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山梨・まち[見物]誌ランデブー 第10号 特集・鰍沢町

無垢で一途な心情を、もちつづけた人  望月百合子断想

四つの年号を生きた人

写真 望月百合子鰍沢町内を走る国道52号線沿いに、鰍沢町教育文化会館がある。建物の通りに面した壁面に、葛飾北斎の富嶽三十六景《甲州石班沢(こうしゅうかじかざわ)》の図が描かれているからすぐわかる。
 ちなみにこの《甲州石班沢》の図、表題の「石班沢」は「石斑沢」の誤刻だそうで、現在の鰍沢町辺りの富士川急流に取材したものと考えられている。岩には水飛沫がはじけ、岩の上で猟師の親子が網を打っている姿が描かれ、霞にけむる裏富士が片側だけ稜線を見せている。こんな感じで裏富士が見られる場所は、町の南の外れ付近しかなさそうだ。
 館内左手の一部屋が「望月百合子記念」にあてられていた。入り口でブロンズづくりの百合子さんの胸像が迎えてくれる。
 少し遠い目をしたまなざしの百合子さんは、かすかに微笑を浮かべているように見える。
 何しろ往年はバリバリのアナーキストだった「女性解放運動家」の記念館、それだけでもユニークである。ワンルームの展示室には、シンプルだが興味深い展示がされていた。
 年譜を見てみると、百合子さんは明治33(1900)年9月5日生まれとある。ということは、平成13(2001)年、6月9日になくなったときは、101歳だったことになる。百合子さんは、明治、大正、昭和、平成と四つの年号を生きた人なのだ。もちろんそういう方はたくさんいるが、百合子さんのような人生を歩んだ方となると、そうはいないだろう。百合子さんの百年は、実に多彩な歳月だった。(本文の冒頭部分より抜粋)

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