山陰・山陽・九州編


9/3 美浜〜天橋立〜豊岡〜香住
(192km)

から、雨が激しく降っている。7時まで様子を見たが、雨足がそんなに変わらないので出走開始した。
時よりあまりにも激しい降りになるので何度も雨宿りをした。そんなわけで全然ペ−スが上がらない。昼過ぎには完全に雨が上がったが、今度はあまりにも蒸し暑くてペ−スが上がらない。天橋立を観光していたら思いのほか時間がたっていた。
豊岡を越えたところの峠の上りで日が暮れてきた。峠道が続くのに日が完全に落ち、車もほとんど通らず人家もなく、ものすごく心細い。真っ暗な峠の下りをとばす。頭に着けているヘッドライトめがけて、たくさんの虫が目に飛び込んでくる。
うらさびしい田舎の温泉街についたが、旅舘の中にしか温泉はないらしい。どうしても温泉に入りたかったのでナイトランを続けた。 このあたりは山陰海岸国立公園であるらしい。
香住温泉郷の手前に町営国民宿舎「ファミリーイン今子浦」というのがあったので風呂だけでも使わせてもらえないかと聞いてみることにした。 「本当はダメなんですけど、どうぞ」と使わせてもらうことができた。
最近できたばかりで真新しいこの国民宿舎は、 眺めのいい岬の岸壁の上にあって(チャリンコでここの入り口まで上るのはかなりハード)かなりローションが良く展望風呂になっている。
フロントにお礼を言いに行くと「どちらに泊まるんですか」と聞かれ 「その辺の駅で‥‥」と答えると、それたったらとこんな時間だし素泊まりで安くしてくれるというので、泊まることにした。
部屋は畳の香りのする3〜4人部屋で1人でこんな所に泊まるのは本当に贅沢な気分たった。ボーイさんが「僕も自転車で旅をすることに憧れてたんですけど、結局やらずじまいで…… がんばってくださいね」とおにぎりの差し入れを持ってきてくれた。
久々にテレビを見てエアコンをきかして文明生活の有り難さを感じつつ熟睡した。 朝起きて窓を開けると、低い角度からの陽差しにさらされまばゆいばかりに輝く紺碧の海、緑の美しいいくつもの小島、所々に荒々しい岩場をむき出しにした岸壁のパノラマが広がっていた。いかにも「国定公園だねえ」と思わせる景色だった。

9/4 香住〜鳥取〜米子の皆生 (162KM)

取砂丘の手前で九州一周してきたという東京の某H大学のソロチャリダーに遭遇
「お金がなくてさぁ、鳥取砂丘の某国民宿舎で2週間働かせてもらったけど、丸一日働いて5000円にしかなんなかったよ」といっていた。 元々はサークルで走っていたが性に合わないからやめて1人で走っているそうだ。真っ黒に日焼けした笑顔のさわやかなヤツだった。
その彼は「山口から日本海側をずっと走ってきて景色はよかったけどアップダウンが激しい」と言っていたので、その後のコースを米子から一気に山越えして広島に抜けてしまうことに決めた。
向かい風のひどい1日だったけとこの日は米子市街のちょっと北の皆生(かいけ)温泉で行き、疲れをいやし、その近くの漁港の海っぺりのポンプ小屋の裏にテントを張った。(翌朝気が付いたのだが、ここの砂浜は浸食されて奇妙な造形をつくり出していた)


9/5 米子の皆生〜宍道〜三次(みよし)〜広島
(225km)

く走った日本海側ともオサラバしてシジミの宍道湖から中国山地の峠を一気に上り詰め、瀬戸内へ下ることにした。
そこそこキツイ2つの峠があったが、それぞれに「道の駅」があって休憩ができた。
この日、最長の225kmを走りつづけ広島の駅に6:30に着いた。「この調子で行けば… 。」残す距離が短くなってきたのを感した。洗濯物が溜まってきたので広島YHに泊まった。 収容人数もかなり多いインターナショナルなYHで外国人も多かった。


9/6 広島〜岩国〜防府(ほうふ)〜小郡 (155km)

