ウェブマガジンとオンデマンド出版のほんほん堂
緑のハインリヒ midori no hainrihi
テイトわんわん美術館
第3話「クレイ・マジック」
● 都内某所 再就職斡旋センター内 レクチャー室
講師の話を聞きながらパソコンに向かっている失業者たち
その人たちの背中を見ている所長の田上。
あくびしている背中。
熱心に聞き入っている背中。
スクリーンとホワイトボードの前を動き回る講師。
講 師「ここのポイントはですね、契約の種類によって、
瑕疵担保責任が生じるか生じないかということですね。
たとえ、明認できる瑕疵であっても、請負契約の場合はぁ、
瑕疵担保責任を負いますか?負いませんか?どうですか?・・・
そう、負いますね。反対にどの契約の場合は負わないですか?
えっと、36番の方・・・そう、売買契約の場合は負いません・・・」
所長の田上の視線が一人の受講者の背中へ。
その受講者の横顔、アップ。
パソコンの画面を見つめる真剣なまなざし。
筆圧の高いボールペン字でびっしりと書き込まれたノート。
● 再就職斡旋センター内 食堂
人気のない食堂。
1時を回ったころに入ってくる田上。
食堂のおばちゃん「あら、田上さん、遅いわね、今日は」
田 上「ああ、ちょっと、打ち合わせが延びてね」
「徹子の部屋」を映しているテレビ。
徹子の声「NHKの『ようこそ先輩』の反響が、
あまりにすごかったもんだから、
電話の人が大変だったんですって?」
おばちゃん「ああ、ごめんね。あたし、いつもこれ見てんのよ。
チャンネル、変えてもいいけど」
田 上「いや、べつにかまわんよ」
おばちゃん「魚定でいいの?」
田 上「ああ」
何気なくテレビを見る田上。
そこへ映っている公平の顔、アップ。
定食を運んでくるおばちゃん。
おばちゃん「ほらほら、見てみて。イケメンでしょ、この人。
都知事がさぁ、動員できなかったら、カジノにするって宣言した
湾岸美術館の人なんだけどね、こないだミリオネアで、
5千万円獲ったんだって。すっごいわねよね」
田 上「5千万?それはすごいなぁ。
へえ〜、美術館で何やってる人?」
おばちゃん「美術教育の専門家なんだって」
田上「美術教育?絵を描いたりする?」
おばちゃん「と、思うでしょ、それがなんか違うのよ、田上さん。
びっくりしちゃった、世の中進んでるわよ。」
● 徹子の部屋
ジュースを飲んでいる公平。
どんどんしゃべりかけている徹子。
徹 子「で、あなた、なんでも、
チケット事件っていうのがあったんですって?」
公 平「え?チケット事件?・・・ああ」
徹子、収録会場のオーディエンスに向かって、
徹 子「皆さん、この方はですね。犬のぬいぐるみの方と一緒に、
新橋駅近くのビルの屋上から、展覧会のチケットを撒き散らしたんですよ。
バラバラ〜って。信じられます?
バラバラ〜って撒き散らしたんですよ、ビルの屋上から。
普通、しませんよね。やりたくっても。
でも、やりたいわね、一回ぐらい。
一回やってみたいわね、そんなこと。
すごいわねぇ〜、あなた。バラバラって、いいわね〜」
公 平「バラバラって、いや、あの、犬のぬいぐるみの方って、あれは・・・」
徹子にどう対処してよいかつかめずに、ちょっとオロオロする公平。
● 再就職斡旋センター 食堂
徹子の話を聞いていた田上、ふと、箸を止めて、
田 上「チケット?・・・あっ」
徹子の言ったことを聞いてハッとする田上。
内ポケットから財布を出し、中からチケットを取り出す。
チケットの裏にある雨宮の判子。
テレビの徹子の声「それで、ほかの放送局のアナウンサーが、
たまたまそれを拾ってて、
あなたに助けを求めてきたんですって?」
テレビの公平の声「いや、助けっていうか、相談を受けまして、それで・・・」
テレビの徹子の声「局が違いますから、あんまり言えないんですけど、
ほら、あの、目玉マークの局の方ですよね。
あそこのお綺麗なアナウンサーの方がいらしたんですって?
それはうれしかったわね〜」
田上、おばちゃんに向かって、
田 上「ね、この人、どこの美術館って言ったっけ?」
おばちゃん「湾岸美術館」
田 上「新橋からゆりかもめ?」
おばちゃん「そうなんじゃない」
うなずいて妙に納得する田上。
● テイト湾岸現代美術館 ロビー
人を探すように歩いてくる舞子
舞 子「お客さん、どちらですか」
受付嬢「あちらのダークスーツの方です。田上様といわれます」
舞 子「ありがとう」
● ロビー
椅子に腰掛けて外を眺めている田上。
近づいてくる舞子に気づき、立ち上がる。
田 上「あ、雨宮さんですか?どうも、はじめまして」
舞 子「はい。はじめまして、雨宮です」
田 上「再就職斡旋センターの田上と申します。
すみません、お忙しいところ、お呼びだてして。
『徹子の部屋』を拝見しまして、実は、これを・・・」
そう言って、名刺より先に、
判子が押してあるチケットを差し出す田上。
舞 子「ああ、これ」
チケットを見て、驚く舞子。改めて田上を見る。
● 学芸課
学芸二課へ駆け込んでくる舞子。叫ぶ。
舞 子「久利生さぁーん、助けてください」
久利生の机、からっぽ。公平、不在。
♪ オープニング・テーマ
イエロー・モンキー
「ブリリアント・ワールド」
出演 ******************************
久利生公平 エデュケーター 木村拓哉
雨宮舞子 インターン 松たか子
鍋島館長 名誉館長 児玉 清
牛丸 豊 学芸課長 角野卓造
遠藤賢司 学芸員 八嶋智人
末次隆之 学芸員 小日向文世
食堂のおばちゃん 藤田美保子
リストラされた男 渡辺 高橋克実
渡辺の妻 多恵子 あめくみちこ
再就職斡旋センター所長 田上 寺田 農
**********************************
その頃、久利生は。
● 美術館内 バザール・デ・ボザール
公平に館内の閉鎖区域を案内している末次。
関係者以外立ち入り禁止の柵を乗り越える末次と公平。
末 次「ここ、バザール・デ・ボザールっていうんです。
美術のマルシェっていうか、市場をイメージして作られたんですけど、
いきなり、そのまま閉鎖されてます」
あたりをキョロキョロ見回している公平。
公 平「なんか、ここって、宮崎アニメっぽい雰囲気ですね。
うわぁ・・・え?・・・ふうん・・・あ・・・
ね、末次さん、これって、プロ仕様じゃないですか、このキッチン。
すげ〜」
一隅に走り寄り、仔犬のように喜んでいる公平。
公 平「うわぁ、これ、大理石のプレート!!広〜い」
末 次「ええ、そうなんですよ。設備はすごいんです。
このオープン・キッチンも、
どこもやってくれるところがなくて、まっさらのままですよ。
