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清水 美帆 miho shimizu (デンジャーミュージアム)
チェ・キョンファさんに聞く、
「シンガポール美術館でのインターンを終えて」
2003年12月インタビュー
シンガポール美術館(SAM)にてインターンをしていたチェ・キョンファ(崔 敬華)さんにSAMの活動とシンガポールのアートシーンについて聞きました。
S(清水):まず、インターンをすることになったきっかけを教えてください。シンガポールに行こうと思った動機は?
K(キョンファ):2000年 ロンドンのゴールドスミス大学で美術史を勉強し始め、アジアの現代美術への関心を持つようになりました。そして、日本でもよく知られているシンガポール出身の現代美術作家、アマンダ・ヘンの作品について卒論を書くため彼女にコンタクトをとったのが、シンガポールへ行くそもそものきっかけとなりました。彼女とは幾度かのインタビューを通じて親しくなり、アジアでの仕事、あるいはインターンシップを探しているという話した際に、SAMに可能性があるかも知れないとアシスタント・ディレクターのメールアドレスを教えてくれたので、直接メールで連絡をとりました。
アマンダ・ヘン
Amanda Heng
≪アナザ ウーマン≫ (インスタレーションの一部分)
Another Woman (Part of the installation)
写真、サイズ20インチ x 30インチ
Photograph 20" x 30"
1996
撮影 アマンダ・ヘン
Copyright: Amanda Heng
S:SAMに最終的に行くことに決めた理由は?
K: SAMは、東南アジアの近現代美術のコレクションが充実しているということで興味がありましたし、ロンドンではなかなか情報が手に入らなかった、その地域の現代美術の状況を知るには良い機会だと思いました。他にもいくついか、東南アジアの美術館やギャラリーに問い合わせなどしてみましたが、インターンを受け入れる機関が見つからなかった一方で、 SAMは最低6か月から9か月という長期での受け入れをオファーしてきたということと、シンガポール政府から助成金を得られる可能性があったということが決め手になりました。
S:インターンの仕事内容はどのようなものでしたか?
K:経費の問題から美術館に人が足りないのが、私にとっては色々な仕事に携われる良い結果となったのですが、ファイリングからプロジェクトのコーディネート、展覧会の設営、作品運送、保険の手配などに携わることができました。中でも、ヨーロッパを巡回していた展覧会のマネージメントと、シンガポールの新進の若手作家をとりあげた「President's Young Talents 2003 (プレジデンツ ヤング タレンツ 2003)」 (PYT) 展のコーディネートは、プロジェクトの初めから関わっていたので、全体の流れを見ることができて良かったと思います。
―シンガポール美術館について
S:SAMはシンガポール唯一の美術館ですね。
K:政府機関である国立文化財局の管轄下にある3つのミュージアム(他の2つは国立歴史博物館とアジア文明博物館)の1つで、シンガポールで唯一の美術館でもあります。はじめは今の歴史博物館と合わさった形の、ナショナル・ミュージアムの一部でしたが、1996年にシンガポール美術館として新たにオープンしました。
S:シンガポール唯一の美術館であることによって生じる問題はありましたか?
K:東南アジアの近現代美術というと、かなりの広範囲、しかもまだ美術史が確立されていない国や分野までを網羅しなければならないので、プログラミングや作家/作品選びで困難が生じることがあります。それに比べ、キュレーターの数や彼等のリサーチの量は十分であるとはいえません。理由としては、予算が十分ではないということ、経験をつんだキュレーターが少ないという事などが言えると思います。他の問題としては、美術館の官僚的なシステムと態勢に批判があります。
S:美術館として、どのような研究活動をしているのでしょうか?
K:各キュレーターが各々の専門地域を担当していますが、研究活動は活発だとはいいにくいと思います。展覧会に関連してのリサーチは行われても、それに当てられる予算や時間は不十分なようです。もちろんキュレーターの中には、持っている広いネットワークを使って情報を取り入れ、その国のアートシーンに精通している人もいますが。
S:美術史が確立されていないエリアの美術を紹介していくということは、とても興味深いですね。美術史家や評論家にとって研究エリアが幅広く美術批評が活発になりそうな可能性を感じるのですが、そういう動向はありましたか?
