ってる人たちは、松田聖子の歌だってあんまり知らないし、松本隆が書いたなんてこともたぶん、わかってない。楽曲が命をもって、そこに残ってる。大瀧詠一がよく『俺はよみ人知らずになりたい』って言ってたけど、そういう意味では、僕のほうがよみ人知らずになった。僕は歌うわけじゃないから「誰の唇を借りてるか」は非常に重要な要素で、聖子は聖子の唇とか、ああいう顔とか姿があるわけで、やっぱり気にします。あと、「女心がなんであんなにわかるのか」とよく言われるけど、全然わかってません(会場爆笑)。全部あてずっぽう。まあ、掘り下げていくと男も女も同じように悩んでるわけだから共通項があるんじゃないか、そこまで掘り下げると普遍的になるんじゃないかな、と考えてましたけど。「説明をしない」ことは非常に大事で、詞に限らず小説もエッセーも脚本も、すべてに言えると思う。ディテールを積み上げていくと、感情の説明をしなくて(説明が)できる場合がある。例えば「木綿のハンカチーフ」(太田裕美、75年)の最後で「ハンカチーフ下さい」って言うだけで、彼女の意志とか、迷いから吹っ切れた感じが伝わる。余白っていらないものじゃなくて、100言いたいことがあると、10ぐらいで言うから詞なのね。90を削ってるわけじゃない。10の言葉を使って、ほかの90も同時に、言外で言う。だから、「書かない」んだけど「書いてる」んです。行間もおなじで、AとBという行があって、真ん中に空白があって、そこで何か言ってるから行間。単なる空白じゃない。それがコントロールできると、君は僕になれる(笑)。どんな詞でもいいんだったら書けるわけよね。ただ、自分の中に水準を作って、これより下のものは人に見せたくない水平線がある。そこから上のものしか書きたくない。そういうものを書こうとしているときに、人から与えられた時間の枠って結構、役に立つ。火事場の馬鹿力みたいに、ないものができたりすることがあるんです。 僕はほとんど(歌入れの)スタジオを飛ばしたことがない。一番のピンチはね、千葉に「微熱少年」って映画のロケハンに行って砂浜を一日中歩かされて、帰りのバスの中、全員寝てるわけ。僕は何してるかって言うと、それから信濃町のソニーのスタジオで松田聖子が歌を入れるのに、詞がない。詞ができてなくて、手ぶらで「やあ」とは言えないわけ(笑)。信濃町につくまで詞を書いてるわけ。何とか間に合わせて、一応プロのプライドを守った。それが締め切りってもの。そのぐらい苦労をしてからものを言えよって感じです(笑)。