心(こヽろ) 先生の遺書(百一)

「私は其侭(そのまヽ)二三日過(す)ごしました。其二三日の間(あひだ)Kに対(たい)する絶(た)えざる不安が私の胸を重くしてゐたのは云ふ迄(まで)もありません。私はたヾでさへ何(なん)とかしなければ、彼(かれ)に済(す)まないと思つたのです。其上奥さんの調子や、御嬢さんの態度(たいど)が、始終私を突(つ)ッつくやうに刺戟するのですから、私は猶辛(つら)かつたのです。何処(どこ)か男(をとこ)らしい気性を具(そな)へた奥さんは、何時(いつ)私の事(こと)を食卓でKに素(すつ)ぱ抜(ぬ)かないとも限(かぎ)りません。それ以来ことに目立(めだ)つやうに思へた私に対する御嬢さんの挙止動作(きよしどうさ)も、Kの心(こヽろ)を曇(くも)らす不審の種(たね)とならないとは断言出来(でき)ません。私は何(なん)とかして、私と此家族との間(あひだ)に成り立(た)つた新(あた)らしい関係を、Kに知らせなければならない位置に立(た)ちました。然し倫理的に弱点をもつてゐると、自分で自分を認(みと)めてゐる私には、それがまた至難の事(こと)のやうに感ぜられたのです。
 私は仕方(しかた)がないから、奥さんに頼(たの)んでKに改(あら)ためてさう云つて貰(もら)はうかと考(かんが)へました。無論私のゐない時(とき)にです。然しありの侭(まヽ)を告(つ)げられては、直接と間接の区別がある丈(だけ)で、面目のないのに変(かは)りはありません。と云つて、拵(こしら)え事(ごと)を話(はな)して貰(もら)はうとすれば、奥さんから其理由を詰問されるに極(きま)つてゐます。もし奥(おく)さんに総(すべ)ての事(じ)情を打(う)ち明(あ)けて頼(たの)むとすれば、私は好(この)んで自分の弱点を自分の愛人と其母親(はヽおや)の前(まへ)に曝(さら)け出(だ)さなければなりません。真面(まじ)目な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思はれなかつたのです。結婚する前(まへ)から恋人(こひびと)の信用を失(うしな)ふのは、たとひ一分(ぶ)一厘(りん)でも、私には堪え切(き)れない不幸のやうに見えました。
 要するに私は正直な路(みち)を歩(ある)く積(つもり)で、つい足(あし)を滑(すべ)らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。さうして其所(そこ)に気(き)のついてゐるものは、今(いま)の所(ところ)たヾ天(てん)と私の心(こヽろ)だけだつたのです。然し立(た)ち直(なほ)つて、もう一歩前(まへ)へ踏み出さうとするには、今(いま)滑(すべ)つた事(こと)を是非とも周囲の人(ひと)に知られなければならない窮境に陥いつたのです。私は飽(あ)くまで滑(すべ)つた事(こと)を隠(かく)したがりました。同時に、何(ど)うしても前(まへ)へ出(で)ずには居られなかつたのです。私は此間(このあひだ)に挟(はさ)まつてまた立(た)ち竦(すく)みました。
 五六日経(た)つた後(のち)、奥さんは突然(とつぜん)私に向(むか)つて、Kにあの事(こと)を話(はな)したかと聞(き)くのです。私はまだ話(はな)さないと答(こた)へました。すると何故(なぜ)話(はな)さないのかと、奥さんが私を詰(なじ)るのです。私は此問(このとひ)の前(まへ)に固(かた)くなりました。其時(とき)奥さんが私を驚(おど)ろかした言葉を、私は今(いま)でも忘れずに覚(おぼ)えてゐます。
「道理(どうり)で妾(わたし)が話(はな)したら変(へん)な顔(かほ)をしてゐましたよ。貴方(あなた)もよくないぢやありませんか、平生(ぜい)あんなに親しくしてゐる間柄(あひだがら)だのに、黙(だま)つて知らん顔(かほ)をしてゐるのは」
 私はKが其時(とき)何(なに)か云ひはしなかつたかと奥さんに聞(き)きました。奥さんは別段何(なん)にも云はないと答へました。然し私は進(すヽ)んでもつと細(こま)かい事(こと)を尋ねずにはゐられませんでした。奥さんは固(もと)より何(なに)も隠す訳がありません。大(たい)した話(はなし)もないがと云ひながら、一(いち)々Kの様子を語(かた)つて聞(き)かせて呉(く)れました。
 奥さんの云ふ所を綜合して考へて見(み)ると、Kは此(この)最後(さいご)の打撃(だげき)を、最も落付(おちつ)いた驚(おどろき)をもつて迎へたらしいのです。Kは御嬢さんと私との間(あひだ)に結(むす)ばれた新(あた)らしい関係に就(つ)いて、最初は左右ですかとたヾ一口(ひとくち)云つた丈だつたさうです。然し奥さんが、「あなたも喜(よろ)こんで下(くだ)さい」と述(の)べた時(とき)、彼ははじめて奥さんの顔(かほ)を見(み)て微笑を洩(も)らしながら、「御目(め)[出]たう御座(ござ)います」と云つた侭(まヽ)席(せき)を立(た)つたさうです。さうして茶の間(ま)の障子を開(あ)ける前(まへ)に、また奥さんを振(ふ)り返(かへ)つて、「結婚は何時(いつ)ですか」と聞(き)いたさうです。それから「何(なに)か御祝ひを上(あ)げたいが、私は金がないから上(あ)げる事(こと)が出来(でき)ません」と云つたさうです。奥さんの前(まへ)に坐(すわ)つてゐた私は、其話を聞(き)いて胸(むね)が塞るやうな苦しさを覚えました。


心(こヽろ) 先生の遺書(百二)

