心(こヽろ) 先生の遺書(一)                 漱石

 私は其人(そのひと)を常(つね)に先生と呼んでゐた。だから此所(こヽ)でもたヾ先生と書(か)く丈で本名(みよう)は打(う)ち明(あ)けない。是は世間(けん)を憚(はヾ)かる遠慮といふよりも、其方(はう)が私に取つて自然だからである。私は其人の記憶を呼び起(おこ)すごとに、すぐ「先生」と云ひたくなる。筆(ふで)を執つても心持(こころもち)は同(おな)じ事(こと)である。余所々々(よそ\/)しい頭文字(かしらもじ)抔(など)はとても使ふ気にならない。
 私が先生と知り合(あひ)になつたのは鎌倉である。其時私はまだ若々(わか\/)しい書生であつた。暑中休暇を利用して海水浴に行つた友達から是非来(こ)いといふ端書(はがき)を受取(うけと)つたので、私は多少の金(かね)を工面して、出掛(でかけ)る事(こと)にした。私は金の工面に二三日を費やした。所が私が鎌倉に着(つ)いて三日(みつか)と経(た)たないうちに、私を呼び寄(よ)せた友達は、急に国元(くにもと)から帰れといふ電報を受け取(と)つた。電報には母(はヽ)が病気だからと断つてあつたけれども友達はそれを信じなかつた。友達はかねてから国元(くにもと)にゐる親達(おやたち)に勧(すヽ)まない結婚を強ひられてゐた。彼は現代の習慣からいふと結婚するにはあまり年が若過(わかす)ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかつた。夫(それ)で夏(なつ)休みに当然帰(かへ)るべき所を、わざと避(さ)けて東京の近くで遊(あそ)んでゐたのである。彼は電報を私に見(み)せて何(ど)うしやうと相談をした。私には何(ど)うして可(い)いか分(わか)らなかつた。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべき筈であつた。それで彼はとう\/帰る事(こと)になつた。折角来(き)た私は一人(ひとり)取り残(のこ)された。
 学校の授業が始まるのはまだ大分(だいぶ)日数があるので、鎌倉に居(を)つても可し、帰つても可(よ)いといふ境遇にゐた私は、当分元(もと)の宿(やど)に留(と)まる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子(むすこ)で金(かね)に不自由のない男であつたけれども、学校が学校なのと年(とし)が年(とし)なので、生活の程度は私とさう変りもしなかつた。従つて一人坊(ひとりぼつ)ちになつた私は別に恰好な宿(やど)を探(さが)す面倒も有(も)たなかつたのである。
 宿(やど)は鎌倉でも辺鄙な方角にあつた。玉突(つき)だのアイスクリームだのといふハイカラなものには長い畷(なはて)を一つ越さなければ手が届かなかつた。車で行つても二十銭は取(と)られた。けれども個人の別荘は其所(そこ)此所(こヽ)にいくつでも建(た)てられてゐた。それに海(うみ)へは極(ごく)近いので海水浴を遣(や)るには至極便利な地位を占めてゐた。
 私は毎日海(うみ)へ這入(はい)りに出掛(でか)けた。古(ふる)い燻(くす)ぶり返(かへ)つた藁葺(わらぶき)の間(あひだ)を通り抜(ぬ)けて磯(いそ)へ下(お)りると、此辺(このへん)にこれ程の都会人種が住(す)んでゐるかと思ふ程、避暑に来(き)た男(をとこ)や女(をんな)で砂(すな)の上(うへ)が動(うご)いてゐた。ある時は海(うみ)の中(なか)が銭(せん)湯の様に黒い頭(あたま)でごちや\/してゐる事(こと)もあつた。其中(なか)に知つた人(ひと)を一人(ひとり)も有(も)たない私も、斯ういふ賑(にぎ)やかな景色の中(なか)に裹(つヽ)まれて、砂の上(うへ)に寝(ね)そべつて見たり、膝頭(ひざがしら)を波(なみ)に打たして其所(そこ)いらを跳(は)ね廻(まは)るのは愉快であつた。
 私は実に先生を此雑沓の間に見付出(みつけだ)したのである。其時海岸には掛茶屋(かけぢやや)が二軒あつた。私は不図(と)した機会(はづみ)から其一軒の方(はう)に行(ゆ)き慣(な)れてゐた。長谷辺(はせへん)に大きな別荘を構(かま)へてゐる人(ひと)と違(ちが)つて、各自(めい\/)に専有(せんゆう)の着換場(きがへば)を拵(こしら)えてゐない此所(こヽ)いらの避暑(ひしよ)家には、是非共斯(か)うした共同着換所(きがへじよ)といつた風(ふう)なものが必要なのであつた。彼等は此所(こヽ)で茶を飲み、此所(こヽ)で休息する外に、此所(こヽ)で海水着(ぎ)を洗濯させたり、此所(こヽ)で塩(しほ)はゆい身体(からだ)を清(きよ)めたり、此所(こヽ)へ帽子や傘(かさ)を預(あづ)けたりするのである。海水着(ぎ)を持(も)たない私にも持物(もちもの)を盗(ぬす)まれる恐れはあつたので、私は海へ這入(はい)る度(たび)に其茶屋へ一切を脱(ぬ)ぎ棄(す)てる事(こと)にしてゐた。


心(こヽろ) 先生の遺書(二)

 