K:シンガポールでは批評がさかんであるとは感じられませんでした、が、それに対して疑問や不満を抱くアーティストは多くいますし、活発化に向けて努力しているアーティスト、アート・アドミニストレーター、ギャラリストはいます。例えば、国際的にも有名なマシュー・ヌイは、現代美術についてのリサーチやディスカッション、その他プロジェクトを立ち上げる場を持つために、Singapore Contemporary Art Board(SCAB)の設立に向けて奔走していますし、若手のライターやキュレーター志望の人たちが増えてきつつあります。
S:所有している20世紀東南アジア美術のコレクションは、国際的に見てもかなり貴重なものがあると聞いていますが。
K:その数は5500点に及ぶ大きなコレクションですが、今の美術館の母体となったナショナル・ミュージアム、その後のSAM設立の際に、アーティストやコレクターから寄贈作品が多数集まったようです。東南アジアの美術で知られている美術館ですが、実はそのコレクションの数には、シンガポール・タイラー・プリント・インスティチュートが2002年4月に設立された際に、ニューヨークのタイラー・プリント・インスティチュートから買い上げたプリント・コレクションが約1500点ありますし、オーストラリアからの作品、特にアボリジニーの作家によるプリントのコレクションもこれから数をふやしつつあります。東南アジアのコレクションの中ではやはりシンガポールの美術に一番の 比重を置いていて、パイオニア・アーティストとされているジョウジェッテ・チェン、 リュウ・カン、チェン・ウェン・スィ、ン・エン・テンなどの作品の多くがこの美術館に保管されていますし、日本でも知られている現代美術作家のアマンダ・ヘン、マシュー・ヌイ、チェン・ケチャン、サレ・ジャパー、などの作品も数多くあります。他の東南アジアの中では、インドネシアとフィリピンのコレクションが充実しているようです。その他、これから中国のコレクションも増やしてゆく方針のようです。
S:コレクションに関して聞きたいのですが、管理はどのような形でされているのですか?
K:コレクションの半数近くは美術館に保管されていますが、価値が特に高い作品、大型の作品などは、3つのミュージアムすべてのコレクションが保管される文化財保存センター(Heritage Conservation Centre)にて保管されています。センターの管理設備はよく整えられていますし、美術補修者の育成にも力を注いでおり、海外へ留学派遣や海外からのインターンの受け入れも積極的です。コレクションの管理の問題点としては、データベースがデジタル化されておらず、キュレーターや研究者にとってコレクション全体が把握しにくい、作品の情報にアクセスしにくいということでしょうか。
S:近代美術から現代美術まで幅広いコレクションを扱っていますね。近代美術と現代美術を同一テーマの元で展示したりすることもあるのですか?
K:シンガポールの美術史を振り返るという「Picture Paints A Thousand Words」という去年(2002年)から今年の常設展では、1950年代から1990年代に製作された、シンガポールの代表的作家による作品が並びました。近現代美術をあるテーマに基づくキュレーションで見せるというスタイルの展覧会は未だないとおもいます。
S:展覧会の構成はどのような感じですか?
K:1階は常設展示、2階では企画展が開かれていますが、海外からの巡回展、最近はデザイン展なども開かれます。
S:現代美術の展覧会も多く開かれていますね。最近ではどういうのがありますか?観客の反応はどうですか?
K:国内外からビデオ作品を集めた展覧会や、その他には杉本博司の巡回展がありました。3月12日から5月中旬までは、「President's Young Talents Exhibition 2003」(PYT)という、シンガポールの新進の若手作家を取り上げる大統領主催の展覧会がありました。これは2001年に続く2回目の企画展なのですが、今年は4人の作家、タイ・カイシン、ツァイ・チェン・リム、フランシス・ン、そしてヒーマン・チョンが選ばれました。展示室に約7メートルのコンクリートの壁を作った大掛かりなインスタレーションのフランシス、映像インスタレーションのヒーマンとカイシン、それに展示空間として展覧会のカタログを使ったツァイ・チェンという組み合わせで、アート関係者やアーティスト達の反応は良かったのですが、一般のオーディエンスやメディアからの反響は大きくはありませんでした。いくつかのメディアによるインタビューはあったのですが、彼等の半分ぐらいが、作品について質問をするよりもまず、この作品にはどのくらいの資金がかかっているのか、どこから資金は得たのか、という質問をしたそうで、アーティスト達はがっかりしていました。
S:一般の人は美術に対して興味を持っているのでしょうか?
