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菅野 美和 miwa kanno

ブリヂストン美術館のインターンシップ 3 
展示替え見学

 「インターン生としての活動のほとんどは、オーラルな活動になる」(=つまり、 ギャラリー・トークなど、来館者と直接言葉を交わす活動になる)と、最初のオリエ ンテーションで貝塚さんから言われたときの驚きは、今も思い出すことができる。もともとさほど深く考えず応募したインターンシップであるし、何より、「教育普及」 インターンシップに応募するにあたり、一番興味があるのは展示企画だと、私ははっ きり書いた覚えがあるくらいで、展示企画が「教育普及」の主を占めるものと思って きたのだ。そして同様のことを同じオリエンテーションの場で、貝塚さんからも伺っ たように思う。

 「教育普及」という、この用語の意味範囲を私が誤解しているのか、場合によって、 展示企画を含むことと含まないことがあるというように、使われかたが違うのか、私 には未だに確信がない。この件については、ここに書く前に是非、貝塚さんにお伺い してみたかったのだが、四月から始まる藤島武二展の準備で今は死にそうに忙しい貝塚さんに、伺う機会を逃してしまった。よって、正確なところはあとで貝塚さんご本 人にお伺いしてみようと思うが、ここでは私の思うまま、勝手に書くこととする。

 「展示替え見学」と題したこの文章の冒頭で突然、一見関係のないかのような「教育普及」という用語の問題を持ち出したのには、勿論、訳がある。「教育普及」イン ターン生である私たちの活動には、前年度の人たちの要望を取り入れて、展示替えの 見学が初めから加えられていた。これは、年に数回行われる展示替えの際、希望する 人が都合のつくとき、あるいは見たい作業があるときにそれぞれやって来て、単にあ れこれ「見せてもらう」機会で、まさに「見学」である。オーラルな活動では、無論 ない。もし、展示企画と教育普及とをはっきりと分けるのが常識だとしたら、これが 展示企画側に入ることは間違いないだろう。そして、将来的なインターンシップの複線化の話をしたときに、他に案として、「アート・ドキュメンテーションとか、展示 企画とか…」というように、伺った記憶もあることを考えると、展示企画と教育普及 は、やはり別物と考えられている節もあるようなのだ。それで何故、展示替えが「教 育普及」インターンシップの活動に含まれているのかが、私にはまだ、よくわからな いのである。

 まあ、ともあれ、―用語の問題は今後の課題として―、「展示替え見学」は楽し い。作品が(日通や大和など)運送会社の車で運び込まれる様子、収蔵庫から作品を出し、壁に掛けて高さや照度を調整する様子、キャプションを準備する様子などなどを、私たちは基本的に眺めているだけ。せいぜい車に乗せてもらってはしゃいだり、 キャプションを外す作業を手伝わせてもらうくらいのものである。自分がギャラリー ・トークをするとなればそれなりの準備も必要だが、展示替えを見に行くときにはそ うした宿題もない。私は大抵誰かと一緒に行くことが多かったこともあって、疲れれば休憩をし、隣のスター・バックスにコーヒーを飲みに行ったり、貝塚さんと一緒に 私たちの面倒を見てくれる、学芸員の坂本さんにおやつをもらったりと、勝手のし放 題であった。バックヤード・ツアーに参加している感覚に近いものがあったと言った ら、言い過ぎであろうか。しかし、それくらい一方的に「受け取る」比重が高い点 で、他の活動とは一線を画していたように思う。 

 初めは運送会社の人たちも、壁を塗ったりする業者の人たちも、そばにいて何をする わけでもない私たちインターン生の存在に、多少戸惑っているような印象があった。勿論、彼らには彼らの仕事があるので、ひどく気にとめた様子はなかったが、何とな く、「この人たちは誰?」と思われているような気は、していた。それが、何度とな く展示替えに訪れ、相変わらず「見学」しているうちに、そうした業者の人たちもインターン生の存在に慣れてきたようだ。脇でじろじろ見ていると説明をしてくれたり と、とにかく話し掛けてくれることが増えてきたように、私には感じられて、うれし く思ったのを覚えている。

 展示替えは、一つの展覧会が終わった日の閉館後から早速、行われることが多い。な るべく開館期間を増やすように、というのが、上部の意向なのだそうだ。そんなわけ で、既に私には信じがたいほど忙しそうな学芸員の方々の毎日は、さらに忙しくな る。ぎりぎりまで練った展示案を元に、様々な業者の方々と協力しながら作業を進めていくのだが、ブリヂストン美術館では絵画作品の床からの高さには基準があり、作品の展示順も予め、練りに練ってあることは言うまでもない。それでも、当日、実際 に作業を始めてみると、やはりこの作品の横にこの作品では映りが悪いとか、思いが けない問題が起きたりして、万全の準備を尽くしても、なかなかに時間がかかるよう だ。作品自体を動かすので、とにかく慎重にならなければならないことも大きい。少し動 かすにも、触れるにも、皆、細心の注意を払っていることが、脇で見ていても痛いほ どに伝わってくる。それから、やはり、作品をいかによく見せるか、というための、 さまざまな心遣い。ライトの調節一つとっても、何度も照度計をチェックし、後ろに 下がって画面上で明るさが違いすぎていないか確認したり、運送会社の方々にライト の角度をずらしてもらったり、ライトを増やしたり減らしたりと、とにかく丁寧にし ている、という印象を、私は受けた。これは美術館としてとても大切なことのように思う。美術館の「顔」たる作品たち を、大事に大事に扱い、それらが素敵に見えるように、心を配ること。それは美術館 に勤める人間には最も大切で基本的なことの一つであり、そうした心配りをしながら も忙しく立ち回る、美術館員を含めた様々な人たちの様子には、非常に魅力的なもの があった。

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