 私が其掛茶屋で先生を見(み)た時は、先生が丁度着物(きもの)を脱(ぬ)いで是から海へ入(はい)らうとする所(ところ)であつた。私は其時反対に濡(ぬ)れた身体(からだ)を風(かぜ)に吹(ふ)かして水から上(あが)つて来(き)た。二人(ふたり)の間(あひだ)には目(め)を遮ぎる幾多(いくた)の黒い頭(あたま)が動いてゐた。特別の事情のない限(かぎ)り、私は遂に先生を見逃(みのが)したかも知れなかつた。それ程浜辺(はまべ)が混雑し、それ程私の頭(あたま)が放漫であつたにも拘(かヽ)はらず、私がすぐ先生を見付出(みつけだ)したのは、先生が一人(ひとり)の西洋人を伴(つ)れてゐたからである。
 其西洋人の優(すぐ)れて白(しろ)い皮膚の色(いろ)が、掛茶(かけぢや)屋へ入(はい)るや否や、すぐ私の注意を惹(ひ)いた。純粋の日本の浴衣(ゆかた)を着(き)てゐた彼は、それを床几(ぎ)の上(うへ)にすぽりと放り出した侭(まま)、腕組をして海の方(はう)を向いて立つてゐた。彼は我々の穿(は)く猿股(さるまた)一つの外(ほか)何物(なにもの)も肌(はだ)に着(つ)けてゐなかつた。私には夫(それ)が第一不思議だつた。私は其二日前(ふつかまへ)に由井が浜(はま)迄行つて、砂(すな)の上(うへ)にしやがみながら、長い間(あひだ)西洋人(じん)の海へ入(はい)る様子を眺めてゐた。私の尻を卸(おろ)した所(ところ)は少し小高(こだか)い丘(をか)の上(うへ)で、其すぐ傍(わき)がホテルの裏口(うらぐち)になつてゐたので、私の凝(ぢつ)としてゐる間(あひだ)に、大分(だいぶ)多くの男が塩(しほ)を浴(あ)びに出て来(き)たが、いづれも胸と腕(うで)と股(もヽ)は出(だ)してゐなかつた。女は殊更(ことさら)肉(にく)を隠(かく)し勝であつた。大抵は頭(あたま)に護謨(ごむ)製の頭巾(づきん)を被(かぶ)つて、海老茶や紺や藍(あゐ)の色(いろ)を波間(なみま)に浮(う)かしてゐた。さういふ有様を目撃した許(ばかり)の私の眼(め)には、猿股(さるまた)一つで済(す)まして皆(みん)なの前に立つてゐる此西洋人が如何にも珍らしく見えた。
 彼はやがて自分の傍(わき)を顧(かへ)りみて、其所(そこ)にこヾんでゐる日本人に、一言(ひとこと)二言(ふたこと)何か云つた。其日本人は砂(すな)の上(うへ)に落ちた手拭を拾(ひろ)ひ上(あ)げてゐる所であつたが、それを取り上(あ)げるや否や、すぐ頭(あたま)を包(つヽ)んで、海(うみ)の方へ歩(ある)き出(だ)した。其人が即ち先生であつた。
 私は単に好奇心の為に、並(なら)んで浜辺(はまべ)を下(お)りて行(ゆ)く二人(ふたり)の後姿(うしろすがた)を見守(みまも)つてゐた。すると彼等は真直(まつすぐ)に 波(なみ)の中(なか)に足(あし)を踏(ふ)み込(こ)んだ。さうして遠浅(とほあさ)の磯近(いそぢか)くにわい\/騒いでゐる多人数(たにんず)の間(あひだ)を通り抜(ぬ)けて、比較的広々(ひろ\゛/)した所へ来(く)ると、二人(ふたり)とも泳ぎ出(だ)した。彼等(かれら)の頭(あたま)が小(ちい)さく見える迄沖の方(はう)へ向(む)いて行つた。夫(それ)から引き返(かへ)して又一直(ちよく)線に浜辺迄戻つて来(き)た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴(あ)びずに、すぐ身体(からだ)を拭(ふ)いて着物(きもの)を着(き)て、さつさと何処(どこ)へか行つて仕舞つた。
 彼等の出(で)て行(い)つた後(あと)、私は矢張(やはり)元(もと)の床几(ぎ)に腰を卸(おろ)して烟草を吹かしてゐた。其時私はぽかんとしながら先生の事(こと)を考へた。どうも何処(どこ)かで見た事(こと)のある顔(かほ)の様に思はれてならなかつた。然し何(ど)うしても何時(いつ)何処(どこ)で会(あ)つた人(ひと)か想ひ出せずに仕舞つた。
 其時(とき)の私は屈托がないといふより寧ろ無聊に苦(くる)しんでゐた。それで翌日(あくるひ)も亦先生に会(あ)つた時刻を見計(みはか)らつて、わざ\/掛茶屋迄出かけて見た。すると西洋人は来(こ)ないで先生一人(ひとり)麦(むぎ)藁帽を被(かぶ)つて遣(や)つて来(き)た。先生は眼鏡(めがね)をとつて台(だい)の上(うへ)に置いて、すぐ手拭で頭(あたま)を包(つヽ)んで、すた\/浜(はま)を下(お)りて行つた。先生が昨日(きのふ)の様に騒がしい浴客の中(なか)を通り抜(ぬ)けて、一人(ひとり)で泳ぎ出した時(とき)、私は急に其後(あと)が追ひ掛(か)けたくなつた。私は浅い水を頭(あたま)の上(うへ)迄跳(はね)かして相当の深(ふか)さの所迄来(き)て、其所(そこ)から先生を目標(じるし)に抜手(ぬきで)を切(き)つた。すると先生は昨日(きのふ)と違(ちが)つて、一種の弧線を描(ゑが)いて、妙な方向から岸の方(はう)へ帰り始めた。それで、私の目的は遂に達せられなかつた。私が陸(をか)へ上(あが)つて雫(しづく)の垂(た)れる手を振(ふ)りながら掛茶屋に入(は[い]る)と、先生はもうちやんと着物を着(き)て入違(いれちがひ)に外(そと)へ出て行つた。


心(こヽろ) 先生の遺書(三)

 

