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アートマガジンLR(エル・アール)

高梨 智子 tomoko takanashi

写真展 「音の無い記憶 井上孝治の世界」

会期:2001年10月30日(火)〜11月4日(日)
会場:ギャラリー針谷(銀座)
観察日:2001年11月2日(金

 井上孝治さんは、3歳で失聴したろうあの写 真家で、93年に亡くなっています。  
展覧会には、昭和30年代の福岡(井上さんが写真館を営んでいた地元)の日常生 活の風景写真が並んでいました。  
亡くなる直前にフランスの「アルル国際写真フェスティバル」に招かれ、「アルル 名誉市民」に認定されたとのこと。若いころから国内のコンテストの受賞経験をもち ながらも生涯アマチュアだったということです。
晩年になって、福岡のデパート・岩 田屋のキャンペーンポスターに30年前に撮った写 真が採用されたことがきっかけで 、最近になって写真集が出版されたり個展を開いたりということになったらしい。と ても不思議な感じがします。

 彼の写 真は、日本のアンリ・カルティエ=ブレッソンとも言われていたそうですが 、ご本人は当初、木村伊兵衛氏に憧れていたと写真集に書いていました。私は、東京 を撮った桑原甲子雄氏の写真も思い出しました。
 
 撮られているのは、街で見付けた日常生活のヒトコマばかり。  例えば、雨になるとぬ かるむ、アスファルト舗装のされていな い道路。  
 鼻水垂らしてたり、裸足で歩いてたり、まっぱだかで川で遊ぶ 子供たち。  
 売り物の氷屋の氷をこっそり舐めてる男の子。  
 片手に泣いてる子供、片手に三輪車を持った、ゴム長靴履いて るおまわりさん。  
 夫婦と小さい子、親子三人でマイカー(自転車)に乗ってると ころ。  
 たくさんいる小さい兄弟をリヤカーに乗せて自転車で走る兄、 とかだ。  

 実際、自営の写真館を昼間は奥さんに任せて、毎日のように街に写真を撮りに行っ ていたそうだ。また、地元のろうあ運動のリーダー的存在でもあった。  
たんたんと生活している人たちの暮らしがとても自然に感じられて、胸がしめつけ られる想いがした。被写体の肌の弾力や、肉体の発する体温まで感じられる、やわら かい写真。強さというのとは違うけれど、写真を観ていて「生きる」という事に肯定 的な感じがしたのは、作者の想いかもしれないなと思う。  
写っている人は、みんなニコニコ笑っている。特に子供が、警戒心も無くイイ顔だ 。きっと撮ってる人もこういう顔をしていたんだなと思う。構図もいいけれど、とに かく写っている人がいい。観ていると、きっとこの作者は被写体それぞれの幸せを願 って撮っていたんだなあということを感じられる。  
紹介される時に、特に「ろうあ者」という言葉がついてまわってしまうけれど、それを読むと、もともと写真は作品としては音のない世界の表現じゃないかという反発 心も起こる。でも、逆にそう言われてこの人の写真を観ると、説明のつくことも確か にある。余分なものが遮断されている感じ、風景を切り取る眼に音という情報が入り こんでいない感じ。聞こえてしまう私には、曖昧にしかわかることができない、とい うか文字表現できないけれど、写真を観ればたぶん伝わってくると思う。  

 ちょっと話がズレますが、12月24日まで東京オペラシティで開催されている「エゴ フーガル:イスタンブールビエンナーレ東京」展には、ユジャン・バフチャルという 盲目の写真家の作品があるらしいです。  
盲目の写真家(!)ということに大いに驚いてしまったわけですが、視覚の無い人 の視覚芸術って? チラシには、「モデルや補助を頼りに写真を撮り続ける」としか 無いので、よくわからないけれど、写真家になった後に事故か病気で失明してしまっ たということなんでしょうか。どちらにしても、(こういうことはあまり言いたくな いけれど)眼が見えない人の撮った写真という方が、ろうあの写真家を特別視するより想像に難いです。
 
 この展覧会は、忍足亜希子さん(”おしたり”と読む・ろうの女優さん)の主演映 画「アイ・ラブ・フレンズ」の公開を機に開かれた展覧会でした。映画の中でも展覧 会の写真が登場するそうです。(まだ、観ていないの)  
会期も短く、観る機会も少ないと思うので、写真集「思い出の街」「こどものいた 街」(河出書房新社)と、評伝「音のない記憶−ろうあの天才写真家 井上孝治の生 涯」(黒岩比佐子著 文芸春秋刊)で、是非観ていただきたいです。  
写真集のあとがきに、私の人生観は写真をみていただければわかります、というこ とが書いてあった。優しい人だったんだろうなと思う。  
プロフィールの写真に、何故か37歳の時の写真が使われている。作品を撮った、 昭和30年代のころの自分ということなんでしょうか。ベレー帽を被って、タバコを くわえ、紗に構えて、オシャレにダンディーに写っている、何だかエルスケンみたい だ。

 観にいった時に、たまたま忍足さんが観に来ていた。さすが女優さん、当たり前だ けど、ひっじょーに美しかったです。自慢じゃないけど、私はちょっと手話ができる 。でも、この”ちょっと”がアダで、逆に恥ずかしくて話しかけられなかった。サイ ンももらい損ねる。いつものずうずうしさのかけらも出なかった。ちぇっ残念〜。画 廊のサイン帳で、忍足さんの名前の下に自分の書けたということで自己満足。(笑)

 

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