もったいないですよね。
何でもそろってますよ。
はっきりいって、ここで暮らせます。
徹夜の展示に備えて、風呂もシャワーもベッドもあるし。
枕、低反発だし、NASAのハイテク毛布もあるし」
公 平「低反発枕標準装備・・・俺、ここで暮らそうかな・・・」
外にチラッと目をやる末次。
末 次「あ、あのう、久利生さん、今日、天気がいいし、
折り入って、久利生さんに見てもらいたいものがあるんですよ。
時間いいですか?」
公 平「大丈夫でしょ。天気と関係あるんですか?」
末 次「はい」
● 特別常設展示室
末 次「ここなんです」
薄暗い部屋の中へ公平を案内する末次。
公 平「真っ暗」
末 次「未完成なんですよ。
でも、ちょっと、久利生さんに見てもらいたくて」
部屋の中へ進む末次。公平も後に続く。
末 次「足元の誘導灯、わかります?」
公 平「ああ、これ」
足元を確かめる公平。
部屋の中心と思しきあたりまで延びている誘導灯。
末 次「あ、すみませんけど、久利生さん、
そこにじっとしててください。
この場所から動かないでくださいね
あ、そうだ。これつけてください」
そういって、公平にイヤホンマイクを渡し、部屋から出て行く末次。
公 平「末次さん、どこ行くんですか」
末次の声「すぐにわかりますから。動いちゃダメですよ」
言われたとおり、イヤホンをつけ、
部屋のほぼ中央で、おとなしく待っている公平。
公 平「こういう『闇』って、結構久しぶり」
そのうち、遠くから聞こえてくる波の音。
寄せては返している。
公 平「波?」
やがて、部屋の壁と思しき突き当たりが、ほの蒼くなる。
波の音。
公 平「映像?末次さん、これって」
末次からは返事がない。
程なく、周囲の壁一面360度に広がる夜の海。
公 平「うわぁっつ」
公平が立っていた床も、実はスクリーンで、
そこにも広がっている夜の海に気づく。
やがて、壁に映し出された水平線上に走る曙光。
● 特別常設展示室 天井部(屋外)
屋外で作業している末次。
イヤホンから聞こえてくる公平の声。
公平の声「ああ・・・」
末 次「久利生さん、もうちょっとですから」
公平の声「ああ、俺、ちょっと、もうダメかも・・・」
末 次「久利生さん、もうちょっと我慢してください」
● 特別常設展示室
その瞬間、公平の手元あたりに細く鋭い光が差し込んでくる。
息を呑む公平。
くっきりと出現するまばゆいばかりの光の筒。
光の筒の中にすっぽりと入ってしまう公平。
光に満たされる。
公 平「わ、うわ〜〜」
● 特別常設展示室 天井部(屋外)
屋外で作業している末次。
末 次「どうですか、久利生さん」
公平の声「あ〜、すげ。いや、一瞬、息が。
あ〜〜、すげ。なんか、ヤバイ。マジ、ヤバイ」
末 次「あはは。驚かしちゃったみたいですね。すみません」
● 特別常設展示室のバックヤード(制御ブース)
話している末次と公平。
公 平「末次さん、俺、一瞬で恋しました。
この作品、ヤバイよ、これ。」
末 次「ホントにホントですか?うれしいなぁ。
これ、ベロニク・スノウの遺作になっちゃったんですよ。
僕が開館記念作品の担当してたんですけど、
完成前に亡くなっちゃって」
公 平「スノウ?・・・スノウって、
あのMIT*出身でバリバリのハイテクの?」
末 次「そうです。あの、スノウです。意外でしょ?」
公 平「これを? ふーん・・・こんなの、作ってたんだ・・・」
* MIT・・・マサチューセッツ工科大学 Massachusetts Institute of Technology
● 特別常設展示室内
作品の映像。
いつの間にか明るい海の映像に変わっている。
透き通った深いプールの上で漂っているような錯覚。
末次の声「久利生さん、僕、ここで唯一、理工系の学芸員なんですよ。
開館準備の時から、スノウの作品を常設展示しようという案があって、
僕が半年張り付きで担当してて、それで、ずっと手伝ってました」
公平の声「そうだんたんだ」
末次の声「こっちとしても、ハイテク路線で行くはずだったんですけど、
来日したら、スノウはいきなり、熊野に行きたいとか、
座禅組みたいって言い出しちゃって、話が違うんです。
仕方ないから、僕、一緒に座禅しました。
その後、彼女が出してきたのがこのプランです。
こっちが想定していた作品とあまりにもかけ離れていたので、
予算的にも調整がつかなくて、企業協賛とるのに走り回りました。
先輩のコネを頼ったりして」
● 特別常設展示室のバックヤード(制御ブース)
操作盤をいじっている公平。
公 平「それ、大変でしたね。
依頼した側からすれば、
これって、契約違反に近い想定外だし。
あのスノウがこんなすごいローテク?」
末 次「ぜんぜんスノウらしくないでしょ。
あ、それと、この部屋は子宮の形になってるんです。
中にいるとわからないし、外からもわからないけど、
設計上はそうなってます。
出口もあるんですよ。まだ完成してないんですけど」」
公 平「ふ〜ん。子宮かぁ。
その隠しテーマは伏せときましょうよ。
言っちゃうと、安っぽくなるから。
だけど、360度の砂浜って、ありそうでないでしょ。
あんな映像に囲まれて、とどめで光でやられると、
いやでも自分を意識しちゃいますよね。
これって、作品のタイトルあるんですか?」
末 次「『惑星の浜辺』です」
公 平「『惑星の浜辺』か。タイトル、いいですね。
無題とかじゃなくてよかった」
末 次「そうですか。久利生さんにそういってもらえてうれしいです」
公 平「あの光の筒はどんな仕掛けなんですか?」
末 次「簡単ですよ。天井にちょっと仕掛けがあるんです。
特殊なレンズが仕込んであって、調整が必要なんですけど、
天気のいい日だと、光の筒ができるんですよ。
ゆくゆくはこのブースで、すべての工程を制御できるようにしたいんですけど、
なかなかそこまではいってなくて」
公 平「なるほど・・・」
● 特別常設展示室
光の筒の風景。
末次の声「僕、自分が関わったからということもあるけど、
この作品が一番好きで、このままじゃ本当にもったいないから、
いつかお披露目したいなって思ってたんですよ。
久利生さんが、正真正銘、一番目の観客です」
公平の声「え〜、光栄ですね。
この光の筒にもタイトルがあるんですか?」
末次の声「それなんですけど、スノウが一緒に考えてくれって言ってくれて。
スノウと僕でひとつずつ考えてました。
完成してから決める約束になってたんで、まだ、決まってないんです」
公平の声「スノウの案は?」
末次の声「『コンジット』です」
● 特別常設展示室のバックヤード(制御ブース)
公 平「コンジット?
