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しいはら のぶひろ nobuhiro shiihara
広島日記1
広島市現代美術館で開催中のダニエル・リベスキンド展をみた。
この展覧会は、第5回ヒロシマ賞受賞記念ということなのだが、この賞の意味を全く理解できない私は、何か恣意的な選出に胡散臭さを絶えず感じながらも、そのアンビルドの建築のドローイングの美しさに惹かれ足を運んだ。
会場につくと、最初に紙袋をわたされ、靴を脱いで鑑賞してくれといわれた。かといって、スリッパが用意されているわけでなく、冷たい会場に足を運ぶと、そこには図面でよく知っていた建築のマケットが、哀れなほどにチープな姿で展示されていた。
それらは、紙ボードで作られたハリボテで、かといって内部に入れるわけでもなく、ただ外部から眺めるだけのオブジェとしてあった。また、床や壁には文字や線が引かれており、なるほどコンセプチュアル・アートよろしく、インスタレーションということなのだろう。
チラシを見てみると、「展覧会では空間の空虚さと、建築理念および建築の持つ物理的な存在感とが対比されます。模型でもドローイングでもなく、その中間にあるこの隔たりこそが、広島によって生み出された永遠の裂け目へと人々を導くものなのです。」とある。中間とは一体何なのか?美術館という制度的空間のなかで、貧相なアートオブジェと化した建築らしきものに、なんの裂け目があるというのか?それどころか、リテラルな意味での裂け目、つまりはインスタレーションの紙がところどころではがれていて興ざめでさえある。
「ここでは建築は、測り得ないものをはかろうとする、空間的、哲学的、政治的な考察に委ねられます。」しかし靴まで脱がされて、純粋培養空間で何のリアリティがあるというのか、これこそ自己満足の極みではないのか?まだ、アンビルドのドローイングの美しさならば許せるが、広島の地政学を意識するというのであれば、むしろ何も展示しないこと=ヴォイドが唯一の良識なのではと思うのだった。
広島日記2
世界遺産に登録されてから初めて原爆ドームを見た。とりあえずスケッチをしながら、むき出しで物質的な建造物の表面のざらざらした肌理を確認した。というのは、鉄骨むき出しのクーポラ部分やその廃墟の図像は、あまりにも象徴的で、容易に再現することが可能であるのに対して、風雪に耐えてきた壁面や鉄骨の汚れ、シミは、圧倒的な歴史性の前に再現不可能だからだ。それらは物質的にも圧倒的であり、触覚的な印象を強くあたえ、ただ見るだけでなく、その前に佇まなければ感じられないものだろう。
次に、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に入った。
http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/index.html
入り口のところには、へんてこなリチャード・ロングと形容したくなるように、サークル状に岩が配置され、その真ん中部分に時計の針が8時15分を示すようなモニュメントがおかれていた。そのデザイン力の低さに驚きながら、入場すると時計と逆方向にスロープを下り、平和祈念・死没者追悼空間なるものに着いた。そこには、死没者の数=14万人と同数のタイルで被爆後の町並みのパノラマが表現されていた。その真ん中には、入り口のそれと同じデザインの8時15分モニュメントが設置されていた。一瞬、ここはどこかの新興宗教の礼拝堂か?と思えるほど、単純な仕掛けに唖然とした。
この施設は、被爆者の個人情報や被爆体験記をデジタルアーカイブ化するもので、コンピュータの端末がおかれ、原爆死没者の名前や遺影などを検索することができる。それらは、用意された3種類(成人用、子供用、英語)のパンフレットを認識させることで、3種類の言語表現で提示されていた。これと似たような展示は、鹿児島県の知覧にある特攻記念館の遺書を展示しているコーナーを思い出させたが、驚くほど達筆な遺書を読むそれと違い、デジタル化されたそれらの情報には、身体的な記憶が単なる記録になってしまっているのではと思った。
広島日記3
広島平和記念資料館に行った。この建築の成立過程の複雑な歴史があるにせよ日本の現代建築の代表作であることにかわりない。世界的にみても、こんなに美しいピロティはまずないだろう。そこにル・コルビュジエのそれとの反映を見ることができるだろうし、アルヴァ・アールトの造形のような美しい曲線も見いだせるだろう。
また、打ち放しコンクリートのための木枠の痕跡は、それぞれの柱が生命を宿しているかのような印象を受けた。そして、アラン・レネの映画『ヒロシマわが愛(邦題は「24時間の情事」!)』のシーンを思い出さずにいられなかった。そこでは、現在の西館だけが独立した建物であり、会議場や東館との連絡通路がなく、当時は極めてモダンな建物として映ったことだろう。
さて、その展示会場にはいると、日記2で書いたことを裏付けるように、原爆ドームの模型があった。そのチープな模型には、本物のそれにあった歴史的重みは微塵もなく、スペクタクル化される歴史という問題があることは否めない。そして、レネの映画の「君は広島で何も見なかった」 を当然のように思い出さずにいられない。私は何をみているのか?
