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水野 桂輔 keisuke mizuno

アートの渚レポート

 2003年8月10日、世田谷美術館にて「アートの渚」と題されたフォーラムが開かれました。このフォーラムは、同館で開催されいた「KALEIDOSCOPE-6人の個性と表現- 」展の関連企画、「こんな美術館、あったらいいな!- 美術館と市民社会-
」のプロジェクトの1つとして行われたものです。単なる収集や展示などに留まらず、多様化する美術館の方向性として「美術館が社会へ出ていく動き」と「外から市民が美術館を活用していこうとする動き」の2つに注目し、その波打ち際(=渚)における美術館の役割を考えるという趣旨でした。
 パネラーは観客側からみて左から、逢坂恵理子氏(水戸芸術館現代美術センター芸術監督)、高橋直裕氏(世田谷美術館学芸員)、杉浦幸子氏(ギャラリーエデュケーター・森美術館キュレーター)山本育夫氏(言わずと知れた、つなぐNPO理事長です)、光島貴之氏(造形作家)の5人です。中央が空間として残され、杉浦さんあたりが「渚」という配置のようでした(が、その空間としての「渚」に大きなプロジェクターをドンと配置するのは少々いただけませんでした…仕方ないのでしょうけど)。以下、各発表者の簡単な要約(+感想)です。

■逢坂恵理子氏
 「カフェ・イン・水戸」のお話が中心でした。この展覧会のコンセプトが「アートを介したコミュニケーション」であるためか(CAFEとは、Communicable Action for Everybodyの頭文字)、展覧会には地元の商店街の人々や学生たちが多くボランティアとして参加しています。具体的な内容については詳述しませんが、椿昇さん作の巨大バッタが出てきたり、かぶり物をしつつ似顔絵を描く大学の先輩が現れたり、まあ、いろいろです。水戸芸のプロジェクトには「人」がよく出てくるし、訪れていつも思うのは「子ども」が多いということです。元々は小学校の跡地だったということもあるのかは分かりませんが、「人の気配がする」プロジェクトを継続している点はやはり水戸芸の強みである気がします。
 近年の都市論で、持続的で創造的な「創造都市」という概念が注目されています。その根幹を成す「創発的コミュニケーション」のために文化芸術が重要とされているらしいのですが、水戸もそのようなモデルになっていくのでしょうか。この都市論が「芸術の持つ創造性」を自明の前提とすること自体に僕はいささか危機感を覚えるのですが、それを乗り越えたところに見えるヴィジョンに興味があります。

■高橋直裕氏
 「建築意匠学入門」と題した街歩きワークショップの説明でした。普段身近に接しているけれども、あまり意識することなく見過ごしている建造物や施設などを訪れてみるというものです。例えば銭湯を訪れた際は、絵師を実際に連れてきて富士山の壁画を描いてもらったり、参加者自身が描いてみたりします。
 街歩き系の活動といえば、知る限りではどうしても荒俣宏氏の『東京路上博物誌』(藤森照信らと東京の路上を観察し、例えば二宮金次郎マップなども作っていた)あるいは赤瀬川原平氏の「超芸術トマソン」を思い出してしまうのですが、参加者主体のコミュニティーをより意識させるワークショップという点で興味深いのかな、と思います。
 僕自身、思わず参加してみたくなるようなワークショップでした。ただ、ある程度の文化資源の存在が前提になっている点で、(ど)田舎出身の僕にはやや窮屈に感じられなくもなかったですが…。

■杉浦幸子氏
 「Arts for All Comitee」というNPOでの活動をメインに発表なさいました。「親子で行く美術館」という美術館利用に関する入門サイトを立ち上げ、学校との連携、ギャラリーエデュケーターの育成プログラムなどを作成・運営しています。ただ、こういった活動を前提に杉浦さんがおっしゃるには、人が美術と関わる間にはあまり立ち入りたくないというのが理想で、あくまでも間接的に、最小限のアプローチということでウェブサイトを選択したということです。(どちらが良い、悪いという話ではなく)人と人、人とものをつなぐというコンセプトを明快に打ち出す「つなぐNPO」の方向性とは好対照です。プログラム的にこれと比較できそうなのが、福岡校の中村淳子さんによる「ママと行く初めての美術館」というプログラムです。福岡校のページに詳しく載っていますので、ご興味のある方はどうぞご覧下さい。

■山本育夫氏
 ミュージアム雑誌『DOME』の説明に始まり、特に「観客の学校」中の「ミュージアムの通信簿/エヴァリュエーション・ツアー」と「勝手にミュージアム」に力点を置いてお話をされました。特に「勝手にミュージアム」に関しては、ミュージアム側が観客に対して制度(=一方的な鑑賞方法など)を持ち込みがちなことを批判しつつ、ミュージアム側の論理とのバランスこそが重要であるとおっしゃいました。(その関連でクボザイクさん+そのフリーペーパーなどが紹介されたのですが、隠れファンだった僕は本人を初めて目の当たりにし、かなり嬉しかったです。どうでもいいことですが。)

■光島貴之氏
 光島さんは視力を失っているにも関わらず、造形作家としてご活躍中です。お話の中で特に印象的だったのは、大阪でハンズオン作品を出した展覧会のことでした。ちょうどNHKの取材が入り、光島さんたちのことが紹介された映像を見せていただいたのですが、どうもNHK側が「視力を失った人たちが美術館に頼んで『触れる展覧会』を作り上げた」点に構成の比重を置いていたことに不満をお持ちのようです。つまり、光島さんが訴えたかったのは「健常者であるなしに関わらず、様々な鑑賞方法があって然るべき」ということでした。
 光島さんのお話では、視力を失った人でも表現として発信していくことが既に前提として話されていて、逆にNHKの例に見るように、(自分も含め)健常者の思考の方こそがワンステップ遅れているのかな、と考えさせられました。

■セッション
 山本理事長は「やはりコレクションを収集、展示するだけのミュージアムの時代は終わった」と念を押し、杉浦さんがそれを補足する形で、「博物館学でいう4つの機能全てを満たすのではなく、そのどれに該当するかという視点を持つべき」とまとめられました。
 多様なミュージアムヴィジョンが生まれる時代だと思います。例えば東大総合博物館の西野嘉章氏は、こういった流れにあえて警鐘を鳴らすかのように、コレクションの重要性を著書の中で説いており、賛否両論あるとは思うのですが、これもまた1つの考え方として肯定すべきものでしょう。
 高橋さんのコメントは剽軽かつ鋭く、山本理事長へのコメントで一言、「実は『勝手にミュージアム』をやっているのは私なんじゃないでしょうか(笑)」とのこと。
 また最後にちらりとおっしゃっていましたが、いずれにせよ、やはりこのフォーラムのコンセプト自体が既に美術館の「外」と「内」を区別してしまっていることの是非から考えていく必要性があると思いました。ミュージアムの内側、外側という区別こそが既に制度的な論理に陥っていること、そしてその制度としての「渚」を考えることの可能性はどのようなものなのかを様々に考えさせられます。自然と光島さんの力強い姿勢が想起されるのでした。

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