島は久々の大都会だ。通学の高校生の群れの中を通りぬけ、平和記念公園へむかう。心地よい陽気でじつに気持ちいい。この地に50年前にあった出来事を原爆ドームだけが偲ばせていた。
それから岩国の綿帯橋、山□の防府天神に寄り、小郡駅の少し手前のセブンイレブンで時間をつぶし、あらかじめ目を付けていた橋の下に戻りテントを張った。


9/7 小郡〜下関〜小倉〜博多〜太宰府 (168km)

門海峡はすごい風だった。間断なく吹きぬけるナマヌルい風ほまるで九州に行くのを阻むかのようたった。
本州(下関)から九州(門司)へ渡るのに自転車で行く場合は関門トンネルの人道□というのを利用すれば、あっけなく渡れる。(国道2号はトンネルの部分が自動車専用道なので注意されたし!海っぺりの道で壇ノ浦古戦場を通り関門橋(高速道路)の手前下に人達□はある)
人道口はエレベーターになっていて地下通路に降りる。地下道を通り九州側でまたエレベーターで地上に戻るようになっている。

州に渡ってからも強くヌルい向かい風はおさまらなかつた。 バテパテになりながらも大都市福岡を通り過ぎ、夕方に太宰府を見物しそこから少し南の二日市温泉の町営銭湯に浸かった。 寝る場所が見つからず、しょうがないので二日市の図書館の裏にテントも張らずに野宿した。


9/8 太宰府〜久留米〜熊本〜八代(やつしろ)〜人吉 (195km)

取り線香をガンガン焚かないと蚊がいっぱい来るし、蒸し暑さで寝苦しくて、ほとんと眠れないまま、朝4時前には走り出していた。
早朝の福岡から久留米への下り線は、ダンプカーとトレ−ラーの専用道とも思えるぐらいで、これらの車のすぐ傍らをいじめられっこのような?気持ちで走る。道は狭く、ちょっとふらついて倒れようものなら命がないのが分かった(自転車に点滅するテールランプを付けていたのだが、それがなければ倒れなくてもひかれていたかもしれない!)。
熊本城も無視して国道3号線をひた走る。八代からは、日本三急流の一つの球磨川沿いを行くことにした。 ここに来る前に大きな自転車屋があったので、すっかりポロくなった(グリップ)ハンドルの握りなどを取り替えたついでにチャリ屋のおやじさんに道を聞いた。
「私が良く走りに行くコースなんだけど、球磨川沿いの国道は交通量もあるので通らないで、川をはさんで反対側に旧道があるので、そっちを行ったほうが楽だし景色もいいよ」と教えてくれた。
途中ボケていて思い切り道を間違えてしまった。川沿いをずっと行けばいいのに、峠の林道のような所を上っていってしまった。だいぶ峠道を上り詰めたところで小型のショベルカーなどの建設機器が道を塞いでいる。作業員にどうなってるのか訊いた。
「この先に道はないよ。今作ってるんだから」
「ガーン」すごい勾配の登りでおかしいとは思ったが、景色がいいしガレた道で楽しくて、足が良くまわるのでついついここまで来てしまった。

磨川の中流の山の中に盆地がある。そこが人吉市で、今日はここまでにすることにした。 日が暮れ始める頃、球磨川の土手でコンビニ弁当を食べていたら、近所に住むおじさんが声をかけてきた。妙に好感の持てるあったかな感じの人だった。
ひとしきり話をした後、そのすぐ近くの公衆温泉に浸かり、外に出ると、さっきのおじさんが待っていた。
「家内にきみのことを話したら、何でつれてこないんだって怒られちゃったよ」と泊めてもらえることになった。
最初、焼鳥屋につれていってもらい焼き鳥2人前、ビール大ジョッキー2杯をご馳走になり、まだいけるよねと、2件のスナックをはしごして水割り三杯ほかをご馳走になり、すっかり酔っぱらってしまった。