確かに、展示の最初の部分では軍都としての広島の特殊性、被害でなく加害の側面も提示されていたし、それらを証明するかのように南京陥落に対して提灯行列をしている写真が展示されていた。そこに歴史を考える契機はあるだろう。とはいえ、丹念に説明されれば説明されるだけ、空虚さを増しているように思えた。そもそも、再現することなど不可能なものを、再現することの逆説を意識しない限り、ただの観光地へとなってしまうだろう。
そして、「君はヒロシマで何も見なかった」よりも、「君の名はヌヴェール」「私の名はヒロシマ」と言わざるを得なかった『ヒロシマわが愛』のラストシーンこそ考えるべきなのだろう。誰がヒロシマを見たのか?それは絶えず正しい歴史を作る争いをもたらすだけなのだ。ならば、同語反復(広島は広島であり、ヌヴェールはヌヴェールでしかない)の絶対性の前で佇むしかないし、それがヒロシマを語ることの倫理だと思わざるを得ない。さらに言うならば、美術館のなかで展示されたリベスキンドのハリボテに欠けていた倫理もその部分にある。
広島日記4
丹下健三の広島平和記念館の2年前に作られた、村野藤吾による世界平和記念聖堂(1953年)に行った。広島の記憶は多くのモニュメントに託されたが、中には日露戦争記念のそれが平和祈願のそれに代用されているものさえある。そういった状況のなかで、この記念聖堂さえ一つのモニュメントなのかもしれない。とはいえ、観光化されることは避けられ、ひたすら祈りの空間は確保されているのも事実だ。
中に入ってみる。ロマネスクの教会堂のような重厚な空間に、ステンドグラスの柔らかい光がさしこみ、祭壇のモザイクは圧倒的な印象を与えていた(しかし、この祭壇モザイクに対しては批判的な言説も多い。)。ここでは、日本建築史のお勉強モードを反省するしかない。その空間の中にいることのありがたさを十分に感じたところで、外に出た。それは、丹下による記念館の美しさとは全く異なる体験だった。
そして、同語反復といいながらも、芸術や宗教に内在する力を信じることの可能性を否定することは出来ないと思った。
広島日記5
広島からの帰り道、三原で下車してレンタカーを借りて、灰塚へ向かった。ドキュメント2000の発表会などで、灰塚アースワークプロジェクトの人々とお話をしたことがあり、それなりに興味をもっていたのだが、なかなか訪問する機会がなく、やっと今回行くことができた。しかし、夏のワークショップの時期でもない、この時期に行っても、外面的なルポルタージュしか出来ないし、それで灰塚に行って来ました!!と楽天的に報告することは、この活動に関わってきた多くの人に失礼かと思う次第だ。
しかし、ダムの工事現場に始めていった私にとって、そこに繰り広げられた風景の前で、ただただ圧倒されるだけであった。それは、長野県知事田中康夫の脱ダム宣言の理想と、いったん工事が始まった際に生じるであろう経済効果の現実の対比を想起させるに十分なものでもあった。ダムのインフォメーションセンターから、展望台に登り工事現場を見下ろすと、なにやら祝典の準備が行われていた。明日から、コンクリートを打ち始めるとのことらしい。
また、移転を余儀なくされた人たちに与えられた賠償金は、住宅のためにしか使えなかったらしく、忽然と現れた豪邸集落は異様な感じがした。おそらく、地元の工務店、大工が腕を競いあったのであろう、隣の上下町に見られるような伝統的な白壁、そして屋根には鯱が誇らしげだった。
最後に岡崎乾二郎氏らによる公園を見た。そこにも理想と現実らしきものが見えたが、ただの傍観者がどうこういうべきものではないかなとも思った。
