2022.7.13更新

     
 

 


宮ノ前の電停名は、すぐ前に尾久八幡神社があることから名付けられたそうです。



 尾久八幡神社
 荒川区西尾久3-7-3 TEL.03-3893-1535
尾久八幡神社の縁起はわからないそうですが、鎌倉時代末期の正和元年(1312年)に、尾久の地が鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進された頃に遡ると考えられているそうです。また、南北朝時代の至徳2年(1385年)の棟札があることから、その時に再建された事が確認されています。

御祭神は、応神(おうじん)天皇と末社の神々。江戸時代に幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』(文政11年成立)には、上尾久・下尾久・船方の三村の鎮守として記されています。今でも尾久の総鎮守として、信仰されています。

毎年6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)には、ツミやケガレを祓う「大祓の神事」も行われます。
人形代(ひとかたしろ)に姓名、年齢を記し、身体を撫で、息を吹きかけ、初穂料と共に奉納します。
大祓前日までに納めて、と記されていますが、大祓当日でも大丈夫でした。

  

 

尾久八幡神社の御朱印は月ごと季節ごとに変わっています。6月は紫陽花と夏越の大祓。詳細な情報は公式ツイッターをご確認ください。



 厳島神社

御祭神は、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)。
尾久八幡神社の境内社として社殿左手に鎮座しています。厳島神社を護る狛犬は1936年(昭和11年)に奉納された戦前のものです。

  



 八幡堀

八幡堀は、今は暗渠となった音無川から分流した用水路で、隅田川へと注いでいました。
1985年(昭和60年)、地域学習をすることになった区立尾久宮前小学校の児童達が、江戸時代の古地図に今は流れていない何本もの川を発見します。調査した結果、江戸時代から大正時代まで、八幡堀という用水路が存在した事を知ります。この発見が荒川区にあがり、尾久宮前小学校から八幡堀児童公園まで、断続的に児童が描いた絵タイルが埋め込まれ、八幡堀プロムナードが出来上がりました。八幡堀児童公園には「ヲ」を9つで「尾久」を表したマンホール蓋も展示されています。
八幡堀のあった尾久八幡公園に、記念碑「八幡掘モニュメント」が設置されています。ただ、尾久八幡公園にある水路が記された図は、経年劣化で読めない状態になっていました。碩運寺に明治通りへと続く八幡堀のすいろみち図がありました。

  



 宮前公園
 荒川区東尾久8-45-22 TEL.03-3810-2111(年末年始を除く9:00〜17:00)
「子ども広場(幼児用、児童用の複合遊具、砂場など)」「多目的広場(3,000平方メートルを超える大きな芝生広場)」「ローズガーデン(四季折々の花を楽しめる庭)」などがある広大な公園。草花が植栽されている庭にはそれぞれ名前が付いていて、その名前のイメージした空間が造られています。子ども広場の隣には尾久図書館があります。尾久図書館の入口に「荒川遊園煉瓦塀(西尾久6丁目に現存しています)」の一部が移設されています。隅田川の手前には延長約28メートルのローラーすべり台が設置してあります(利用料金:無料)。墨田川の土手沿いを歩くのも気持ちが良いですよ。

  



 碩運寺 ※碩運寺の一般公開はしていません。
 荒川区西尾久2-25-21 TEL.03-3894-6025
1914年(大正3年)、碩運寺住職の松岡大機師が井戸を掘削し水質検査をしたところ、ラジウムが含まれていたことがわかりました。最初は湯治場「寺の湯」として参拝者が利用していましたが、盛況だったため「不老閣」として開業しました。
不老閣の開業をきっかけに、尾久地域に保生館、清遊館、大河亭、小泉園等、続々と温泉旅館や料理店が開業し、尾久温泉として発展していきます。ピーク時には芸妓屋598軒(芸妓数は300名以上)が軒を並べ、芸者遊びを楽しむ花街になりました。1922年(大正11年)に二業地、続いて三業地(芸者を派遣する「置屋」と、客が芸者と遊ぶ「待合」そして料理を出す「料亭」の三種類の業者が集まったのが「三業地」)の指定を受けました。
ただし、戦後になると尾久温泉の地下水が枯渇し、花街としての活気も途絶え、荒川区の他地域と同様の下町の住宅地となり、現在に至ります。




 満佐喜
 旧住所は東京市荒川區尾久町一八八一尾久三業地内
 (現住所は東京都荒川区西尾久2-7-9)
“阿部定事件”が起こった待合旅館。(今は駐車場になっており、痕跡はありません)
仲居であった阿部定が愛人男性石田吉蔵と駆け落ちをし、待合を転々としながら、尾久三業地の待合旅館「満佐喜」に行きつきます。性交中に腰紐で首を絞める行為の末、1936年(昭和11年)5月18日午前2時、定は石田を絞殺。包丁で彼の性器を切断し、雑誌の表紙に(ハトロン紙とも言われています)陰茎と睾丸を包み、逮捕されるまでの3日間、これを持ち歩いたそうです。
1936年(昭和11年)12月21日、東京刑事地方裁判所は、定を殺人および死体損壊罪で懲役6年(求刑10年)の判決を下します。1940年(昭和15年)に「紀元二千六百年」の恩赦で残りの刑期が1/2に減刑され、翌1941年(昭和16年)5月17日に出所しました。釈放後、定は「吉井昌子」と名前を変え、埼玉県でサラリーマンの男性と生活(未入籍のため事実婚)をしていましたが、男性が自分の妻が阿部定だと知ったことが原因で破局しています。ふたたび各地でいろいろな仕事を転々とするようになりましたが、1971年(昭和46年)に置き手紙を残して失踪し、以後消息不明となっています。しかし、1987年ごろまで石田の永代供養をしていた寺へ毎年命日に花が贈られており、これは定によるものではないかと考えられているそうです。
事件をモチーフにした作品では、大島渚監督作『愛のコリーダ(1976年)』 が有名ですが、予審尋問で定が語った供述「あの人が好きでたまらないから殺した。殺してしまえば他の女が指一本触れなくなりますから」は阿部定を知る上では重要な言葉ではないでしょうか。

阿部定の熱愛を描いた作品が、安藤玉恵さんの一人芝居『切断』。この芝居は「満佐喜」のあった場所からすぐの「どん平」(安藤玉恵さんの実家)で不定期で上演されています。

 



 どん平
 荒川区西尾久2-2-5 TEL.03-3893-8982
1950年創業のとんかつ屋。「燃える酒鍋、やってますのどん平」の都電内広告(初代店主の姿)で目にした人も多いと思います。醤油、おから、日本酒で煮込んだ豚バラ肉を揚げたとんかつにデミグラスソースが絶品。柔らかくて美味しいです。
写真は“半とんかつと麦とろミニセット定食”。税込1,100円(2022年、7月現在)
『孤独のグルメseason3 第10話「荒川区西尾久の炎の酒鍋と麦とろ飯」』でロケ地になっていました。

11時から13時30分(定食のみ。売り切れ次第終了)17時30分から21時(鍋コースのみ。前日までの予約制)
定休日:日曜、祝日

  



 伊勢元酒店
 荒川区西尾久2-25-20 TEL.03-3800-5959

ここで“都電の街地ビール”が買えます。味は黒ハーフとピルゼン。
都電地酒もあります。

ワイン、日本酒の種類も豊富です。年末には樽酒も置いてあったのですが、ここ数年はコロナの影響で仕入れていないみたいです。



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