「勘定して見ると奥さんがKに話(はなし)をしてからもう二日(ふつか)余りになります。其間(あひだ)Kは私に対(たい)して少(すこ)しも以前と異なつた様子を見せなかつたので、私は全くそれに気が付(つ)かずにゐたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値(あたひ)すべきだと私は考へました。彼と私を頭(あたま)の中(なか)で並(なら)べてみると、彼の方(はう)が遙(はる)かに立派に見えました。「おれは策畧で勝(か)つても人間(にんげん)としては負(ま)けたのだ」といふ感(かん)じが私の胸(むね)に渦巻(うづま)いて起(おこ)りました。私は其時(とき)さぞKが軽蔑してゐる事(こと)だらうと思つて、一人(ひとり)で顔(かほ)を赧(あか)らめました。然し今更Kの前(まへ)に出(で)て、耻(はぢ)を掻(か)かせられるのは、私の自尊心にとつて大いな苦痛でした。
 私が進(すヽ)まうか止(よ)さうかと考(かんが)へて、兎も角(かく)も翌日(あくるひ)迄待(ま)たうと決心したのは土曜の晩(ばん)でした。所が其晩(ばん)に、Kは自殺して死んで仕舞つたのです。私は今(いま)でも其光景を思ひ出すと慄然(ぞつ)とします。何時(いつ)も東枕(ひがしまくら)で寐(ね)る私が、其晩に限(かぎ)つて、偶然西枕に床(とこ)を敷(し)いたのも、何かの因縁かも知れません。私は枕元(まくらもと)から吹(ふ)き込む寒(さむ)い風(かぜ)で不図眼(め)を覚(さま)したのです。見ると、何時(いつ)も立(た)て切(き)つてあるKと私の室(へや)との仕切の襖(ふすま)が、此間(このあひだ)の晩と同じ位開(あ)いてゐます。けれども此間(このあひだ)のやうに、Kの黒(くろ)い姿(すがた)は其所(そこ)には立(た)つてゐません。私は暗示を受(う)けた人(ひと)のやうに、床(とこ)の上(うへ)に肱(ひぢ)を突(つ)いて起(お)き上(あが)りながら、屹(きつ)とKの室(へや)を覗(のぞ)きました。洋燈(らんぷ)が暗(くら)く点(とも)つてゐるのです。それで床(とこ)も敷(し)いてあるのです。然し掛蒲団(かけぶとん)は跳返(はねかへ)されたやうに裾の方(はう)に重(かさ)なり合(あ)つてゐるのです。さうしてK自身は向ふむきに突(つ)ッ伏(ぷ)してゐるのです。
 私はおいと云つて声(こえ)を掛(か)けました。然し何(なん)の答もありません。おい何(ど)うかしたのかと私は又(また)Kを呼(よ)びました。それでもKの身体(からだ)は些(ちつ)とも動(うご)きません。私はすぐ起(お)き上(あが)つて、敷居際(ぎは)迄(まで)行きました。其所(そこ)から彼(かれ)の室(へや)の様子を、暗(くら)い洋燈(らんぷ)の光(ひかり)で見廻(みまは)して見ました。
 其時(とき)私の受けた第一の感(かん)じは、Kから突然恋の自白を聞(き)かされた時のそれと畧(ほヾ)同じでした。私の眼(め)は彼(かれ)の室(へや)の中(なか)を一目見(ひとめみ)るや否(いな)や、恰も硝子(がらす)で作(つく)つた義眼のやうに、動(うご)く能力(のうりよく)を失ひました。私は棒立(だち)に立竦(たちすく)みました。それが疾風の如(ごと)く私を通過したあとで、私は又あヽ失策(しま)つたと思ひました。もう取(と)り返(かへ)しが付(つ)かないといふ黒(くろ)い光(ひかり)が、私の未来を貫(つら)ぬいて、一瞬間に私の前に横(よこた)はる全生涯を物凄(ものすご)く照(て)らしました。さうして私はがた\/顫(ふる)へ出(だ)したのです。
 それでも私はついに私を忘(わす)れる事(こと)が出来(でき)ませんでした。私はすぐ机の上(うへ)に置(お)いてある手紙に眼(め)を着(つ)けました。それは予期通(どほ)り私の名宛(なあて)になつてゐました。私は夢中で封を切りました。然し中(なか)には私の予期したやうな事(こと)は何(なん)にも書(か)いてありませんでした。私は私に取(と)つて何(ど)んなに辛(つら)い文句が其中(そのなか)に書(か)き列ねてあるだらうと予期したのです。さうして、もし夫(それ)が奥さんや御嬢さんの眼(め)に触(ふ)れたら、何(ど)んなに軽蔑されるかも知(し)れないといふ恐怖があつたのです。私は一寸(ちよつと)眼(め)を通(とほ)した丈で、まづ助(たす)かつたと思ひました。(固(もと)より世間体(せけんてい)の上(うへ)丈で助かつたのですが、其世間体(せけんてい)が此場合、私にとつては非常な重大事件に見(み)えたのです。)
 手紙の内容は簡単でした。さうして寧(むし)ろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底行先(さき)の望みがないから、自殺するといふ丈なのです。それから今迄私に世話になつた礼が、極(ごく)あつさりした文句で其後(あと)に付(つ)け加へてありました。世話序に死後の片付方(づけかた)も頼(たの)みたいとい[ふ]言葉もありました。奥さんに迷(めい)惑を掛(か)けて済(す)まんから宜(よろ)しく詫(わび)をして呉(く)れといふ句もありました。国元へは私から知らせて貰(もら)ひたいといふ依頼もありました。必要な事(こと)はみんな一口(ひとくち)づヽ書いてある中(なか)に御嬢さんの名前丈は何処(どこ)にも見えませんでした。私は仕舞迄読(よ)んで、すぐKがわざと回避(くわひひ)したのだと気が付(つ)きました。然し私の尤も痛切に感(かん)じたのは、最後に墨(すみ)の余(あま)りで書(か)き添へたらしく見(み)える、もつと早く死ぬべきだのに何故(なぜ)今迄生(い)きてゐたのだらうといふ意味の文句でした。
 私は顫(ふる)へる手で、手紙(てがみ)を巻(ま)き収めて、再(ふたヽ)び封の中(なか)へ入れました。私はわざとそれを皆(みん)なの眼(め)に着(つ)くやうに、元(もと)の通(とほ)り机の上(うへ)に置(お)きました。さうして振(ふ)り返(かへ)つて、襖(ふすま)に迸(ほと)ばしつてゐる血潮を始めて見(み)たのです。


