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アートマガジンLR(エル・アール)

彦坂 尚嘉 naoyoshi hikosaka
+白川昌生+しいはらのぶひろ+中ザワヒデキ+山本育夫(今回の登場者)
mailto:dergruneheinrich@lycos.ne.jp

彦坂尚嘉さん、美術品観察学会メーリングリストで、
問題提起! その2

 

「試行錯誤を繰り返してたどり着いた今の地点では、私は呪術性を《退化》として否定 するのです。」(彦坂)

以下は、美術品観察学会のメーリングリスト(aw-ml)上で展開された彦坂さんの問題提起と、それに対するメンバーの応酬のようすを、それぞれの皆さんの了解を得た上で、転載したものです。相当長いものですので、何回かに分けて紹介します。

↓ スタート

01.7.25 8:00 AM/ひこさか/Elwood(hiko@ja2.so-net.ne.jp)さんは書きました

しいはらのぶひろ様

結局、長い時間を費やしてしまい・・ちょっと冷や汗かいているのですが、私としては 現代美術を見始めた頃の好きだった作家さんとこうやってコミュニケーションをとって いることを楽しくも、うれしく思っている次第です。

こちらこそ、率直なお返事で、たいへん楽しく、後味の良いコミュニケーションでし た。


私は、公明党員でも創価学会会員でもありません。日常的な宗教は、浄土真宗大谷派で 、政治的にはやや左派です。これは、差し障りないからかけるだけです・・・

了解しました。
私も檀家としては浄土真宗です。親鸞は好きです。結局、宮島達男さ んの署名運動を、 [aw-ml] で展開するように仕掛けたのは、しいはらさんだった訳 ですか。次に引用する部分を読むと、そう思えるのですが。

前回の私の発言の第一目的は、宮島氏のドキュメンテーションに関する情報を流すこと にありました。それは、このmlに美術に関する情報を出来るだけアップすべきである という考えによります。確かに、今回は関係者だったためドキュメンテーションを手に することが出来ました。しかし、このようなものを一般の人はなかなか手に入れること は出来ません。そこで、宮島氏本人から情報をくださいと誘導したのです。

しいはらさんが、誘導なされた事自体を、私は批判する気はありません. 署名問題に ついては、メイルをお出しした後、見つけて、かなりの数は見ました。
白川さんはつ ぎのように書かれていました。

From: Yosskw@a... Date: 2001年6月20日(水) 8:36pm

白川です。僕は宮島 君が学会員だと前から知っていました。
そのため今回の彼の提案にすこし戸惑いをお ぼえたのですが、直接かれにメ-ルを送り、署名はするがこれは公明党にではなく、 作家宮島たつをの提案に個人的に賛同するからだと、送りました。
はじめ誰も、かれ が学会員であって、平のそれではないことをMLでは言い出さないので、僕は言うべき か考えましたが、やめました。
やはりこの時期に、公明党が考えているのはきたるべ き選挙だったということです。政治活動と美術の関係は共産党のそれもふくめて僕は、 距離をおいています。公明党についても同じです。
ナポレオンが大好きな池田大作の 凡庸さになんの批判もなく、
賛美する学会の意識は理解出来ません。
宮島君とそれを むすびつけたくもないけれど、
かれは学会の看板作家です。


宮島達男氏が創価学会員であることは、山本リンダや、黒人歌手のティナ・ターナー がそうであるように有名な事で、 私も知っていました。
創価学会のメンバーは、公称 800万人ぐらいでしたから、10人に一人よりは少ないけれども、どこにもいると 言われています。もちろん美術界にも、美術館にも。
だからこそ、隠すのではなくて、 ご自分からハッキリと情報公開して、創価学会会員で、公明党党員ではあるが、
一党 派や、一宗教の政治的利害としてではなくて、アーティストとして、日本の現状を良 くするために、動きたいのですと、
誠心誠意を込めて、発言して欲しかったと思いま す。
その場合には、どうしても、
勇気あるカム・アウトが 必要でした。
そのことの 必要性を、三輪さんは次のように書かれています。

From: ANA60941@n... Date: 2001年6月30日(土) 3:11am Subject: Re: 文化・芸術基本法について

しかし実は私は、今回呼びかけられた署名に参画しませんでした。それはやはり、公明党という特定の党名と創価学会という組織が見え隠れして、疑念を拭い去ることができなかったからです。目的と手段ということがあります。目的の正しさは よくわかる。でも手段あるいは手続きとして疑念が残るようでは、署名した者としてそ の署名がもたらす結果に責任をもつことができない、そのことが躊躇する原因となりま す。
今日、宮島様からのメールを読ませていただいて、とても感動しました。ほんとうに、 胸が熱くなりました。私は今回の署名に参画しないという自分の判断が間違っていたことを認識しています。宮島様の気持ちを正しく理解していれば、あるいは協力すること ができたかもしれません。
残念だったのは、呼びかけの段階で宮島様の立場、公明党と創価学会との関わり方、署 名した人間が置かれる立場についてのきちんとした説明がなされていなかったことです 。
一般に署名活動というのは、ひとたび署名をしてしまうと、あとは自分の関知しない ところで自動的にある経過をたどって話が進んでしまうので、目的には手放しで賛同していても、手続き上の不安から署名できない、ということがあるのです。手続き、あるいはプロセスの問題はとても重要です。

問題なのは、何人もが「宮島達男が創価学会だ」と知っているにもかかわらず、それ を公表しないで署名運動をしたときに生じる不信感を、事前に読みとる事をしないで 動く宮島達男氏のその浅い政治性が問題なのです。
この浅さは、創価学会という政党 の政治性の浅さではないでしょうか。 彼らは、ほんとうに日本の芸術構造の構造改革を考えているのでしょうか?
深い構造 で、今日の芸術や、コミュニケーションを考えているのならば、宮島達男氏のような、 目先だけの行動をするはずがないと、私は思います。 こ
のことの疑惑は しいはらさんや白川さんがすでに次のように指摘していました

From: kalon@l. Date: 2001年7月5日(木) 4:49am
Subject: Re: [aw-ml] 文化基本 法に2001

全面 広告と言い、公明党は今度の選挙を文化基本法で戦うのは明瞭でしょう 。17人の候補のうち、5人が芸術家というの、他の政党と比較しても突出しているのです。
ならば、そういう議員を名簿順位上位にしてもらわないと、説得力がないと思っ てしまいます。  しいはらのぶ ひろ