K:一般の美術に対する興味は、欧米や日本、あるいは他の舞台芸術などに比べると低いですし、現代美術となると風当たりはなおさら強い感じがします。しかし最近は小さいながらもローカルの作家を紹介するギャラリーも増え、中には若いコレクターを増やしてゆく目的で、作品の値段を低く設定したり、イベントを催すギャラリーもありますし、彼らに政府も助成をしているようです。シンガポール政府は、文化的砂漠と言われてきたレッテルを剥がすべく、文化事業や教育に力を入れ始めていて、美術に関する課外授業や美術学校の拡張などを進めています。それぞれの美術館、博物館も、子供向けの展覧会やワークショップに力を入れています。しかし、大学に美術史科や研究機関がないので、研究者の育成はまだ大きな課題として残っています。
S:美術館の予算が不足しているということでしたが、文化事業を拡張しているのに個々の機関に予算があまり与えられていないということなのでしょうか?
K:去年、劇場を含む大きなパフォーミング・アート・センターであるエスプレナーデがオープンし、その後にも、3つのミュージアムで一番人気の高いアジア文明博物館が6月にリニューアルオープン、今は国立歴史博物館が改装中と、国は確実に文化施設への投資は増やしてはいます。しかし一方で、その分美術館への予算を大幅に削ってしまったということは、美術への理解とサポートは不足しているのではないかと考えさせられます。
―「The President’s Young Talents Exhibition 2003」(PYT)展に関して
S:キョンファもスタッフとして携わった展覧会、PYTについて聞きたいと思います。これは2度目になるビエンナーレで、シンガポール人による現代美術を紹介するものですね。作家の選考は、美術館のキュレーターが行なったのですか?
K:毎回美術館のキュレーター一名を含めてのキュレトリアル・コミッティを組むシステムなのですが、今回は作家であるチュア・エク・ケイとマシュー・ヌイが選ばれ、各コミッティが推薦する若手の作家から、過去3年間の活動を焦点に選考を重ね今回の4人に絞り込まれました。
S: 展示の計画は、どのぐらい前から始まったのですか?第一回目のPYTとも作家数や作品の見せ方も随分変えたようですが長期のプランニングがあったのでしょうか?
K:日程などは一年前から決まっていましたが、初めてコミッティが集まったのは去年(2002年)6月です。その際に作家の数などを含むキュレーションについておおまかに討論しましたが、コミッティは作家の数を前回の10人から大幅に減らし、各作家に十分なスペースと予算を与えるという事で合意しました。4人の作家の名前が絞り込まれたのはそのずっと後の10月頃、ツァイ・チェン・リムの参加は、美術館側と作家相互の要求に折り合いがつくまで時間がかかり、2003年2月の初めにまで決定がのびました。
S:このツァイ・チェンと美術館との折り合いについて、もう少し教えてください。
ツァイ・チェン・リム
Tzay Cheun Lim
≪カタログ プロジェクト≫
Catalogue Project
2003
Copyright: Tzay Cheun Lim
K:彼の作品は、展示され見られるための対象を作るのでなく、公共空間や生活空間に仕組まれた装置のような作品を人々に発見させることが目的なので、美術館という展示空間は使えないということから展覧会カタログを使うというアイディアを提案してきました。しかしそこで生じるコストやリスクを避けたい美術館側はなかなかそれには応じず、交渉が長引きましたが、最終的にはなんとか作家の要望が受け入れられ、印刷業者やデザイナーとの交渉やミーティングも経て実現することはできました。
S:ここで意味する美術館側にとってのリスクというのは?