草津温泉の鶴太郎 その1
第23回草津国際音楽アカデミー&フェスティバルを見に行った。確か、7月ぐらいの朝日新聞の文化欄で、海外のアーティスト(クラシック音楽)の間では「日本招かれること」が一流の証だみたいな記事があったのですが、そのことが正しいか否かは別として、毎年草津にはその招かれたアーティストが講師つとめる夏期講習がもう23年も続いていることに、まず驚いた。ただ、それを主催する財団法人関信越音楽協会も相当予算的に苦しいみたいで、今後は理事長で元日銀総裁の松下康雄氏!の力にかかっているのかもしれない。(でもこの人は、天下り役人の代名詞みたいな人なんですよねえ・・・)
タクシーで音楽の森国際コンサートホールに向かうとき、タクシーの運転手はコンサートホールが出来たことと、ここ数年になって街頭でのコンサートが開かれるようになり、町民も親近感をもつようになったと言っていた。とはいえ、そのコンサートホールは、実のところ夏の2週間のためだけ!の施設といえるもので、そうなってくるとホールの稼働率とか考えるのが馬鹿馬鹿しくなる。そのコンサートホールには、今年新たに室内楽用のパイプオルガンが設置された。いくら熱心な友の会組織があったとしても、町として相当な出費なのではと思った。
さて、私が聴いたコンサートは、ドビュッシーの室内楽を中心とするものだったが、なかなかマニアックな選曲といえた。そもそも、この音楽祭のプログラム自体マニアックで、音楽監督の遠山一行氏の力によるものか、それともカメラータ・トウキョウのマネジメント力によるものかは知らないが、アマチュアを寄せ付けないような感じがする。
ところで、今回のプログラムに寄稿している雑喉潤氏の「草津音楽祭に思う」には、「22年のあいだに、この善男善女の湯治客が高原のコンサートを訪れたことはきわめてまれではなかろうか。温泉の街で長年コンサートをやって温泉客を引きつけ得ないのは、それでもいいんだ、あるいはそんなお客に迎合してはコンサートの性質が違ったものになる、という考えがあるようにおもわれる。」とし、自身が大学で「観光資源情報論」とやらを講ずる立場から、もっと観光、レジャー的視点を音楽祭に導入するべきだとしている。
続けて氏は「温泉と音楽」あるいは「湯治客のための音楽」の開発に成功すれば前途洋々とまでかいているが、「温泉にいらしたお客様に、浴衣と下駄で片岡鶴太郎氏のぬくもりある作品をたのしんでいただきたい」と構想された片岡鶴太郎美術館が成立している草津の現実と乖離しているように思われた。
雑喉潤氏は、温泉を観光文明学と芸術享受学とが出会うところとして再認識し、マニアックで、大衆受けしないようなプログラムに対して「温泉と音楽」「湯治客のための音楽」の開発の必要性を問うている。この「温泉と音楽」というテーマを設定すると、もしかしたら「いい湯だな」を弦楽四重奏で演奏しかねない。そういったくそまじめな感覚だと、草津片岡鶴太郎美術館の現実は理解できないのではないかと思った。
おそらく、わざわざ草津まで来てメシアンやプーランクを聴こうと思う人が、片岡鶴太郎美術館に行くとは思えないし、その逆もあり得ないような気がするのだ。実際私自身は、たかが鶴太郎の絵に950円も払うことなど全く考えなかったのだが、この950円という値段設定の高さは、人をバカにしているようで腹立たしく感じた。950円って、だいたい8ユーロだとすると、ルーブル美術館の常設展(7.5ユーロ)より少しではあるが高いことになる。