 私は次(つぎ)の日(ひ)も同じ時刻に浜(はま)へ行つて先生の顔を見た。其次(つぎ)の日(ひ)にも亦同じ事を繰り返した。けれども物(もの)を云ひ掛(か)ける機会も、挨拶をする場合も、二人(ふたり)の間(あひだ)には起らなかつた。其上先生の態度は寧ろ非社交的であつた。一定の時刻に超然として来(き)て、また超然と帰つて行つた。周囲がいくら賑(にぎ)やかでも、それには殆んど注意を払ふ様子が見えなかつた。最初一所に来(き)た西洋人は其後(ご)丸で姿(すがた)を見せなかつた。先生はいつでも一人(ひとり)であつた。
 或時(あるとき)先生が例の通りさつさと海から上(あが)つて来(き)て、いつもの場所に脱(ぬ)ぎ棄(す)てた浴衣(ゆかた)を着(き)やうとすると、何(ど)うした訳(わけ)か、其浴衣(ゆかた)に砂(すな)が一(いつ)杯着(つ)いてゐた。先生はそれを落(おと)すために、後向(うしろむき)になつて、浴衣(ゆかた)を二三度振(ふる)つた。すると着物(きもの)の下(した)に置(お)いてあつた眼鏡(めがね)が板(いた)の隙間(すきま)から下(した)へ落(お)ちた。先生は白絣(がすり)の上へ兵児(へこ)帯を締(し)めてから、眼鏡(めがね)の失(な)くなつたのに気が付(つ)いたと見えて、急にそこいらを探(さが)し始めた。私はすぐ腰掛の下(した)へ首(くび)と手を突(つ)ツ込(こ)んで眼鏡(めがね)を拾(ひろ)ひ出(だ)した。先生は有難(ありがた)うと云つて、それを私の手から受取つた。
 次(つぎ)の日私は先生の後(あと)につヾいて海へ飛(と)び込(こ)んだ。さうして先生と一所(しよ)の方角に泳いで行つた。二丁程沖へ出ると、先生は後(うしろ)を振(ふ)り返つて私に話し掛けた。広い蒼(あを)い海の表面に浮いてゐるものは、其近所に私等二人(ふたり)より外(ほか)になかつた。さうして強い太陽の光(ひかり)が、眼(め)の届(とヾ)く限(かぎ)り水と山とを照(て)らしてゐた。私は自由と歓喜(くわんき)に充(み)ちた筋肉(きんにく)を動かして海の中(なか)で躍(をど)り狂つた。先生は又ぱたりと手足(てあし)の運動を已(や)めて仰向になつた侭(まま)浪(なみ)の上(うへ)に寐(ね)た。私も其真似(まね)をした。青空(あをそら)の色(いろ)がぎら\/と眼(め)を射るやうに痛烈な色(いろ)を私の顔に投(な)げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。
 しばらくして海の中(なか)で起(お)き上(あ)がる様に姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」と云つて私を促(うな)がした。比較的強い体質(たいしつ)を有(も)つた私は、もつと海の中(なか)で遊んでゐたかつた。然し先生から誘(さそ)はれた時、私はすぐ「えヽ帰りませう」と快よく答へた。さうして二人(ふたり)で又元(もと)の路(みち)を浜辺へ引き返した。
 私は是から先生と懇意になつた。然し先生が何処(どこ)に居るかは未(ま)だ知らなかつた。
 夫(それ)から中(なか)二日(ふつか)置いて丁度三日(みつか)目の午後だつたと思ふ。先生と掛(かけ)茶屋で出会(であ)つた時、先生は突然私に向つて、「君はまだ大分(だいぶ)長く此所(こヽ)に居る積(つもり)ですか」と聞(き)いた。考のない私は斯(か)ういふ問(とひ)に答へる丈の用意を頭(あたま)の中(なか)に蓄えてゐなかつた。それで「何(ど)うだか分(わか)りません」と答へた。然しにやにや笑(わら)つてゐる先生の顔(かほ)を見た時(とき)、私は急に極(きま)りが悪くなつた。「先生は?」と聞き返(かへ)さずにはゐられなかつた。是が私の口(くち)を出た先生といふ言葉の始(はじま)りである。
 私は其晩先生の宿(やど)を尋ねた。宿(やど)と云つても普通の旅館と違つて、広い寺(てら)の境内にある別荘のやうな建物であつた。其所(そこ)に住(す)んでゐる人(ひと)の先生の家族でない事(こと)も解(わか)つた。私が先生々々と呼び掛(か)けるので、先生は苦笑(にがわら)ひをした。私はそれが年長者に対する私の口癖(くちくせ)だと云つて弁解(かい)した。私は此間の西洋人の事(こと)を聞(き)いて見た。先生は彼(かれ)の風変りの所や、もう鎌倉にゐない事(こと)や、色々の話をした末、日本人にさへあまり交際(つきあひ)を有たないのに、さういふ外国人(じん)と近付(ちかづき)になつたのは不思議だと云つたりした。私は最後に先生に向つて、何処(どこ)かで先生を見たやうに思ふけれども何(ど)うしても思ひ出せないと云つた。若い私は其時暗に相手も私と同じ様な感じを持つてゐはしまいかと疑つた。さうして腹(はら)の中(なか)で先生の返事を予期してかヽつた。所が先生はしばらく沈吟(ぎん)したあとで、「何(ど)うも君の顔(かほ)には見覚がありませんね。人違(ちがひ)ぢやないですか」と云つたので私は変に一種の失望を感じた。


心(こヽろ) 先生の遺書(四)

 