『]ファイル』のタイトルにありましたよね。
『導管』って意味の。
確かにこれって、光の導管そのものだよなぁ」
末 次「そうなんですけど、あんまりそのままかなって・・・」
公 平「で、末次さんの案は?」
末 次「僕の案ですか、ちょっと、恥ずかしいなぁ・・・」
● 美術館ロビー
小走りで、田上のところへ戻ってくる舞子。
舞 子「田上さん、すみません。
久利生が席をはずしてまして、あちこち探したんですけど、
ちょっと見当たらないんです。
ごめんなさい。日を改めてお話をさせ・・・」
田 上「そうですか・・・あの、雨宮さん、それじゃ、
その、一度センターへお見えになりませんか?
つまり、その、失業者が浸っている雰囲気というのを、
肌で感じていただきたいんです。
その上、久利生さんにお話できたらと思いまして・・・。
いえ、ご無理を承知で申し上げました」
うなずく舞子。
舞 子「そうですね・・・わかりました。上司に相談してみます」
● 館長室
舞子から相談を受けた牛丸が、早速、館長の鍋島に話をしている。
牛 丸「いや、まだ久利生には話していませんが、
美術館として下手に首突っ込んでいい話なものかどうか」
鍋 島「何が問題なのか、まず、それを聞いてから考える。
それでいいんじゃないですか?
この美術館、今の厳しい現状を逆手に取れば、
何でもチャレンジできると言えなくもない」
牛 丸「なにせ背水の陣、おぼれる者はわらをも掴むですからな」
鍋 島「ははは。ずいぶんと悲愴ですね。
それじゃ、こういうのはどうですか。
つかんだわらで、わらしべ長者になるというのは?」
牛 丸「いや、おっしゃるとおりです」
鍋 島「二人を行かせましょう。
牛丸課長、久利生君と雨宮君から、報告を受けてください」
牛 丸「は」
● 関係者通路
学芸課へ戻っている公平と末次のふたり。
話しながら歩いている。
公 平「俺、末次さんのタイトル案のほうがいいな。
スノウには申し訳ないけど。
末次さんのほうが、なんか、ストーリーがあるし。
スノウが生きてたら、絶対賛成してくれたと思いますよ」
末 次「そうかな、そうですか?」
公 平「ね、末次さん、あの作品、出口も作って、
ちゃんと完成させましょうよ。
俺、マジで手伝いますから」
末 次「久利生さん、ホ、ホントですか?
うれしいな〜。スノウも喜びます」
公 平「・・・あ、だっから、
末次さんの机にはスノウの写真があるわけか」
末 次「ああ、あれですね。記念写真です」
公 平「しっかし、ここって、
使ってない設備とか施設とか、ありすぎ。
宝の持ちぐさ・・・」
そこへやってくる舞子。
久利生を発見。いきなり責め口調。
舞 子「久利生さぁん、どこに行ってたんですかぁ?」
公 平「あ」
舞 子「久利生さん」
公 平「はい?・・・」
舞 子「お仕事です!」
公 平「・・・はい」
● 再就職斡旋センター 廊下
廊下で、なにやらもめている田上と女
田 上「多恵子、戻りなさい。
こんなところまでくるもんじゃない」
女 「でも、心配で」
田 上「それはわかるが、
お前が来るところじゃない」
女 「どうして?・・・」
田 上「どうしてもだ」
女 「・・・兄さんっ」
廊下の向こうから現れる公平と舞子。
田上に気がつく舞子。
舞 子「久利生さん、あれ、田上さんです」
公 平「なんかもめてる?」
近づいてくる公平たちに気づく田上。
バツが悪そうに、
田 上「ああ、久利生さんですね」
公 平「はじめまして。久利生公平です」
● 応接室
帰って行く女の後姿を、窓から見送っている田上。
椅子に座る。
田 上「いやはや、とんだお見苦しいところを」
公 平「あ、いえ」
舞 子「あの、さっきの方、確か、
田上さんのことを、お兄さんって・・・」
田 上「聞こえましたか。
ええ、一番末の妹でして、多恵子と言います。
実は、何を隠そう、
ご相談にあがったのは、多恵子の夫のことでして。
身内の話で恐縮です。
いや、たまたま身内だったということですが」
公 平「妹さんのご主人?」
田 上「はい。あ、いや、夫婦仲のことではありません。
実に仲のいい夫婦です。
姉さん女房でしてね、
心配性なところがありますが・・・」
● 研修室
研修室の全体の風景。
中ほどに座り、研修を受ける渡辺。
渡辺の横顔、クローズアップ。
田上の声「暗い話になりますが、
自殺者が年間3万人を超えているのをご存知ですか?
ご存知ないでしょうね」
研修室の風景
板書している講師。
講義を受けている受講者の背中。
田上の声「この数字は異常です。毎年戦争やっているようなもんだ。
いや、今の時代、戦争でさえ、3万人は亡くならないでしょう。
景気は上向きだと言いますが、ムラがありましてね。
このセンターでも、ここを出て再就職が決まったというのに、
亡くなる方がいるのです。
生命保険金のための自殺、これが一番わかりやすい理由ですが、
それだけじゃないと私は感じています」
● 応接室
お茶をすすりながら、田上の話を聞いている神妙な面持ちの公平と舞子。
田 上「一家の大黒柱が、家族にも何の相談もせずに、ある日、突然命を絶つ。
いや、大黒柱というより『男性』がといったほうがいいかもしれない。
ある日突然、張り詰めていたものが、ブツっと切れてしまう。
お二人とも、まだお若いので、おわかりにならないかもしれませんが、
男性は、女性ほどしなやかではありません。
女性が思っているほど強くもありません。
ストレートで単純で、無骨で、弱さをさらけ出せない生きものです。
男というのは、極端な話、プライドひとつで生きているようなものですよ」
それを聞いて、チラッと横に座っている公平を見る舞子。
公 平「確かに、そうですね」
横でつぶやく舞子。
舞 子「プライド・・・自尊心」
田 上「そう、自尊心。
ところが、リストラや破産、倒産といった事態が、
この自尊心をズタズタにするんです。
家庭に戻っても責め立てられる。
外でも内でも泣き言がいえない、もう、ボロボロです」
舞 子「でも、そういう時こそ、サポートするのが、
奥さんや家族の役目なんじゃ?」
それを聞いて微笑む田上。
田 上「雨宮さん、そのとおりです、建前はね」
● 屋外 都営バス
バスで帰路にある多恵子の姿
吊革につかまっている多恵子の顔、アップ。
窓の外の街並みを眺めている。
田上の声「ところが、男というのは、またこれが厄介な生き物でしてね。
いつでも家族の、特に自分の妻にとってのHEROでいたいものなんです。
多恵子が渡辺君のことを心配なのは、それはよくわかる。
けれど、渡辺君にしてみれば、今の自分は、
多恵子に一番見せたくない姿ですよ。
それが多恵子にはわからない」
● 応接室
舞 子「だから、帰れって言われてたんですね・・・。
でも、田上さん、こういっては何ですけど、
世の中のお父さんたちって、
そんなにプライドあるようには見えないんですけど。
女房に頭があがらないよ〜なんて言ってる人多くないですか?
