新美南吉「権狐」論――「権狐」から「ごん狐」へ――木村 功 |
要旨
新美南吉の「権狐」は,原「権狐」ともいうべき口承に基づいて創作され,鈴木三重吉の斧鑿を経て「ごん狐」として成立したテクストである。口承の文化の要素を持っていた「権狐」は,三重吉の手によって地域性を失う一方で,より普遍的な物語性を獲得して読者市場を流通する文学テクストに変換されたのである。
keywords;「権狐」・「ごん狐」・鈴木三重吉・声の文化・文字の文化
本論では,小学校四年生の国語学習教材として教科書に採録されている「ごんぎつね」(初出「ごん狐」)と,そのプロトタイプである「権狐」(「スパルタノート」)との比較を通して,「権狐」の物語内容の変容の内実,特に冒頭部の語り手「茂助爺」の削除の意味について考察する。
まず最初に,「権狐」と「ごん狐」の本文間の主たる異同を検討して,「権狐」本文に生じた変容の意味について考察したい。「権狐」本文は,『校定新美南吉全集』第10巻(1981年2月28日,大日本図書)に,「ごん狐」本文は『校定新美南吉全集』第3巻(1982年2月31日,大日本図書)に依った。なお異同は,主要なものに限定した。
以下に,異同の内容と解説を記す。
1,語り手の削除。この意味については,後述する。
2,時代性の削除。「徳川様」「家来」などの特定の時代を示す言葉の削除。
3,地域性の削除と表現の訂正。「いささぎ」→「しだ」。「いささぎ」とは,〈「ひさかき」のこと。権現山,中山の丘の東側,南側など,日あたりのよいところに生えている(1)。〉とある。「洞」は岩や大木にできた空洞をいうので,「作った」は誤りと考えられ「穴」に改められた。
<小狐>(「ごん狐」)という表現についても触れておきたい。権狐(ごん狐)は,我々がよく知るところの赤キツネがモデルになっている。赤キツネは,<真冬に交尾し,〜日の妊娠期間の後,巣穴の中で2〜8頭の子をうむ。北アメリカではよくマーモットの穴をひろげてつかう。子は目のあかない状態でうまれ,約5週間,巣穴の中で両親の世話をうける。秋までに,子はなわばりからでていくか,おいだされる(2)。>(原文横書き)とあり,きのこが取れる物語の季節から言っても,権狐は親と別れて独立した,一匹の狐であると考えなければならない。
また,安藤重和は地元の猟師に取材して,〈@狐の出産は三月頃であること,A仔狐の成長は極めて速く七月頃には親と殆ど同じ大きさになってしまうこと,B八月中旬頃には狐はバラバラになって単独で行動していること,などの教えを得た(3)。〉として,南吉が〈一人ぼっち〉の〈小狐〉と表現したことについて,野生の狐の生態に詳しくなかったことを指摘している。
4,表現の補正と平易化。ごんの内面が加筆され,百舌鳥の鳴声についてもより分りやすい表現になった。
5,地域性の削除と平易化。「背戸川」とは,〈矢勝川のこと。岩滑新田,岩滑の北(背戸の方)を流れるため,当地の人たちは背戸川と呼んだ(4)。(後略)〉 「ちがや」は,地域児童はともかく,一般の児童にとって分りやすい植物名ではないところから,より分りやすい「すゝき」に改められた。
6,表現の補正。「ぼろ/\の」黒い着物とすることで,兵十の貧しさを表出した。「腰のところまで水にひたりながら」は,表現の補筆。
7,表現の補正と訂正。「木片」を「くさつた木ぎれ」とより具体化した。「もぢやもぢや」より,「ごちや/\」の方が,一般的で馴染みやすい表現なので改められた。
8,表現の訂正。この場面で魚篭の中味に言及する必要性は低いと思われる。
9,表現の訂正。一旦何処へか行ってしまった兵十が,「すぐ側」でどなるのはおかしいので,その矛盾が正された。
10,表現の補正,地域性の削除,表現の簡略化。うなぎが絡みついてとれなかったことを受けた表現に改められた。「いささぎ」を一般的な「草」に変更し分かりやすくした。物語内容にさほど関連しない描写が削除された。
11,地域性の削除。「はそれ」は「はそり」(鉄製の大鍋)の転訛。
12,表現の訂正。権狐が葬式と判断するのに表現が冗長であるので,簡潔に整理された。また物語内容にさほど関係ない表現は削除された。