From: Yosskw@a... Date: 2001年7月3日(火) 7:10am
Subject: Re: [aw-ml] 文化 基本法に2001
受信日時: 01.7.3 4:15:47 AM、

kalon@l... からの引用:白川です。
しいはらさんの提案に同意です。すでに家の近くの公明党、学会の人が訪ねてきて、会 に入ってくれないか、、選挙もある、、、僕がいなかったし、家内は断ったと言っていました。そいういう末端のところでは「文化基本法」についてはほとんど話がでていな いようです。芸術家を議員の代表にして、姿勢、一貫性をはっきりとさせてほしいです 。そうでなければ、公明党の政策、姿勢が明解ではなくなりますね。それと署名をした 多くの非学会員-作家の声が消えてしまいます。

選挙戦目当ての付け焼き刃ではないのか?
という疑いはあります。すでに、この前の メイルで述べましたように、私は創価学会の友人もあり、歴史的に、敗戦後の日本社 会の中での創価学会の成立と巨大化の必然を認める者です。
ですから私は、一概に創 価学会に敵対し批判する者ではありません。が、公明党の、このたびの芸術政策が、 単なる選挙目当ての、あめ玉政策の、浅い構造の政策なのか、
それとも深くまで達す る、根本的な芸術の《構造改革》足りうる政策なのかを見分ける視点は、その公明党・ 創価学会の、初期の活動や政策に根拠を持っているかどうかを、調べてみる事です。
「初めにすべてありき」という原則から言えば、本質は初期にあるのです。公明党・ 創価学会の初期に、芸術を問題にする視点の萌芽を見いだせれば、彼らの主張は本気 で、深いものがあると信じて良いと思います。
ですから、その歴史を、事典で振り返っ てみましょう。

島薗進「創価学会」(『戦後史大事典』三省堂 1991 ¥13500)544頁
創価学会は、教育者であった牧口常三郎(1871〜1944)が日蓮正宗に入信し、みずから の教育理論と日蓮正宗を重ねあわせたときに成立した。
日蓮正宗は日蓮の高弟、日興 が富士山麓の大石寺を拠点としておこした日蓮宗系の少数派で、大石寺にある「大御本 尊」こそ日蓮が唯一最高の本尊(題目の七字とその周りに神仏の名を配し曼陀羅)として 後世に残し、全人類の救いの源泉となるものだと信じる一派である。
一般に日蓮宗には 排他的な傾向があるが、この派はとくにそれが強く、他教・他宗をきびしく否定する。
1930年(昭和5)ころから牧口常三郎はこの信仰と、生徒自身がみずから効果 を確認し つつ日常生活に役立つ知識や能力を身につける「価値創造」の教育の考え方とを結びつける。そして、正しい信仰に則った「大善生活」の成果 について話しあう「生活革新実 験証明座談会」を組織した。これが創価学会(敗戦前は創価教育学会)のはじまりである 。
下からの行動的参加と話しあいによる結合は、伝統的な大石寺の信仰に牧口がつけ加 えたものである。創価教育学会は1943年、伊勢神宮大麻の拒否などの理由で弾圧を受け ていったん解体し、牧口は獄死する。
戦後、これを再興したのは戸田城聖(1900〜58)である。戸田は「生命論」を説くとともに、大御本尊による御利益と、折伏とよばれる攻撃的な布教を徹底的に強調し、急速 に教勢を拡大させた。
戸田の死後、池田大作会長の時代になっても成長はやまず、70年には公称750万世帯と なり、ほぽピークに達する。このころまでの創価学会は日蓮正宗が国民に広まることすなわち「広宣流布」を、そして最後には国家の中心となるべき授戒の場、「本門の戒 壇」を建立することを目標として掲げていた。55年以来の政治進出(やがて公明党結成) の主たる動機も戒壇建立にあった。 1960年代の後半以後、運動の目標は大きく修正される。1969年・70年の言論妨害事件を契機に政教分離を明確化する一方、1972年の大石寺正本堂の完成をもって「本門の戒 壇」の実現とする。他方、海外布教に力を入れるとともに、第三文明・仏法民主主義な どの理念によって多様な社会運動、平和運動、文化運動を展開していくのである。

さて、この創価学会の歴史の中に、日本の芸術政策の構造を変えていく萌芽が内包さ れていると考えるのか、それとも、それは無いと考えるのか、それは人によって違う でしょう。意見は分かれると思います。
問題なのは、では宮島達男氏が、創価学会会員であり、公明党党員であると、最初か ら言って、この署名運動を提案してきたときに、山本育夫さんはどう判断し、この [aw-ml] は、どう対処するのでしょうか。政治や、宗教に関する活動は禁止ですと言っ て、お断りになるのですか?
もしそうするとすると、署名して、その後も肯定的に考 えられているメンバーの気持ちはどうなるのでしょうか。LRを手伝っている中山さ んは、次のように述べられていました。

From: yukari@m... Date: 2001年6月23日(土) 0:47am Subject: Re: [aw-ml] 署名

私も、宮島さんの書かれた趣旨に賛成するところがあったので、署名しました。むろん 法律として通るまでには紆余曲折があるでしょうし、政党間の駆け引きもあるでしょう が、何人かの方がおっしゃっていたように、とりあえず提案することが大切だと思いま したし、また、宮島さんが美術家として熱意をもって取り組んでいるように感じたからです。(中略)
ところで、私はけっこう見逃しているメールがあるようなので、間違っているかもしれませんが、「特定の政党や宗教活動に関わるメールはやめましょう」と 管理人から明記があったのは、数日前が初めて(あるいは久々?)のような気がします 。
MLのしくみはよく知りませんが、新しく入るメンバーに、参加するにあたって最低 限のルールを自動的に伝達する方法はないのでしょうか? もちろん活発・自由な討論 や情報提供をできるところがこのメーリングリストの良いところではありますが、例え ば「匿名」のことなどのように、ある程度のルールは想定されているのだと思いますし 、今回もメンバーそれぞれで意見がわかれているように、どこまでメールで書いて出し ていいのかの判断も、やはり人それぞれに差があるようです。もし「このMLでは政党 > 活動は駄目」とはっきり最初から伝達されていれば、今回も、もう少しちがった形で提 案がなされたかもしれないと思います。