かえって、奥さんたちのお尻にひかれて安定してるっていうか・・・」
田 上「ははは。雨宮さん、実に素直に物事を見ておられる」
公 平「ていうか、単細胞なんで」
素直にむくれる舞子。
それを見て微笑んでいる田上。
田 上「女房に頭があがらない・・・口でそういってるだけです。
そういう軽口を叩いているうちは、余裕があるんです。
まだ、女房の心の中に男の居場所がある。
それさえもなくした男は、軽口すら叩けないものです」
舞 子「え〜?ホントですか?
そうなんですか?久利生さんも?」
公 平「女房いないし」
● 研修室
研修室の全体の風景。
中ほどに座り、研修を受ける渡辺。
田上の声「もちろん、性格もあります。
軽口でそう言える男と、渡辺君のように、生真面目なだけに、
冗談さえ言えない男がいます。
雨宮さん、女性は男性を強いものだと思っているでしょう。
確かに、身体的にはそう造られている。
けれど、内面は違うんです。
もろくて、ガラスのようなところがある。
特に、自分の心をじっくり見つめるのは苦手でしてね。
そこを女性は『男はズルイ』と勘違いしたりもするところなんですが、
男というものは、実に、実にデリケートな生きものなんですよ」
● 応接室
舞 子「そんなにデリケート・・・」
田 上「久利生さん、たとえて言えば、
リストラされた人間が再就職して、人生をやり直すというのは、
上薬をかけ直して、もう一度自分という器を作ろうとする、
そういう感じだと思うんです。
渡辺君もそうだ。一生懸命に自分を焼きなおそうとしている。
けれど、私が危うさを感じるのは、その土台なんですよ。
ただでさえ、散々傷ついて、その土台がひび割れてしまっている人間が多い。
そこへ、リストラが拍車をかける。
一番問題なのは、自分が壊れかかっているということに、
自分自身が気づいていないということです」
公 平「・・・自尊心が邪魔をして、
ひび割れてしまっていることを認めない、
ということですか」
強くうなずく田上。
田 上「あの日、偶然、徹子の部屋を偶然拝見した時に、これは!と思いました。
そして、何の理由もなく、あなたにお会いしたいと、強く思いました。
私自身は、美術に造詣が深いわけでもなく、直感の域を出ませんが、
新橋でチケットを拾ったのも何かの縁かと思いまして。
久利生さん、どうでしょう、なんとか、ひび割れた土台自体を
一から作り直せないものでしょうか?」
しばらく沈黙している公平。
横で気にしている舞子。
公 平「そんな大事なことを、俺みたいな若造に相談してくださるんですね」
田 上「私は何のとりえもない人間ですが、ひとつだけ恵まれました」
舞 子「何・・ですか?」
微笑む田上。
田 上「人を信じる力です」
田上を見る公平。
公平を見返す田上。
公 平「わかりました」
● 研修室
ドットコム・マスターの講習が行われている。
室内は明るく、設備も整っているが、全体の雰囲気は重い。
後ろに座っている公平と舞子。
ひそひそ声で公平に話しかける舞子。
舞 子「・・・なんだか、ズーンと重いですね
話も何言ってるのか、ぜんぜんわかんないし」
公 平「・・・(考え事をしていて舞子の話を聞いてない)」
舞 子「久利生さん?」
公 平「え?」
舞 子「もう、また聞いてない」
公 平「あの人でしょ。その列の前から7番目」
舞 子「ええ。あの人の奥さんが、さっきの多恵子さん・・・。
ね、久利生さん、女って、
いざって時に、男の人の役に立たないんですね」
公 平「・・・女がいなかったら、男は生きていけない」
舞 子「え?」
公 平「女がいなけりゃ、男はエンジンかかんないの」
舞 子「ヒーロー、プライド、エンジンねぇ? みんな四文字」
公 平「・・・信じて待っててくれたらいいんだ」
舞 子「久利生さん」
公 平「はい?」
舞 子「待てって、簡単に言いますけど、
待つだけじゃイヤなんです、女は。
女だって、男の人の助けになりたいんですっ」
きっぱりと言い放って公平を見る舞子。
ちょっとびっくりする公平。
公 平「・・・わかりました」
● 館長室
鍋島館長に報告している牛丸課長。
牛 丸「館長、それが」
鍋 島「さては、久利生君から何かリクエストが出たんですね?その顔は」
牛 丸「いや、さすがは館長。お察しのとおりです」
鍋 島「何です?」
牛 丸「実は、久利生のやつ、茶碗が欲しいと言い出しまして」
鍋 島「ほほお、茶碗ですか。話を聞きましょう」
● 美術館の裏手
積み上げたブロックに、黙々とペンキで「標的」を描いている公平。
● 館長室
牛丸の話にうなずいている鍋島。
鍋 島「なるほど、そういう主旨ですか。わかりました。
何かルートがあるでしょう。私があたってみましょう」
牛 丸「館長、自らですか?」
鍋 島「名誉館長なんて、こういう時しか役に立ちませんからね。
気にしないでください、牛丸さん」
● 学芸二課
久利生の戻りを待っている牛丸。
そこへ舞子と戻ってくる公平。
牛 丸「おお、久利生。例の件、話がついたぞ。
お前からも館長にお礼を申し上げておけ」
公 平「え?早っ。わかりました。ありがとうございます」
舞 子「久利生さん、よかったですね」
牛 丸「なあ、久利生、今回もテレビに取材してもらったらどうだ?」
公 平「・・・いや、今回は、ひっそりと」
牛 丸「なんだか、もったいないなぁ」
舞 子「課長、貧乏くさいですよ。
これは、とってもデリケートな問題なんです。
ね、そうですよね、久利生さん」
● 渡辺の自宅
着替えをしている帰宅した渡辺。
上着をハンガーにかけている妻の多恵子。
渡辺、ネクタイをはずしながら、
渡 辺「・・・多恵子」
多恵子「はい?・・・」
渡 辺「お前ぇ・・・」
多恵子「何?」
渡 辺「・・・いや、なんでもない。風呂にするか。
あ、あの枝豆はうまかったな」
多恵子「茶豆?」
渡 辺「それそれ。それでいっぱいやるか」
明るくうなずく多恵子。
● 渡辺の回想シーン 職業訓練斡旋センター部長室
窓際に立って外を見ている田上。
ソファに腰掛けている渡辺。
渡 辺「美術館ですか?・・・美術なんて印象派ぐらいしか知らないし、
現代美術なんて、何ですか、それ?