心(こヽろ) 先生の遺書(百三)

「私は突然Kの頭(あたま)を抱(かヽ)えるやうに両手で少し持(も)ち上(あ)げました。私はKの死顔(しにがほ)が一目(ひとめ)見(み)たかつたのです。然し俯伏(うつぶし)になつてゐる彼(かれ)の顔(かほ)を、斯(か)うして下(した)から覗(のぞ)き込んだ時(とき)、私はすぐ其手を放(はな)してしまひました。慄(ぞつ)とした許(ばかり)ではないのです。彼(かれ)の頭(あたま)が非常に重(おも)たく感ぜられたのです。私は上(うへ)から今(いま)触(さわ)つた冷(つめ)たい耳(みヽ)と、平生に変(かは)らない五分刈の濃(こ)い髪(かみ)の毛(け)を少時(しばらく)眺(なが)めてゐました。私は少(すこ)しも泣(な)く気にはなれませんでした。私はたヾ恐(おそ)ろしかつたのです。さうして其恐(おそ)ろしさは、眼(め)の前(まへ)の光景が官能を刺戟して起る単調な恐ろしさ許(ばかり)ではありません。私は忽然と冷(つめ)たくなつた此友達(ともだち)によつて暗示された運命の恐(おそ)ろしさを深(ふか)く感じたのです。
 私は何(なん)の分別もなくまた私の室(へや)に帰(かへ)りました。さうして八畳の中(なか)をぐる\/廻(まは)り始(はじ)めました。私の頭(あたま)は無意味でも当分さうして動(うご)いてゐろと私に命令するのです。私は何(ど)うかしなければならないと思ひました。同時(じ)にもう何(ど)うする事(こと)も出来(でき)ないのだと思ひました。座敷の中(なか)をぐる\/廻(まは)らなければゐられなくなつたのです。檻(をり)の中(なか)へ入(い)れられた熊(くま)の様な態度(たいど)で。私は時々(とき\゛/)奥へ行(い)つて奥(おく)さんを起(おこ)さうといふ気(き)になります。けれども女に此(この)恐(おそ)ろしい有様を見(み)せては悪(わる)いといふ心持(こヽろもち)がすぐ私を遮(さへぎ)ります。奥(おく)さんは兎に角(かく)、御嬢さんを驚(おど)ろかす事(こと)は、とても出来(でき)ないといふ強い意志が私を抑えつけます。私はまたぐる\/廻(まは)り始(はじ)めるのです。
 私は其間(あひだ)に自分の室(へや)の洋燈(らんぷ)を点(つ)けました。それから時計(とけい)を折々見(み)ました。其時(とき)の時計程(ほど)埒(らち)の明(あ)かない遅(おそ)いものはありませんでした。私の起きた時間(じかん)は、正確に分(わか)らないのですけれども、もう夜明(よあけ)に間(ま)もなかつた事(こと)丈は明(あき)らかです。ぐる\/廻(まは)りながら、其夜明(よあけ)を待(ま)ち焦(こが)れた私は、永久に暗(くら)い夜(よる)が続(つヾ)くのではなからうかといふ思ひに悩(なや)まされました。
 我々は七時前に起(お)きる習慣でした。学校は八時に始(はじ)まる事(こと)が多いので、それでないと授業に間(ま)に合はないのです。下女は其関係で六時頃に起(お)きる訳(わけ)になつてゐました。然し其日私が下女を起(おこ)しに行(い)つたのはまだ六時前(まへ)でした。すると奥(おく)さんが今日(けふ)は日曜だと云つて注意して呉れました。奥さんは私の足音(あしおと)で眼(め)を覚(さま)したのです。私は奥さんに眼(め)が覚(さ)めてゐるなら、一寸(ちよつと)私の室(へや)迄来(き)て呉(く)れと頼(たの)みました。奥さんは寐巻(まき)の上(うへ)へ不断着(ぎ)の羽織を引掛(ひつかけ)て、私の後(あと)に跟(つ)いて来(き)ました。私は室(へや)へ這入(はい)るや否や、今迄開(あ)いてゐた仕切(しき[り])の襖(ふすま)をすぐ立(た)て切(き)りました。さうして奥(おく)さんに飛(と)んだ事(こと)が出来(でき)たと小声(こごえ)で告(つ)げました。奥(おく)さんは何(なん)だと聞(き)きました。私は顋(あご)で隣(となり)の室(へや)を指(さ)すやうにして、「驚ろいちや不可(いけ)ません」と云ひました。奥さんは蒼(あを)い顔(かほ)をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまた云ひました。奥(おく)さんは其所(そこ)に居竦(ゐすく)まつたやうに、私の顔(かほ)を見て黙(だま)つてゐました。其時(とき)私は突然奥さんの前(まへ)へ手(て)を突(つ)いて頭(あたま)を下(さ)げました。「済(す)みません。私が悪(わる)かつたのです。あなたにも御嬢さんにも済(す)まない事(こと)になりました」と詫(あや)まりました。私は奥さんと向(むか)ひ合(あ)ふ迄、そんな言葉(ことば)を口(くち)にする気は丸(まる)でなかつたのです。然し奥さんの顔を見た時不意に我(われ)とも知らず左右(さう)云つて仕舞つたのです。Kに詫(あや)まる事(こと)の出来(でき)ない私は、斯(か)うして奥さんと御嬢さんに詫(わ)びなければゐられなくなつたのだと思(おも)つて下(くだ)さい。つまり私の自然が平生の私を出(だ)し抜(ぬ)いてふら\/と懺悔の口(くち)を開(ひら)かしたのです。奥さんがそんな深(ふか)い意味に、私の言葉を解釈しなかつたのは私にとつて幸(さひはひ)でした。蒼(あを)い顔(かほ)をしながら、「不慮(ふりよ)の出来事(できごと)なら仕方(しかた)がないぢやありませんか」と慰(なぐ)さめるやうに云つて呉れました。然し其顔(かほ)には驚(おど)ろきと怖(おそ)れとが、彫(ほ)り付(つ)けられたやうに、硬(かた)く筋肉を攫(つか)んでゐました。


心(こヽろ) 先生の遺書(百四)