13,表現の平易化・補正。「日和」を「お天気」,「赤いにしき」を「赤い布」としたことは,児童を意識した平易化であるが,後者の場合は「にしき」という言葉から連想される彼岸花の鮮やかな広がりのイメージは失われてしまっている。改変が必ずしも成功してはいない例である。「遠く向うには」は,表現に距離感を出すために補筆されている。
14,表現の補正。口語的な表現に改められた。
15,平易化,表現の訂正,表現の補正。「自分」→「わし」と口語化。「それで」だと,鰻が食べられなかった事で直接死んでしまったように受け取られかねないので,「そのまゝ」と表現が改められた。また「鰻が喰べたいと云ひながら,死んぢやつたに違ひない。」では,権狐の思いこみが強く表現されているので,あくまで想像の域を出ない範囲に表現が改められた。
16,表現の訂正。物語内容上,特に必要でない「こほろぎ」の描写が削除された。
17,表現の補正。「物置のそばをはなれて,向うへ」と,視点を権狐に移すことで,場面の臨場感を増した。
18,地域性の削除と表現の補正。「だらやす」→「やすうりだァい」と方言を標準語化。「いきのいゝ」が補筆された。
19,表現の補正・訂正。鰯売りの呼び声の雰囲気によりふさわしいように,「いせいのいゝ」と変更された。「芋畑の中を」は,具体的な描写を意識したのであろうが,蛇足であり,いままでの文末表現の仕方からも破調を生じているので,削除された。
20,地域性の削除。「瀬戸口」→「裏戸口」と,一般的な名称に改められた。21,表現の補正。「何か好い事」という曖昧な表現から,「うなぎのつぐなひ」と贖罪意識が強調された表現に改められた。
22,表現の訂正。権狐が覗いた時に兵十が独り言を言った場面なので,「まだ」ではそれ以前から独り言を言いつづけていないとおかしい。接続助詞を用いて適切な表現に改められた。
23,地域性の削除と表現の訂正。「兵十が知らんでるひまに」に,方言が認められる事と,権狐が贈り物を届けるのが兵十が知らない間であるのは物語の展開上当然のことなので削除された。また「きの子」を「まつたけ」と具体化すると共に,「薪」を持って行くのは擬人化の行き過ぎなのでこれは削除された。悪戯をしなくなった部分については,すでに権狐は鰻の件で反省しており,重複しているので削除された。
24,表現の訂正。「ごん」が野生の狐である以上,人間の前に姿を現さない方が自然であり「かくれて」に改められた。
25,表現の補正。先に「きの子」を「まつたけ」と明記したことに合わせて改められた。また「何かをくれるんだ」では権狐の贈り物の内容が曖昧になり贖罪の意味も損なわれるので,「まいにち/\くれるんだ」と贖罪の意味を強化する表現に改められた。
26,表現の補正。話の展開に興味をもった権狐の心情を表す表現としては,「ついて」いくより「つけて」いく方が意志的であり,より適切である。
27,表現の訂正。「いぶかしい」という言葉は,一般児童にはまだ分かりにくく,また文意は「ほんとうかい?」だけで十分通じるので削除された。
28,表現の補正。「権狐」では,ダッシュ(――)やリーダー(……)の記号で,登場人物の心情を表現しようとするが(・も同様),児童には伝わりにくいので,心情そのものを分かりやすく明記した表現に改められた。
29,表現の訂正。「モク,モクモク,モクモク」という擬音は木魚の音の表現として一般的ではないので改められた。
30,表現の補正。神様が「気の毒」という対等な同情意識を持つより,「あはれ」の方が,神様が抱く感情の表現として適切であるので改められた。
31,表現の補正。間接話法の表現を直接話法に改めることで,「ごん」の意識を明瞭化した。
32,表現の補正。「権狐」では,前のエピソードとの関連は希薄だが,「ごん狐」では贈り物が神様からのものと誤解されたにも拘わらず,ごんが「そのあくる日」にも贈り物をしに「出かける」によって,その贖罪意識が強く前景化されることになる。