見当もつきませんよ」
田 上「本来なら私が行くべきなんだがねぇ、困り果てててねぇ。
いやぁ、困ったなぁ。ああ、困った、困ったなぁ」
難しい顔をして歩き回る田上。
渡 辺「・・・義兄さんにそこまで言われたら。
わかりました。代わりに行きますよ」
うれしそうに振り返る田上。
田 上「そうか!いや、助かった。助かったよぉ。
あ、そうそう、美術館に着いたら、
着ぐるみの犬の指示に従ってくれたまえよ。
なんでもそういう趣旨なんだそうだ」
渡 辺「き、着ぐるみ?ですか。犬?」
田 上「気が利いてるだろう?
戌年だから、ちょうどいいじゃないか」
にっこり笑って、渡辺の背中を叩く田上。
渡 辺「はぁ・・・」
● 美術館ファサード
「テイト湾岸現代美術館」の看板を見上げている渡辺。
会社に出かける時の服装をしている。
コートの下はスーツ。ビジネスバッグを提げている。
ふと、目線を下げると、その視線の先で、
「おいでおいで」しているわんわん。
渡 辺「あれか」
うなずくわんわん。
● 美術館裏手
公平が描いた「標的」のところに渡辺を案内するわんわん。
「標的」の前に、山と積まれている段ボール箱、箱、箱。
そのダンボールを開けろと指示するわんわん。
カッターをさしだすわんわん。
渡 辺「え?」
何のことだかわからないまま、ダンボールを開ける渡辺。
渡 辺「これ、全部ですか?」
うなずくわんわん。
ダンボールを開き終わる渡辺。
中身を出せと指示するわんわん。
指示に従う渡辺。中から出てくるたくさんの素焼きの茶碗。
渡 辺「これをどうしろっていうんだ?」
そこへ現れる公平。
公 平「割るんですよ」
驚いて振り返る渡辺。
渡 辺「え?あ、もしかして、久利生さんですか?」
公 平「はじめまして、渡辺さんですよね。
すみません、ご挨拶が遅れて。
今日、お越しいただくようにお願いした久利生公平です。
美術館は初めてですよね?」
渡 辺「ええ」
渡辺にすすっと擦り寄る公平。
公 平「で、渡辺さん、ちょっと本題に入る前に、
手伝っていただけるとありがたいなと思って。
ホントは僕の仕事なんですけど、
事情が事情で、何かと人手が足りなくて。
ウォーミングアップと思っていただければ」
渡 辺「はぁ。これを割るんですか?わざわざ?」
公 平「ええ」
渡 辺「何のために?これ、実技か何かで今から使うんじゃ?」
公 平「いえ、使えないんです。
もともと、破砕される運命の素焼きなんです」
箱から茶碗を取り出してみせる公平。
公 平「よく見るとヒビが入っていたり、欠けてたり、
ゆがみがあったりして、使いものにならないんですよ。
これ、こうやって、割っちゃってください。
粉々に形をとどめないくらいに砕く感じで。
そこがポイントなんですけど。こんな風に」
そういって、自分が書いた「標的」めがけて、
茶碗を投げつける公平。真ん中に命中。パーンと砕ける茶碗。
公 平「あの『的』、俺が描いたんですよ。
ただ投げるんじゃ退屈でしょ」
着信する公平の携帯。
公 平「おっと。じゃ、あとでお呼びするまで、
これ、割っててください。
お願いします」
公平と一緒にいなくなるわんわん。
一人取り残されてとまどう渡辺。
やがて、上着を脱ぎ、腕まくりし、せっせと茶碗を取り出す。
渡 辺「いきなり手伝いか」
そこへ戻ってくるわんわん。
渡辺にゴーグルを差し出すわんわん。
渡 辺「ああ、ありがと。破片から目を守るのか。
それなりに気遣いがあるんだね」
うなずくわんわん。
ゴーグルを装着して投げ始める渡辺。
一投目、的を外れる。
渡 辺「あれっ? 意外と当たらないもんだな」
バツが悪そうに、わんわんをふりかえる渡辺。
そんなことないですよといわんばかりに手を横に振るわんわん。
渡 辺「しかし、なんだな、美術館の仕事もいろいろあるもんだ」
二投目、的の一番外側に命中。
渡 辺「久利生さん、一発目で真ん中だったよなぁ・・・」
首をかしげる渡辺。
三投目、四投目、なかなか真ん中に当たらない。
だんだんとムキになってくる渡辺。
渡 辺「ボールみたいに丸くないと、思うように飛ばないってことか」
投げても投げても、なかなか真ん中に当たらない茶碗。
だんだんと独り言が多くなる渡辺。
渡 辺「少しぐらいキズがあるからって、
こうやって割られてたんじゃ、
茶碗もたまんないよな。
機械で大量に作るんだろうけど、
せっかくここまでかたちになったのに・・・」
ふと、茶碗に目を落とす渡辺。
渡 辺「使いものにならないって、そういや、俺と同じか」
わんわんを振り返る渡辺。
渡 辺「ちょうどいい、聞いてください。
私ね、リストラされたんです。
ある日、突然、リストラ要員にリストアップされて、
それからは、あれよあれよという間に」
ふと、動作をとめる渡辺。
渡 辺「あの時、何の抵抗もできなかった、何の抵抗も。
惨めだった。何の抵抗の手段も持たない自分が
惨めで惨めで、腹が立って、許せなくて・・・」
そういって、茶碗をどんどん投げ始める渡辺。
渡 辺「この茶碗と同じなんだ。使いものにならないって、クビ。
情けないよ、この年で。そう簡単に転職なんてできなくて。
いったい、何が悪かったんだか。なんで、俺なんだ?
なんで、あいつじゃなくて、俺なんだ?