「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立(た)つて今閉(し)めたばかりの唐紙(からかみ)を開(あ)けました。其時(とき)Kの洋燈(らんぷ)に油が尽(つ)きたと見えて、室(へや)の中(なか)は殆んど真暗(まつくら)でした。私は引き返(かへ)して自分の洋燈(らんぷ)を手(て)に持(も)つた侭(まヽ)、入口(いりぐち)に立(た)つて奥さんを顧(かへり)みました。奥さんは私の後(うしろ)から隠(かく)れるやうにして、四畳の中(なか)を覗(のぞ)き込(こ)みました。然し這入(はい)らうとはしません。其所(そこ)は其侭(まヽ)にして置(お)いて、雨戸(あまど)を開(あ)けて呉(く)れと私に云ひました。
 それから後(あと)の奥さんの態度(たいど)は、さすがに軍人の未亡人だけあつて要領を得てゐました。私は医者の所(ところ)へも行きました。又警察へも行きました。然しみんな奥さんに命令されて行(い)つたのです。奥さんはさうした手続(てつヾき)の済(す)む迄(まで)、誰(だれ)もKの部屋へは入(い)れませんでした。
 Kは小(ちい)さなナイフで頸動脈を切(き)つて一息(といき)に死(し)んで仕舞つたのです。外(ほか)に創(きづ)らしいものは何(なん)にもありませんでした。私が夢(ゆめ)のやうな薄暗(うすぐら)い灯(ひ)で見た唐紙(からかみ)の血(ち)潮は、彼の頸筋(くびすぢ)から一度(いちど)に迸(ほと)ば[し]つたものと知れました。私は日中(ちう)の光(ひかり)で明(あき)らかに其迹(そのあと)を再び眺(なが)めました。さうして人間(にんげん)の血(ち)の勢(いきほひ)といふものの劇(はげ)しいのに驚(おど)ろきました。
 奥さんと私は出来る丈の手際(てぎは)と工夫を用ひて、Kの室(へや)を掃除しました。彼(かれ)の血潮(ちしほ)の大部分は、幸ひ彼の蒲団に吸収されてしまつたので、畳(たヽみ)はそれ程汚(よご)れないで済(す)みましたから、後始(あとし)末はまだ楽(らく)でした。二人(ふたり)は彼(かれ)の死骸(しがい)を私の室(へや)に入(い)れて、不断(ふだん)の通り寐(ね)てゐる体(てい)に横(よこ)にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打(う)ちに出(で)たのです。
 私が帰つた時(とき)は、Kの枕元(まくらもと)にもう線香が立(た)てられてゐました。室(へや)へ這入(はい)るとすぐ仏臭(ほとけくさ)い烟(けむり)で鼻を撲(う)たれた私は、其烟(けむり)の中(なか)に坐(すわ)つてゐる女二人(ふたり)を認(みと)めました。私が御嬢さんの顔(かほ)を見(み)たのは、昨夜来此時(このとき)が始めてヾした。御嬢さんは泣(な)いてゐました。奥さんも眼(め)を赤(あか)くしてゐました。事件が起つてからそれ迄泣(な)く事(こと)を忘れてゐた私は、其時(とき)漸(やう)やく悲(かな)しい気分に誘(さそ)はれる事(こと)が出来(でき)たのです。私の胸(むね)はその悲しさのために、何(ど)の位(くらゐ)寛(くつ)ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握(にぎ)り締(し)められた私の心に、一滴(いつてき)の潤(うるほひ)を与へてくれたものは、其時の悲しさでした。
 私は黙(だま)つて二人(ふたり)の傍(そば)に坐(すわ)つてゐました。奥さんは私にも線香を上(あ)げてやれと云ひます。私は線香を上(あ)げて又(また)黙(だま)つて坐(すわ)つてゐました。御嬢さんは私には何(なん)とも云ひません。たまに奥さんと一口(ひとくち)二口(ふたくち)言葉(ことば)を換(か)はす事(こと)がありましたが、それは当座の用事(じ)に即(つ)いてのみでした。御嬢さんにはKの生前に就(つ)いて語(かた)る程の余裕がまだ出(で)て来(こ)なかつたのです。私はそれでも昨夜(ゆふべ)の物凄(ものすご)い有様(ありさま)を見せずに済(す)んでまだ可(よ)かつたと心(こヽろ)のうちで思ひました。若(わか)い美(うつ)くしい人(ひと)に恐(おそ)ろしいものを見(み)せると、折角(せつかく)の美(うつ)くしさが、其為(そのため)に破壊されて仕舞(しま)ひさうで私は怖(こわ)かつたのです。私の恐(おそ)ろしさが私の髪(かみ)の毛(け)の末端迄(まつたんまで)来(き)た時(とき)ですら、私はその考を度外に置(お)いて行動する事(こと)は出来(でき)ませんでした。私には綺麗(きれい)な花(はな)を罪もないのに妄(みだ)りに鞭(むち)うつと同じやうな不快がそのうちに籠(こも)つてゐたのです。
 国元からKの父と兄(あに)が出(で)て来(き)た時、私はKの遺骨を何処(どこ)へ埋(う)めるかに就(つ)いて自分の意見を述(の)べました。私は彼の生前に雑司(ざうし)ケ谷(や)近辺をよく一所に散歩した事(こと)があります。Kには其所(そこ)が大変気に入(い)つてゐたのです。それで私は笑談半分に、そんなに好(すき)なら死(し)んだら此所(ここ)へ埋(う)めて遣(や)らうと約束した覚(おぼえ)があるのです。私も今其約束通りKを雑司ケ谷(や)へ葬つたところで、何(ど)の位の功徳(くどく)になるものかとは思ひました。けれども私は私の生(い)きてゐる限(かぎ)り、Kの墓(はか)の前(まへ)に跪(ひざ)まづいて月々(つき\゛/)私の懺悔を新(あら)たにしたかつたのです。今迄構ひ付(つ)けなかつたKを、私が万事(ばんじ)世話をして来(き)たといふ義理もあつたのでせう、Kの父も兄(あに)も私の云ふ事(こと)を聞(き)いて呉れました。