「このMLでは政治活動は駄 目」という設定が必要な事は分かりますが、そうすると、 何かがおかしくならないでしょうか。
実は私は、以前から、美術界代表の国会議員を 一人出す必要を言ってきました。秋山祐徳太子氏でも良いし、関根伸夫氏でも良いと 考えてきました。あるいは山本育夫さんでも良いのです。
実際に、当選するに越した事はないですが、落選しても、少なくとも、自前の候補者 を立てて、芸術行政の構造改革を主張していかないと、日本の美術は成長する事がで きないのではないでしょうか?
しかし、「このMLでは政治活動は駄目」と決めれば、 もちろん自前の政治家を立てていく事もできなくなります。それはそれで、今のまま ですが、政治の外で、無菌状態で議論をする事になります。                          
彦坂 More Better なおよし

01.7.25 1:43 PM/Nobuhiro SHIIHARA(kalon@lit.tamagawa.ac.jp)さんは書きました

彦坂様

了解しました。私も檀家としては浄土真宗です。親鸞は好きです。結局、宮島達男さ んの署名運動を、 [aw-ml] で展開するように仕掛けたのは、しいはらさんだった訳 ですか。

いえいえ、3月に宮島さんに会って話をしたことがあるのですが、国際交流基金の 悪口はいいあったけど、公明党の政策の話など全くしませんでした・・笑・・
前回の私の発言の第一目的は、宮島氏のドキュメンテーションに関する情報を流すこ と にありました。それは、このmlに美術に関する情報を出来るだけアップすべきであ るという考えによります。確かに、今回は関係者だったためドキュメンテーションを手 に することが出来ました。しかし、このようなものを一般の人はなかなか手に入れるこ とは出来ません。そこで、宮島氏本人から情報をくださいと誘導したのです。  
これ読むと、宮島親派みたいですか?  
この作家が、別に彦坂さんでも、堀さんでもいいのですよ・・・  私は、日本において自らの仕事のドキュメンテーションを残していくということに 関しては、川俣正さんほど優れている人はいないと思っています。コールマイン田川 の記録をみるとつくづくそう思うのです。そして、それらは彼の事務所に連絡すれば 購入できるものが多いのです。  
一方、国際交流基金が発行した今回のドキュメンテーションは、ただ美術関係者だ けの秘匿物として扱われてしまうのだろうか?そんな疑問を感じて、宮島さんに質問 しただけの話です。

しいはらさんが、誘導なされた事自体を、私は批判する気はありません. 署名問題に ついては、メイルをお出しした後、見つけて、かなりの数は見ました。白川さんはつ ぎのように書かれていました。  

だから、誘導なんかしてないって・・・僕には公明党を支援する理由もなにもない のですよ・・・だから、署名もしていません。 ところで、一連のことを家内に話をしたら、自分と柿の木プロジェクトの関係につ いて誤解が生じないようにしてくれといわれました。家内が関わったのは、谷中コミュ ニティセンターに柿の木を植えるプログラムで、このプロジェクトの比較的初期のも のです。そのときのドキュメンテーションは、ヴェネチアビエンナーレでも展示され ましたし、水戸芸術館における柿の木プロジェクトの展示の際には、彼女と娘の写 真 も会場に飾られ、谷中でのプロジェクトについて説明もしました。
しかし、彼女自体 は、柿の木プロジェクトの実行委員ではなく、その場における参加者にすぎません。 被爆した柿の木の二世を植樹して平和について子供たちと考えるというプロジェクト 自体は、子供たちにとって色々なことを考えさせる良いプログラムなのです。問題は、 この活動をアートという枠組みで行うことの意味です。  
谷中コミュニティセンターに植えられてある柿の木について、これは柿の木プロジェ クトというアートによって植えられたという説明書きは一切ありません。これは、柿 プロの関係者からしたら納得行かないものかもしれません。しかし、現場現場ではそ れをアートであるか否かなど問題にすることは出来ません。もし、そこに柿プロの作 品であることが明記されたら、それこそ、近代的なアートを支えてきた制度が、暴力 的に街の中に割り込んでくるののかもしれないのです。その柿は、みんなで共有し、 ある主体的なものの力から独立しているのです。  
モダニズムのアートはアーティストという主体によって明確な作品を残すことで成 立してきた物といえるでしょう。しかし、その作品概念は曖昧になるばかりです。私 は、柿の木プロジェクトをそういった曖昧になったアートワールドを象徴するものと 捉えています。もっとも、依然として宮島達男の作品と思われがちですが、その宮島 性がまったく払拭されたとき、このプロジェクトは成功したといえると思っています。  
これは、川俣正のコールマイン田川とは全く別の次元の話です。どちらも、アート と市民が関係性を構築していくことで成立する物でしょうが、川俣正という強力な主 体は堅固です。あれは、モダニズムなのです。  
一方、原爆とか平和といったテーマを内在する柿の木プロジェクトは、誰もがそれ に共感しうるように仕組まれないと成り立たないでしょう。田川に鉄塔をつくること は、好きな人がやっていればいいけど、原爆とか平和となると、好きな人がとはいっ ていられなくなるのではと思うのです。  
ただし、ここで単なる平和運動にならずにアートであることを堅守するためには、 川俣よりモダニズムを極めなければいけないのかもしれません。コスースのように、 トートロジーを提示する必要がある。植えられた、柿の木は柿の木以外のなにもので はないのです。柿の木にアートという意味を付与することからも、柿の木に平和のシ ンボルという意味を付与しようとすることからも、独立すること。そういう仕組みが 出来るとき、新たなアートの可能性を見いだすことが出来るのではと思っています。  
確かに、なぜ最後になってアートと言う言葉を使わなければいけないのか?そんな 疑問が生じるかもしれませんが、そのことはまた考えることにします。  
しいはらのぶひろ