9/9 人吉〜えびの〜国分〜大根占

々の純和風の朝御飯をいただて、別れを惜しみながら出発した。前日は川沿いをずいぶん上ってきたけと、今日もさっそく登りだ。 知る人ぞしる交通難所「人吉のループ橋」の峠道が待ちかまえていた。二日酔い気味の体にはツライ。ループ橋は、ちょうど高速道路のインターチェンジのような構造で、普通には道が通せないので「エイヤ!」と強引に道を造ったという感じだった。
ここを走っての感想だが酔っぱらってラリっている訳ではないのだが、「天にも上る気分」だった。 山頂には2km近いトンネルがあり、それを抜けると長い下りが続いた。しかし、ちっとも気持ちがよくない、風向きが悪くてスピードは出ないし空気がナマぬるくて全然爽快感がないのだ。苦労して上ったのに、下りが楽しめないなんて、チャリンコ乗りにとってこんな頭にくることはない!

鹿児島湾の国分に出てからの暑さは異常だった。 だらだら走り、桜島のすぐとなりまで来ると、北海道のホクレンの給油所でもらえる3色の旗を付けた今年モデルのチャンコ(ESCAチャリ:私も開発に協力させてもらった自転車)に乗って立ち止まってる若者がいたので、すかさず話しかけた。 彼(=アイカワ君)は京都のほうの大学に通う学生で日本一周の最中だという。自炊はしてないということで装備が軽そうだ。 京都から半時計周りに日本をまわってきて、この先の休みの日数もわずかなので佐多岬まで行くか、ここから引き返すか迷っているというところだった。「宗谷岬に行って来たのなら佐多岬にも行かなくっちゃ」と説得したところ、佐多岬まで一緒に行くことになった。彼のおかげでペースアップできた。夜8時まで走り大根占まできた。 明日に備えて本土最南端の銭湯?(かなりポロい!、けど味がある)に浸かり、その近くの役所の駐車場に泊まることにした。


9/10 大根占〜佐多岬ロードパークウェイ〜佐多岬〜志布志


、とは言っても闇夜の3時に起きテントを撤収し、残るわずかな道のりを2人で急いだ。 佐多町からの岬の先端へつづく道は急なアップダウンの連続で体力の消耗が激しい。ロードパークは自動車専用の有料道路になっているので本当は自転車での通行はできない。入り□に来たときにはすっかり明る<なっていた。
車両の通行は朝8:00からということでフェンスで封鎖してあり、案の定係員もいない。重たい自転車を担ぎ上げてそのフェンスを突破した。 ソテツやハイビスカスの植わったいかにも南国的な雰囲気の道で、そこからのアップダウンもまた辛かった。そしてフェンスがまだ2〜3も待ち構えており、それを越えるのはまさしく最後の試練だった。 岬の駐車場に着くともっと早くに来たチャリダー3人がいた(ロードパークの入り口にはキャンプ場がありそこでキャンプしていたらしい)。「自転車をかつがないと一番先端まではいけない」と言っていた。
さっそく行ってみる。たしかに一番先端に行くのにほ階段が連続していて、共に旅した荷物を付けた重たい自転車をつれて行くことはできなかった。そこからは北海道で集めたホクレンの給油所の3色の旗と宗谷岬で買ったピンクの「日本最北端の地、宗谷岬」の旗を持って最後の100mを歩いた。
視界がひらけ、眼前にほどこまでも広がる青い海があった。ただ、ただ、心の底から歓びが突き上げてきた
「やったぜ!」


帰路

んざりする岬の地獄のアップダウンをひきかえし、その後は思ってもいない祝福の追い風?にのり、午後3時には志布志駅に着いた。 ここで京都の学生アイカワ君と旅の成功を祈りつつ別れた。 あと一枚のこっている「青春18切符」の期限も今日までだ。今日中に宮崎発のフェリーに乗るのだ!このどうしようもなく蒸し暑い九州とは今日でさよならだ。 また明日から普通の生活に戻ることになるが… 。

宮崎港と日向港から1日おきに川崎行きのフェリーが出ている。寝転がっているたけで東京まで行ける。 学割で2等自由席のみで¥14600ぐらい(マリンエキスプレス)



1995年秋にまとめた文章に一部修正を加えました。