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アートマガジンLR(エル・アール)

立花 義彰 gisyo tachibana

随感  駄文

 

先日、静岡県三島市にある古刹R寺の虫干し、曝涼を見学してきました。
老師のご 好意により、私の所属する(・・・実は今会長)
青年僧(・・・私は何歳だ?)の会 「如水会」の活動紹介と
刊行物頒布をさせていただいたのですが、
はっきりいいま す、この入場者はずごい!
美術館の展覧会や画廊の個展の比ではなかったですね。

まあ、縁日の雑踏まではいかないまでも、
掛軸の展覧としては、おそらく驚異的入場者 数だと思いました。
眠っていた元学芸員の心を少しだけマジにさせられてしまいまし た。  

でも、そこで思ったこと、
なぜこの国は「」印の美術に普通の人たちが
構えてしま うようになってしまったんだろうと。
私も含めて受けてきた教育や社会の感化のあり さまに なにか−
おそらくは根源的な−誤読や誤誘導がなかったかと。

いつから、こ の国は、教科書、キャプション、
美術年鑑、価格表を見ることによって、
大切な体験 のありさまを失ってしまったんだろうかと。
そう思いつつ、その例外的な奇妙な鑑賞 空間に
一日どっぷりとつかっていました。
もちろん、私は、たまたま訪れた場所が
宗教的な場だからという理由でのみ、
こんな こと言い出す気持ちはありません。
なんか、私の慣れし親しんだ台湾とくらべても、
今日の日本って、美術と人との関係てなもんが
ちっとゆがんでいるような気がして。
そのゆがみが、なんだかいろんな文化関係の
社会的な機構構築、法制度整備にある種 のいかがわしさを
醸成させているような気がするんだな。うん。
(突然口語体になり ました)  

話が飛躍して申し訳ないんですが、もっと、
美術って人の飾りでなく根源的な心の 問題なんだということを
云わないといけないんでしょうね。
でも、その主張や具体的 手法が、宗教的、
あるいは政治的意図をもったある種の使命感で
臭くなられても困る けれども。
(けっこう混同しやすいし、ひょっとしたら、
美的感動と宗教的感動いや 使命感って結構短絡的に
直結しやすいかもしれない。)
でも、原則論や建前論また実 利に根ざすものぐらい
臭いものはありませんね。
法律の臭さは、それがが実情と遊離 しているものほど
ひどいという事は、その対極として無味乾燥の刑法や
墓地法等がぜ んぜん臭みがないことからも、
わたしには納得できます。

具体的事例なしに、いき なり結論だけはしょって言っては
本当に飛躍なんですけれど、文化財以外、
「」印 美術以外の創造的活動は、
このままの発想環境では育っていかない
(堕落させられて いく)ような気がします。

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