山梨・まち[見物]誌ランデブー 第2号 特集・甲府市
ハネムーン時代の、太宰治
小雨混じりの桜桃忌
今年の六月十九日、甲府は時折小雨まじりの曇天であった。六月十九日と聞いて、あ、桜桃忌だと気づいた方は、なかなかの太宰ファンである。この日は、太宰の誕生日でもあるんだと、もう一言つけ加えられる方は、相当な太宰ファンである。さらに、太宰が東京・三鷹の玉川上水に愛人・山崎富栄と入水して死んだのは六月十三日であり、二人の遺体が発見されたのが奇しくも太宰が生まれた日、十九日であったのだ、と答えられたとしたら、その方は正真正銘の太宰ファンといっていいだろう。
この日、御崎町(現在の朝日五丁目)にある御崎神社の少し東寄りの一画に、人だかりがあった。テレビ局の取材陣の姿もある。見るとそこに、「太宰治僑居跡」(太宰治/本名・津島修治が新婚時代に住んでいた貸家があった場所)という御影石の石碑が立っており、前に置かれた机の上には白い皿に真っ赤な桜桃(サクランボ)があふれんばかりに盛られていた。その赤が、曇天の光の中でひときわ鮮やかに、目に染み込んでくる。長髪の男性が、「それではただいまから甲府桜桃忌を開催します」と挨拶をし、その後、参加者は菊の花を一輪ずつ桜桃の横に献花していく。この長髪の男性は、おそらく山梨で一番の太宰ファンであり研究者でもある、橘田茂樹さんだ。公立の図書館に勤める傍ら、山梨の桜桃忌の中心的な役割を果たしておられる方だ。一年に一度、太宰治を偲ぶ甲府桜桃忌は、こうして今年も御崎町で滞りなく行われたのである。
お参りが終わった後は、多分太宰も訪れたであろう御崎神社の社内に集まり、山梨県立文学館学芸員の高室有子さんのミニ講演「太宰の俳句について」を聞き、また、部屋の片隅に展示されている太宰ゆかりの品々を見たり、太宰をめぐるエピソードを披露し合うなどして、太宰を忍ぶひとときが過ぎていった。(本文の冒頭より転載)
コンテンツ
- 数多くある太宰を偲ぶ会
- 橘田さんにインタビュー
- 天下茶屋の復活に
- 「実証太宰治論」とは何か
- 実証によって批評する
- 太宰治死後五十年が過ぎて
- ひとつのエピソード
- 心中事件の真相を巡って
田部あつみの場合・小山初代の場合・石原美知子の場合・太田静子の場合・山崎富栄の場合 - 最後の心中事件
- 当時の新聞記事から
- 甲府時代の太宰治
この他、太宰治ゆかりの地を紹介