K:この場合は、キュレーターとアーティストのみならず、カタログのデザイナーと印刷業者との折り合いがうまくとれないと、カタログの完成が遅れたり余計に費用がかかるということです。なにせ完成まで時間がなかったので。あとは、展示室に作品を置かないということとその理由を美術館側は好まなかったようです。
S:彼の作品の面白さは、作品実現の過程に関わってくる人々との交流そのものが作品の要素となっているところ。つまり、美術館、印刷業者やデザイナーとの交渉が作品の一部となり、最終的な形に大いに影響を与えているところだと思います。
K: まさにそうです。理解を得るのに苦労をしたり、プロジェクトが完全に行き詰まりになったりすることもたびたびあるようですが、現代美術の捉え方を、少しずつでも自分の作品と活動を通して変えてゆこうという作家の意志の強さには驚きました。
S:美術館による作品内容に対する検閲はありましたか?
K:ありませんでした。が、大統領が主催する展覧会ということなので、作家のセレクションの段階から美術館は報告を行っていたようです。そういう意味では初めから美術館側に制御が働いていましたが。作品決定の過程では、キュレーターと作家の間でのコミュニケーションは重視されていましたが、そこにはトラブルが起きないようにという意図も少し感じらました。
S:挑戦的な展覧会は、難しいということですか?
K:難しいと思います。以前に、国家に対して皮肉った絵画作品がオープニングに参加した政治家にやぶられてしまうという事があったそうです。その当時にはそれは大きな話題になったのですが、もちろんそれ以降キュレーターはいわゆるお上の目に敏感です。美術館でなくとも、シンガポールでは挑発的な作品――例えばシンガポールの国旗を元にした絵画など――は検閲にかかって展示を止められてしまったり、アーティストやライターが国内での活動を禁止されたりもします。
S:べニス・ビエンナーレにシンガポール現代美術を紹介するパビリオンを設営して2回目のビエンナーレが今年(2003年)にありましたが、光州ビエンナーレ、ドクメンタ、福岡アジア美術館でのトリエンナーレと大規模の美術展にてシンガポールの作家による作品を目にすることも多くなりました。PYTもそうですが、国を挙げてシンガポールの文化を紹介していこうという動きというのも感じます。この辺についてどう思いますか?
K:まさにそうだと思います。PYTは、大統領の主催というハイプロファイルな展覧会を催す事で、国際的に活躍する若手作家を輩出するためのものですし、海外を巡回する展覧会も2000年から開始しました。つまり、アーティストもさることながら、美術館の認知度を高める目的も大きいようです。美術館や国立文化財局の他には、シンガポール芸術評議会という、国立文化財局の姉妹機関があり、アーティストの国内の活動と共に、彼等を海外へ送り出すための支援を行っています。
S:日本でもシンガポール美術を観る機会が益々多くなることでしょうね。インタビューありがとうございました。
チェ・キョンファ(崔 敬華):
1977年、兵庫県生まれ。ゴールドスミス大学(ロンドン)で、2000?2001年、サラ・マハラジやイリット・ルゴフ教授の元、美術史を学ぶ。2002年から2003年4月までシンガポール美術館で、インターンシップに従事し、その後、6月から9月まで南オーストラリア現代美術センターで、インターン、プログラム・コーディネーターとして滞在した。現在は国際交流基金アジアセンターにて、美術コーディネーターのアシスタントとして勤務中。2005年には、オーストラリアで日本とオーストラリアの作家を集めた展覧会を計画中。
デンジャーミュージアム:
1998年に結成されたアーティストグループ。アジアとヨーロッパの様々な国にて、他のアーティスト達との共同制作をし、発表してきた。多様な文化環境の下でアートプロダクションの行程や、その発信方法について探求している。最近の展示は、The Danger Museum、Space@inIVA(ロンドン 2002),そしてDanger Museum & Arve Rod、ノルウェー彫刻ビエンナーレ(オスロ 2003)。2004年1月〜3月にはソウルのSsamziespaceにて滞在制作を行う。現在はティエン・ウェイ・ウーン (シンガポール)、オィブン・レンバーグ(ノルウェー)、そして清水美帆(日本)の3人がメンバーとして活動。
http://www.dangermuseum.com
http://www.online-printhouse.com
インタビュー関連リンク
シンガポール美術館 http://www.nhb.gov.sg/SAM/sam.shtml
エスプラネード http://www.esplanade.com.sg/
04.02.17更新
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