山梨・まち[見物]誌ランデブー 第12号 特集・若草町
河西豊太郎と嘯月美術館
土蔵造りの美しい家並み
毎年2月10日、11日に、「十日市」でにぎわう県道韮崎櫛形豊富線。
この県道沿いの十日市場あたりに、土蔵造りの白壁の家が立ち並ぶ一角がある。その中でも一際目立つ白壁の大きな家。周囲に堀が巡らされているその家が、本日の取材先、財団法人嘯月(しょうげつ)美術館なのだが、美術館を訪ねる前に見ておきたいものがあった。
嘯月美術館の西隣にある「山梨県立養護老人ホーム豊寿荘」である。その入り口に大きい標識が立っていて、そこに「河西豊太郎先生頌徳(しょうとく・ある人の徳をほめたたえること)碑」とある。中をのぞくと入ってすぐの右手に巨大な石のモニュメントが見える。あれが頌徳碑に違いない。
この河西豊太郎こそが、現在嘯月美術館に収録されている作品のコレクターであり、養護老人ホーム豊寿荘の敷地を県に寄付したその人だ。そして、そのコレクションに自らのコレクションも加えて、美術館を建てたのが、豊太郎の息子、河西俊夫である。
巨大な一枚板の頌徳碑の上部には、豊太郎の上半身のレリーフが刻まれていた。昼の光の中で、その姿が一際鮮やかに浮かび上がって見えた。
屋敷の片隅に美術館が
嘯月美術館は、河西豊太郎・俊夫親子の屋敷の一角に建てられた瀟洒(しょうしゃ)な美術館である。したがって入り口は普通の家の門口の風情で、柱に「財団法人嘯月美術館」の表札が見える。もっともこの表札がすでに古色を帯びて読みづらいためか、傍らに、書き文字による「嘯月美術館」という看板が立てられている。
入ると前方に河西家の住居、右手奥に美術館の建物が見える。
住居の片隅にチケットを売る場所があった。
応対してくださった方は、美術館の理事であり、学芸員でもある矢崎格(いたる)さんだ。驚いたことに矢崎さんは、東京の南青山にある根津美術館の学芸員を30年間も務められた方で、現在は退職して、東京から嘯月美術館に通っているのだという。
矢崎さんの父親は若草の出、次男だったので上京して東京で生活していたが、太平洋戦争の時期に生まれた矢崎さんは、疎開もかねて4歳から小学校3年生までを十日市場で過ごした。
「だからこの辺りは僕のふるさとです」
と矢崎さんは微笑まれた。
コンテンツ
- 親子二代に渡るコレクション
- 屋敷内を拝見
- 十日市のある村
- 成器社での出会い
- 北村兄弟の新しい村
- 政界へ、実業界へ
(注)若草町は、市町村合併により現在の南アルプス市の一部となっています。