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山梨・まち[見物]誌ランデブー 第6号 特集・白根町

郷土の偉人 若尾逸平ものがたり

天秤棒商法から甲州財閥の巨頭に

一枚の屏風から

94歳の若尾逸平翁白根桃源美術館の展示室に、興味深い三曲一隻(さんきょくいっせき)の屏風(びょうぶ)が展示されているのをご存じだろうか?この屏風、よく見ると不思議な屏風である。縦方向に順番にさまざまなシーンが描かれている。紙芝居のようにも見える。作者は中沢年章という人で、元治元(1864)年、現在の田富町小井川に生まれた日本画家である。その絵の中のどれにも、小柄で目が細く意志の強そうな顔、がっしりとした体つきの人物が登場する。どうやらその人物の生涯を描いた絵のようである。
 この人物こそ、白根町在家塚(ざいけつか)の農家に生まれた若尾逸平である。屏風に描かれていた絵は、中沢が描いた若尾逸平の伝記絵ものがたりだった。
 「若尾逸平は白根町在家塚の生まれで、甲州財閥のトップランナーとして有名な人です。なんとなく逸平は明治の人という印象が強いんでしょう?ところが逸平が明治を迎えたときは既に49歳でした。」
 といって白根桃源美術館の学芸員、矢野晴代さんは笑った。確かに筆者も逸平は明治の人という印象を抱いていた。しかし江戸時代の生まれ、まだ人々がちょんまげを結っていた時代に、青年期・壮年期をおくった人だ。逸平が93歳で他界したのは大正2(1913)年のこと、つまり逸平は江戸時代と明治時代をほぼ半世紀ずつ生きた人なのだ。
 「この逸平人生絵巻の一番最初の絵は、在家塚村の没落した旧家の子として生まれたシーンからはじまります。そして、剣客になるために江戸に向かうところや、さらに夢破れて帰郷し、やがて有名な天秤(てんびん)棒商法をはじめるというようにものがたりは展開していきます。」
 すでに伝説になった感がある「天秤棒」商法とは、実にシンプルな商法だった。要するに逸平は、天秤(「天秤棒」の略。両端に荷物をつるして、中央を肩に担ぐ棒のこと)でさまざまなものを担いで運び、売って歩いたのである。(本文の冒頭より転載)

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(注)白根町は、市町村合併により現在の南アルプス市の一部となっています。


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