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山梨・まち[見物]誌ランデブー 第3号 特集・大和村

勝頼、エレジー 新府城から天目へ。「第21回夏草天目道中記」を、たどる旅

勝頼を偲ぶ旅

新府城史跡内にある藤武神社 ここに2冊の冊子がある。昭和30年代に行われた、「夏草道中」の記録集である。山梨日日新聞社の野口二郎氏などが主導して始めた、山梨再発見の旅。1960年代から70年代にかけての、貴重な試みであった。
 それから30年。
 時代の気分も雰囲気もどこか当時と似ているような気がする昨今である。あの時代も変革の時代であった。何かが大きく変わりつつあるような予感が、不安とともに満ちていた。
 十年不況、リストラ、行政改革と、世紀末まであと1年の、先が見えないどん詰まりのような状況から、かすかな光が射してきたように感ずる平成の現在。誰もが心のどこかで、本来自分たちがいた場所、いるべき場所、帰るべき場所、帰りたい場所を探し求めているような時代に、入ったような気がするのだ。

武田勝頼像(高野山持明院蔵) その時代の、「千年」という響きが終ろうとしている年の暮れの、冬の図書館で私は、「夏草道中記」を読む。「第21回夏草天目道中記/『武田落ち』の道を行く」を、読むのだ。そこにはこんな記述がある。
 「夏草天目道中」第1日は4日午前9時から、韮崎市中田町の新府城跡で結団式が行なわれた。90歳にもなった常連から17歳の甲府一高生まで、100人を越す参加者が地下タビや運動ぐつの軽装で集まリ、野口二郎団長のあいさつ、地元横内韮崎市長の歓迎の言葉、講師団の紹介があリ「交通には特に気をつけるように」と参加者の一人、三井武彦県交通調査官らの注意があった。たいへんな盛況振りである。この人たちが、昭和38年の8月4日から7日まで3日をかけて、韮崎市から甲府市を抜け、石和町、一宮町、勝沼町を経て大和村までの、道中距離58キロを歩いたのである。しかも夏の真っ最中の3泊4日の強行軍。
 彼らをこの道中参加に突き動かした情熱は、いったいどこから来たものなのだろうか?
 道中記を読み進んでいくうちに、この道中を30年後の現在、もう一度たどってみるのも面白いかもしれない、そういう気持ちが首をもたげてきた。ここに描かれている寺や史跡、道筋は今、いったいどうなっているのだろうか。
 偉大な信玄の影に隠れていささか風采のあがらない武田勝頼という息子の、しかも敗走する足跡をたどる旅、自死へと至る道行き、それを追うことに、さてどういう意味があるのか、実はそのとき私にはよくわかっていなかった。敗者ゆえに、次々に家臣に裏切られ見捨てられていく、勝頼の旅の悲しみの重さが。(本文の冒頭より転載)


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