33,表現の訂正。「見とめました」という述部に対応しない,「何だか」という曖昧な言葉を削除した。「兵十は,あの時の事を思ひ出しました。鰻を権狐にとられた事を。」という過去の回想部分は,直後の「きつと今日も,」以下の文章に含まれ得るので冗長であり削除された。
34,表現の補正。「――」の削除と,その心情を具体化するために「びっくりして」が補われた。
35,表現の訂正。「……」「――」の意味が分かりにくいので削除された。
36,表現の訂正。「うれしくなりました」を「うなづきました」に改めることで,読者にごんの心中を想像させる解釈上の深みが出るように改められた。
37,表現の訂正。「まだ」が「青い煙」に掛かるのではなく,「細く出てゐました」に掛かるように修飾関係が訂正された。
以上「権狐」から「ごん狐」への本文の改変を比較してみた結果を簡潔にまとめると,構成が五章立てから六章立てに変更された事のほかに,以下のような特徴が指摘できるだろう。
1,表現の訂正・補正,2,一と同じ系列だが「地域性の削除」として特化できるもの,3,一と同じ系列だが「語句の平易化」として特化できるもの,4,「贖罪」の強調の4つである。
1の「表現の補正」は,例えば冗長な表現を引き締め簡略化することで,読者に表現内容を的確に伝達する効果を生んでいる。例えば10<権狐は,ほつとして鰻を首から離して,洞の入口の,いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。/鰻のつるつるしたはらは,秋のぬくたい日光にさらされて,白く光つてゐました。>→<ごんは,ほつとして,うなぎの頭をかみくだき,やつとはづして穴のそとの,草の葉の上にのせておきました。> 「権狐」では,鰻を取り外す説明が不充分であり,それが「ごん狐」ではきちんと説明が加えられている。また「訂正」としては,例9のように,向こうにいる筈の兵十が「すぐ側でどな」るような内容的に明らかにおかしい表現から,語句の修飾関係の微調整などの補筆・訂正が加えられている。
2の「地域性の削除」は,児童である一般読者の読解を容易にするという理由だけではない。むしろ物語の地域性を払拭することで,全国的に流通するテキストを作り上げる必要があり,そのための改変として考える必要があろう。例えば18は,「鰯のだらやすーー。いわしだーー。」→「いわしのやすうりだァい。いきのいゝいわしだァい。」のように,方言が標準語に変更されている。
3の「語句の平易化」は,児童には難解と思われるような語句の改正,あるいは平易化である。2とは異なり,地域性よりも児童の読解をより強く意識した改変といえよう。例えば4のように,<空はからつとはれてゐて,百舌鳥の声がけたたましく,ひゞいてゐました。>→<空はからつと晴れてゐて,百舌鳥の声がきん/\ひゞいてゐました。>と,より具体的で聴覚という身体感覚を意識した表現が選びとられていることが分かる。
4の「贖罪」の強調」では,12<権狐は,何か好い事をした様に思へました。>→<ごんは,うなぎのつぐなひに,まづ一つ,いゝことをしたと思ひました。>というように,「ごん」の行為の意味が<つぐなひ>=「贖罪」として明示されている。そこには償うべき自分の悪戯への自覚・反省と,<まづ一つ>というところに,その解消を継続的に果そうという意識が「ごん」に内在していることが表われている。この改変によって「ごん」の行為の贖罪性は強調され,以降「ごん」が山から兵十のもとへ食料をひたすら持参しつづけることが自然な振る舞いとなる。権狐において見られた,「神様」をうらめしく思うような振幅をもった内面が描かれることはなくなるのである。
以上改変の内容の検討からも伺えるように,「権狐」の改変は全体にわたって表現が訂正・補正されることが多く,しかも作者とは別の視点を備えた意識による斧鑿が「権狐」本文に反映していることが分かるのである。単なる悪戯狐である「権狐」が,その「贖罪」行為を通じて共生を求めながらもなお人間と断絶している悲劇性を,より効果的に物語るように文章は改変され「ごん狐」へと再構成されていったのである。しかし「権狐」の改変には,そのように文学的表現を純粋に意識した作業だけが反映しているとはいえない。