01.7.25 2:01 PM/Nobuhiro SHIIHARA(kalon@lit.tamagawa.ac.jp)さんは書きました

しいはらです。ひょうきん族の説明がボロボロなので書き直します。。

この「退化」は、同じ時間帯にやっていたドリフターズの全員集合の方に顕著だっ たと思います。ビートたけしのタケチャンマンと戦う、明石家さんまのブラックデビルというキャラクター間の戦いは、確かに安易な幼児向けキャラクターでしたが、サ ラリーマンというキャラクター(さんまが眼鏡をかけたうだつのあがらないサラリーマンに扮して、部長の悪口をいうというような攻撃をしていた。)というか、ラディ カルな笑いを追求する方向性に対して、資本がうまく取り入っていったという感じで しょうか・・・ツービートの漫才は  この「退化」は、同じ時間帯にやっていたドリフターズの全員集合の方に顕著だっ たと思います。  
ひょうきん族では、ビートたけし扮する「タケちゃんマン」が人気だったのですが、 それは、明石家さんま扮するブラックデビルなどとの壮絶なほどくだらない戦いが受 けたのでしょう。ところで、ブラックデビルの後、サラリーマンというキャラクター が登場しました。それは、さんまが眼鏡をかけたうだつのあがらないサラリーマンに 扮して、部長の悪口をいうというような攻撃をするというもので、とてもシュールな 設定だったのです。しかし、そういった設定は子供にわかりづらいため、何ですかマ ン、あみだばばあ、といったわかりやすいキャラクターに変わっていったのです。  
ひょうきん族では、当時人気があったTBSのザ・ベストテンをシミュレーション したひょうきんベストテンという歌番組のコントもありました。たとえば、マイケル・ ジャクソンのスリラーをヒョウキンダンサーズがシミュレートするのですが、松尾貴 史(キッチュ)の大島渚同様、どちらが本物でもいいような印象を持ちました。  
しかし、そういったシミュレーショニズムは、すべてバブルへ高まっていく、経済 的繁栄の裏付けにおいて成立していたともいえるような気がします。ですから、あの ときのリアリティなんて虚像だったのでしょう。
しいはらのぶひろ

01.7.25 8:18 PM/kubozaik@rainbow.plala.or.jp(kubozaik@rainbow.plala.or.jp)さんは書きました

ひこさか様 はじめまして!窪田修(くぼたおさむ)と申します。 クボザイクという名がこのaw-mlの中で浸透させて頂いているので、 窪田改めクボザイクで投稿させて頂いてます。 自分は、美術では食べていけない自称「派遣社員アーティスト!」です。 (今風でかっこいい!かな?) 決して反論という訳ではなく、おそるおそる自分の意見をのべさせて頂きます。 次の文章について 自分の意見をおそるおそる書きます。

「このMLでは政治活動は駄 目」という設定が必要な事は分かりますが、そうすると 、何かがおかしくならないでしょうか。実は私は、以前から、美術界代表の国会議員を一人出す必要を言ってきました。秋山祐徳太子氏でも良いし、関根伸夫氏でも良いと 考えてきました。あるいは山本育夫さんでも良いのです。

実際に、当選するに越した事はないですが、落選しても、少なくとも、自前の候補者 を立てて、芸術行政の構造改革を主張していかないと、日本の美術は成長する事ができないのではないでしょうか?しかし、「このMLでは政治活動は駄 目」と決めれば 、もちろん自前の政治家を立てていく事もできなくなります。それはそれで、今のままですが、政治の外で、無菌状態で議論をする事になります。                      

美術関係者から国会議員を出すことが必要という事は、練馬区立美術館の横山さんも あいだの講座「美術館の危機を語り尽くす」の2次会の席でおっしゃっていました。
しかし、しかし自分の意見はこうです。 美術関係者代表として国会議員を出すのも、もちろん一つのやり方だと思いますが、 そのやり方で文化、芸術を援護する法案が通ったとしても、美術関係者以外の人 (美術をさほど必要ではないと思っている人)はどう思われるでしょうか?
それに、 国会議員の偉い人達の中にぽつんと美術の必要性を主張する人を送り込む事は、 国会議員の人達にすごくいじめられるだろうし(または利用されるかも?)、 美術関係の代表という責任感や美術関係者の無責任な期待感を背負うことに なると思うので、生半可な気持ちではダメだと思うのですが・・・・ ですから、美術関係の政治家が必要と主張されている方はご自分が立候補されるか、 立候補する人と心中するぐらいの心構えが伝わると説得力がよりあると 思うのですが・・・・・すいません。生意気に書いてしまいました。
自分の考えは、やっぱり市民が一人一人語れる場があり、そこで認識を高めてもらう やり方を取っていきたいと思います。 (代表者を送り出してその人に任せるのではなく、一人一人が主張して一つの事を 作り出して行くほうが自然だと思うのですが・・・・・無理ですかね?) とっても理想論で、もたもたしそうですが、僕はどうも偉い人が上から市民を先導 するようなやり方がいいとは思えません!(ただ、美術の問題を国会議員に意識 させるだけにしても同様で) 美術に興味を持たない人に「美術って以外と面 白い!」って事をいろんな方法で 宣伝する方が、まだ良いと思います。 そうする事によって自然に社会に入り込めるのではないでしょうか? 本当にすいません!何も知識がないし実績もない人間が偉そうに語ってしまいました。 あくまでも、知識も苦労もあまりしてない人間の一つの意見として読んでください。 (いろいろな活動をされている人から見ると生意気なヤツにしか取れませんよね! 活動して苦労されている方には本当に申し訳ないです!) 異論、反論、賛成などあれば、(私メールでもいいので)ぜひ是非ください! 個人的にも一人一人の意見が聞きたいと思います! 僕個人の意見は、出来るだけ多くの人達でこういった問題を語るのは、 「いま絶対必要!!!」だと思いますよ! もしそういった話し合いが出来るなら飛んででもメールくだされれば行きます! ぜひみんなで一度話し合ってみてはどうでしょう?       

