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中嶋 一郎 ichiro nakajima
瀧口修造のデッサン
瀧口修造がデカルコマニーを制作していることを知ったのは一体いつだっただろうか。
そもそもはオスカー・ドミンゲスの発明によるのだが、 デカルコマニーといえばハンス・ベルメールによる卓越した作品をすぐに思い出す。
偶然が生み出す抽象的な風景の中に
女性の顔や人形などを精密に描き込んだベルメールの作品は色彩も鮮やかで、
見るものに強烈なインパクトを与える。それにひきかえ、瀧口修造の手によるデカルコマニーのなんと静謐なことか。
どこか遠い惑星の風景でもあるかのような静けさを湛えている。
瀧口修造の作品の多くが収められている 富山県立近代美術館で開かれた「瀧口修造の造形的実験」展でデカルコマニーや、 その他の技法で描かれた作品などを見ることができた。そこにはさまざまな技法によって描かれた作品が展示されていたのであるが、
何と言ってもその膨大な量に圧倒させられた。
瀧口修造は執拗なまでに一つの技法を繰り返す。
同一の技法によって飽くことなく作品を作り続けるのである。
あたかも文章を書かないことの代償行為であるかのように(事実、発表された文章と作品の量 は反比例する・図録『瀧口修造の造形的実験』p.30)。
またそれは何か言葉では表せないものを模索しているかのようでもあるのだ。たとえば「バーント・ドローイング 」に用いられる技法。 それは子供の頃、虫眼鏡によって太陽光線を一点に集め、 紙を焦がして穴をあける遊びの延長にあるといってよい。
虫眼鏡によってただちに瀧口修造の詩集『妖精の距離』の表紙絵を連想させられるこれらの作品にフォンタナの匂いを感じるかも知れないが、 しかしそれよりも大きな影響を与えているのはマルセル・デュシャンであろう。瀧口修造とマルセル・デュシャンの精神的繋がりがかなり密接であることはよく知られている。
瀧口修造が「マルセル・デュシャン語録」を手掛けたり、 「大ガラス」のレプリカを制作したことがそれを示している。 瀧口修造には「ロト・デッサン」という一連の作品がある。
ミシンのモータに取り付けられた黒い紙を回転させることで同心円を無数に描き出したこれらの作品は、 一見してデュシャンのアネミック・シネマからの着想であることがわかるし、 その命名はデュシャンの「ロトレリーフ」によるという(前出書p.31)。ところで、デュシャンの「大ガラス」やフランツ・カフカの「流刑地にて」の処刑機械を「独身者の機械」として、
そこに潜む現代の神話を抉り出したのはミシェル・カルージュであった。
その評論集『独身者の機械』によれば、
デュシャンの「大ガラス」やカフカの処刑機械は、 現代の恐怖やエロティシズム、機械文明を表現しているというのだ(『独身者の機械』高山宏他訳・ありな書房)。
瀧口修造の作品は決して機械ではないのだが、
その技法に着目して眺めるとき、「独身者の機械」としての「大ガラス」(または処刑機械)とのアナロジーをそこに読みとることが可能ではないだろうか。 例えば、先ほどの「ロト・デッサン」はその形状から、 「大ガラス」の「眼科医の証言」という部分に相当ことは明らかである。カフカの処刑機械には罪人の肌に針で判決文を刺し、 吹き出た流血をシーツに写し取ってゆくという機能がある。
これはデカルコマニー制作過程にそっくりではないだろうか。 デカルコマニーとは紙にインクを滴らせ、 もう一枚の紙で押さえつけてからすぐに引き剥がすことで抽象的なしみを作り出す技法だ。
さらに、
「手作り本」の初期の作品にはデッサン制作の際に使用された吸い取り紙を綴じて造られた本があるが、 これも同じく写し取るという一連の動きによるものだ。 両者の動きの、なんと類似していることか。「読めない詩」というデッサンのシリーズがある。 一見言語のような形をしていながら、
その実、なんの意味もない形象の集合であるこの「読めない詩」も
「独身者の機械」に符合する部分があった。
カフカの処刑機械で罪人の肌に針で刺す判決文の原文、 すなわち設計図がそれで、機械の上部「製図屋」にその設計図は収められている。
しかし、
本来「天地創造の行為に刻みこまれた神の意志」(『独身者の機械』p.64)であるこの設計図は、
自然の摂理から逸脱している独身者たちにはただの模様としか見えず、 決して読むことはできない。
瀧口修造の「読めない詩」の作品群はまさにこの設計図に当たるのではないだろうか。
さらに言えば「写し取られた」存在であるデカルコマニーや吸い取り紙も、
本来あるべきものから転写された設計図なのだ。
だからこそ、われわれはそこに意味を見出し得ないのである。このように、
瀧口修造の作品と「独身者の機械」は多くの類似点を挙げることが出来るのである。
しかし、瀧口修造の作品は「独身者の機械」には終わらない。
何故なら瀧口修造は詩を書くこととデッサンを描くことの両方を手掛けたからだ。
そこに自然を逸脱した者と神の摂理に生きる者の
隔たりを越えようとする根源的な動機を読みとれないだろうか。
作曲家・武満徹がいみじくも
「芸術を未分化の故郷に蘇らせるための儀式だ」(前出書p.28)と言っているように、
瀧口修造は詩人として「夢と現実の絶対的合一」する地点を探求していたのである。
「読めない詩」と「書かれた詩」の両方を手掛け、 その対立を越えた「絶対的実存」、
つまり詩的原型へ向かおうとしていたのではないだろうか。
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