ウェブマガジンとオンデマンド出版のほんほん堂
「LR」目次へ(ほかの記事が読めます)
アートマガジンLR(エル・アール)

齋藤 晃 akira saito

美術品の盗難 

 みなさん、こんにちは、 国立民族学博物館の齋藤です。
以前にちょっとお話しましたが、ただいま、南アメリ カのボリビアで、植民地時代の教会美術の調査を進めています。先月末以来、標高4 000mを越えるアンデス高地を四輪駆動で駆けまわる毎日です。

 今回の調査の目的は、16世紀のスペインによる征服以降、イベリア半島から伝わっ た装飾モチーフが、19世紀の独立にいたるまで、どのような変化を遂げたかを調 べることです。これまで、旅程の半分以上をこなしましたが、行き先々で目につくの が、美術品の盗難です。地方の教会を訪れるたび、装飾がはぎとられた祭壇、からっ ぽの壁龕、額絵が掛かっていた壁のあとなどが見受けられ、心が痛みます。

 文化財の保存管理の問題は、このML(Do! museum)のメンバーの方々にも興味のあるテーマだと 思いますので、この場をお借りして、ボリビアの現状を報告させてください。

1.何が盗まれるのか

 南アメリカのアンデス高地、とりわけペルーのクスコからボリビアのポトシにいたる 地域には、植民地時代(16世紀初め〜19世紀初め)の教会が点在しています。こ れらの教会は、彫刻、浮き彫り、壁画、額絵、説教壇、祭壇衝立などで美しく 飾られています。
これらの装飾品のうち、もっとも頻繁に盗まれるのは、持ち運びが 便利な額絵です。額絵でも、長さ数メートルの巨大なものがありますが、そういう絵 はばらばらに切り刻まれて運び出されます。

 額絵のほか、聖像、貴金属の聖具、祭壇衝立の装飾なども、しばしば盗まれます。 壁画といえども、盗まれないとはかぎりません。壁画のなかには、画布に描いた絵を 壁に貼り付けたものがあります。この種の壁画は、画布ごとはがされて盗まれます。
ボリビア西部のワチャカリャという町の教会に、奏楽天使の美しい壁画があったので すが、最近盗まれてしまいました。無残にはがされた天使像の断片を見ていて、盗人 の厚顔無恥、ここに極まれり、という感じがしました。

2.誰がどのように盗むのか

 まず、プロの密輸業者がいます。外国人が多いと聞きましたが、国内の業者も少なか らずかかわっていると思われます。それから、密輸業者と組んで仕事をする盗人がい ます。被害が広い地域に及んでいることから考えて、プロの盗人が組織的に仕事して いると推測されます。もちろん、場当たり的な盗人もいることでしょう。

 残念なことですが、地元の側にも協力者がいます。礼金目当ての住民が、盗みの手引 きをすることが、しばしばあります。また、うわさでは、聖職者までが盗みにかかわ ることがあるそうです。 ペルーの司教管区のなかには、研究者に対して調査許可を出 ししぶるところがありますが、その理由は、教会内部の不祥事を隠蔽するためなのだ という話も耳にします。確かなことはわかりませんが。

 盗みの手口はかなり荒っぽいです。正門の鍵を壊したり、窓を割ったり、壁を掘り崩 したりします。地方の教会は、司祭はもとより、管財人すら住んでいない無人のとこ ろが多いです。教会が位置する町自体も、週末以外はあまり人気がありません。住民 は農作物や家畜の世話をするため、町を留守にすることが多いのです。 そういうわけ で、白昼堂々盗みを敢行することも、難しくはありません。

3.盗品の売却先

 植民地時代の教会美術は、先スペイン期の考古遺物ほど、市場が広くありません。ボ リビアの美術品の場合、行き先は、南アメリカの都市部、とりわけ、リマとブエノス アイレスのようです。ボリビアとは陸続きなので、密輸しやすいのでしょう。 また、 アメリカ合衆国にも、少なからぬ愛好家がいると聞きます。美術品は、数百ドルから 数千ドルの手ごろな値段で売りに出され、都市在住の裕福な階層が装飾品として買い 求めるようです。