心(こヽろ) 先生の遺書(百五)

「Kの葬式の帰(かへ)り路(みち)に、私はその友人の一人(ひとり)から、Kが何(ど)うして自殺したのだらうといふ質問を受けました。事件があつて以来私はもう何度(なんど)となく此質問で苦しめられてゐたのです。奥さんも御嬢さんも、国(くに)から出(で)て来(き)たKの父兄も、通知を出(だ)した知(し)り合(あ)ひも、彼とは何(なん)の縁故もない新聞記者迄も、必ず同様の質問を私に掛(か)けない事(こと)はなかつたのです。私の良心は其度(たび)にちく\/刺(さ)されるやうに痛(いた)みました。さうして私は此質問(しつもん)の裏(うら)に、早く御前(まへ)が殺(ころ)したと白状してしまへといふ声(こえ)を聞(き)いたのです。
 私の答(こたへ)は誰(だれ)に対(たい)しても同じでした。私は唯(たヾ)彼(かれ)の私宛(あて)で書(か)き残(のこ)した手紙(てがみ)を繰(く)り返(かへ)す丈で、外(ほか)に一口(ひとくち)も附加(つけくは)へる事(こと)はしませんでした。葬式の帰りに同じ問(とひ)を掛(か)けて、同じ答を得たKの友人は、懐(ふところ)から一枚の新聞を出(だ)して私に見(み)せました。私は歩(ある)きながら其友人によつて指(さ)し示(しめ)された箇所を読(よ)みました。それにはKが父兄から勘当された結果(けつくわ)厭世(えんせい)的な考を起(おこ)して自殺したと書(か)いてあるのです。私は何(なん)にも云はずに、其新聞を畳(たヽ)んで友人の手に帰(かへ)しました。友人は此外(このほか)にもKが気が狂(くる)つて自殺したと書(か)いた新聞があると云つて教へて呉(く)れました。忙(いそ)がしいので、殆(ほと)んど新聞を読(よ)む暇(ひま)がなかつた私は、丸(まる)でさうした方面の知識を欠(か)いてゐましたが、腹(はら)の中(なか)では始終気(き)にかヽつてゐた所(ところ)でした。私は何(なに)よりも宅(うち)のものヽ迷惑になるやうな記事(きじ)の出(で)るのを恐(おそ)れたのです。ことに名前丈にせよ御嬢さんが引合(ひきあひ)に出(で)たら堪(たま)らないと思つてゐたのです。私は其友人に外(ほか)に何(なん)とか書(か)いたのはないかと聞(き)きました。友人は自分の眼(め)に着(つ)いたのは、たヾ其(その)二種(しゆ)ぎりだと答(こた)へました。
 私が今居る家(いへ)へ引越(ひつこ)したのはそれから間(ま)もなくでした。奥さんも御嬢さんも前(まへ)の所(ところ)にゐるのを厭(いや)がりますし、私も其夜(そのよ)の記憶を毎晩繰(く)り返(かへ)すのが苦痛だつたので、相談の上(うへ)移(うつ)る事(こと)に極(き)めたのです。
 移(うつ)つて二ヶ月程してから私は無事(ぶじ)に大学を卒業しました。卒業して半年も経(た)たないうちに、私はとう\/御嬢さんと結婚しました。外側(そとがは)から見(み)れば、万事(ばんじ)が予期通(どほ)りに運(はこ)んだのですから、目出度(めでたい)と云はなければなりません。奥さんも御嬢さんも如何(いか)にも幸福らしく見えました。私も幸福だつたのです。けれども私の幸福には黒(くろ)い影(かげ)が随(つ)いてゐました。私は此幸福が最後(さいご)に私を悲(かな)しい運命(うんめい)に連(つ)れて行く導火線ではなからうかと思(おも)ひました。
 結婚した時(とき)御嬢さんが、ーもう御嬢さんではありませんから、妻(さい)と云ひます。ー妻(さい)が、何(なに)を思(おも)ひ出(だ)したのか、二人(ふたり)でKの墓参(はかまゐり)をしやうと云ひ出(だ)しました。私は意味もなく唯(たヾ)ぎよつとしました。何(ど)うしてそんな事(こと)を急に思い立(た)つたのかと聞(き)きました。妻(さい)は二人揃(ふたりそろ)つて御参(まゐ)りをしたら、Kが嘸(さぞ)喜(よろ)こぶだらうと云ふのです。私は何事(なにごと)も知(し)らない妻(さい)の顔(かほ)をしけじけ眺(なが)めてゐましたが、妻(さい)から何故(なぜ)そんな顔(かほ)をするのかと問(と)はれて始(はじ)めて気が付(つ)きました。
 私は妻(さい)の望通(のぞみどほ)り二人(ふたり)連(つ)れ立(だ)つて雑司ヶ谷へ行きました。私は新(あた)らしいKの墓へ水(みづ)をかけて洗(あら)つて遣(や)りました。妻(さい)は其前(まへ)へ線香と花を立(た)てました。二人(ふたり)は頭(あたま)を下(さ)げて、合掌しました。妻(さい)は定(さだ)めて私と一所(いつしよ)になつた顛末を述(の)べてKに喜(よろ)こんで貰(もら)ふ積(つもり)でしたらう。私は腹(はら)の中(なか)で、たヾ自分が悪(わる)かつたと繰(く)り返(かへ)す丈(だけ)でした。
 其時(とき)妻(さい)はKの墓(はか)を撫(な)でヽ見(み)て立派だと評してゐました。其墓は大(たい)したものではないのですけれども、私が自分で石屋(いしや)へ行(い)つて見立(みたて)たりした因縁があるので、妻(さい)はとくに左右(さう)云(い)ひたかつたのでせう。私は其新(あた)らしい墓(はか)と、新らしい私の妻(さい)と、それから地面の下(した)に埋(うづ)められたKの新(あた)らしい白骨とを思ひ比(くら)べて、運命の冷罵を感ぜずにはゐられなかつたのです。私はそれ以後決して妻(さい)と一所にKの墓参(はかまゐ)りをしない事(こと)にしました。


心(こヽろ) 先生の遺書(百六)

