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塩山市
山梨・まち[見物]誌ランデブー 第12号 特集・塩山市
本郷界隈にあった「リトル甲州」で、 一葉は「甲州女」に育った
慈雲寺へ、一葉へ
駅前の観光案内に「駅からハイキング慈運寺のしだれ桜と塩山桃源郷」というパンフレットがあった。実施日は4月13日とある。今年は関東近県、異常な好天気で、山梨でも桜の開花が3月末に早まった。お彼岸に桜なんてねえと、巷で驚きの声が上がるほどだった。おまけにその開花の直後、けっこう激しい雨も降ったので、桜はほとんど散ってしまった。相次いで、桜見物ツアー中止の報道がなされた。だから、あの慈運寺桜見ツアーは大丈夫だったのだろうかと気になった。
しだれ桜で有名なその慈運寺を訪ねたのは、桜がまだつぼみほどの時期だった。甘草屋敷前の道を重川に向かって進み、赤尾橋を渡って坂道を上がる。少し急な山峡の傾斜地だ。慈運寺の裏手にある駐車場に車を止めた。目の前に、大きな石碑の後ろ姿が見えた。それがお目当ての「一葉女史碑」だった。
実は慈運寺を訪れる前に、例によって頼みの樋水明さんから、一葉のことなら、岩窪町の萩原留則さんに会いなさいとすすめられた。早速電話し用件を伝えると萩原さんは、では、護国神社で待ち合わせましょうかと、話が早い。翌日の午後、待ち合わせの場所に出かけると、電話ボックスの側の石碑に身を寄せている萩原さんの姿が見えた。
家がわかりにくい場所にあるので、ここで待ち合わせるのが一番、と萩原さんは笑い、そこから通りを越して南に下る道を進んだ。萩原さんのご自宅は、その道の先の閑静な住宅街の一画にあった。
一葉の肉筆原稿
「これが私の宝物です」
といって萩原さんは、床の間の掛け軸を指差した。(本文の冒頭より抜粋)
コンテンツ
- 水色の「たけくらべ」
- 肉筆原稿の顛末
- 一葉の父が生まれた場所
- 大きなものがたりのはじまり
- 大吉、江戸の晩菘のもとへ
- 江戸から、明治へ
- 慈運寺境内の二つの記念碑
- 東京にあった「甲州」
- 恋の行方、人生の行方
- 一葉の最後の脈をとった人
- 一葉が描いたふるさと
- 渾身の、一葉あわれ