 最近、ボリビアで、ペルー人外交官の自宅から大量 の盗難美術品が発見されるという 事件がありました。外交官本人は、外交特権でさっさと本国に逃げ帰ったようです が、正式の外交ルートが密輸に使われていたとは、唖然とさせられます。

 ボリビアとペルーはともに、文化遺産の密輸に関するUNESCOの協定、Convention on the Means of Prohibiting and Preventing the Illicit Import, Export and Transfer of Ownership of Cultural Property、に批准しています。それゆえ、問題 解決のルートはいちおう開かれているのですが、ボリビア側で、美術品の目録作成が 遅れており、盗品を特定するに足るだけの情報がないため、盗んだ者勝ちという状態 が続いています。

 ちなみに、このUNESCOの協定、先進国のなかでいまだに批准して いないのは、イギリスと日本ぐらいです。そのイギリスも、もうすぐ批准すると聞き ましたので、日本だけが国際音痴ぶりをさらすことになります。

4.地元の対応

 エスカレートする美術品の窃盗にどのように対処すべきなのか。残念ながら、いまの ところ、有効な手立てはありません。ボリビアの文化庁は、外国からの資金援助を得 て、教会美術品の目録作成と修復作業を進めています。しかし、教会の管理自体は地 元の手にゆだねられているため、国レベルでの組織的な盗難対策はなされていませ ん。

 教会が位 置する町の住民にとって、額絵や彫刻は、信仰の対象であり、誇るべき文化 財でもあります。植民地時代以来、管財人の職に選ばれた住民のひとりが、司祭と 協力しながら教会の財産を管理してきました。しかし、このような管理法では、組織 的な窃盗の横行に対処し切れません。現状では、地元の人々は、窃盗に対してなすす べなく、研究者も含めてよそ者に対する不信感を深めているという状態です。

 もっとも、まったく対策がないわけではありません。以下、ふたつの事例を紹介した いと思います。

4.1. オルロ司教管区の事例

 オルロはボリビア西部の鉱山町です。今回この町を訪れたとき、数年ぶりで、旧知の ベルナルド・ガンティエ神父に再会しました。このイエズス会士がいま、オルロ司教 管区で司教座博物館を建設すべく、奔走しています。

 神父は、オルロ市内はもとより、地方の町を経巡り、額絵を中心とした美術品を集め ています。それらの美術品を盗難から守るためです。司教管区の事務所の倉庫、およ び神父の部屋は、集められた額絵でいっぱいでした。神父が寝起きするベットの下ま で、額絵が詰まっていました.

 ガンティエ神父は、美術品の収集のみならず、複製の製作も進めています。神父の指 導のもと、数名の若い画家が、神学校の一室を借りて、複製を製作しています。複製 は、オリジナルの代わりに、もともとの教会の送られます。画家の給料は、神父が自 腹を切って払っています。神父には絵心があり、絵を売ってためたお金で、画家の給 料をまかなっているのだそうです。

 もっとも、神父のやり方に反対する人もいます。まず、当然予想されることですが、 教会が位置する町の住民が、美術品を渡すことに抵抗します。この点では、司教管区 の権威もあまり役に立ちません。複製を送るからといっても、承知してもらえませ ん。かといって、住民側にも、美術品を盗難から守るいいアイデアがあるわけではあ りません。「どこかに隠しておく」、の一点張りです。結局、実際に盗難にあい、住 民が意気消沈しているところを見計らって、残された美術品をオルロに運ぶという、 火事場泥棒的な方法しかないようです。