「私の亡友に対する斯(か)うした感(かん)じは何時迄(いつまで)も続(つヾ)きました。実(じつ)は私も初(はじめ)からそれを恐(おそ)れてゐたのです。年来の希望であつた結婚すら、不安のうちに式(しき)を挙(あ)げたと云へば云へない事(こと)もないでせう。然し自分で自分の先(さき)が見えない人間(にんげん)の事(こと)ですから、ことによると或は是(これ)が私の心持(こヽろもち)を一転(いつてん)して新(あた)らしい生涯に入(はい)る端緒(いとくち)になるかも知れないとも思つたのです。所(ところ)が愈(いよ\/)夫(おつと)として朝夕妻(さい)と顔(かほ)を合(あは)せて見ると、私の果敢(はか)ない希望は手厳(てきび)しい現実(げんじつ)のために脆(もろ)くも破壊されてしまひました。私は妻(さい)と顔(かほ)を合(あは)せてゐるうちに、卒然(そつぜん)Kに脅(おびや)かされるのです。つまり妻(さい)が中間(ちうかん)に立(た)つて、Kと私を何処迄(どこまで)も結(むす)び付(つ)けて離さないやうにするのです。妻(さい)の何処(どこ)にも不足(ふそく)を感じない私は、たヾ此一点に於て彼女を遠(とほ)ざけたがりました。すると女の胸にはすぐ夫(それ)が映(うつ)ります。映(うつ)るけれども、理由(りゆ)は解(わか)らないのです。私は時々(とき\゛/)妻(さい)から何故(なぜ)そんなに考へてゐるのだとか、何か気に入(い)らない事(こと)があるのだらうとかいふ詰問(きつもん)を受(う)けました。笑(わら)つて済(す)ませる時(とき)はそれで差支ないのですが、時(とき)によると、妻(さい)の癇(かん)も高(かう)じて来(き)ます。しまひには「あなたは私を嫌(きら)つてゐらつしやるんでせう」とか、「何でも私に隠(かく)してゐらつしやる事(こと)があるに違(ちがひ)ない」とかいふ怨言(げん)も聞かなくてはなりません。私は其度(そのたび)に苦(くる)しみました。
 私は一層(いつそ)思(おも)ひ切(き)つて、有(あり)の侭(まヽ)を妻(さい)に打(う)ち明(あ)けやうとした事(こと)が何度(なんど)もあります。然しいざといふ間際(まぎは)になると自分以外のある力(ちから)が不意に来(き)て私を抑え付(つ)けるのです。私を理解してくれる貴方(あなた)の事(こと)だから、説明する必要もあるまいと思ひますが、話(はな)すべき筋(すぢ)だから話(はな)して置(お)きます。其時分(じぶん)の私は妻(さい)に対(たい)して已(おのれ)を飾(かざ)る気は丸でなかつたのです。もし私が亡友に対すると同じやうな善良な心で、妻の前(まへ)に懺悔の言葉(ことば)を並(なら)べたなら、妻は嬉(うれ)し涙(なみだ)をこぼしても私の罪(つみ)を許(ゆる)してくれたに違(ちがひ)ないのです。それを敢(あえ)てしない私に利害の打算(ださん)がある筈(はづ)はありません。私はたヾ妻(さい)の記憶に暗黒な一点を印(いん)するに忍(しの)びなかつたから打ち明けなかつたのです。純白なものに一雫(ひとしづく)の印気(いんき)でも容赦なく振(ふ)り掛(か)けるのは、私にとつて大変な苦痛だつたのだと解釈して下さい。
 一年経(た)つてもKを忘れる事(こと)の出来(でき)なかつた私の心は常(つね)に不安でした。私は此不安を駆逐するために書物に溺れやうと力(つと)めました。私は猛烈な勢をもつて勉強し始(はじ)めたのです。さうして其結果を世(よ)の中(なか)に公けにする日(ひ)の来(く)るのを待(ま)ちました。けれども無理に目的を拵(こしら)えて、無理に其目的の達(たつ)せられる日(ひ)を待(ま)つのは嘘(うそ)ですから不愉快です。私は何(ど)うしても書物のなかに心(こヽろ)を埋(うづ)めてゐられなくなりました。私は又腕組(うでぐみ)をして世(よ)の中(なか)を眺(なが)めだしたのです。
 妻(さい)はそれを今日(こんにち)に困(こま)らないから心(こヽろ)に弛(ゆる)みが出(で)るのだと観察してゐたやうでした。妻(さい)の家(いへ)にも親子(おやこ)二人位(ふたりぐらゐ)は坐(すわ)つてゐて何(ど)うか斯(か)うか暮(くら)して行ける財産がある上(うへ)に、私も職業を求(もと)めないで差支のない境遇にゐたのですから、さう思はれるのも尤もです。私も幾分(いくぶん)かスポイルされた気味がありませう。然し私の動(うご)かなくなつた原因の主(おも)なものは、全く其所(そこ)にはなかつたのです。叔父に欺(あざ)むかれた当時の私は、他(ひと)の頼(たの)みにならない事(こと)をつくづくと感(かん)じたには相違ありませんが、他(ひと)を悪(わる)く取(と)る丈あつて、自分はまだ確(たしか)な気がしてゐました。世間は何(ど)うあらうとも此已(このおれ)は立派な人間(にんげん)だといふ信念が何処(どこ)かにあつたのです。それがKのために美事(みごと)に破壊されてしまつて、自分もあの叔父と同じ人間(にんげん)だと意識した時、私は急にふら\/しました。他(ひと)に愛想を尽(つ)かした私は、自分にも愛想を尽(つ)かして動(うご)けなくなつたのです。


心(こヽろ) 先生の遺書(百七)