□■□  □■□   ■□■   ■□■      □■□   □■□   名前     窪田 修〔くぼた おさむ 〕 □■□   ■□■  メールアドレス kubozaik@rainbow.plala.or.jp ■□■    ■□■   ■□■      ■□■        ■□■

01.7.25 9:52 PM/ひこさか/Elwood(hiko@ja2.so-net.ne.jp)さんは書きました

[aw-ml] の皆様 Artistの彦坂 More Better なおよしです。
この会に入れていただいてすぐに、山本育夫さんから導入部ということで、しいはら さんのメイルが部分的に引用してですが送られてきました。内容は「堀浩哉批判」で あったということもあって「私の仕事ではない」と思って堀氏へのメイルの転送を考 えたのですが、この [aw-ml] は転送を禁止しているで、それもできず、面 倒くさい から無視しようかなとも考えたのですが、何しろ山本育夫さんとも間接的なおつき合 いを含めると30年近いものがあるので「逃げるとまずいな」と思って引き受けまし た。
何しろ、子供にも「逃げてはいけない」と教えているのです。「自動車を運転し ていて人をはねてしまっても、起きてしまった人身事故はしかたがないけれども、そ の事故の責任から逃げてはいけない。逃げれば事故ではなくなり、犯罪になる。社会 性を失ってしまう。だから逃げるな」と子供に教育しているのです。
そういうことも あって、あきらめて、しいはら氏へのメイルの下書きをし出したところに、ご本人か ら直接にメイルをいただいて、それで、長文の執筆になりました。 無視して読まずに削除してくださった多くの方は賢明であられたわけで、読んでくだ さった方には、へきへきとする彦坂節で、ご迷惑、ご不快をおかけしたと思います。
ずいぶん気をつけて書いているのですが、それでも生まれも育ちも悪いので、ついお 里が知れる地金が出たのではないでしょうか。ご不快を与えたところは謝罪いたしま す。また、まずいところがあれば、匿名で結構ですからご批判ください。内容によっ ては取り消したり、謝罪したり、弁明したりいたします。 さすがに私もくたびれましたが、しかし しいはらさんとのコミュニケーションは面 白かったです。 [aw-ml] の魅力の一端に触れた思いがします。 [aw-ml] はコミュニ ケーションのエンターテイメントですね。

Date: 2001年7月25日(水) 2:01pm Subject: ひょうきん族 9From: 彦坂 hiko@j.本メイル『柿の木プロジェクト』について

しいはら様

これ読むと、宮島親派みたいですか? いえいえ、3月に宮島さんに会って話をしたことがあるのですが、国際交流基金の 悪口はいいあったけど、公明党の政策の話など全くしませんでした・・笑・・ だから、誘導なんかしてないって・・・僕には公明党を支援する理由もなにもない のですよ・・・だから、署名もしていません。

了解しました。 「署名もしていません」というのは、驚きました。 でも、こうして聞いてみるものですね。 ハッキリとお聞きするのと、しないのでは、印象がまるっきり違います。

■柿の木プロジェクトについて   ところで、一連のことを家内に話をしたら、自分と柿の木プロジェクトの関係につ いて誤解が生じないようにしてくれといわれました。家内が関わったのは、谷中コミュ ニティセンターに柿の木を植えるプログラムで、このプロジェクトの比較的初期のものです。そのときのドキュメンテーションは、ヴェネチアビエンナーレでも展示され ましたし、水戸芸術館における柿の木プロジェクトの展示の際には、彼女と娘の写 真 も会場に飾られ、

なるほど。 写真は在日フランス人の写真家フランク・ロビションさんですか? 私は彼と友達で、 彼の個展を企画した事があります。

谷中でのプロジェクトについて説明もしました。しかし、彼女自体 は、柿の木プロジェクトの実行委員ではなく、その場における参加者にすぎません。 ああ、そうでいらっしゃったんですか。被爆した柿の木の二世を植樹して平和について子供たちと考えるというプロジェクト 自体は、子供たちにとって色々なことを考えさせる良いプログラムなのです。

それは、そう思います。

問題は、この活動をアートという枠組みで行うことの意味です。 谷中コミュニティセンターに植えられてある柿の木について、これは柿の木プロジェ クトというアートによって植えられたという説明書きは一切ありません。

1970年に セラが、鉄の環を上野公園に埋めたときも、説明書きはありませんで した。余談ですが、セラの『鉄の環』を埋めるのを手伝っていたのが新潟の前衛集 団GUNの堀川紀夫さんや、精神生理学研究所の主催者・稲憲一郎さんたちでした。言 うまでもなく写真を撮影していたのは安斎重男氏でした。
そういう意味で、今回の宮島達男氏の『柿の木プロジェクト』で、木を植えるのを手 伝っていたのが、しいはら氏のおくさまであり、写真を撮っていたのが(たぶん)フ ランク・ロビションさんであったという事になる。
ボイスの『樫の木プロジェクト』ではどうなのか知りませんが、おそらく《説明書き》 は無いのだろうと思います。 私なんかが、宮島達男氏の『柿の木プロジェクト』で一番気になったのは、ボイスの 仕事の亜流だと言う事です。
『美術手帖』のヴェニス・ビエンナーレ特集で色々な海 外の人に意見を聞くアンケートのような欄でも、多くの人がボイスとの関連を指摘し て「それでも、まあ、良いでしょう」という反応でした。私は、堀浩哉氏のように批 判するだけの熱意もなく、まったく見る気も起こらず、興味がもてませんでした。
まあ、そのことは置いて、こういう「説明書きは一切ありません」という方向性とい うのは、一つの流れなんですね。 ここでは、作品という枠組みすらが揮発してしまっていますね。

これは、柿プロの関係者からしたら納得行かないものかもしれません。しかし、現場現場ではそれをアートであるか否かなど問題にすることは出来ません。もし、そこに柿 プロの作品であることが明記されたら、それこそ、近代的なアートを支えてきた制度が 、暴力的に街の中に割り込んでくるののかもしれないのです。その柿は、みんなで共有 し、ある主体的なものの力から独立しているのです。

なるほど、「主体的なものの力から独立している」という言い方は刺激的です。 この「主体的なものの力」を生み出したのが、デカルトのコギトでした。 「我思う故に、我あり」というコギトは、巧妙な転倒構造でした。 ほんとうは「我あり」、ゆえに「我思う」という順番であるにも関わらず、それをデュ シャンが既成の便器を逆ささまにして「泉」という作品にしたのと同様に、「我思う 故に、我あり」と、既成の自我を逆さまにする事によって、自我そのものが「泉」の ように作品となり、それが近代の《主体》の誕生ということでした。
近代というのは、 この《主体》の破壊力が支配する時代でした。今起きている事は、このコギトを再度 転倒させる事なのでしょうか? そうすると、作品であった「泉」は、再び普通 の便 器にもどる? 同様に《主体》は、再び普通の人格にもどる? 問題は、非可逆性でしょう。宇宙は膨張し続けて戻らないように、私たちの文明も膨 張し続けて戻らない。