 私は月の末に東京へ帰つた。先生の避暑地を引き上(あ)げたのはそれよりずつと前(まへ)であつた。私は先生と別(わか)れる時に、「是から折々御宅へ伺つても宜(よ)ござんすか」と聞(き)いた。先生は単簡にたヾ「えヽ入(い)らつしやい」と云つた丈であつた。 其時分(じぶん)の私は先生と余程懇意になつた積でゐたので、先生からもう少し濃(こまや)かな言葉を予期して掛(かヽ)つたのである。それで此物足りない返事が少し私の自信を傷(いた)めた。
 私は斯ういふ事(こと)でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付(つ)いてゐる様でもあり、又全く気が付(つ)かない様でもあつた。私は又軽微な失望を繰り返(かへ)しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかつた。寧ろそれとは反対で、不安に揺(うご)かされる度(たび)に、もつと前へ進みたくなつた。もつと前へ進(すヽ)めば、私の予期するあるものが、何時(いつ)か眼(め)の前(まへ)に満足に現(あら)はれて来(く)るだらうと思つた。私は若(わか)かつた。けれども凡ての人間(にんげん)に対して、若(わか)い血が斯(か)う素直(すなほ)に働(はたら)かうとは思はなかつた。私は何故(なぜ)先生に対して丈斯(こ)んな心持が起(おこ)るのか解(わか)らなかつた。それが先生の亡(な)くなつた今日になつて、始めて解(わか)つて来(き)た。先生は始めから私を嫌つてゐたのではなかつたのである。先生が私に示した時々(とき\/)の素気(そつけ)ない挨拶や冷淡に見える動作(さ)は、私を遠(とほざ)けやうとする不快の表現ではなかつたのである。傷(いた)ましい先生は、自分に近づかうとする人間(にんげん)に、近(ちか)づく程の価値のないものだから止(よ)せといふ警告を与へたのである。他(ひと)の懐(なつ)かしみに応じない先生は、他(ひと)を軽蔑する前に、まづ自分を軽蔑してゐたものと見える。
 私は無論先生を訪(たづ)ねる積(つもり)で東京へ帰つて来(き)た。帰つてから授業の始(はじ)まる迄にはまだ二週間の日数(ひかず)があるので、其うちに一度(いちど)行つて置かうと思つた。然し帰つて二日(ふつか)三日(みつか)と経(た)つうちに、鎌倉に居た時(とき)の気分が段々薄くなつて来(き)た。さうして其上(うへ)に彩(いろど)られる大都会の空気が、記憶の復活に伴(ともな)ふ強い刺激と共に、濃く私の心(こヽろ)を染(そ)め付(つ)けた。私は往来で学生の顔(かほ)を見(み)るたびに新らしい学年に対する希望と緊張とを感(かん)じた。私はしばらく先生の事(こと)を忘れた。
 授業が始まつて、一ヶ月ばかりすると私の心に、又一種の弛(たる)みが出来てきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩(ある)き始めた。物欲(ものほ)しさうに自分の室(へや)の中(なか)を見廻(みまは)した。私の頭(あたま)には再び先生の顔が浮いて出た。私は又先生に会ひたくなつた。
 始めて先生の宅(うち)を訪(たづ)ねた時、先生は留守(るす)であつた。二度目(にどめ)に行つたのは次(つぎ)の日曜だと覚えてゐる。晴れた空(そら)が身(み)に泌(し)み込(こ)むやうに感(かん)ぜられる好(い)い日和(ひより)であつた。其日(ひ)も先生は留守であつた。鎌倉にゐた時(とき)、私は先生自身の口(くち)から、何時(いつ)でも大抵宅(うち)にゐるといふ事(こと)を聞(き)いた。寧(むし)ろ外出(ぐわいしゆつ)嫌(ぎら)ひだといふ事(こと)も聞(き)いた。二度(にど)来(き)て二度(にど)とも会(あ)へなかつた私は、其言葉を思ひ出して、理由(わけ)もない不満を何処(どこ)かに感じた。私はすぐ玄関先(さき)を去らなかつた。下女の顔(かほ)を見て少し躊躇して其所(そこ)に立つてゐた。此前(このまへ)名刺を取次(とりつ)いだ記憶のある下女は、私を待たして置いて又内(うち)へ這入つた。すると奥さんらしい人が代つて出て来た。美くしい奥さんであつた。
 私は其人から鄭寧に先生の出先(でさき)を教へられた。先生は例月其日になると雑司ヶ谷の墓地にある或仏(ほとけ)へ花を手向けに行く習慣なのださうである。「たつた今出た許りで、十分(ぷん)になるか、ならないかで御座います」と奥さんは気の毒さうに云つて呉れた。私は会釈して外(そと)へ出た。賑(にぎや)かな町の方へ一丁程歩(ある)くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行つて見る気になつた。先生に会(あ)へるか会(あ)へないかといふ好奇心も動いた。夫ですぐ踵(きびす)を回(めぐ)らした。


心(こヽろ) 先生の遺書(五)

 

 私は墓地の手前にある苗畠(なへばたけ)の左側(ひだりがは)から這入つて、両方に楓を植ゑ付けた広い道(みち)を奥の方へ進んで行つた。すると其端(はづ)れに見える茶店の中(なか)から先生らしい人(ひと)がふいと出て来(き)た。私は其人(そのひと)の眼鏡(めがね)の縁(ふち)が日に光(ひか)る迄近く寄つて行った。さうして出抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立(た)ち留(ど)まつて私の顔を見た。
 「何(ど)うして…、何(ど)うして…」
 先生は同じ言葉を二遍繰(く)り返(かへ)した。其言葉は森閑(しんかん)とした昼(ひる)の中(うち)に異様な調子をもつて繰(く)り返(かへ)された。私は急に何とも応(こた)へられなくなつた。
「私の後(あと)を跟(つ)けて来(き)たのですか。何(ど)うして…」
   先生の態度は寧ろ落付(おちつ)いてゐた。声は寧ろ沈んでゐた。けれども其表情の中(うち)には判然(はつきり)云(い)へない様な一種の曇(くもり)があつた。
 私は私が何(ど)うして此所(こヽ)へ来(き)たかを先生に話した。
 「誰(だれ)の墓へ参りに行つたか、妻(さい)が其人(ひと)の名を云ひましたか」
 「いヽえ、其(そ)んな事(こと)は何も仰(おつ)しやいません」
 「さうですか。ーーさう、夫(それ)は云ふ筈(はづ)がありませんね、始めて会(あ)つた貴方(あなた)に。いふ必要がないんだから」
 先生は漸く得心(とくしん)したらしい様子であつた。然し私には其意味が丸で解(わか)らなかつた。
 先生と私は通(とほり)へ出やうとして墓(はか)の間(あひだ)を抜けた。依撒伯拉(いさべら)何々の墓(はか)だの、神僕ロギンの墓(はか)だのといふ傍(かたはら)に、一切(さい)衆生悉有(しつう)仏生(しやう)と書いた塔婆などが建てヽあつた。全権公使何々といふのもあつた。私は安得烈と彫(ほ)り付けた小さい墓(はか)の前(まへ)で、「是は何(なん)と読むんでせう」と先生に聞(き)いた。「アンドレとでも読ませる積(つもり)でせうね」と云つて先生は苦笑した。
 先生は是等の墓標が現(あら)はす人種々(ひとさま\゛/)の様式に対して、私程に滑稽もアイロニーも認めてないらしかつた。私が丸い墓石(はかいし)だの細長い御影(みかげ)の碑(ひ)だのを指(さ)して、しきりに彼是(かれこれ)云ひたがるのを、始めのうちは黙(だま)つて聞(き)いてゐたが、仕舞に「貴方(あなた)は死という事実をまだ真面目(まじめ)に考へた事(こと)がありませんね」と云つた。私は黙(だま)つた。先生もそれぎり何とも云はなくなつた。
 墓地の区切(くぎ)り目(め)に、大きな銀杏が一本空(そら)を隠すやうに立つてゐた。其下(そのした)へ来(き)た時(とき)、先生は高(たか)い梢を見上(みあ)げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。此木(このき)がすつかり黄葉して、こヽいらの地面は金色(きんいろ)の落葉(おちば)で埋(うづ)まるやうになります」と云つた。先生は月(つき)に一度づヽは必ず此木(このき)の下(した)を通るのであつた。
 向ふの方(はう)で凸凹(でこぼこ)の地面をならして新墓地を作つてゐる男が、鍬の手を休めて私達を見てゐた。私達は其所(そこ)から左(ひだり)へ切れてすぐ街道へ出た。
 是から何処へ行くといふ目的(あて)のない私は、ただ先生の歩(ある)く方へ歩(ある)いて行つた。先生は何時(いつ)もより口数(くちかず)を利(き)かなかつた。それでも私は左程の窮屈を感じなかつたので、ぶら\/一所に歩(ある)いて行つた。
 「すぐ御宅(たく)へ御帰りですか」
 「えヽ別に寄(よ)る所もありませんから」
 二人(ふたり)は又黙(だま)つて南へ[の]方へ坂を下(お)りた。
 「先生の御宅(たく)の墓地はあすこにあるんですか」と私が又口(くち)を利(き)き出(だ)した。
 「いヽえ」
 「何方(どなた)の御墓(はか)があるんですか。ー御親類の御墓ですか」
 「いヽえ」
 先生は是(これ)以外に何も答へなかつた。私も其話はそれぎりにして切り上げた。すると一町程歩(ある)いた後(あと)で、先生が不意に其所(そこ)へ戻(もど)つて来(き)た。
 「あすこには私の友達の墓があるんです」
 「御友達の御墓へ毎月御参りをなさるんですか」
 「さうです」
 先生は其日(ひ)是(これ)以外を語(かた)らなかつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(六)

