曲の説明
邪馬台の都(やまたいのみやこ)
『魏志(ぎし)』倭人伝(わじんでん)に記された倭国(わこく)は、2世紀後半に国々が争い乱れたため、巫女(ふじょ)卑弥呼(ひみこ)を王として立て、この女王国(邪馬台国)が約30の国を統率する連合国家であったそうです。当時の中国からすれば、倭国は当方の発展途上国であったはずですが、『魏志』倭人伝では、やや羨望をもって眺めていた部分も見受けられます。邪馬台国の所在はともかくとして、当時の倭国のすがたを想像して、「大海の彼方(たいかいのかなた)」「温暖の地(おんだんのち)」「女王の宮室(じょおうのきゅうしつ)」「酒好き長寿(さけずきちょうじゅ)」「邪馬台の都(やまたいのみやこ)」「繁栄と陰り(はんえいとかげり)」の6つの部分から構成してみました。
『魏志』倭人伝の記述は、朝鮮半島経由の倭国への行き方から始まります。「倭人は帯方(たいほう)の東南大海の中に住み、山島(さんとう)をもって国邑(こくゆう)をつくる」とあります。
その地は温暖で、夏も冬も野菜が穫れ、また、真珠や青玉(せいぎょく)を産し、種々の植生や動物が描かれています。
卑弥呼は「鬼道(きどう)につかえ、よく衆をまどわせる」とあり、弟がこれを支え、国を治めていました。婢(ひ)千人を侍らせ、宮室・楼観(ろうかん)・城柵は兵器を持つ者によって守られていたようです。
人々は酒好きで、しかも80、90、あるいは百歳もの長生きだったとか。
7万余戸の集落に、倉庫や邸宅、商店などが建ち並び、市には人々が集まり、国々の間で貿易も行われていました。
女王国連合は繁栄の一方で、狗奴国(くなこく)と対立し、卑弥呼の死(247年?)が一つの時代を区切ります。
参考文献:『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(石原道博編訳 岩波文庫)
(注) 縦譜につきましては、当該楽器のほかに他の楽器のパートを補助的に記載しています。ただし、複数のパートを集約し、オクターブも変えているところがあります。また、十七絃は箏に置き換えて記載しています。正確には、五線譜(スコア)をご参照ください。
音源
mp3 FILE:3ka035a_邪馬台の都 v1.0.mp3(9:52)
YouTube:「邪馬台の都」の動画(9:57) 風間禅寿氏のサイト
楽譜
縦譜(箏・十七絃譜、三絃譜挟み込み)、縦譜(尺八譜)は大日本家庭音楽会から出版されております。
五線譜(表紙、調弦表):3ka035bg_邪馬台の都(五線譜/表紙・調弦表)v1.0.pdf
五線譜(スコア):3ka035g_邪馬台の都 v1.0.pdf
五線譜は「MuseScore」、縦譜は佐藤祈采氏ご提供の「JapoScore」を使用しています。イメージ写真はphotoAC素材を使用しました。
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