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山梨・まち[見物]誌ランデブー 第17号 特集・南アルプス市

第17号 特集・南アルプス市 【旧甲西町】

荊沢宿で、祭り囃子を聞いた日

人気ツアーに参加して

荊沢宿の祭り囃子この春、「南アルプス市ふるさと再見・荊沢(ぱらざわ)宿ガイドツアー」のチラシを日にした。旧甲西町救刑沢の宿巡りのツアーか、面白そうだなと、筆者の好奇心がふくらんだ。さっそくこのツアーの同行取材をお願いし、春らんまんの一日、総勢50人にも及ぶ人気のツアーに参加した。
 受付は南アルプス市役所甲西支所。旧甲西町役場である。9時集合というのにすでにたくさんの人々が集まっている。みなさん手にしたガイドブックを熱心に見ている。受付の女性たちがてきばきと参加者の確認をし、透明の袋に入った資料を渡してくれる。中に入っているのがガイドブックとチラシだ。ガイドブックをもらえるとは思っていなかったので、得した気分になる。無料のツアーで、ここまでサービスしてくれるとは思わなかったのである。
 開いてみると、大きな文字で読みやすい。それにイラストが楽しい。ずいぶん経費がかかっているのではないかと逆に心配になったが、主催者サイドの説明によるとNPO(特定非常利活動法人つなぐ)との連携事業だそうで、市だけではできないこうした丁寧なサービスが実現したという。行政改革の流れの中で誕生したNPOも、数年が経ち次第にその活動も浸透してきているんだなと感じる。
 さて、司会進行の女性の案内で、いよいよツアーが開始する。見ると参加者は帽子にリュック、スニーカーの完全装備。歩きの達人たちとお見受けした。定年退職したお父さんといっしょの奥様。ご夫婦で楽しそうだ。うらやましい。なかよしグループで和気あいあいな感じのする一団は、60代の女性ばかり。40代と思われるお母さんと娘さん。20代の大学生などなど実に多彩なメンバーである。
 甲西支所を出発して文化財調査事務所を通りすぎ、突き当たりを左折して若宮八幡宮に到着する。この神社は古市場など周辺七か村の総鋲守だそうで、なんといっても神楽殿の神楽が有名である。毎年10月に行われる夜祭りで舞われる神楽は大人気で、大明小学校の子どもたちの「浦安の舞」などを見る参拝者で夜通し賑わうのだそうだ。
 その境内には机が並べられ、その上に土器が展示してある。参加者たちは、え?神社に土器?
 という感じで、みなさん土器のまわりに集まってしまう。
 「え−、土器につきましてはあとでお話しいただきますから、まずは神楽殿の前にお集まりくださ−い」
 司会進行役の、つなぐNPOメンバー内藤真衣子さんの声が境内に響き渡る。
 ツアー講師の石川安雄さんのお話によると、ここの神楽は太鼓や横水田に合わせて無言で舞う里神楽の一種なのだそうだ。さまざまな男面のほかに女面や狐、鬼などの面がある。それぞれの面をつけた演者たちが、夜のかがり火の中で無言で舞う姿を想像して、少しわくわくする。それにしても気持ちのいい風が吹き抜ける場所だ。
 さて、神社の話なども聞いたところで、先ほどから気になっていた土器のところに移動する。なぜこんなところに土器があるのか。その謎はすぐに解けた。

【旧櫛形町】 積み重ね、積み重ね、また積み重ね

東京タワーや通天閣を設計した内藤多仲

札幌大通公園で

東京タワーや通天閣を設計した内藤多仲 仕事で札幌に出かけた。夜、札幌大通公園沿いをタクシーで走った。前方に、輝くようなイルミネーションに彩られた東京クワー、のようなクワーがそびえているのが目に入った。美しかった。運転手さんに、あれは何ですか?と馬鹿な質問をした。タワーであることはわかっているのだが、それにしても「あれは何であるのか」と聞きたくなってしまう輝きだったのだ。 
 「ああ、あれね、あれはテレビ塔ですよ。もうずいぶんむかしに建ったものだと思いますよ」 
 これが、内藤多仲(ないとう・たちゆう)が建てたクワーであることは後で知った。このテレビ塔、昭和32(1957)年に営業が開始されているから、すでに半世紀の歳月が流れていることになる。 
 札幌大通公園は、火防緑として明治時代につくられた公園だ。テレビ塔から見て右側が官公庁、左側が商業区域として分けられており、幅六十五メートル、長さ一・二キロメートルある。札幌市の中心部を東西に走っている。大火の延焼を防止するための空き地として計画され、実際に明治時代には何度も火災の広がりを食い止めた実績をもっている。両脇の道路幅を含めると105メートルという規模は当時の日本の都市の常識を超えるものだった。現在では碁盤の目状に区画された札幌市の街割りの基軸にもなっている。