次に問題にしたいのは,「語り手」である茂助の説明部分が消去されたことについてである。
「権狐」本文と「ごん狐」本文とを比較して直ちに気がつくのは,「権狐」では冒頭部で語り手の存在が強く明示されているということである。「ごん狐」では,<これは,私が小さいときに,村の茂平といふおぢいさんからきいたお話です。>と始まり,「茂平」が情報源であるということについて言及しただけで,冒頭部でわざわざ言及する意味は殆ど失われている。一方プロトタイプである「権狐」(「スパルタノート」1931・10・4)では,以下のようである。
茂助と云ふお爺さんが,私達の小さかつた時,村にゐました。「茂助爺」と私達は呼んでゐました。茂助爺は,年とつてゐて,仕事が出来ないから子守ばかりしてゐました。若衆倉の前の日溜で,私達はよく茂助爺と遊びました。
私はもう茂助爺の顔を覚えてゐません。唯,茂助爺が,夏みかんの皮をむく時の手の大きかつた事だけ覚えてゐます。茂助爺は,若い時,猟師だつたさうです。私が,次にお話するのは,私が小さかつた時,若衆倉の前で,茂助爺からきいた話なんです。 (傍線引用者)
「権狐」では,語り手が「茂助爺」というだけでなく,夏みかんの皮をむくその老いた手が大きかったと言うように,身体的な特徴さえ刻印された人物として明確に提示されているのである。さらに,元「猟師」という語り手の属性への言及があり,「若衆倉」という語りの発生する「場」への言及まである。さらに後出する「中山」という地名は,「猟師」という職名とあいまって,読者に物語を読む上での大枠を提示している。それは<中山というところ>(「ごん狐」)のような朧化した表現と比べると,より強い「地名」への参照性をもった表現であることが分かるだろう。かつて新美南吉が教え子の小学生たちに「権狐」を語り聞かせた時,聞き手たちには「中山」という地名から喚起されるイメージが理解の前提になっていたのであり,それは「権狐」がもともとは濃厚な地域性を背景に物語られた口承であったことを示している。そしてこれらの言葉は,「権狐」という物語テクストが成立した時代と社会と語り手の「茂助爺」の社会的階層はもちろん,それを採録していった「書き手」の存在についても,我々に多くの情報を与えてくれている。
例えば,「茂助爺」は猟師であるが,猟師であることは,ふもとに定住する農民層とは一線を画す存在であることを柳田国男は指摘する。
彼等(マタギのことーー引用者注)の平地人との交通には,言語風習其他に何の障碍もなかつたのみならず,少なくとも近世に於ては,彼等も村に居る限りは付近の地を耕し,一方には又農民も山家に住む者は,傍ら狩猟に因つて生計を補うた故に,名称以外には明白に二者を差別すべきものはないのである。
たゞ関東以西には猟を主業とする者が,一部落を為す程に多く集まつて居らぬに反して奥羽の果に行くとマタギの村といふ者が折々ある。熊野高野を始めとして霊山開基の口碑には猟師が案内をしたと謂ひ,又は地を献上したと謂ふ例少なからず,それを目して異人仙人と称して居て,通例の農夫は曾て此物語に参与して居らぬのを見ると,彼等山民の土着が一期だけ早かつたか,又は土着の条件が後世普通の耕作者とは,別であつたかといふことだけは察せられる(5)。
また,<狩猟者が単なる肉や毛皮の供給を目的とした経済活動のみを行なうのではなく,信仰儀礼を多くもちこれを伝承して来たことは,彼らの出自が宗教者の一派であったろうことをうかがわせる。>として,<山中修行の宗教者の流れをひいている>(6)とする別の見解もある。ともあれ「権狐」とは,元来農村社会とは異質な狩猟社会で生活していた男が所有し管理していた「物語」だったのである。
ところが,近代社会はそのような猟師と農民の生活区分や価値観の差異をことごとく平均化していく社会であった。1873(明治6)年の地租改正で,国は村々入会地を官有化する政策をとり,1908(明治41)年以後の部落有林野整理統合政策では,山林の町村有化を通して町村財政の強化を目的とした。こうした山林の国有・公有化は,その権利を獲得できなかった人々をそこから排除することになる。こうして入会制度が解体して行く中で,猟師は山での生活の場を奪われて行った結果,山から下りて生活することになっていったのである。老いた「茂助爺」が村で生活している中で物語ったという原「権狐」は,近代社会の中で生活の場を失っていった「猟師」の生活を背景とするものでもあったのである。