人の人生を何だと思ってるんだ。
破産しないだけマシだと? フザけるな!
自分たちの経営方針が間違ってたんじゃないか!
そのツケをどうして俺たちが払うんだ!
どうして取締役連中が安泰なんだ?
あのくらいの減俸なんて痛くもかゆくもないだろう。
おかしいじゃないか、あいつらがクビだろう、
順番からいって、そうだろう?
おかしいじゃないか、おかしいよ。
なんで、なんで、こんなことに。
俺と女房の人生を台無しにしやがって。
俺が、どれだけ会社のために働いてきたと思ってるんだ!
俺がどれだけ、毎日、毎日、
俺のどこが・・・」
涙でにじむ風景、ゆがむ標的。
渡 辺「チクショー!!!
フザけるなぁ」
思わず、大声で叫ぶ渡辺。
渡 辺「馬鹿にするなぁあああ」
パーンと割れる茶碗、スローモーション。
真ん中に命中。
粉々に砕けて飛び散る破片。
ゆっくりと、肩で息をしてる渡辺。
ふとわれに返ると、横に寄り添うように立っているわんわんがいる。
その視線の先に立っている久利生公平。
渡辺、それに気づいて、
渡 辺「久利生さん・・・聞いてたんですか?」
公 平「いいえ。見てました」
渡 辺「え?」
公 平「最後の一投、見事でした。すごく創造的な破壊でした」
● 特別常設展示室へと通じる迷路
わんわんに案内されてバザール・デ・ボザールを通って、
特別展示室へやってくる渡辺。
迷路の通路の出ている看板
『美術館に来るのが初めての人は右の入り口から。
そうでない人はわんわんの指示に従う』
● 回想シーン 学芸課 応接室
お茶を飲んでいる公平と渡辺。
公 平「本題っていうのはですね、展示作品占いとでもいいますか、
新しい試みなんですけど、まあ、行けばわかります。
渡辺さんにわざわざお越しいただいた理由は、
現代美術にまったく縁がない方に、
体験していただきたかったからなんです」
渡 辺「なるほど。それなら私はぴったりだ」
● 特別常設展示室へと通じる迷路
渡 辺『じゃ、右の入口だから、こっちか』
また看板。
『男性は直進。女性は左へ迂回』
渡 辺「まっすぐに進む、と」
渡辺とわんわんの移動中は早回しで、キュルキュルキュルキュル。
また看板。
『閉所恐怖症の方は斜め左方向へ。そうでない方は、右斜めへ進む』
渡 辺「なんだかわかんないけど、右斜めだな」
渡辺とわんわんの移動中は早回しで、キュルキュルキュルキュル。
しばらく進むとまた看板。
『既婚者はこのまま進む。独身者はすぐ横へ』
渡 辺「じゃ、このまま進みます、と」
渡辺とわんわんの移動中は早回しで、キュルキュルキュルキュル。
また看板。
『暗所恐怖症の方は左斜めへ。そうでない方は右折』
それを読んで、ちょっと思案する渡辺。
右?左?どっち?というジェスチャーをしているわんわん。
渡 辺「うーむ。特別、暗いのは怖くもないし、右か」
指示に従って歩いているうちに、
スノウの作品『惑星の浜辺』展示室前まで誘導されて来る渡辺。
展示室の前に貼り付けられている紙。
『これがあなたにぴったりの作品です』
それを読んで、すっかり納得している渡辺。
● 回想シーン 学芸課 応接室
公 平「で、作品にたどり着いたら、
それを鑑賞したり、体験することになりますが、
その後で、作品に渡辺さんなりのタイトルをつけていただきたいんです」
渡 辺「タイトルですか」
公 平「ええ」
渡 辺「それはちょっと自信がないなぁ」
公 平「大丈夫、構えなくていいですから、気楽に考えてください」
● スノウ作品の展示室前
誘導灯に従って中へ入るように指示するわんわん。
誘導灯に気がつき、中へ入る渡辺。
● 展示作品のバックヤード
操作盤の前に座っている公平。
舞子の声「こちら雨宮。久利生さん、今、渡辺さんが中へ入りました」
公 平「了解」
● スノウの作品の天井部(屋外)
待機している末次。
末 次「今日は最高の天気だなぁ」
公平の声「こちら久利生。末次さん、スタンバイ願います」
末 次「了解」
● スノウの展示作品のバックヤード
操作盤の前に座っている公平。
公 平「スタート」
● スノウ作品展示室内
暗い展示室の中、中央に立っている渡辺。
その渡辺を取り囲む360度のスクリーンに映し出される夜の海の風景。
ザザーッという波の音。
周りをゆっくりと見渡して何が起こっているのか、把握しようとする渡辺。
耳を澄まして、それが海だとわかる。
穏やかに変化していく周囲の海の映像。
やがて曙光が真一文字に走ったかと思うと、
その途端、宇宙の海へと変わる周囲と足元の映像。
星星の中に浮かんでいる自分という存在。
宇宙の中のちっぽけで、しかし、たしかな自分という一点。
初めて自分の内面に目を瞠る渡辺。
そして目を閉じる渡辺。
● スノウの作品の天井部(屋外)
待機している末次。
久利生の声「こちら久利生。末次さん、5秒前」
末 次「ラジャー」
● スノウ作品展示室内
暗い宇宙の星星の中に浮かんでいる渡辺を、
いきなり包み込む光の筒。
すっぽりと包み込まれる渡辺。
渡 辺「うわっ」
暗い展示室の中にくっきりと現れる光の筒。
その中で、光に包まれてる喜びを享受している渡辺。
静かな時間が流れる。
やがて、ゆっくりと消え失せる光の筒。
奥の方から漏れている光のスリットに気づく渡辺。
そちらへ向かって歩き出す渡辺。
やがてそこが出口だと気づく。
● スノウ作品の外部 屋外
狭い出口を通り抜けると、小さな空間に出る。
キラキラと世界がまぶしく見える。
スッと風が吹きすぎる。
女の声「あなた」
その声に敏感に反応する渡辺。
渡 辺「・・・多恵子?」
女の声「・・・あなた」
やがて建物の向こう側から現れるわんわん。
着ぐるみの頭を脱ぐと、中から現れる多恵子。
それを見て驚く渡辺。
渡 辺「多恵子!どうしてここに・・・まさか、お前」
● フラッシュバック 美術館裏手
ゴーグルを渡辺に手渡すわんわん。
そっと渡辺に寄り添うわんわん。
● スノウ作品の外部 屋外の小さな空間
渡 辺「お前、まさか、ずっと・・・」
多恵子「・・・そうよ。
途中で入れ替わって、ずっとあなたのそばいたの。
待ってるだけじゃ、イヤだったから。