 

 私はそれから時々(とき\゛/)先生を訪問するやうになつた。行くたびに先生は在宅であつた。先生に会ふ度(ど)数が重なるに伴(つ)れて、私は益繁く先生の玄関へ足(あし)を運(はこ)んだ。
 けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶をした時(とき)も、懇意になつた其後(そののち)も、あまり変りはなかつた。先生は何時(いつ)も静(しづか)であつた。ある時(とき)は静過(しづかす)ぎて淋しい位であつた。私は最初から先生には近づき難い不思議があるやうに思つてゐた。それでゐて、何(ど)うしても近(ちか)づかなければ居られないといふ感じが、何処(どこ)かに強く働(はた)らいた。斯(か)ういふ感じを先生に対(たい)して有(も)つてゐたものは、多くの人(ひと)のうちで私だけかも知れない。然し其私丈には此直(ちよく)感が後(のち)になつて事実の上(うへ)に証拠立(だ)てられたのだから、私は若々(わか\/)しいと云はれても、馬鹿気てゐると笑はれても、それを見越(みこ)した自分の直覚をとにかく頼(たの)もしく又嬉(うれ)しく思つてゐる。人間(げん)を愛し得る人、愛せずにはゐられない人、それでゐて自分の懐(ふところ)に入(い)らうとするものを、手をひろげて抱(だ)き締(し)める事(こと)の出来ない人(ひと)、ー是が先生であつた。
 今云つた通り先生は始終静かであつた。落付いてゐた。けれども時(とき)として変(へん)な曇(くも)りが其顔(かほ)を横切(よこぎ)る事(こと)があつた。窓(まど)に黒(くろ)い鳥影(とりかげ)が射(さ)すやうに。射(さ)すかと思ふと、すぐ消(き)えるには消えたが。私が初(はじ)めて其曇(くも)りを先生の眉間(みけん)に認(みと)めたのは、雑司ケ谷(や)の墓地で、不意に先生を呼び掛(か)けた時(とき)であつた。私は其異様の瞬間(しゆんかん)に、今迄快(こヽろ)よく流れてゐた心臓の潮流を一寸(ちよつと)鈍(にぶ)らせた。然(しか)しそれは単(たん)に一時の結滞(けつたい)に過(す)ぎなかつた。私の心(こヽろ)は五分(ごふん)と経(た)たないうちに平生の弾力(だんりよく)を回復(くわいふく)した。私はそれぎり暗(くら)さうなその雲(くも)の影(かげ)を忘(わす)れてしまつた。ゆくりなくまた夫(それ)を思ひ出(だ)させられたのは、小春(こはる)の尽(つ)きるに間(ま)のない或(あ)る晩の事(こと)であつた。
 先生と話(はな)してゐた私は、不図先生がわざ\/注意して呉れた銀杏の大樹(たいじゆ)を眼(め)の前に想(おも)ひ浮べた。勘(かん)定して見ると、先生が毎月例として墓参に行く日が、それから丁度三日目(みつかめ)に当(あた)つてゐた。其三日目(みつかめ)は私の課業が午(ひる)で終(おへ)る楽(らく)な日(ひ)であつた。私は先生に向つて斯う云つた。
 「先生雑司ケ谷の銀杏はもう散(ち)つて仕舞つたでせうか」
 「まだ空(から)坊主にはならないでせう」
 先生はさう答へながら私の顔を見守(みまも)つた。さうして其所(そこ)からしばし眼(め)を離さなかつた。私はすぐ云つた。
 「今(こん)度御墓参りに入(い)らつしやる時(とき)に御伴(とも)をしても宜(よ)ござんすか。私は先生と一所に彼所(あすこ)いらが散歩して見たい」
 「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんぢやないですよ」
 「然し序(つい)でに散歩をなすつたら丁度好(い)いぢやありませんか」
 先生は何とも答へなかつた。しばらくしてから、「私のは本当の墓参り丈(だけ)なんだから」と云つて、何処迄(どこまでも)も墓参(ぼさん)と散歩を切(き)り離さうとする風に見えた。私と行きたくない口実(じつ)だか何(なん)だか、私には其時の先生が、如何にも子供らしくて変に思はれた。私はなほと先(さき)へ出(で)る気になつた。
 「ぢや御墓参りでも好(い)いから一所に伴(つ)れて行つて下(くだ)さい。私も御墓参りをしますから」
 実際私には墓参(ぼさん)と散歩との区別が殆んど無意味のやうに思はれたのである。すると先生の眉(まゆ)がちよつと曇(くも)つた。眼(め)のうちにも異様な光(ひかり)が出た。それは迷惑とも嫌悪(けんを)とも畏怖とも片付(かたづ)けられない微(かす)かな不安らしいものであつた。私は忽ち雑司ケ谷で「先生」と呼び掛けた時(とき)の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだつたのである。
 「私は」と先生が云つた。「私はあなたに話す事(こと)の出来ないある理由があつて、他(ひと)と一所(いつしよ)にあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻(さい)さへまだ伴(つ)れて行つた事(こと)がないのです」


心(こヽろ) 先生の遺書(七)

 