事実,「権狐」の中には,そのような猟師ならでは知り得ない狐の生態が描きこまれていることを安藤重和は指摘する。<「権狐」という作品の中には,一般の人の知らない実地に即した知識が背景にあると思われる描写が散見される。肉食動物とされている狐が実際には薩摩芋を掘って食べることなど殆どの人は知らないであろうし,又,雨あがりの増水した川の方が魚がよく採れることや,秋ウナギは釣針ではなく「網」で採るのだということも知る人は少なかろう。>として,<「権狐」という作品は,新見ママ南吉が独自に一から創りあげた作品というのではなさそうである。>と「茂助爺から聞いた話」の存在を指摘した。そして安藤は,「権狐」の第1章から第3章までを一つの話とする見解,すなわち<「悪戯ばかりしました」―「あんな悪戯をしなけりゃよかったなー」―「そして権狐はもう悪戯をしなくなりました」,つまり悪戯ばかりしていた権狐が兵十に対する悪戯を反省してそれを契機に全般的に悪戯をしなくなる話>を措定し,「茂助爺から聞いた話」に<今の第四段落以降の内容を書き継ぐことによって,「権狐」という作品を作り上げたのが新見ママ南吉であった(7)>とした(8)。
しかし「権狐」の第三章末尾<そして権狐はもう悪戯をしなくなりました。>は,「ごん狐」(『赤い鳥』昭和7年1月)で削除され,安藤のいう「茂助爺から聞いた話」の持っていた悪戯狐の反省譚という物語性が失われる代りに,孤独な権狐が「贖罪」を通して兵十に共生を求める新たな物語がテクストから浮かび上がってくる。そしてこの削除は,三重吉が「茂助爺」という語り手を削除したことと通底している。「権狐」の時代背景やそこで語られた「猟師」の知識などは,時代性や地方性の「徴」を少なからず帯びており,権狐の「贖罪」と共生という新しい物語内容から見た場合,それらは余計な情報であり挟雑物にほかならない。ましてや『赤い鳥』の対象読者として措定されている小学校高学年の学童に,そのような付随的情報への理解や想像力を求めることの意味は低い。三重吉の「茂助爺」の削除は,まずこの点にこそ理由があったのである。さらに言えば,そのような地方性・社会性を物語上から消去して行く姿勢は,方言に対する三重吉の姿勢と通底するものであった。
方言は,国語の統整上廃棄するのがもとより当然である。ただしそれには標準語にない,便利な,または貴い,純正な言葉で,国語の上に活かす必要のあるものを,ふるいえらんで,とり入れるなぞの用意が要る。また,方言は,文化の進展につれていろいろの関係から,きわめて徐々ではあり得ても,だんだんに減少し,廃滅する性向をもっているものである(9)。(『綴方読本』昭和10年9月,中央公論社)
三重吉が,一見方言の存在意義も認める含みを持たせながら,方言を「国語の統制整上廃棄」し「廃滅する」ものと位置付けていることは明らかである。<《国語》が,すでにできあがったものとして存在する実在物ではなく,じつは理念として把握された価値である>(10)というイ・ヨンスクの指摘に従うならば,「国語」表現の近代化の理念に突き動かされて,物語の構成言語や内容上の地方性・社会性を当局の統制の下に平均化していく時代の動向の中に,三重吉もまぎれもなくいたといえるであろう。
次に冒頭部の改変からいえることのもう一点は,「ごん狐」では「語り」という行為の意味が殆ど消去されて,実質的な語り手が「採録者=書き手」へ移行してしまっていることである。テクストの受容モデルで示してみると,「権狐」では,
「語り手」1(「茂助爺」)――原「権狐」→「語り手」2=「書き手」(「私」)――「権狐」→「読者」
という形になるが,「ごん狐」では,
[「語り手」1(「茂平」)―― 原「権狐」→]「語り手」2=「書き手」(「私」)――「ごん狐」→「読者」
