
曲の説明
鎌倉の府(かまくらのふ)
源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の東側に大倉御所(おおくらごしょ)を構えたのが1180年。頼朝は1192年に征夷大将軍に任じられ、その後1199年に亡くなりますが、鎌倉幕府草創期の都市計画により、1230年頃には鎌倉の街は最盛期を迎え、人口も3万人を数えたといわれています(2024年の鎌倉市鎌倉地域の人口は44千人だそうです)。当時の鎌倉の姿を想像して、「若宮大路(わかみやおおじ)」「執権の館(しっけんのやかた)」「和賀江島(わかえじま)」「切通(きりどおし)」「三斎市(さんさいいち)」の5つのシーンで構成してみました。
「若宮大路」は、頼朝が妻 北条政子の安産を祈り、1182年に鶴岡八幡宮までの参道を整備したそうですが、平家滅亡の前に鎌倉の都市整備を進めたことに驚きます。当時は、現在の若宮大路よりも幅が広かったそうで、鎌倉の街の中心として賑わったことでしょう。
頼朝が造営した大倉御所はその後焼失し、御所も転々としますが、武家政権の政治の中心として、源氏が滅んだあとも執権の館は、静謐(せいひつ)な中にも威光を放ったことでしょう。
1232年、勧進聖人(かんじんしょうにん)往阿弥陀仏(おうあみだぶつ)が鎌倉幕府に願い出て、三代執権・北条泰時らの協力のもと「和賀江島」を築港し、宋との貿易で大いに栄えたそうです。晴れた日、湘南の海は凪(な)ぎ、明るい光のもと、人や物資で活気が溢れたことでしょう。
鎌倉の地は周囲を山で囲まれ、軍事上の防備も兼ね7つの切通(きりどおし)が設けられました。山を開削した細い道は、木々が生い茂り、人々は一歩一歩踏みしめて坂を上って行ったのかもしれません。
月に3回定期的に開かれた三斎市では、銭貨の流通とともに物資が売り買いされ、流通や交流の場として、人々の生活の活気が伝わってきたことでしょう。
今の鎌倉を象徴する高徳院(こうとくいん)の大仏や建長寺(けんちょうじ)、円覚寺(えんがくじ)といった寺院ができる前の鎌倉の姿です。
音源
mp3 FILE:3ka054a_鎌倉の府 v1.0.mp3(8:53)
楽譜
五線譜(スコア):3ka054g_鎌倉の府(五線譜/スコア) v1.0.pdf
<パート譜>
五線譜・縦譜(篠笛・尺八):千代之音からダウンロードできます。
五線譜・縦譜(三絃):千代之音からダウンロードできます。
五線譜(琵琶):千代之音からダウンロードできます。
五線譜・縦譜(箏・十七絃):千代之音からダウンロードできます。
五線譜(締太鼓・桶胴、大太鼓):千代之音からダウンロードできます。
※ 琵琶、打楽器については、縦譜はありません。
五線譜は「MuseScore」、縦譜は佐藤祈采氏ご提供の「JapoScore」を使用しています。
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