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村田麻里子 mariko murata

東京大学総合研究博物館
「真贋 のはざま」展 ギャラリートーク雑感   

 東京大学総合研究博物館では定期的に展示を行なっているが、 今回の「真贋のはざま」展にはいつになく来館者が多い。 博物館の来館者に関する勉強をしている私にとって、 そんな彼らの行動を眺めているのは非常に勉強になる。 これは、そんな中で起きたある印象的な出来事の話である。

 その日、展示解説担当だった私は朝から「総合研究博物館」の バッジをつけて展示室にいた。 昼過ぎ、5人のオジサン達が外の冷たい空気を運んで どかどかと入り口から入ってきた。 ウィンドブレーカーにズボンというラフないでたちの、 声の大きな元気なオジサン達だ。 入るや否やデュシャンの大ガラスを素通 りし (今回の目玉であるはずのこの作品は、案外無視されているようだ) 三体ならぶ医学部教授の小金井氏の像を取り囲んで、 「お前に似てる」などと大声でしゃべっている。 ボランティアさんの説明も彼らの声でかき消されてしまう。

 次に、源頼朝像とそのデジタル画像とが横並びになっているのをみて、 大きな声で「ホンモノはどれだ?ニセモノはどれだ?」と大騒ぎ。 ボランティアさんが困った顔をして私のほうにオジサンの質問を振ってきた。 そこで、私がバトンタッチし、このオジサン軍団を案内する役をおおせつかった。

 第2室は真作・贋作の科学鑑定をテーマとした部屋だった。 相変わらず「ニセモノはどれだ、ホンモノはどれだ」を連発。 ゴーギャンの作品が捏造だったと解説すると大喜び。 キリストの顔の彫刻が、鑑定の結果20世紀の木材を使用した贋作だった と説明するとまた「ニセモノか」と大喜び。 この展覧会は、単純に真作と贋作をテーマとしているものではなく、 そのはざまを考えてもらうことがテーマなので、 そういう解説を意図的にするのだが、 彼らの固定観念の前にはそんな努力もむなしい。 ドラマある素敵な贋作たちも、単なる「ニセモノ」に成り下がってしまった……。 結局この展覧会のメッセージは伝わらないのか、と思いながらも解説を続けた。

 しかし、そんな彼らにあるところから変化が見え始めた。 それはちょうど藤田吉香の模写3点の解説をしたあたりからだ。 画家にとって、名画の模写 は大切な勉強であることなどを話し、 「模写はオリジナルとサイズを違えて書くのが普通 ですが、 これは珍しく原寸大です。」との言葉に「ほーっ」と難しいうなり声。 ニセモノ、ホンモノで作品を見分けてきた彼らにとっては、 模写という存在はその概念に当てはめることができない存在だったのだろう。 そしていよいよ第三室に入る。

 赤瀬川原平の模型千円札を前に「通 貨及証券模造取締法」に 違反するとして有罪判決をうけた話をすると、 5人ですかさず国家権力とコピーに関して議論を始めた。 さらに天皇の御真影の前では昔の尋常学校の話を私にしてくれた。 彼らの知的好奇心が一気に爆発し始めたのは、この頃からだった。 その後も富岡鉄斎の真作・贋作の判定を投げかけると作品に見入り、 見事に真作をあてた。医学部の標本の展示では、 昔はこういう病気がよくあってね、とそれぞれの話を聞かせてくれた。 托卵(他種の鳥の巣に産卵し、抱卵させること)するうちに そっくりに進化した卵を前にする頃には、 「自然界では、複製は基本なんです」といっただけで、 皆深々とうなずくまでになっていた。 「うん、そうだよなー。」この頃には彼らの声のトーンも静かになっていた。 しかも、彼らは、展示を心から楽しんでいた。

 最後に藤村捏造石器のレプリカといういわくつきの一品を囲んで、 藤村さんという悲しい人物をつくりあげた今の考古学業界の体質を憂えながら、 彼らは帰っていった。

 ところが、後になって、彼らのあまりのうるささに怒って帰った人が 二人いたと聞いた。「こんな騒がせてよいのか」と ボランティアさんに文句を言い、 それでもボランティアさんが注意をしないとわかると カンカンになって出て行ったという。 展示室で注意を受けると人の好奇心や想像力はいっきにしぼむ。 だから私は敢えて注意をしなかったし、 実際、彼らは徐々に博物館の雰囲気になじんで落ち着いていった。 しかし、それではいけなかったのだろうか。

 帰った二人の言い分もわからなくはない。 しかし、である。たとえば家族で出かける博物館は、にぎやかだ。 その一方、美術館は子供も少なく、声をたててはいけない雰囲気が漂っている。 そうかと思うと、新聞社が主催するような超満員の美術展は 大人だけでもやたらとにぎやかだ。 このわけのわからない線引きは何なのか、と思う。 今回の展覧会は、展示としてはその中間領域にあるといえるが、 私が学芸員なら、目をきらきら輝かせて楽しんだ オジサン達のような人にきてほしい。 彼らは、絵に触ったわけでも、展示室で飲食をしたわけでもない。 ただちょっと、子供心に帰って興奮してしまっただけなのだ。 博物館が学びを重視する場であるならば、 こうした学びを大切にしたい。 この展覧会についてこんなにも考え、 自分の意見を聞かせてくれたオジサン達と、 怒った客をみてもなおかつ注意をしなかった ボランティアさん達の決断に小さな感動を覚えながら、 複雑な思いで帰路についた。

 

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