というモデルになるように思われる。つまり「語り手」1の存在は,「ごん狐」では殆ど意味をなくしているのである。「権狐」では前述したように語り手の「猟師」としての「徴」が内容に明らかに認められるのに,「ごん狐」(「ごんぎつね」)では,それらの「徴」が「猟師」を消されたことで全く潜在化させられてしまっている。注意深い読者は,そこここに内容上の矛盾を見出すであろうが,なぜそのような混乱がテクストに存在しているのか理解できなくなるのである。
ここに指摘できるのは,語られたテクスト(口承=声の文化)から記述されたテクスト(文字の文化)への移行が確認できるということである。口承とは,語り手の性別・年齢・声や語り口調・語られる場・時間帯,そして聞き手の存在さえもが物語世界に反映し,物語内容そのものも語られる度毎に再生産されていくシステムである。その世界は方言や地域生活などを直接に反映する点で,生きたテクストともいえるだろう(11)。「権狐」の「茂助爺」こそは,文字文化を持たない社会の口承という声の文化の残存を示した形態なのであり,「語り手――物語――聞き手」の三位一体の口承世界を,記述されたテクストに刻み付けていた数少ない例だったのである。
そのような語り手の存在が,「ごん狐」では消去されたわけである。そこには「語り手――物語――聞き手」が結びついた口承世界の存在は無視され,そればかりか最初から記述されたテクストとして流通していく意味で,流通形態が発生形態にまで遡及して出自を隠蔽していく転倒が発生している。声の文化として先に存在していた口承である原「権狐」は,文字文化である記述されたテクスト「権狐」に取り込まれ,さらに「ごん狐」(『赤い鳥』)や「ごんぎつね」(教科書)として表象されていくのである。このようにして,権狐をめぐる物語が文字テクストとして紙媒体に定着する安定構造の中で保存され得る以上,最早口承の担い手であり物語の管理者である語り手の存在は不必要となる。その意味で,<これは,私が小さいときに,村の茂平といふおぢいさんからきいたお話です。>という冒頭部は,自分が聞き取った話を記述されたテクストに変換していった「書き手」の存在だけを明記すれば十分で,語り手の存在を殆ど度外視している三重吉の姿勢が示された一文ともいえよう。記述されたテクスト「権狐」(「ごん狐」・「ごんぎつね」)の物語表現を,共通語でもって平均化し,語り手の「猟師」としての個性が「徴」として残されていることなどは読者が気づきようもない透明度の高い物語内容に仕上げることで,語り手がどのような人物であったかは,殆ど意味のない情報として消去できるわけなのである。
文字化されたテクストの場合,使用言語さえ共通なものであれば,国民教育を受けた読者は日本国中どの地域であれ,それを受容可能なものとして享受することができる。事実<義務教育の就学率も,明治の末には,98パーセントにまで高められてい>(12)たわけであり,「権狐」の冒頭部の大幅な削除や本文そのものの改訂には,そのような読者市場への流通をうながし,国民の間で広く共有可能なテキストを形成する意味があったということもできるだろう。繰り返せば,テクストを全国の市場に流通させるためには,物語言説から地域的・時代的な徴票を払拭する必要があり,「茂助爺」のような語り手はそれらの徴票を有するがゆえにそれを妨げる存在であり,そのためにも「権狐」から消去することが必要であった。近代的な読書体験とは,全国市場における,「書き手――文字テクスト――読者」関係による同時的な意味の共有なのであり,まず地域性・閉鎖性からの脱却は基本的な克服条件であった。
したがって「権狐」冒頭の改変は,近代日本が出版文化の成熟とともに消去していった,声による文化=口承の歴史の残滓を改めて拭い去る確信的な行為であったといえよう。物語を,記述されたテクストを通じて「黙読」するスタイルで内面化し受容していく近代日本人にとって,その消去を見咎めるものもいないほど声の文化=物語の口承世界は縁遠いスタイルになっていったのであった。
「書き手」は,「茂助爺」の語った原「権狐」を,「権狐」と言う記述されたテクストとして採録した人物である。このことは書き手が,「読み――書く」リテラシーを持ち,その能力によって単純な物語り構造をもつ口承を「童話」へと変換していく能力を持っていることも意味している。