モダニズムのアートはアーティストという主体によって明確な作品を残すことで成立 してきた物といえるでしょう。しかし、その作品概念は曖昧になるばかりです。私は、 柿の木プロジェクトをそういった曖昧になったアートワールドを象徴するものと捉えて います。

なるほど。 こういう解釈は、宮島さんの作品よりもずっと面白いですね。

もっとも、依然として宮島達男の作品と思われがちですが、その宮島性がまったく払拭 されたとき、このプロジェクトは成功したといえると思っています。 これは、川俣正のコールマイン田川とは全く別 の次元の話です。どちらも、アートと市民が関係性を構 築していくことで成立する物でしょうが、川俣正という強力な主体は堅固です。あれは 、モダニズムなのです。

なるほど。 私は、越後妻有の川俣正さんのプロジェクトは見ましたが、あそこでのトートロジー 理論へのもたれかかりは古すぎてひどかった。実作業に追われていて、理論展開の作 業をする暇は無いのでしょうが、しかし現代美術におけるトートロジー理論という流 れも、30年以上の展開の中でバージョン・アップが追求されてきているのであって、 その30年間が消えてしまうと、同じと言うよりも、30年前に退化してしまったよ うに見えました。その建造物は作家のものと云うよりは造形屋という業者の仕事でし た。 もっとも、若い友人のBゼミ所長の小林晴夫さんは、そういう川俣さんを高く評価し ていました。まあ、もう少し様子を見ないと最終的な評価は確定できないでしょう。

一方、原爆とか平和といったテーマを内在する柿の木プロジェクトは、誰もがそれに 共感しうるように仕組まれないと成り立たないでしょう。田川に鉄塔をつくることは、 好きな人がやっていればいいけど、原爆とか平和となると、好きな人がとはいっていら れなくなるのではと思うのです。

なるほど。

ただし、ここで単なる平和運動にならずにアートであることを堅守するためには、川 俣よりモダニズムを極めなければいけないのかもしれません。コスースのように、トー トロジーを提示する必要がある。植えられた、柿の木は柿の木以外のなにものではない のです。柿の木にアートという意味を付与することからも、柿の木に平和のシンボルと いう意味を付与しようとすることからも、独立すること。そういう仕組みが出来るとき 、新たなアートの可能性を見いだすことが出来るのではと思っています。

なるほど。

確かに、なぜ最後になってアートと言う言葉を使わなければいけないのか?そんな疑 問が生じるかもしれませんが、そのことはまた考えることにします。

それはそう思います。アートと言う言葉を消してしまえば良いと思います。 お話面白かったし、勉強になりました。 こういう機会がないと、私は『柿の木プロジェクト』について知る機会は無かったで しょう。 また、お話聞かせてください。 奥様にも、よろしくお伝えください。 みんな、よく分かりました。誤解はありません。
今回の事は、これですべて了解できたと思います。 それと「ひょうきん族」のはなしも書いてくださって ありがとうございました。勉強になりました。 見損なったのを残念に思います。 今、こどもに土曜日の朝にフジテレビでやっている番組を見せられていますが、そこ でやっている2人組のコントは 「ひょうきん族」からの流れを思わせますが、なかなか面 白いナンセンスです。 また、お話しできればと思います。
お会いできるチャンスがあると思います。 その時を、楽しみに。 どうもありがとうございました。 これからもよろしくお願いします。 彦坂 More Better なおよし

01.7.26 3:35 AM/ひこさか/Elwood(hiko@ja2.so-net.ne.jp)さんは書きました

クボザイク様 Artistの彦坂 More Better なおよしです。
メイルありがとうございます。 反応してくださって助かります。 まずい事書いてしまったかなと不安に思っていましたから。

おそるおそる自分の意見をのべさせて頂きます.  

「おそるおそる」なんて言わないでください。必要のないことです。私は1946 年生まれで、典型的な戦後民主主義教育を受けてきた人間で、きわめて民主的な人で す。とくに女性差別がありません。若い子供の世代の人とも水平で話しています。
堀 浩哉氏は、立派に画伯や、父権的ボスを演技できるのですが、私はそういう年齢差の 縦構造に乗る興味が無いというか、才能がありません。年齢差別をエイジズムといい ますが、それも少ないのです。平板な関係性が好きなのです。私の先生にあたる斉藤 義重氏がそうでありました。  
でもニューヨーク在住の美術史家の富井玲子さんから批判を受けたのは、「時々彦 坂は強権的になる」というのですね。「どこでしたか?」とお聞きすると、文章の題 名を「執筆者の意向とは独立してつけられる」という編集者の《編集権》の自立の主 張の時に、そうであったというのです。
今出している小雑誌の『テオリア』での文章 でそういう対立がありましたが、その時は私に権限があったのではないですが、題名 が日本の状況の中ではまずいものだったのです。しかし、そう言われると、いくつか 腑に落ちる過去の争いが記憶に昇り反省しています。  
今後は、そういう例外も含めてあらゆる面で、垂直的な関係になることや、不必要 に攻撃的になる態度を放棄して、唯ひたすら水平化した人間関係を追求したいと思っ ています。会話も、平易に、日常感覚の中で、徹底的に説明していくと言う事を追求 していきたいのです。

古いモダニズムというのは、説明性というのを否定的に言って、 問答無用の紋切りを多用しましたが、そのモダニズムの全面否定を追求してみたいの です。 美術関係者から国会議員を出すことが必要という事は、練馬区立美術館の横山さんも あいだの講座「美術館の危機を語り尽くす」の2次会の席でおっしゃっていました。

ああ、やはり同じことを考える方はいらっしゃるのですね。

しかし、しかし自分の意見はこうです。 美術関係者代表として国会議員を出すのも、もちろん一つのやり方だと思いますが、 そのやり方で文化、芸術を援護する法案が通ったとしても、美術関係者以外の人 (美術をさほど必要ではないと思っている人)はどう思われるでしょうか?