 次に、人類学者(!)が神父のやり方に反対しているそうです。オリジナルを複製で 置き換えるという方法が、欺瞞的に見えるようです。ボリビア国内で開かれた学会か なにかのおり、神父が博物館建設活動の趣旨を説明し、協力を求めたところ、人類学 者から手厳しく批判されたそうです。 「欺瞞的と言われればそれまでだが、ほかに方 法があるなら教えてほしい」、というのが神父の言い分です。

 わたし個人としては、ガンティエ神父の情熱に打たれ、彼をできるだけ支援したいと 考えています。オリジナルを複製で置き換えることが、信仰の実践に深刻な障害をも たらすとは思えません。(日本の神社仏閣でもよく行われている方法です)。
美術品 を地元から取り上げてしまうやり方は、たしかにベストとは言えませんが、地元での 安全が確保されない以上、いたしかたありません。将来、司教座と地方の教会のあい だで、活発なコミュニケーションがはかられるようになり、地元での美術品の安全な 管理運営が確立されたあかつきには、オリジナルを返却することも可能になるでしょ う。


 日本の援助財団で、ガンティエ神父の活動を支援してくれそうなところは、どこかな いでしょうか。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

 報告が長くなりそうなので、このあたりでいったん中断させてください。続きはまた 後日お送りします。 それでは。

 齋藤 晃 asaito@palette.plala.or.jp


 みなさん、こんにちは、 国立民族学博物館の齋藤です。南アメリカ、ボリビアにおける教会美術品の盗難とその対策についてのレポートの続きをお送りします。

4.2.カラマルカ共同体の事例

ボリビアの首都ラパスの南に、カラマルカという小さな町があります。ここの教会 に、「カラマルカの天使」と呼ばれる27枚の有名な額絵があります。17世紀末か ら18世紀初めにかけて製作された天使像で、とても優美なものです。カラマルカ の住民は、1990年代以来、この天使像を中心とした教会美術品の自主管理に乗り 出し、成功を収めています。

そもそものきっかけは、1990年代初めにボリビアの文化庁が天使像の修復を行っ たことです。その目的は、1992年のスペイン、セビーリャの万国博覧会に、天 使像を出展することです。この展示は大きな評判を呼び、万博閉会後、天使像は ヨーロッパ各国を巡回することになりました。

この一連の出来事は、天使像をめぐるカラマルカの町の住民の意識を大きく変えまし た。天使像の価値が再認識されただけではありません。天使像が「美術品」としてボ リビア政府や外国人の注目を集めうること、そして、その「美術品」を効果 的に運用 することで、町の社会的地位を高めうることが、認識されたのです。

以来、町の住民は、外国のNGOの協力を得て、天使像を資源とする町おこしに積極 的に乗り出しています。町全体で額絵の保存管理を行うとともに、教会を観光客に有 料で公開し、収入を得ています。また、織物や民芸品の製作と販売も進めています。 いまのところ、成果は上々で、カラマルカは観光名所としての地位を固めつつあ るようです。

カラマルカの事例は模範的な成功例といえます。美術品は教会を離れることなく、町 の経済振興にりっぱに役立っています。ボリビアでは、1990年代中葉の法律改正 以来、地方自治体の政治経済的自律性が高まっており、文化財に関しても、地元の自 主管理が推奨されています。カラマルカの事例は、地方における文化財管理のモデル になりうるものです。

もっとも、カラマルカの成功が、いくつかの例外的な幸運によりもたらされたこと は、否定できません。「カラマルカの天使」という稀有な美術品の存在、万博出展と その後のヨーロッパ巡回展、首都ラパスからの交通の便などです。それゆえ、教会美 術品を抱えたすべての町が、同じ方法で同じ成功を収めうるとは限りません。オルロ 司教管区のように、交通の便が悪く、観光の目玉となる美術品が存在しない地域で は、中央での一括管理が、当面やむをえない次善策とならざるをえないようです。