 私は不思議に思つた。然し私は先生を研究する気で其宅(そのうち)へ出入(でい)りをするのではなかつた。私はたヾ其侭(まヽ)にして打過(うちす)ぎた。今考えると其時の私の態度は、私の生活のうちで寧ろ尊むべきものヽ一つであつた。私は全くそのために先生と人間(にんげん)らしい温かい交際(つきあひ)が出来(でき)たのだと思ふ。もし私の好奇心が幾分かでも先生の心に向つて、研究的に働らき掛けたなら、二人(ふたり)の間(あひだ)を繋(つな)ぐ同情の糸(いと)は、何(なん)の容赦もなく其時ふつりと切(き)れて仕舞つたらう。若(わか)い私は全く自分の態度を自覚してゐなかつた。それだから尊(たつと)いのかも知れないが、もし間違(まちが)へて裏(うら)へ出(で)たとしたら、何(ど)んな結果が二人(ふたり)の仲(なか)に落ちて来(き)たらう。私は想像してもぞつとする。先生はそれでなくても、冷(つめ)たい眼(まなこ)で研究されるのを絶えず恐(おそ)れてゐたのである。
 私は月に二度(にど)若(もし)くは三度づヽ必ず先生の宅(うち)へ行くやうになつた。私の足が段々繁くなつた時(とき)のある日(ひ)、先生は突然私に向(むか)つて聞(き)いた。
 「あなたは何(なん)でさう度(たび)々私のやうなものの宅(うち)へ遣(や)つて来(く)るのですか」
 「何(なん)でと云つて、そんな特別な意味はありません。ー然し御邪魔なんですか」
 「邪魔だとは云ひません」
 成程迷惑といふ様子は、先生の何処(どこ)にも見えなかつた。私は先生の交際の範囲の極めて狭(せま)い事(こと)を知つてゐた。先生の元の同級生などで、其頃東京に居るものは殆んど二人(ふたり)か三人(さんにん)しかないといふ事(こと)も知つてゐた。先生と同郷の学生などには時(とき)たま座敷で同座する場合もあつたが、彼等のいづれもは皆(みん)な私程先生に親(した)しみを有(も)つてゐないやうに見受けられた。
 「私は淋しい人間(にんげん)です」と先生が云つた。「だから貴方(あなた)の来(き)て下(くだ)さる事(こと)を喜(よろ)こんでゐます。だから何故(なぜ)さう度々(たび\/)来(く)るのかと云つて聞(き)いたのです」
 「そりや又何故(なぜ)です」
 私が斯(か)う聞(き)き返(かへ)した時(とき)、先生は何とも答(こた)へなかつた。たヾ私の顔を見て「あなたは幾歳(いくつ)ですか」と云つた。
 此問答は私に取(と)つて頗る不得要領のものであつたが、私は其時(そのとき)底(そこ)迄押さずに帰つて仕舞つた。しかも夫(それ)から四日(よつか)と経(た)たないうちに又先生を訪問した。先生は座敷(ざしき)へ出(で)るや否や笑ひ出(だ)した。
 「又来(き)ましたね」と云つた。
 「えヽ来(き)ました」と云つて自分も笑つた。
 私は外(ほか)の人(ひと)から斯(か)う云はれたら (きつ)度癪(しやく)に触(さわ)つたらうと思ふ。然し先生に斯う云はれた時は、丸で反対であつた。癪に触(さわ)らない許(ばかり)でなく却(かへ)つて愉快だつた。
 「私は淋(さび)しい人間(にんげん)です」と先生は其晩又此間(このあひだ)の言葉をを繰(く)り返(かへ)した。「私は淋(さび)しい人間(にんげん)ですが、ことによると貴方(あなた)も淋しい人間(にんげん)ぢやないですか。私は淋(さび)しくつても年(とし)を取(と)つてゐるから、動(うご)かずにゐられるが、若いあなたは左右(さう)は行(い)かないのでせう。動(うご)ける丈動(うご)きたいのでせう。動(うご)いて何(なに)かに打(ぶ)つかりたいのでせう。‥‥」
 「私はちつとも淋(さむ)しくはありません」
 「若いうち程淋(さむ)しいものはありません。そんなら何故(なぜ)貴方(あなた)はさう度(たび)々私の宅(うち)へ来(く)るのですか」
 此所(こヽ)でも此間(このあひだ)の言葉(ことば)が又先生の口(くち)から繰(く)り返(かへ)された。
 「あなたは私に会(あ)つても恐らくまだ淋しい気が何処(どこ)かでしてゐるでせう。私にはあなたの為(ため)に其淋(さび)しさを根元(ねもと)から引き抜(ぬ)いて上(あ)げる丈(だけ)の力(ちから)がないんだから。貴方(あなた)は外(ほか)の方(はう)を向(む)いて今(いま)に手(て)を広(ひろ)げなければならなくなります。今(いま)に私の宅(うち)の方(はう)へは足(あし)が向(む)かなくなります」
 先生は斯(か)う云つて淋しい笑ひ方(かた)をした。

 


心(こヽろ) 先生[の]遺書(八)

 