ご心配のお気持ちは分かりますが、国会議員の職務というのは、全部ではありません が半分ぐらいは、ある特定の集団の利益を代表し、それを主張し、養護する目的で存 在しています。それは日本だけでなく、アメリカでも、どこでもそうです。 ですから、美術関係者の利益を代表して主張する国会議員がいても、そのこと自体は 正当な事だと思います。 その限りでは、他の人がどう思うかと心配する必要はありません。 お互いに、違う利益を、おのおの追求して、それを主張し会うというのが、民主主義 であり、国会の機能だからです。
例えば公明党の議員は、創価学会にとって不利益を生むはずの宗教法人法の法改正を 阻止する目的を持って、国会で常に与党に組みする傾向があると思います。それは寄 付行為や非営利事業が生み出す膨大な創価学会の収入が、宗教法人故に非課税で処理 されているという、そういうシステムを擁護するために機能しています。
しかし、そ のことをもって非難する事はできないと言う事です。各自が、自分の利益を追求して くということは、それが公共性を損なわない限り、肯定されるべき事なのです。

それに、国会議員の偉い人達の中にぽつんと美術の必要性を主張する人を送り込む事は 国会議員の人達にすごくいじめられるだろうし(または利用されるかも?)、 美術関係の代表という責任感や美術関係者の無責任な期待感を背負うことに なると思うので、生半可な気持ちではダメだと思うのですが・・・・

それはおっしゃるとおりです。 一人の参議院議員を送り出しても、事実上は何もできないでしょう。特にそれが無所 属であったりすればなおさらで、国会のしきたりも分からず、立ち往生するのが関の 山でありましょう。必要な情報も入ってはこないでしょう。ですから、現実上、美術 界代表の国会議員を送り出す事などできない事なので、今まで、そういう試みがなさ れなかったのではないでしょうか。
しかし、そういう態度が、今日の日本美術界の子 供化を進め、閉塞感を生み出す結果 になりました。 今回の署名による公明党の芸術政策で、もしも多くの方が満足されるようであれば、 当面公明党を美術界の利益を代表する政党として支援すれば良いと思います。
宮島達男氏は近い将来参議院議員に立候補してくるはずです。創価学会の人は、基本 的に『正しい信仰に則った「大善生活」の成果について話しあう「生活革新実験証明 座談会」』(前出『戦後史大事典』)の訓練を経ているので、多くの人を説得するの がうまいのです。
彼らは徹.底的に訓練されています。その基本は「折伏とよばれる 攻撃的な布教」(同上)のための説得技術です。宮島達男氏のメイルに多くの方が感 動されていましたが、それは彼の個人の能力もありましょうが、それに重なって創価 学会の編み出した説得技術を習得したプロフェッショナルな弁論性にあります。私な どはとても太刀打ちできません。訓練の度合いが違う。
その彼が参議院選挙に登場す れば、弁論術と知名度の高いスター性で、日本の現代美術関係の票の大半を集める力 はあるのではないでしょうか。彼を日本の現代美術界の代表として支持すれば、公明 党は与党でありますから、ある程度の芸術制度の改善はなされるかもしれません。
しかし、その事で流れる税金が、どのアーティストに流れ、最終的に誰が利益を得て、 どの勢力が主導権を握るのか、よほどの情報公開制度と外部監査制度の確立がなされ ないと、不健全な退廃課程が将来の長きにわたって進む事になります。
例えば横浜トリエンナーレにしろ、VOCA展にしろ、何故、どのような手続きで、実際 のキュレーターや実権を持つ人々が決められているのか、ブラックボックス状態です。 情報公開制度と外部監査制度が確立される必要があります。経理も、公開された会計 責任・予算責任・法的責任体制を制度化し、市民がチェックできるようにしないと、 外務省の官僚のように、いくらでも公金が不正に使われる事になります。
人事も同様 で、公正な評価や、責任の明確化、それに人事にまつわるアカウンタビリティ(説明 責任)も含めて、民主的で、明朗な、開かれたシステムの構築が望まれます。
その意味でも、情報公開制度と外部監査制度の確立は重要なのですが、公明党や創価 学会は、構造的に、情報公開も外部監査もできにくい組織です。それは池田大作氏の 権威が大きく、いわゆる民主的な水平な組織形態ではなくて、垂直軸の強い父権的な 古いカリスマ性による集団だからです。こういう組織が必要な人たちがいる以上、そ れはあっても良いとは思いますが、私見では、現代美術の価値観の水平性の追求とは なじみにくいと思われます。

ですから、美術関係の政治家が必要と主張されている方はご自分が立候補されるか、立候補する人と心中するぐらいの心構えが伝わると説得力がよりあると 思うのですが・・・・・

それはそうです。

自分の考えは、やっぱり市民が一人一人語れる場があり、そこで認識を高めてもらう やり方を取っていきたいと思います。 (代表者を送り出してその人に任せるのではなく、一人一人が主張して一つの事を 作り出して行くほうが自然だと思うのですが・・・・・無理ですかね?)

「代表者を送り出してその人に任せるのではなく、一人一人が主張して一つの事を 作り出して行く」というお考えは、間違っているとは思いませんが、直接性民主主 義的な考え方です。それはそれで良いのですが、しかし現在の日本社会というのは、 間接性民主主義社会ですから、その既存のシステムに参加して、その責任を負わない と、発言権もありませんし、構造変革もできない。ましてや法改正、特に税制改正は 無理です。
日本の社会は、一時期《一億総中流化》が実現したかの幻想を持ったときがありまし た。その時代に、では中流の人たちが、美術の興味を持ち、適切な価格の作品の所有 を目指していったのかというと、そうはなりませんでした。クーラーの利いた部屋の 窓を開けるようなもので、確かに均一に近い状態にはなりましたが、そのことはカオ スになり、エントロピーが上がった事でしかなくて、文化や芸術を積極的に所有し、 支持して育てていくようには機能しませんでした。
ですから、そういう中流の市民と語り合う事が、無意味とは思いませんが、構造とし ては生産性がもてない状態であると私は考えます。

とっても理想論で、もたもたしそうですが、僕はどうも偉い人が上から市民を先導 するようなやり方がいいとは思えません!(ただ、美術の問題を国会議員に意識 させるだけにしても同様で)