「書物(もつ)の中(なか)に自分を生埋(いきうめ)にする事(こと)の出来(でき)なかつた私は、酒(さけ)に魂(たましひ)を浸(ひた)して、己(おの)れを忘(わす)れやうと試(こヽろ)みた時期もあります。私は酒(さけ)が好(す)きだとは云ひません。けれども飲(の)めば飲(の)める質(たち)でしたから、たヾ量(りよう)を頼(たの)みに心(こヽろ)を盛(も)り潰(つぶ)さうと力(つと)めたのです。此浅薄(せんぱく)な方便はしばらくするうちに私を猶厭世的にしました。私は爛酔の真最中(まつさいちう)に不図(ふと)自分の位置に気が付(つ)くのです。自分はわざと斯(こ)んな真似(まね)をして己(おの)れを偽(いつは)つてゐる愚物だといふ事(こと)に気が付(つ)くのです。すると身振(みぶる)ひと共(とも)に眼(め)も心(こヽろ)も醒(さ)めてしまひます。時(とき)にはいくら飲(の)んでも斯(か)うした仮装状態にさへ入(はい)り込(こ)めないで無暗に沈(しづ)んで行く場合も出(で)て来(き)ます。其上(うへ)技巧で愉快を買(か)つた後(あと)には、屹度沈鬱な反動があるのです。私は自分の最も愛(あい)してゐる妻(さい)と其母親(はヽおや)に、何時(いつ)でも其所(そこ)を見(み)せなければならなかつたのです。しかも彼等は彼等(かれら)に自然な立場(たちば)から私を解釈して掛(かヽ)ります。
 妻(さい)の母(はヽ)は時々(とき\゛/)気拙(きまづ)い事(こと)を妻(さい)に云ふやうでした。それを妻(さい)は私に隠(かく)してゐました。然し自分は自分で、単独(どく)に私を責(せ)めなければ気が済(す)まなかつたらしいのです。責(せ)めると云つても、決して強い言葉(ことば)ではありません。妻(さい)から何(なに)か云はれた為(ため)に、私が激(げき)した例(ためし)は殆んどなかつた位ですから。妻は度(たび)々何処(どこ)が気(き)に入(い)らないのか遠慮なく云つて呉(く)れと頼(たの)みました。それから私の未来のために酒を止(や)めろと忠告しました。ある時(とき)は泣(な)いて「貴方(あなた)は此頃人間(にんげん)が違(ちが)つた」と云ひました。それ丈(だけ)なら未(まだ)可(い)いのですけれども、「Kさんが生(い)きてゐたら、貴方(あなた)もそんなにはならなかつたでせう」と云ふのです。私は左右(さう)かも知れないと答へた事(こと)がありましたが、私の答へた意味と、妻の了解した意味とは全(まつた)く違(ちが)つてゐたのですから、私は心のうちで悲(かな)しかつたのです。それでも私は妻(さい)に何事(なにごと)も説明する気にはなれませんでした。
 私は時々(とき\゛/)妻(さい)に詫(あや)まりました。それは多く酒に酔(よ)つて遅(おそ)く帰(かへ)つた翌日(あくるひ)の朝(あさ)でした。妻(さい)は笑(わら)ひました。或は黙(だま)つてゐました。たまにぽろ\/と涙(なみだ)を落(おと)す事(こと)もありました。私は何方(どつち)にしても自分が不愉快で堪(たま)らなかつたのです。だから私の妻(さい)に詫(あや)まるのは、自分に詫(あや)まるのと詰(つま)り同じ事(こと)になるのです。私はしまひに酒(さけ)を止(や)めました。妻(さい)の忠告で止(や)めたといふより、自分で厭(いや)になつたから止(や)めたと云つた方が適当でせう。
 酒(さけ)は止(や)めたけれども、何(なに)もする気にはなりません。仕方がないから書物を読(よ)みます。然し読(よ)めば読(よ)んだなりで、打(う)ち遣(や)つて置(お)きます。私は妻(さい)から何(なん)の為(ため)に勉強するのかといふ質問を度々(たび\/)受(う)けました。私はたヾ苦笑してゐました。然(しか)し腹(はら)の底(そこ)では、世の中(なか)で自分が最も信愛してゐるたつた一人(ひとり)の人間(にんげん)すら、自分を理解してゐないのかと思ふと、悲(かな)しかつたのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思(おも)ふと益(ます\/)悲しかつたのです。私は寂寞でした。何処(どこ)からも切(き)り離(はな)されて世(よ)の中(なか)にたつた一人(ひとり)住んでゐるやうな気のした事(こと)も能くありました。
 同時に私はKの死因(いん)を繰(く)り返(かへ)し\/考へたのです。其当座は頭(あたま)がたヾ恋(こひ)の一字で支配されてゐた所為(せゐ)でもありませうが、私の観察は寧(むし)ろ簡単でしかも直線的でした。Kは正(まさ)しく失恋(しつれん)のために死(し)んだものとすぐ極(き)めてしまつたのです。しかし段々落(お)ち付(つ)いた気分で、同じ現象に向(むか)つて見(み)ると、さう容易(たやす)くは解決が着(つ)かないやうに思はれて来(き)ました。現実と理想の衝突、ーそれでもまだ不充分でした。私は仕舞にKが私のやうにたつた一人(ひとり)で淋(さむ)しくつて仕方(しかた)がなくなつた結果、急に所決したのではなからうかと疑(うた)がひ出しました。さうして又慄(ぞつ)としたのです。私もKの歩(ある)いた路(みち)を、Kと、同じやうに辿(たど)つてゐるのだといふ予覚が、折々(をり\/)風(かぜ)のやうに私の胸(むね)を横過(よこぎ)り始(はじ)めたからです。


心(こヽろ) 先生の遺書(百八)