一方、私は5ユーロ(600円)払ってパリのカルティエ財団の村上隆展をみたのだが、そのときビートたけしの絵を見た。まあ、正しく言えば北野武の絵なんだろうけど、たけしも鶴太郎もかわらないというのが、僕の考えだ。というよりも、似非文人気取りで、美術館というハイアートの制度を積極的に取り入れている鶴太郎の方が、その二流度が高く、逆にクールじゃないか?僕がオクウィ氏(ドクメンタ11の芸術監督)だったら、ドクメンタに鶴太郎を招待し、別料金で入場料8ユーロの鶴太郎美術館を作るのにと、酔狂なことさえ考えてしまう。
しかし、その入場料8ユーロの美術館のために、日本からパック旅行が企画されたらどうしようかとも思ってしまう。もしかしたら、本当に鶴太郎芸術の信奉者がいるかもしれないからだ。この手の本気度は、たけしより鶴太郎の方が強いかもしれない。どう考えても、鶴太郎がたけしより勝るのは、熱いおでんを食べる仕草ぐらいで、芸人、役者、画家どれをとっても、鶴太郎はたけしにかなわないと思う。その分、鶴太郎シンパは制度的なものに執着するのではないか、しかしそのとき無意識のうちに、鶴太郎が二流であると認めていることにならないか?
その昔、ビートたけしはバブルでタレントショップ隆盛のころ、北野印度商会というカレーショップを経営していた。それらは、現在殆ど閉店していると思うが、片岡鶴太郎美術館も同じ憂き目にあうかもしれない。そして、その次にジミー・大西美術館が開館したとしても不思議ではない。それは市場原理の問題にすぎない。
おそらく草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバルが、23年も続いているのは、そういった市場原理に抵抗しているからかもしれない。ちなみに、今年の音楽祭の入場料金は月〜金の自由席で大人:¥3,500/小学生:¥1,500、土・日は全席指定で大人:¥4,500/小学生:¥2,000であった。この値段設定は適正な感じがする。
それは、鶴太郎美術館の950円には感じられないものだし、観光地の北野印度商会で食べる高価なカレーにも感じられないものだ。翻って、カルティエ財団の5ユーロは適正だったのだろうか?あるいは東京ビッグサイトで開催されたGEISAI2の入場料1200円はどうなのだろう。
貨幣価値なんて相対的なもので、個人差だってある。また、鶴太郎美術館の入場料950円の内実は芸術への対価というよりは、広告費が大部分かもしれないので、適正という判断なんて所詮出来ないのはわかっている。だから鶴太郎美術館の950円を不適切と思う事の政治性を意識しなければならない。それは、たけしに一流さを見出したり、横浜トリエンナーレで秘宝館を展示することの政治性と表裏一体のものであろう。
秘宝館は秘宝館でしかないのに、それを現代美術の文脈に置き換えるような政治性に慣れてしまうと、鶴太郎美術館が鶴太郎美術館以外の何ものではないことを自覚できなくなる。同様に、小沢剛の醤油画美術館もそれ以外の何ものではないのだろう。また、大衆的な鶴太郎美術館とハイアートな国際音楽祭という図式自体が無意味なのであり、そこにヒエラルキーなんてない。
毎夏JR東日本は子供向けにポケモンのイベントを開いているが、その告知のチラシには、パリのカルティエ財団と同じ展示を行うとかいてあっても、村上隆の名前はなかった。ポケモンはポケモン以外の何ものではないのであり、その強度を小さな展示の中に見出したのは、私だけなのだろうか?
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