あなたの気持ち、知りたかったから」
渡 辺「多恵子・・・すまない」
多恵子「ごめんなさい、あたし、あなたの気持ち、
わかったつもりでわかってなかった」
渡 辺「心配かけたくなかった」
多恵子「水臭いじゃない。そんなこと、そんなこと」
寄り添う夫婦。
泣いている多恵子を抱きしめる渡辺。
● スノウの作品の天井部(屋外)
渡辺と多恵子の様子を膝を抱えて見ている末次。
ニコニコと微笑んでいる。
● スノウの展示作品のバックヤード
操作盤の前に座っている公平と舞子。
そこへ聞こえてくる末次のつぶやき。
末次の声「夫婦って、いいもんだなぁ」
そのつぶやきを聞いて、ホッとする公平と舞子の二人。
● 渡辺の自宅 玄関
多恵子「あなた、ゴミはあたしが」
渡 辺「いいんだ。俺が出しとく」
カジュアルな格好で出かけようとする渡辺、
ドアノブに手をかけるが、一瞬あって、多恵子を振りかえる。
渡 辺「ホントにいいのか?・・・
最悪、この家を手放すことになっても」
しっかりとうなずく多恵子。
多恵子「あたしの家は、あなたの心の中だから」
照れながら、涙が出そうなるのをこらえて、
渡 辺「馬鹿言え、お前、韓流ドラマの見過ぎだろ」
多恵子「・・・それじゃ、あとで」
渡 辺「ああ。お前も気をつけて来いよ」
● 再就職斡旋センター 田上の部屋
電話をかけている田上
田 上「なんとお礼を申し上げたものか。
いやぁ、ああも変わるもんですかね。
驚きました。まず、服装が変わった。
弟は、リストラされたことを近所に気づかれないように、
今までどおり、出社している振りを続けていたんです」
● 再就職斡旋センターの食堂
仲間と食事をしながら、話をしているカジュアルな服装の渡辺の様子。
やかんを持ってテーブルを回っているおばちゃん。
渡辺の茶碗に茶を注ぎながら、にこやかに何か話しかけている。
田上の声「しかしもう、そんな振りをする必要がなくなったんですね。
弟は本当の意味で強くなりました。
休み時間には、美術館での体験を話しているようですし、
周りの人間が感化されているようです。
私には照れくさいのか、まだ何も報告してくれないんですがね・・・
久利生さん、あなたいったいどんな魔法をかけたんですか?」
● 美術館 学芸二課
電話をしている公平。
横でパソコンに向かっている舞子。
その舞子に話しかけている牛丸課長。
牛 丸「なぁ、やっぱり、もったいなかったんじゃないのかぁ?
本人があんなに喜んでくれてるんだし、
テレビに取材してもらえば、
この喜びが日本全国に伝わりに伝わってだな、
それで、ついでに、どんどん申し込みがあったかもしれないだろう。
そしたら、入館者数も稼げるだろう、わらしべ長者だろう。
ああ、惜しい。なぁ、久利生よぉ。聞いてるのか。
あ、電話中か。なぁ、雨宮もそう思うだろう?」
舞 子「課長、あたし、レポートまとめるのに忙しいんです。
あたしなりに、学ぶところが大きかったんですから
えっと、『愛した女性に深く愛されていることを確信すると、
男性は最も強くなる』と」
牛 丸「雨宮、お前、なに勉強してるんだ?
ま、それよりだ、今からでもどうにかならないのか。
もったいないだろう。
ああ、もったいない、もったいない、もったいないよ。
なぁ、久利生。おい、まだ、電話中か」
公平、電話で田上と話しながら、
公 平「・・・そんな魔法だなんて、ハウルじゃあるまいし。
俺もホッとしました。人生の一大事に関わることでしたし。
渡辺さん、今から見えますよ、奥さんと一緒に。
・・・ええ、まだ、終わってないんです、このプロジェクト」
そこへ通りかかる遠藤。
遠 藤「そのとおり!まだ終わっていないの、このプロジェクト。
最後は俺が締めるよ」
牛 丸「おい、遠藤、それ、どういう意味なんだ?」
遠 藤「ビシッと行くよ」
意気揚々と学芸課を出て行く遠藤。
遠藤の勢いに釣られて後を追いかける牛丸。
● 再就職斡旋センター 田上の部屋
電話をかけている田上
田 上「久利生さん、遅ればせながら、
あなたのおっしゃっていたことの意味がわかりました」
● 美術館 学芸二課
電話をしている公平。
公 平「え?」
● 再就職斡旋センター 田上の部屋
電話をしている田上。
田 上「NHKの『ようこそ先輩』にご出演された時、
『芸術は遠回りする近道』と言われていたでしょう。
あの意味がわかりました。鮮やかに、ありありと。
心で・・・理解できました」
● 美術館 学芸二課
余韻を噛みしめるように電話を切る公平。
公 平「・・・さてと」
● 美術館実技講座室
電気窯で焼成した茶碗を掌の上で回しながら見ている遠藤。
それを覗き込んでいる牛丸課長と末次。
牛 丸「おお、夫婦茶碗かぁ。
なかなか味のある手びねりだなぁ」
遠 藤「でしょう?俺が指導しましたから」
牛 丸「お前が?」
遠 藤「そうですよぉ。久利生に土下座して頼まれたら、
イヤとは言えないでしょう」
末 次「あんなこといってぇ」
遠藤、茶碗を念入りにチェックしながら、
遠 藤「ま、それは冗談だけどね。
ちょっとはカッコつけさせてくださいよ。
今回ぜんぜん出番がないじゃない。
ああ、ほら、この景色なかなかいいじゃない。
これが、新しく出発するふたりってわけよ。
どう?」
二つの茶碗を台の上に並べてみせる遠藤。
牛 丸「そうかぁ。一度、すっかり壊して、
それから、自分自身を作り直したってわけか」
遠 藤「課長、今頃わかったんですかぁ。
あ、でも、べつに久利生は、
茶碗つくれってオーダーしたわけじゃないですよ」
牛 丸「じゃ、なんて?」
● 実技講座室 回想シーン
渡辺と多恵子を前にして、自分で粘土をこねつつ、
こんな風にしてくださいと手本を示している公平と横で見ている遠藤。
公 平「粘土の空気抜かないといけないんで、ま、こんな感じで、
こうやって、こうやって・・・」
公平に言われるまま、粘土をこねはじめる渡辺。
遠藤の声「ただ、ひらすら粘土をこねろって。
そしたら、渡辺さん、
無心でこねこねこねこねしているうちに、
意欲がわいてきて、
何か作りたくなったったんだって言ってました。
われら、ホモ・ファーベル!*
ホモ・ファーベル!」