 幸にして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私は、此の予言の中(うち)に含(ふく)まれてゐる明白な意義さへ了解し得なかつた。私は依然として先生に会(あ)ひに行つた。其内(そのうち)いつの間(ま)にか先生の食卓で飯(めし)を食(く)ふやうになつた。自然の結果奥さんとも口(くち)を利(き)かなければならないやうになつた。
 普通の人間(にんげん)として私は女に対して冷淡ではなかつた。けれども年の若い私の今迄経過して来(き)た境遇からいつて、私は殆んど交際らしい交際を女に結んだ事(こと)がなかつた。それが源因か何(ど)うかは疑問だが、私の興味は往来で出合(であ)ふ知りもしない女に向つて多く働く丈であつた。先生の奥さんには其前玄関で会(あ)つた時(とき)、美くしいといふ印象を受けた。それから会(あ)ふたんびに同じ印象を受けない事(こと)はなかつた。然しそれ以外に私は是(これ)と云つてとくに奥さんに就いて語(かた)るべき何物(なにもの)も有(も)たないやうな気がした。
 是は奥さんに特色がないと云ふよりも、特色を示す機会が来(こ)なかつたのだと解釈する方(はう)が正当かも知れない。然し私はいつでも先生に付属した一部分の様な心持で奥さんに対してゐた。奥さんも自分の夫(おつと)の所(ところ)へ来(く)る書生だからといふ好意で、私を遇してゐたらしい。だから中間に立つ先生を取り除(の)ければ、つまり二人(ふたり)はばら\/になつてゐた。それで始(はじ)めに知り合(あひ)になつた時(とき)の奥さんに就いては、ただ美くしいといふ外(ほか)に何の感(かん)じも残(のこ)つてゐない。
 ある時(とき)私は先生の宅(うち)で酒(さけ)を飲(の)まされた。其時奥さんが出(で)て来(き)て傍(そば)で酌(しやく)をして呉(く)れた。先生はいつもより愉快さうに見えた。奥さんに「御前(まへ)も一(ひと)つ御上(おあが)り」と云つて、自分の呑み干(ほ)した盃(さかづき)を差(さ)した。奥さんは「私(わたくし)は…」と辞退しかけた後(あと)、迷惑さうにそれを受取(うけと)つた。奥さんは綺麗な眉(まゆ)を寄(よ)せて、私の半分ばかり注(つ)いで上(あ)げた盃を、唇(くちびる)の先(さき)へ持つて行つた。奥さんと先生の間(あひだ)に下(しも)のやうな会話が始まつた。
 「珍(めづ)らしい事(こと)。私に呑(の)めと仰(おつ)しやつた事(こと)は滅多(めつた)にないのにね」
 「御前は嫌(きらひ)だからさ。然(しか)し稀(たま)には飲(の)むといヽよ。好(い)い心持(こヽろもち)になるよ」
 「些(ちつ)ともならないわ。苦(くる)しいぎりで。でも貴夫(あなた)は大変御愉快さうね、少し御酒(ごしゆ)を召上(めしあが)ると」
 「時(とき)によると大変愉快になる。然(しか)し何時(いつ)でもといふ訳(わけ)には行かない」
 「今夜(こんや)は如何(いかヾ)です」
 「今夜(こんや)は好(い)い心持(こヽろもち)だね」
 「是(これ)から毎晩(まいばん)少しづヽ召上(めしあが)ると宜(よ)ござんすよ」
 「左右(さう)は行(い)かない」
 「召上(めしや)がつて下(くだ)さいよ。其方(そのはう)が淋(さむ)しくなくつて好(い)いから」
 先生の宅(うち)は夫婦と下女だけであつた。行くたびに大抵はひそりとしてゐた。高い笑ひ声などの聞(き)こえる試(ためし)は丸でなかつた。或時(あるとき)は宅(うち)の中(なか)にゐるものは先生と私だけのやうな気がした。
 「子供でもあると好(い)いんですがね」と奥さんは私の方を向いて云つた。私は「左右(さう)ですな」と答へた。然し私の心には何の同情も起らなかつた。子供を持(も)つた事(こと)のない其時の私は、子供(こども)をたヾ蒼蠅(うるさ)いものヽ様に考へてゐた。
 「一人(ひとり)貰(もら)つて遣(や)らうか」と先生が云つた。
 「貰(もらひ)ッ子ぢや、ねえあなた」と奥さんは又私の方を向(む)いた。
 「子供は何時迄(いつまで)経(た)つたつて出来(でき)つこないよ」と先生が云つた。
 奥さんは黙(だま)つてゐた。「何故(なぜ)です」と私が代りに聞いた時(とき)先生は「天罰だからさ」と云つて高く笑(わら)つた。


心(こヽろ) 先生の遺書(九)

 

 私の知る限り(かぎ)先生と奥さんとは、仲(なか)の好(い)い夫婦の一対(つい)であつた。家庭の一員として暮(くら)した事(こと)のない私のことだから、深い消息は無論解(わか)らなかつたけれども、座敷で私と対座してゐる時(とき)、先生は何かの序(ついで)に、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事(こと)があつた。(奥さんの名は静(しづ)といつた)先生は「おい静(しづ)」と何時(いつ)でも襖(ふすま)の方(はう)を振り向(む)いた。その呼(よ)びかたが私には優(やさ)しく聞(き)こえた。返事をして出(で)て来(く)る奥さんの様子も甚だ素直(すなほ)であつた。ときたま御馳走になつて、奥さんが席へ現はれる場合抔には、此(この)関係が一層明らかに二人(ふたり)の間(あひだ)に描(ゑが)き出される様であつた。先生は時々(とき\゛/)奥さんを伴(つ)れて、音楽会だの芝居だのに行つた。夫(それ)から夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二三度(ど)以上あつた。私は箱根から貰つた絵端書(はがき)をまだ持つてゐる。日光へ行つた時は紅葉(もみぢ)の葉(は)を一枚封じ込めた郵便も貰つた。
 当時の私の眼(め)に映(うつ)つた先生と奥さんの間柄(あひだがら)はまづ斯(こ)んなものであつた。そのうちにたつた一(ひと)つの例外があつた。ある日(ひ)私が何時(いつ)もの通(とほ)り、先生の玄関から案内を頼(たの)まうとすると、座敷の方(はう)で誰(だれ)かの話(はな)し声がした。能く聞(き)くと、それが尋常の対話でなくつて、どうも言逆(いさか)ひらしかつた。先生の宅(うち)は玄関の次(つぎ)がすぐ座敷(ざしき)になつてゐるので、格子の前に立(た)つてゐた私の耳(みヽ)に其言逆(いさか)ひの調子丈は畧(ほヾ)分(わか)つた。さうして其うちの一人(ひとり)が先生だといふ事(こと)も、時々(とき\゛/)高(たか)まつて来(く)る男の方(はう)の声で解(わか)つた。相手は先生よりも低い音なので、誰(だれ)だか判然(はつきり)しなかつたが、何(ど)うも奥さんらしく感ぜられた。泣(な)いてゐる様でもあつた。私はどうしたものだらうと思つて玄関先で迷つたが、すぐ決心をして其侭下宿へ帰つた。
 妙に不安な心持ちが私を襲つて来た。私は書物を読んでも呑み込む能力を失つて仕舞つた。約一時間ばかりすると先生が窓の下(した)へ来(き)て私の名を呼んだ。私は驚ろいて窓を開(あ)けた。先生は散歩しやうと云つて、下(した)から私を誘(さそ)つた。先刻(さつき)帯の間へ包(くる)んだ侭(まヽ)の時計を出して見(み)ると、もう八時過(すぎ)であつた。私は帰つたなりまだ袴(はかま)を着(つ)けてゐた。私は夫(それ)なりすぐ表(おもて)へ出(で)た。
 其晩(そのばん)私は先生と一緒に麦酒(ビール)を飲(の)んだ。先生は元来酒量に乏しい人であつた。ある程度迄飲んで、それで酔へなければ、酔ふ迄飲んで見るといふ冒険の出来ない人(ひと)であつた。
 「今日(けふ)は駄目です」と云つて先生は苦笑した。
 「愉快になれませんか」と私は気の毒さうに聞(き)いた。
 私の腹(はら)の中(なか)には終始先刻(さつき)の事(こと)が引(ひ)つ懸(かヽ)つてゐた。肴(さかな)の骨(ほね)が咽喉(のど)に刺(さ)さつた時の様に、私は苦しんだ。打ち明(あ)けて見やうかと考へたり、止(よ)した方(はう)が好(よ)からうかと思ひ直したりする動揺が、妙に私の様子をそは\/させた。
 「君、今夜は何(ど)うかしてゐますね」と先生の方から云ひ出(だ)した。「実は私も少し変なのですよ。君に分(わか)りますか」
 私は何の答もし得なかつた。
「実は先刻(さつき)妻(さい)と少し喧嘩をしてね。それで下(くだ)らない神経を興奮させて仕舞つたんです」と先生が又云つた。
 「何(ど)うして‥‥」
 私には喧嘩といふ言葉が口(くち)へ出(で)て来(こ)なかつた。
 「妻(さい)が私を誤解するのです。それを誤解だと云つて聞(き)かせても承知しないのです。つい腹(はら)を立てたのです」
 「何(ど)んなに先生を誤解なさるんですか」
 先生は私の此問(このとひ)に答えやうとしなかつた。
 「妻(さい)が考へてゐるやうな人間(にんげん)なら、私だつて斯(こ)んなに苦(くる)しんでゐやしない」
 先生が何(ど)んなに苦(くる)しんでゐるか、是も私には想像の及ばない問題であつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(十)

