第10回公判 O医師証人尋問(1997.05.08付)についての考察

1997年06月15日


前略 前回の第10回公判(5月8日)でのOの証言について気づいたことを記させていただきました。内容的には、今までの繰り返しのところが多いのですが、敢えて書かせていただきました。別紙ご参照下さるようお願いいたします。

 最近のT子の状況ですが、2月・3月・4月と立て続けに入院していたのですが、最近は暖かくなったせいか体調も良く入院することもなく平穏に過ごしております。
 先月はつくば市で行われた、障害児のための体験乗馬会でポニーに乗ることができたり、昨年末に開業した県立医療大学の付属病院で、摂食指導(口から食事を摂る指導)を受けられるようになったりと、嬉しい話が続いております。この調子で裁判も良い方向に進むといいのですが。

これからも色々とお世話になりますが、よろしくお願いいたします。

草々


97.06.15

第10回公判 O医師証人尋問についての考察
(証人調書97.05.08付)

 O医師の証言について、矛盾点、気になった点などを記します。尚、項目番号は速記録の番号に対応しています。

3. >・・・・例えば15時の時点での徐脈が出たときには、軽度の一過性徐脈だということしか言えないと思います。・・・・、この時点では軽度なので、厳重注意監視でいくということでみております。・・・・
4. >(15時のところでは)ずっと持続でモニタリングしていったほうがいいだろうなと。
15時の時点では、助産婦もOも徐脈に気付いていない。Oが徐脈を知ったのは早くとも15時14分以降であるので、上記の証言はウソである。
  • 分娩室に移ってからしばらくの間(15分〜20分位)は、私とN子の2人きりでいた。その間に分娩監視装置で胎児心拍数が落ちていることに気付いていたが、その時は助産婦も誰もいなかった。しばらく経って助産婦(S田○○○)が戻ってきて、遅発一過性徐脈に気付いて、慌てて私を分娩室から退室させ、Oを呼んでいる。
  • O自身も最初に診たのは、15時10分前後と証言している。
 
51. >実際のケースでは、もちろん基線の細変動がその後少し平坦になってきていますので、比較的心配しておりました。で、大体15時45分の時点から、また基線の細変動が復活してまいりましたので、この時点で、もちろんこの出てすぐじゃないんですけれども、しばらく基線の細変動が再び確認できることになった時点で、重症ではないだろうという判断をしました。
Oは基線細変動が消失している間は分娩室にいなかったし、実際には細変動が消失していることに気付いていなかった、もしくは気にもしていなかった。
  • 第8回口頭弁論では、15時24分頃からの徐脈の時は何分くらい分娩室にいたのかという問いに、「その後、しばらくの間、大体15時30分に胎児の心拍数が戻りまして、 10分くらいいたと思います。」と答えている。(速記録調書 99〜102)
  • 第9回口頭弁論(速記録調書 191〜192)
    (I○先生)あなたはこの細変動が消失したとき、どこにいたんですか。
    >はっきりは覚えておりません。暫くは付いていたと思いますが、最後までそこにいたかどうかというのは覚えておりません。ただナースステーション辺りにはいて、ちょこちょこ診ていたような気がします。
    (I○先生)そうすると一部細変動の消失の部分のところはおられたということですか。
    >はい。
    私は、吸引分娩が始まる16時30分過ぎまで、分娩室の隣のナースステーションのソファに座っていたが、一度もOを見ていない。Oに初めて会ったのは帝王切開の直前である。16時半頃のナースステーションの様子はビデオテープに収められている。
 
56. >これは(甲第10号証)古いんです。で、実は、これは私が医者になる前に出てきた文献ですので、これ自体の文献は手に入らないんです。僕らの世代は。・・・・。
日母のホームページを見ましたら、研修ノートは日母会員には有料頒布しているとのことです。参考に、ホームページのコピーをお送りします。
 