5.研究者の立場

 最後に、美術研究と美術品の盗難との関係について一言。

 過去に美術品の盗難にあった町の住民は、研究者も含めて、教会を見にやってくるよ そ者に対して拒絶反応を示します。とりわけ外国人は、不審の目で見られます。地元 の人々から見れば、美術品の関心を持つ外国人は、研究者でも観光客でも盗人でも同 じカテゴリーに属しており、同様にいかがわしい存在なのです。

 わたしたちの調査チームの場合、手続きの面 では、十分な配慮を払っているつもりで す。ボリビアの文化庁と正式の協定を結び、調査成果 の共有を約束することで、調査 許可を得ています。カトリック教会からも、行き先々の司教管区で、司教ないし外交 担当の神父から調査許可を取得しています。しかしながら、そこまでしても、地元の 側から拒絶されることがあります。

 教会がある町に到着すると、まず建物の管理に責任を持つ人物を探し出し、調査許 可を求めます。交渉の相手になるのは、町長だったり、文化担当官だったり、司祭 だったり、教会管財人だったりします。この交渉は、すんなりいくときもあります が、たいていは込み入ります。町の人々は、わたしたちの身元を確認し、来訪の目的 を究明し、最後に、われわれの調査がどのような点で町の利益になるのか知りたがり ます。経済的な見返りを求められることも、しばしばです。この点に関するわたした ちの答えは、直接的な経済貢献はできないが、研究成果の公表を通じて教会の文化的 価値が知られるようになれば、町の社会的地位も高まり、観光などで経済的収入を得 る道も開ける、というものです。

 いったん調査許可が下りて、美術品の撮影を始めても、交渉の場に居合わせなかった 住民があとからやってきて、文句をつけることがしばしばあります。酔っ払った住民 が、こぶしを振りながら怒鳴り込んできたこともあります。町の代表者にしても、撮 影が長引くと、次第に文句を言い始めます。全体の雰囲気が険悪になり、やむを 得ず調査を切り上げて、逃げ出してきたこともあります。

 地元の側の研究者に対するこのような不信感は、いわれのないものではあり ません。というのも、美術研究と美術品の窃盗とのあいだには、共犯関係があるから です。個々の美術品の評価を下すのは、研究者です。研究者が価値ありとみなし た美術品は、市場で高値を得ます。その結果、窃盗のターゲットになります。 盗難美術品を取り扱う業者はみな、当該美術品の研究について熟知しています。美術 史家の研究書や研究論文は、盗人のマニュアルとして役立つわけです。美術史 家の新刊本で高く評価された美術品が、その本が刊行されるやいなや盗まれた、など という話も聞きます。

 最悪の場合、美術研究者と美術品の盗人は、同一人物です。研究者がコレクターを兼 ねることはよくあるし、コレクターは程度の差はあれみな研究者です。研究者が出来 心で美術品を失敬することは、ありうることでしょう。また、盗人が研究者を自称す ることも、しばしばです。ふたつのカテゴリーの境界はあいまいなのです。

 この点に関して、問題解決の鍵は、美術研究者のモラルよりも、むしろ研究情報の管 理のあり方にあると思われます。情報公開が窃盗につながるからといって、美術品の 情報を中途半端に隠匿することは、窃盗を助けることにしかならないでしょう。むし ろ、個々の美術品に関して、同定可能なほど十分な情報を備えた目録を作成し、それ を関係機関で共有するほうが、盗難に対する予防としては効果的だと思われます。イ ギリスのCouncil for the Prevention of Art Theft (CoPAT)のObject IDのようなシ ステムは、その際のモデルとなるでしょう。

 まだまだ論じるべき点はありますが、あまりに長くなるので、このへんで終わりにさ せてください。冗長なレポートで恐縮です。ご興味を持っていただけた方々、ご意見 をいただけたら、たいへんありがたいです。

 それでは、失礼します。
 齋藤 晃 asaito@palette.plala.or.jp
このページの先頭へ
つなぐNPO(特定非営利活動法人つなぐ) home