それは同感です。 ですから、実際には当選できなくても、誰か、自分たちの代表を立て、日本の社会に 向かって、自分たちの意見を言っていくという作業を、下から議論し、押し出してい く場が必要です。
美術の側から、この変動期の日本の社会に向かって、メッセージを発していくことが 目指されても良いだろうと考えます。 正直に申し上げますと、私も、クボザイクさん同様に、現実にはできるとは思ってい ません。自分が立候補するなどということも、考えられません。私にはそのような人 望も無ければ、お金もないし、地位も権威も、権力もありません。きわめて平たいの です。
私が、考えられるのは、そのようなシュミレーショニズムをやってみると言う 事です。実際の政治ではなくて、あくまでも作品として、そのような議論をし、討議 を重ね、日本社会に向けての、表現としての政治的なメッセージを送ろうとしてみる と言う事までです。
この文章そのものが、そうした作品行為として書かれています。

美術に興味を持たない人に「美術って以外と面 白い!」って事をいろんな方法で宣伝する方が、まだ良いと思います。 そうする事によって自然に社会に入り込めるのではないでしょうか?

「美術って以外と面 白い!」というのは、二つの種類があります。 説明するための比喩として、美術を《歌》に、置き換えて言う事をしばらく我慢して ください。
「歌って以外と面白い!」という場合、一つは歌を歌って、日曜日のお昼の「NHKの ど自慢」に出る事です。そして、うまければ鐘がたくさん鳴ります。そしてその歌を 歌った人が喜びます。つまり歌を歌う人は、自分がほめられて鐘が鳴る事で、自分が 喜ぶために歌を歌っています。
つまり、これと同様に、ほめられて「自分が喜ぶための美術」というのがあります。 もう一つは、その「NHKのど自慢」に出てくるゲストのプロの歌手です。 プロの歌手も最後の方に歌いますが、うまく歌っても鐘は鳴りません。彼らは自分が 喜ぶためではなくて、他人のお客様を喜ばすために歌を歌います。
同じように、他人を喜ばせるために、美術作品を作るというアーティストがいます。 美術で考えると、最初の「鐘を鳴らして喜ぶシステム」は、団体展や、公募展の美術 システムです。ここでは、他人にほめてもらって、自分が喜ぶために美術作品を作っ ています。「自分が喜ぶための美術作品」というのは、それはそれでよいのですが、 繰り返し鐘を鳴らす事を要求し、自分だけが喜ぶ事を希求していきます。
つまりアマ チュアのアーティストというのは、見ている他人をどう喜ばせるかという事について は、あまり考えていないのです。追求されているのは、自己満足、自己救済、自己実 現という事です。 プロのアーティストというのは、ピカソや、マティス、あるいはアンディ・ウォホー ルという人たちで、作品を、あくまで売る事を目的としています。
プロのアーティス トというのは、日本の現代美術のアーティストでは少ないのではないでしょうか。 ですから、 美術に興味を持たない人に「美術って以外と面白い!」って事をいろん な方法で 宣伝するというのは、ふたつあって、アマチュア・アーティストの場合の 宣伝というのは、もっと自分の美術作品をほめて鐘を鳴らしてください、という要求 になります。
プロのアーティストの場合には、お客を喜ばせる新しい手を考えついて、もっと作品 をたくさん、しかもなるたけ高く売っていくという作業になります。これはユニクロ などの企業の論理と、それほどかわりはありません。
これらは、どちらも基本的には個人の利益の追求であって、そのエゴイズムの運動が、 社会を形成していきます。そのことはですから、取りたてて政治的表現を必要とはし ません。今のままでも十分に展開できる事です。 アマチュアにとっては、公募制度は必要ですが、現在でも多くの美術の賞制度はあっ て、現在も増えていますから、とりたたて賞が足りないと言う事が、現在の日本の美 術状況を悪くしている事ではないでしょう。
アート・マーケットの事も同様の事が云えます。日本の中に十分なアート・マーケッ トがないとすれば、アメリカでもドイツにでも、マーケットのあるところに出ていく というのがマーケット理論であります。企業としてのアーティストは、現に蔡國強氏 をはじめ中国現代美術家は多数で軍団を形成して海外展開をしているわけですから、 日本人もそうすれば良いと言うだけのことでありましょう。事実、多大の努力をされ て村上隆氏や奈良美智氏、草間弥生氏、森真理子氏らは十分に海外マーケットで展開 する努力の成果を上げておられる。そして海外で売れるアーティストは日本国内でも 売れていて、つまり、それで良いのであって、何ら不都合は無いのではないでしょう か。  
このどちらの事でも無い、もっと構造的な、そして理念的な変動の提案を、この変 動期の日本社会に向けて発していかないと、駄目なのではないかと私は考えます。  
現在の変動というのは、日本社会が江戸時代から、明治時代に変わったような、大 きな構造の変わり目なのだと考えるからだからです。                          
彦坂 More Better なおよし

追伸 クボザイク様 私自身は、このままの [aw-ml] でよいと、思っています。 ただ、今回の宮島達男氏というプロの参入で、否応もなく、この [aw-ml] は 何かを自覚せざるを得なくなったはずなのです。 だからといって [aw-ml] が、大きく変わる事は無いだろうと思います。
今日、否応もなく、日本の社会は変わりつつあります。 この変動の中で、リアルなコミュニケーションを、マイペースで進めることが 大切だと思います。 ですから、山本育夫さんが作られたルールを私は基本的に支持します。

01.7.26 7:47 AM/Yosskw@aol.com(Yosskw@aol.com)さんは書きました 受信日時: 01.7.26 3:41:53 AM、 hiko@ja2.so-net.ne.jp からの引用:

白川です。 彦坂さんのこの問題提案に僕も共感します。
どうしていけばいいか いろいろと考えて制作しています。

01.7.26 10:14 AM/ひこさか/Elwood(hiko@ja2.so-net.ne.jp)さんは書きました

白川昌生様 メイルありがとうございます。
名前だけで、まったく知らなかったので、フーリエは、きわめて興味深く拝読しまし た。 今日的であると思います。

彦坂 More Better なおよし

 

以下、次月につづきます。

 

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