農村社会において狐は,山奥に隠れ住む狸とは異なり,村の近辺に生息して農作物や家禽を襲う害獣以外の何ものでもない。日本の昔話にみる「狐」の表象は,概ね化かし化かされるという形をとり,人間との戦いに彩られている。それは,当時の概ね貧しい農民層において,生活を脅かす要因の一つである野生動物の狐などは親和すべき対象ではなかったことを示しているだろう。「茂助爺」が語った小狐をめぐる話も,元来はそういった価値観に基づいた話であったと思われる。先に引用した安藤論文とは異なり,狐がさまざまな悪戯をしかけ,最後に人間(猟師)に退治されるというような原「権狐」が想定できる。
しかしその原「権狐」を近代的に創造し直したのが,「書き手」であるという安藤の意見には同意したい。「悪戯」を「反省」し,孤独な兵十との共生を希求し,最後には兵十に理解されながらも殺されてしまう権狐。確かにここでも,兵十レベルでは狐を害獣としてみる視点が残存しているが,「書き手」のレベルでは,権狐は内面を備え「人格」をもった一個の「登場人物」に昇格しているのであり,だからこそこの「小狐」には「権狐」という固有名詞まで与えられているのである。新美南吉は,原「権狐」の中から,「人格」を備えた「権狐」を創出し,悪戯狐の退治譚という口承に,悪戯への「贖罪」という近代的な物語性を付与したわけである。
かくして「権狐」とは,語り手「茂助爺」レベルで成立した物語ではなく,採録した書き手の近代的解釈による改変が加わることで成立した物語であるといえよう。この意味でも,三重吉の手が入った「ごん狐」で,「語り手」に対する冒頭部の説明が大幅に削除された理由は明らかである。三重吉は「権狐」の中に,「茂助爺」による口承=原「権狐」が,書き手によって記述されたテクスト=近代的な物語性を備えた「童話」へ変換していく過程を認めており,近代的な物語性の純度を高めるためにも,口承の残滓を拭い去る事が正当化されたのである。
「権狐」は,最初原「権狐」として,元「猟師」である「茂助爺」によって語られた口承に基づいている。それを語り手の「私」が近代的な解釈を加え,記述されたテクスト「権狐」として再生産したのである。この「権狐」は,時代性・地域性など口承の影響を残すテクストであった。
「権狐」が投稿された『赤い鳥』の編集者鈴木三重吉は,「権狐」に改変を加えて「ごん狐」として『赤い鳥』に発表した。そこでの改変の理由としては,全国規模の出版網に流通し,不特定多数の読者によって物語が広く消費されるためには,「権狐」に横溢している時代性・地域性を捨象して流通性を高める必要があった。また口承として語られていた物語は,書き手によって近代的な物語性をもった文字テクストへと変換されたために,口承の管理者としての実在の語り手の存在を必要としなくなり,そのために「権狐」の冒頭の語り手は「ごん狐」では殆ど削除されることになった。そしてこのことが,近代社会が出版文化の成熟とともに消去していった声の文化の歴史,口承の歴史の残滓を改めて拭い去る行為であったことは,三重吉の『赤い鳥』編集者としての意識とは別に働いていた,出版資本主義の趨勢の帰結するところであったろう。すでに1904年には標準語が東京中流社会の言語であると規定されていた(『尋常小学読本編纂趣意書』)ように,全国各地に流通する童話雑誌というハードが要求するのは,全国誌にふさわしい共通性・普遍性を常にその誌面に獲得・保持し続けることであり,それは同時に『赤い鳥』も大きく寄与するところのあった綴方教育を通じて創出された夥しい児童読者層・新しい小国民の創出と保持にも密接に関わっている。一口承にすぎなかった原「権狐」は,鈴木三重吉を通して「ごん狐」へと変換されることで,「国語」の標準を保持し続ける文芸システムとして機能するよう,近代文学テクスト群に位置づけ直されたのである。
注
1 『校定新美南吉全集』第10巻,1981・2・28,大日本図書,677頁。
2 「Encarta97」1997,Microsoft.