92. 〜
102.
16時15分に酸素投与を中止させる指示を出したことを、O自身が覚えていないことについて。
Oの指示ではなく、助産婦の判断で中止したのではないだろうか。
  • 第8回口頭弁論では、15時30分頃から16時23分の間は分娩室にいなかったと証言している(速記録調書 99〜103)。もし、分娩室にいて経過観察していれば、そう証言すると思われる。
  • 15時15分頃の酸素投与についても、助産婦の判断で行っている。
    S○産婦人科の釈明(P.4/29)
    >・・・・S○先生の所の助産婦さんの方が、ちょっと赤ちゃんが元気が無いと。酸素吸いましょうということで、酸素やったと思うんですけれども。・・・・
  • 約1時間後に酸素投与を中止したのは、単に教科書等で酸素吸入は「1時間以上にわたるときは5分間休止、反復」(甲第10号証 P.55等)とされているからではないだろうか。但し、その後、酸素投与を再開しなかった為に16時23分からの徐脈につながったとすれば、非常に問題である。
 
109. 〜
118.
基線細変動の消失がおきている間、心配しながらモニターを観察していたという件について。
前述の通りウソである。
  • 答弁書(P.7)では「午後3時25分の徐脈は、2分半後に解消し、その後約1時間胎児心拍は正常に推移しているから、同時刻に帝王切開術の適応がなかったことは明らかである。」
  • 準備書面(2)(P.5)では「同時刻(15時15分)に2回目の軽度遅発一過性徐脈をみたが、・・・・、胎児心拍数図上心拍数基線細変動の消失がないので、引き続き監視下の経過観察とする。」
  • もし、仮にOがその場にいて、観察していたというのならば、何故何の措置も施さなかったのだろうか?
 
150. (F○先生)・・・・例えば、経母体療法をとりながら、つまり、赤ちゃんにストレスをかけない状態を保ちながら、帝王切開の準備をして、その帝王切開に踏み切ったほうが、はるかに早く赤ちゃんも出るし、はるかに予後も良好だったとは思いませんか。
>それは思いません。
  • S○産婦人科釈明(P.6/29)でO自ら「帝王切開っていうのは、赤ちゃんにとっていいのは分かっているんです。」「赤ちゃんにとっては絶対帝王切開がいいんです。」と言っている。また、一人で帝王切開をやったことがなく、母体への危険を考えて吸引分娩を行ったと話している。
  • 手術後、Oが私の義母に説明したときに、「帝王切開しようと思ったが人手がなくできなかった。」「人手ができたので手術(帝王切開)をした。」と言っている。その時そばにいた2人の女性がハッとした顔でOの方を見ているのが目に焼き付いているとのことである。その2人の女性の内、一人は背が高い細い人(受付にいた人)、もう一人は義母(約158p)より少し背の低い人、助産婦さんか看護婦さんということである。
 
155. 〜
157.
遅発一過性除脈の定義について
Oは自分の都合の良いように定義を解釈しようとしているだけで、非常に苦しい答弁になっていると思う。素直に文献を読めば1回でも2回でも遅発一過性徐脈は遅発一過性徐脈である。
  • 当初、被告側は遅発一過性除脈を認め、基線細変動消失を認めていなかった、もしくは触れていなかったのが、こちらからの準備書面で基線細変動消失を指摘されると、それを否定することが不可能と判断し、一転して遅発一過性除脈を否認することにしたと思われる。
  • 遅発一過性除脈+基線細変動消失は重症で、直ちに急速遂娩が必要であり、そうなると言い逃れができなくなる。
  • 分娩室に移動して、分娩監視記録を取り始めた直後から遅発一過性徐脈が記録されているが、病室にいたときから遅発一過性徐脈が発生していて、それが15時の徐脈を含めて15分間以上持続していた可能性もある。15分間持続していないとは言い切れない。現に、15時前、病室にいるときにモニタ音のリズムが変動し心拍音が遅くなるのを聞いている。

その他(助産婦に関連する件)

  1. 母親学級の時に、助産婦より、うちの先生(S○)はすぐ何かあったら切りますからと言われている。我々がS○産婦人科を選んだ理由の一つでもある。(S○産婦人科釈明 P.18/29)
  2. S○準備書面(2)(P.2〜4)
    本件診療に関与した助産婦は、S○ ○○○、N○ ○○、H○ ○○の3名である。