その公園沿いにテレビ塔は建てられた。昭和三十年代から現代に至るまでの、いわば戦後の札幌の歴史をこのテレビ塔は見つめてきたことになる。そういう少しばかりセンチメンタルな気持ちを誘うところもまた、タワーの魅力なのだろう。札幌での内藤の「作品」との偶然の出会いは、心の底に届くものだった。

曲輪田の蔵を見る

夏のある日、内藤の資料があるという南アルプス市の櫛形図書館に行ってみた。まずは地元の資料を調べてみたいという気持ちからだ。司書の方の親切な案内で、さまざまな資料を見ることができた。それらの資料によると、まず内藤は元櫛形町の出身だ。元櫛形町の前は、旧榊村と呼ばれていた地区だ。そこの曲輪田(くるわだ)の生まれである。曲輪田にはいまも、中野家という大きい家紋のついた蔵が残っているが、その家で内藤は幼少期を過ごした。 
 すでに読者はおなじみの名シリーズ『郷土史に輝く人々』で「内藤多仲」を紹介したのは石川修三氏。石川さんの記事には、彼岸の墓参に来た内藤夫婦を偶然、お塞がある円宝寺まで送ることになった石川さんのエピソードが綴られている。 
 円宝寺は鉄筋コンクリートのお寺であるが、実はこの円宝寺を設計したのも内藤なのだ。このお寺は内藤の檀家寺である。 
 寺内には彫刻家・西山如拙(にしやま・じょせつ)の手になる慈母観音像が祀られているという。内藤夫妻は毎年この時期になると墓参し、この観音像に手を合わせるのが慣いだった。 
 石川さんは、幼少期の内藤の家についてこんな風に書き留めている。

【旧八田村】 能蔵池と赤牛伝説

涼しげな池のほとりで

能蔵池と赤牛伝説南アルプス市の八田地区。旧八田村の猛暑の夏を行く。いやあ暴い暑い。やっとの思いでたどり着いたのが能蔵池だ。むかしこの池のすぐ向かいにあるテニスコートでテニスをしたことがあった。そのテニスコートはいまもある。もっともそのころは、ここに池があるとは知らなかった。白球を追い、おいしい焼き肉を食べるのに夢中だったのだ。それにしても、周囲がずいぶんと棟変わりしていて驚いた。ふるさと伝承館やふるさと天文館が立ち並び、このエリアは地区の重要をスポットになっていたのだ。
 今回もこれらの施設を紹介してみようと思うが、その前に、まずは涼しげな能蔵池に思いを馳せてみたい。第一どうして能蔵池という名前がついたのか。能蔵さんがつくったとでもいうのだろうか。
 昭和47(1972)年に発行された.『八田村誌』を読んでみる。第五章に「水」という項目があり、その第一節に「能蔵池と神明川」とある。池がある辺りは野牛島(やごしま)区と呼ぼれていた。驚いたことにこの池は文化3(1806)年に編まれた『甲斐国志』にも記されている池で、その当時は相当に深い池だったようだ。また、明治元(1868)年には、藤村県令が船に乗ってこの池を周遊したというエピソードが残っているそうで、このころまではやはり深かったということになる。現在の池を見下ろすと、それでも船ぐらい浮かびそうな水量はありそうだ。うっそうと茂った木立の中で、池は静かに時間をはんでいるのだが、道路から池のほとりまで降り立つことはできない。以前はそこまで降りられたようだが、池を渡る橋の扉に、渡れませんという表示が掲げられている。何かあったのだろうか。
 この池、実は湧水池である。御勅使川(みだいがわ)扇状地の扇の端に位置していて、伏流水の湧水箇所にあたるのだという。湧水なので水が冷たく、水田には引けないといわれてきた。この池からあふれ出した水は、住吉で水車を回し、付近の田畑の湛漑に使われ、四ヶ村堰(せぎ)と交差し、神明川となって釜無川に注ぎ込んできたという。

(注)甲西町・櫛形町・八田村は、市町村合併により現在の南アルプス市の一部となっています。


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