3 安藤重和「『権狐』成立試論」『愛知教育大学研究報告(人文科学)』37,昭和63年2月。
4 『校定新美南吉全集』第2巻,1980・6・30,大日本図書,358頁。
5 柳田国男「山の人生」『定本柳田国男集』第4巻,昭和56年6月25日,筑摩書房,66頁。
6 日本風俗史学会編『日本風俗史事典』平成6年2月,弘文堂,682頁。
7 注3に同じ。
8 安藤論文(注3)の掲げる<悪戯ばかりする権狐が悪戯を悔い改めるという単純な内容>について,悪戯を悔い改めるという姿勢の中に,すでに悔悟という近代的な物語要素があるのではないか。人間と狐と言う関係においては,狐は農作物や禽獣を襲う害獣であり,人間世界への侵犯=悪戯→退治というのが,最も基本的なプロットであろう。原「権狐」とは,悪戯狐の退治譚であり,それこそ猟師が管理する口承としてふさわしいと考える。
9 鈴木三重吉『綴方読本』講談社学術文庫,昭和62年3月10日,91頁。
10 イ・ヨンスク『「国語」という思想』岩波書店,1996年12月18日,147頁。
11 参考資料として「狐の金平六」という民話を紹介する。
狐の金平六の話
昔,手岡のムグロ畑さ金平六っちゅう偉い狐の親分がいだったんだど。金平六はえらぐ化げんのがうまくて,ほっちこっちさ行って化げくらべしては,勝っていだったじゅ話だ。
ある時,金平六は仙台の竹駒様の狐さ試合を申し込んだしけな。ほしたらば竹駒様の狐は,「んで,おれの方は仙台様のお行列さ化げでんから待ってでけろ」って言ってよごしたもんだがら,金平六は,「よし,ほんじゃゆっくりど待ってで試合しっか」って言って,行列の来んのを待っていだんだしけげんちょも,ながなが来ねもんだがら,「やろ,おれごど恐っかなぐなって来ねのがな」って思ってだら,ほのうぢ来たしけ。ほしたら金平六は目の前さ来たどぎ,「いや,いいやんべ待ってで来ねがど思った」って出で行ったら,本当の行列でたまげっちゃったっちゅう話だげんちょも,切らっちゃっちゅう話もあんだわな。おもしぇがったっぺ。(「福島県ホームページ」より http://www.pref.fukushima.jp/frame/mw963.html)
注目したいのは,この方言もさることながら,末尾二行の<本当の行列でたまげっちゃったっちゅう話だげんちょも,切らっちゃっちゅう話もあんだわな。>という件である。文字テクストなら,こういう部分は削除されてしまう部分であるが,忠実にテープから起こしたためであろう,この部分は偶然ではあるが口承の雰囲気を伝えることになったのである。
12 桜井哲夫『「近代」の意味』,日本放送出版協会,1984年12月20日,179頁。なお,就学率は学籍簿に登録された生徒数から算出されたものであり,通学率を意味するものではない。
【付記】
WEB上に再掲載するにあたって,縦書きの原文を横書きに改め,漢数字表記をアラビア数字表記に直した。