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河村 恵理 eri kawamura

べ−ベル広場の地下組織

 ブランデンブルク門につづく、ウンターデンリンデン通り。巨大な建物ばかりがずらりと並ぶ通りは、歩いても歩いても前にすすんだ気がしない。ホテル、銀行、ロシア大使館、オペラハウス、博物館、美術館、カフェ、フンボルト大学と大きな建物が次々と建ちつながるこの通りだが、フンボルト大学の正面、国立オペラ劇場のとなり、ここにぽっかりとあいたように、石畳の広場が広がる。この広場は以前、カイーザ・フランツ・ヨセフ広場と呼ばれ、プロイセン王のフリードリッヒ皇帝によりこのあたりは、芸術、科学、信仰のためのフォーラムとして開発された。つまり、この広場のまわりには、オペラハウス、王室図書館(のちにはフンボルト大学図書館)、ハインリッヒ王子御所(のちにはフンボルト大学)そして、聖ヘドニグス教会が建設された。

 ところが、この広場を改め、べーベル広場と名称させたのが、1933年5月10日の出来事であった。この日、ヒットラーのブラックリストにのった雑誌、本、書物が図書館から運びだされ、ここに山積みにされ、そして焼き払われた。その数、2万5千冊。ドイツの重要な作家、学術者、トーマス・マン、クルト・トホルスキー、ベルトート・ブレヒト、アルベルト・アインシュタインそしてアウグスト・べーベルの著作も含まれる。

 この忘れてはならない出来事のモニュメントとして、1994年、イスラエル人の彫刻家、ミハ・ウルマンの作品がこの広場に納められた。この広い広場を見渡しても彫刻のような突起物はなく、広場のまん中に設置された、地下方向に建造された覗く作品である。特に暗い夜などは下からの光りがあたりを明るくし、人々を寄せつける。"Die leere Bibliothek"(からっぽの図書館)*と題されたこの作品を覗くと、下にひろがるキューブの部屋にびっしりと白い本棚が見える。ここは焼かれた本たちのためのお墓なのだ。目立たないパブリックアートであるが、これこそ、歴史と場、人間の行為を一点で結ぶ代表的なパブリックアートである。

 さて、今回はこれにつづきが。今このべ−ベル広場では大規模な工事が行われている。やはりここは一等地、また大きな建物が建ってしまうのかと看板を見ると、地下駐車場を建設中と出ている。ここでは地下2階の予定で、計450台の自家用車が最大駐車できることになる。となりはオペラ座、前は大学だ。利用頻度はかなり見込まれているにちがいない。地下を利用した、「からっぽの図書館」に触発されてのことだろうか。2004年末にはこの駐車場完成の予定。また「からっぽの図書館」をじっくり見れる時期は近い。しかし、この彫刻の感慨深いところは薄くなってしまうだろう、なにせ同じ地下に現世の車があるのだから。


*ミハ・ウルマンのこの作品は、日本では、《図書館》《図書室》などと表記されることもあります。(ほんほん堂編集部注)

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