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ホーム >  文化事業(ランデブー) > 第4号 武川村

山梨・まち[見物]誌ランデブー 第4号 特集・武川村

武川村を、グルリとひとめぐりの旅

松と桜と米と滝、まだまだあるぞ、日本一自慢

自分の言業で伝えたい

万休院の舞鶴松 大きな家の居間に通された。連れあいに先立たれたから、今は一人で住んでいるだよ、と中山さん。さあさあ座れし。大きな炬燵を囲んで、お茶をいただく。気持ちを開いている優しさが、伝わってくる人柄。いっぺんにうちとけた。なにより方言で話してくれるのが嬉しい。
 中山さんは、農林省の食糧事務所に勤めておられた。国家公務員だったのだ。仕事の傍ら、山梨郷土研究会に所属して、大学の先生たちのような研究者とはちがうスタンスで、郷土史の研究をしてきた。難しい研究はお任せして、自分は自分の住んでいる村についていろいろと知りたかった。
 「武川村の文化財審議員になったので、村のことを調べ出したら、この村には他の町にはマネのできない物がいろいろとあることがわかってきました」
 中山さんが現在住んでいる場所は、むかしは古屋敷と呼ばれていた。中山さんの祖先たちは、あるとき村の別の場所から移り住んできたのだという言い伝えは残っていたが、それがいつのことで、どこからなのかはわからなかった。
「村誌をつくるお手伝いをしたとき、名主文書の中から、屋敷割りの図が出てきたのです。それで享保13(1728)年に大武川が氾濫した折、高台にあったこの場所に移り住んだということがわかったのです。言い伝えは嘘ではなかったんですね。今から270年前の当時の屋敷図を見ると、現在とほとんど変わっていない。私のうちも記されてあった。信州往還の道沿いの村落で、私のうちが、村落の一番最後だった。用水も当時のまま今でも残っていますし、道祖神も立っています。いやあ、屋敷割りの図を見つけたときには感動しました」 (本文の冒頭より転載)

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(注)武川村は、市町村合併により現在の北杜市の一部となっています。 


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