* ホモ・ファーベル: ラテン語 ホモ・サピエンスなどの人間概念のひとつで、人間の本質は、ものや道具を作り、使用することにあるとするもの。
● 実技講座室
牛 丸「自発的だったとはなぁ」
横でうなずいている遠藤と末次。
末 次「そこが久利生さんの狙いですから」
遠 藤「久利生、言ってましたよ。
『土』にはすごい力があるって。
俺も同感です」
● 実技講座室 回想シーン
茶碗の形を自分なりに形成しようとしている渡辺と多恵子の二人。
失敗して笑う。
遠藤の声「最初、意味もなく、茶碗をガンガン割ってるうちに
今まで我慢していたものが噴き出してきて、
それを全部、吐き出してしまったそうですよ。
俺たちもやるといいかもなぁ。
何がカジノだ、馬鹿やろ〜って」
末次の声「その後で、スノウの作品を体験したら、
憎んだり、恨んだりしていたものが、
急にどうでもいいつまらないことに思えてきて、
憑き物が落ちたみたいにスッキリしたんだそうです。
それで、外に出てきたら、生まれ変わったみたいな気がしたって。
それって、スノウの思うツボですよね〜」
遠藤の声「そこ、日本語、間違ってるよ」
● 実技講座室
末 次「最後に、外で待っててくれた奥さんが、
今まで一番輝いてキレイに見えたって言ってました」
遠 藤「マジで?作ったでしょう、末次さん」
末 次「ホントですよ、本人に聞いてくださいよ」
● 美術館館内
学芸課から実技講座室へと向かう公平と舞子。
途中、掃除のおばちゃんに呼び止められ、こそこそ話をしている舞子。
舞 子「いつまで使うのか?・・・え、誰だろ。見てみないと・・・
すみません、久利生さん、先に行っててください」
公平と別れて、掃除のおばちゃんと奥へ消えて行く舞子。
● 実技講座室
公平がくると、すでに到着している渡辺と多恵子。
多恵子、公平に気づいて、
多恵子「あ、久利生さん、お世話になりました」
公 平「どうも。見ました?お茶碗」
渡 辺「ええ。白くて、なんか清清しいです。
これで、一番最初に何を食べようかって話してたところです」
公 平「そっか?おかゆに梅干かな」
多恵子「ええ?おかゆですか?それもいいですね〜」
公 平「そうそう、さっき、所長さんから電話ありましたよ」
渡 辺「そうですか。
兄には改めて、今回のことは報告しようと思ってます。
あ、それと、久利生さん」
公 平「ん?」
渡 辺「やっぱり、私には難しかったです」
公 平「え?」
渡 辺「ほら、あの、作品のタイトルを考えるっていう・・・」
公 平「ああ。浮かびませんでした?」
渡 辺「いえ、そうじゃなくて、その反対なんですけど、
いろんな感情があって、それをまとめるのがとても難しくて。
・・・もともとのあの光の筒の作品は、
なんていうタイトルなんですか?」
公 平「それは・・・」
そういって、末次に目配せする公平。
末 次「・・・渡辺さん、あれは、『天井戸』って・・いいます」
渡 辺「テンイド?」
多恵子「テンイド?」
末 次「はい。
漢字で書くと天井の『天』に、井戸を掘るの『井戸』です。
天から地上の人間に向かって掘られている井戸という意味で、
その井戸はあまねくすべての人に掘られているけど、
忘れてしまっている人が多い。
それに気づいてほしいという願いがこめられた作品です」
渡 辺「そうでしたか。いいタイトルだ。
・・・あの光に包まれた時、
なんだか、すごくありがたい気がして、
こんな俺でも生きてていいんだって・・・。
光が自分の中にどんどん入って、
満たされて行く感じがしました」
うなずいている学芸員たち。
牛 丸「呼び水ならぬ、呼び光というわけですな。
井戸から湧いているのは、一人ひとりの尊い存在、
人という宝のような存在ということなんでしょう」
遠 藤「おいしいとこ、もってく、もってく」
うなずく渡辺と多恵子。
● 美術館ファサード
茶碗の入った紙袋を提げた渡辺。
キョロキョロ辺りを見回している多恵子。
♪ エンディングテーマ
今回は、今は亡きジルベール・ベコーのシャンソン
「そして今は」
エンドロール 入る
多恵子「あのぉ、雨宮さんは?一言お礼を申し上げないと」
公 平「え?あ、そういえば、掃除のおばちゃんに・・・
掃除?・・・あ、ヤベッ」
公平、血の気が引いて、顔色が変わる。
牛 丸「おい、久利生、どうした」
遠 藤「あらら〜。もしかして、仮眠室、散らかし放題とか?」
末 次「あ!忘れてた」
公 平「末次さん、ちょちょちょちょ、ヤバイ、早く」
ものすごい勢いで美術館へ駆け込んで公平と末次、振り向いて、
公 平「渡辺さん、雨宮には俺から言っときますから。
すみません、失礼します」
あまりの公平のあわてぶりに笑いをこらえ切れない渡辺と多恵子。
牛 丸「なんといいますか、すでに尻に敷かれてまして」
笑っている多恵子。
● 美術館 仮眠室
テーブルの上に、カップ麺のカラだの、割り箸だの、
ティッシュペーパーだの、作品の平面図だの、ポストイットだの、メモ紙だの、
牛乳パックだの、ポテチの袋だの、バーガーの包み紙だの、チキンの骨だの、
タオルだの、ジャージだの、散らかし放題の部屋の中。
その中で腰に手をあてて、仁王立ちの舞子。
ゴミ袋をバサッと広げる。
舞 子「もぉ〜」
猛然と片付け始める。
そこへダッシュで駆けつけてくる公平と末次。
息が上がっている。
公 平「ハアハアハア・・・」
末 次「ハアハアハアハアハア・・・」
気配に振り向く舞子。
言い訳を始める公平。
公 平「し、しかたないじゃん、毎晩徹夜で作品仕上げてたんだから。
もう、クッタクタで」
公平の後ろから、おっかなそうに覗いている末次。
末 次「そ、そうなんです。つい、忘れてて・・・」
舞 子「忘れてただと?
もぉ〜、何日ほったらかしにしてるんですかぁ!
あ〜、きったな〜い、これ、トランクス?」
末 次「ぼ、僕じゃないですよ、久利生さん?」
公 平「ちがうって」
公平の顔めがけて飛んでくる枕カバー。
公 平「うあ」
ストップモーション
エンドロール 終。
テイトわんわん美術館
第3話 「クレイ・マジック」 終
つなぐNPO(特定非営利活動法人つなぐ) home