バブルの頃は「24時間戦えますか?」といったCMが流れ、バブルが崩壊したあとは、日本経済の低成長化、少子・高齢化に対応するため、サラリーマンは残業、休日出勤で頑張ってきました。そうした状況で、理想郷のようなものを音楽の中に求めることは、一種の安らぎのようなものを得ることにもつながりました。
「稲田馬聖」という名前は、小学校に上がる前、家の裏に田んぼが広がっていたことと、日本の音楽の歴史を調べていた頃、薦僧(こもそう)という存在を知り、その別称を採り入れて名付けたものでした。しかし、知らないということは恐ろしいもので、浄土真宗の開祖、親鸞さんも「稲田馬聖」と呼ばれていたのだそうです。その稲田は、今の茨城県にあったそうです。
こうしたことを知ってしまうと、親鸞さんには恐れ多く、2001年の「新編尺八丈清会歌」をもって「稲田馬聖」には「さようなら」することにしました。16年間に33曲を作りましたが、その歴史は変わりません。このホームページにその痕跡を残して、現代の「稲田馬聖」は消え去ることといたします。