 

 二人(ふたり)が帰(かへ)るとき歩(ある)きながらの沈黙(ちんもく)が一丁も二丁もつヾいた。其後(そのあと)で突然先生が口(くち)を利(き)き出(だ)した。
 「悪(わる)い事(こと)をした。怒(おこ)つて出(で)たから妻(さい)は嘸(さぞ)心配をしてゐるだらう。考へると女は可哀さうなものですね。私の妻(さい)などは私より外(ほか)に丸で頼(たよ)りにするものがないんだから」
 先生の言葉は一寸(ちよつと)其所(そこ)で途切(とぎ)れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐ其続(つヾ)きへ移つて行つた。
 「さう云ふと、夫(おつと)の方(はう)は如何(いか)にも心(こヽろ)丈夫の様で少し滑稽だが。君、私は君の眼(め)に何(ど)う映(うつ)りますかね。強い人(ひと)に見えますか、弱い人(ひと)に見(み)えますか」
 「中位(ちうぐらゐ)に見えます」と私は答へた。此答は先生に取(と)つて少し案外らしかつた。先生は又口(くち)を閉(と)じて、無言で歩(ある)き出した。
 先生の宅(うち)へ帰るには私の下宿のつい傍(そば)を通るのが順路であつた。私は其所(そこ)まで来(き)て、曲(まが)り角(かど)で分(わか)れるのが先生に済(す)まない様な気がした。「序(ついで)に御宅(たく)の前まで御伴(おとも)しませうか」と云つた。先生は忽ち手で私を遮ぎつた。
 「もう遅(おそ)いから早く帰り玉へ。私も早く帰つて遣(や)るんだから、妻君の為(ため)に」
 先生が最後に付け加へた「妻君の為に」といふ言葉は妙に其時の私の心を暖(あたヽ)かにした。私はその言葉のために、帰つてから安心して寐(ね)る事(こと)が出来(でき)た。私は其後(そのご)も長い間(あひだ)此「妻君の為(ため)に」といふ言葉を忘れなかつた。
 先生と奥さんの間に起つた波瀾(はらん)が、大(たい)したものでない事(こと)は是でも解(わか)つた。それが又滅多に起る現象でなかつた事(こと)も、其後(そのご)絶(た)えず出入(でいり)をして来(き)た私には畧(ほヾ)推察が出来(でき)た。それ所(どころ)か先生はある時(とき)斯(こ)んな感想すら私に洩(も)らした。
 「私は世の中(なか)で女といふものをたつた一人(ひとり)しか知らない。妻(さい)以外の女は殆んど女として私に訴へないのです。妻(さい)の方(はう)でも、私を天下にたヾ一人(ひとり)しかない男と思つて呉(く)れてゐます。さういふ意味から云つて、私々は最も幸福に生れた人間(にんげん)の一対であるべき筈です」
 私は今前後(ぜんご)の行(ゆ)き掛(がヽ)りを忘れて仕舞(しまつ)たから、先生が何の為(ため)に斯(こ)んな自白を私に為(し)て聞(き)かせたのか、判然(はつきり)云ふ事(こと)が出来(でき)ない。けれども先生の態度の真面目(まじめ)であつたのと、調子の沈(しづ)んでゐたのとは、今(いま)だに記憶に残つてゐる。其時(とき)たヾ私の耳(みヽ)に異様に響(ひヾ)いたのは、「最も幸福に生まれた人間(にんげん)の一対(つい)であるべき筈です」といふ最後の一句であつた。先生は何故(なぜ)幸福な人間(にんげん)と云ひ切(き)らないで、あるべき筈であると断わつたのか。私にはそれ丈が不審であつた。ことに其所(そこ)へ一種の力(ちから)を入れた先生の語気が不審であつた。先生は事実果して幸福なのだらうか、又幸福であるべき筈でありながら、それ程幸福でないのだらうか。私は心(こヽろ)の中(うち)で疑(うた)ぐらざるを得なつた。けれども其疑(うたが)ひは一時(じ)限(かぎ)り何処(どこ)かへ葬むられて仕舞つた。
 私は其うち先生の留守(るす)に行つて、奥さん二人(ふたり)差向(さしむか)ひで話をする機会に出合(であ)つた。先生は其日(ひ)横浜を出帆する汽船に乗つて外国へ行くべき友人を新橋に送りに行つて留守であつた。横浜から船(ふね)に乗(の)る人(ひと)が、朝八時半の汽車で新橋を立つのは其頃の習慣であつた。私はある書物に就いて先生に話して貰(もら)ふ必要があつたので、予じめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行(ゆき)は前日わざ\゛/告別に来(き)た友人に対する礼儀として其日突然起つた出来事(できごと)であつた。先生はすぐ帰(かへ)るから留守でも私に待つてゐるやうにと云ひ残して行つた。それで私は座敷へ上(あが)つて、先生を待つ間(あひだ)、奥さんと話をした。