「其内(うち)妻(さい)の母(はヽ)が病気になりました。医者に見せると到底癒(なほ)らないといふ診断でした。私は力(ちから)の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。是(これ)は病人自身の為(ため)でもありますし、又愛(あい)する妻(さい)の為(ため)でもありましたが、もつと大(おほ)きな意味からいふと、ついに人間(にんげん)の為(ため)でした。私はそれ迄にも何(なに)かしたくつて堪(たま)らなかつたのだけれども、何(なに)もする事(こと)が出来(でき)ないので已を得ず懐手(ふところで)をしてゐたに違(ちがひ)ありません。世間(せけん)と切(き)り離(はな)された私が、始めて自分から手を出(だ)して、幾分でも善(い)い事(こと)をしたといふ自覚(じかく)を得たのは此時(とき)でした。私は罪滅(つみほろぼ)しとでも名(な)づけなければならない、一種の気分に支配されてゐたのです。
 母(はヽ)は死(し)にました。私と妻はたつた二人(ふたり)ぎりになりました。妻(さい)は私に向(むか)つて、是(これ)から世(よ)の中(なか)で頼(たよ)りにするものは一人(ひとり)しかなくなつたと云ひました。自分自身さへ頼(たよ)りにする事(こと)の出来(でき)ない私は、妻(さい)の顔(かほ)を見(み)て思はず涙(なみだ)ぐみました。さうして妻(さい)を不幸な女だと思ひました。又不幸な女だと口(くち)へ出(だ)しても云ひました。妻は何故(なぜ)だと聞(き)きます。妻には私の意味が解(わか)らないのです。私もそれを説明してやる事(こと)が出来(でき)ないのです。妻(さい)は泣(な)きました。私が不断からひねくれた考で彼女を観察してゐるために、そんな事(こと)も云(い)ふやうになるのだと恨(うら)みました。
 母の亡(な)くなつた後(あと)、私は出来(でき)る丈妻(さい)を親切(しんせつ)に取(と)り扱(あつ)かつて遣(や)りました。たヾ当人を愛(あい)してゐたから許(ばかり)ではありません。私の親切(しんせつ)には箇人(こじん)を離(はな)れてもつと広(ひろ)い背景があつたやうです。丁度妻(さい)の母(はヽ)の看護をしたと同じ意味で、私の心は動(うご)いたらしいのです。妻(さい)は満足らしく見えました。けれども其満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄(きはく)な点が何処(どこ)かに含(ふく)まれてゐるやうでした。然し妻(さい)が私を理解し得たにした所で、此物(もの)足りなさは増(ま)すとも減(へ)る気遣(きづかひ)はなかつたのです。女には大きな人道(じんどう)の立場(たちば)から来(く)る愛情よりも、多少義理をはづれても自分丈に集注される親切を嬉(うれ)しがる性質が、男よりも強いやうに思はれますから。
 妻はある時(とき)、男の心と女の心とは何(ど)うしてもぴたりと一(ひと)つになれないものだらうかと云ひました。私はたヾ若(わか)い時(とき)ならなれるだらうと曖昧な返事をして置きました。妻(さい)は自分の過去を振(ふ)り返(かへ)つて眺(なが)めてゐるやうでしたが、やがて微(かす)かな溜息(ためいき)を洩(も)らしました。
 私の胸(むね)には其時分(じぶん)から時々(とき\゛/)恐(おそ)ろしい影(かげ)が閃(ひら)めきました。初(はじ)めはそれが偶然外(そと)から襲(おそ)つて来(く)るのです。私は驚(おど)ろきました。私はぞつとしました。然ししばらくしてゐる中(うち)に、私の心が其物凄(ものすご)い閃(ひら)めきに応ずるやうになりました。しまひには外(そと)から来(こ)ないでも、自分の胸(むね)の底(そこ)に生れた時から潜(ひそ)んでゐるものヽ如くに思はれ出して来(き)たのです。私はさうした心持(もち)になるたびに、自分の頭(あたま)が何(ど)うかしたのではなからうかと疑(うたぐ)つて見ました。けれども私は医者にも誰(だれ)にも診(み)て貰(もら)ふ気にはなりませんでした。
 私はたヾ人間(にんげん)の罪(つみ)といふものを深(ふか)く感じたのです。其感(かん)じが私をKの墓(はか)へ毎月(げつ)行かせます。其感(かん)じが私に妻(さい)の母(はヽ)の看護をさせます。さうして其感じが妻(さい)に優(やさ)しくして遣(や)れと私に命(めい)じます。私は其感(かん)じのために、知(し)らない路傍の人(ひと)から鞭(むちう)たれたいと迄(まで)思つた事(こと)もあります。斯(か)うした階段を段々(だん\/)経過して行くうちに、人(ひと)に鞭(むちう)たれるよりも、自分で自分を鞭(むちう)つ可(べ)きだといふ気になります。自分で自分を鞭(むちう)つよりも、自分で自分を殺(ころ)すべきだといふ考が起(おこ)ります。私は仕方(しかた)がないから、死んだ気で生(い)きて行(い)かうと決心しました。
 私がさう決心してから今日(こんにち)迄何年(なんねん)になるでせう。私と妻(さい)とは元(もと)の通り仲好(なかよ)く暮(くら)して来(き)ました。私と妻(さい)とは決して不幸ではありません、幸福でした。然し私の有つてゐる一点、私に取つては容易ならん此一点が、妻(さい)には常(つね)に暗黒に見えたらしいのです。それを思ふと、私は妻に対して非常に気の毒な気がします。


心(こヽろ) 先生の遺書(百九)

「死んだ積(つもり)で生(い)きて行かうと決心した私の心(こヽろ)は、時々(とき\゛/)外界の刺戟で躍(をど)り上(あ)がりました。然し私が何(ど)の方面かへ切(き)つて出(で)やうと思(おも)ひ立(た)つや否や、恐(おそ)ろしい力(ちから)が何処(どこ)からか出(で)て来(き)て、私の心(こヽろ)をぐいと握(にぎ)り締(し)めて少(すこ)しも動(うご)けないやうにするのです。さうして其力(ちから)が私に御前(まへ)は何(なに)をする資格もない男だと抑え付(つ)けるやうに云つて聞(き)かせます。すると私は其一言(そのいちげん)で直(すぐ)ぐたりと萎(しほ)れて仕舞ひます。しばらくして又立(た)ち上(あ)がらうとすると、又締(し)め付(つ)けられます。私は歯(は)を食(く)ひしばつて、何(なん)で他(ひと)の邪魔をするのかと怒鳴(どな)り付(つ)けます。不可思議な力(ちから)は冷(ひやヽ)かな声(こえ)で笑(わら)ひます。自分で能く知つてゐる癖(くせ)にと云ひます。私は又(また)ぐたりとなります。
 波瀾(はらん)も曲折もない単調な生活を続(つヾ)けて来(き)た私の内面には、常に斯(か)うした苦(くる)しい戦争があつたものと思つて下(くだ)さい。妻(さい)が見(み)て歯痒(はがゆ)がる前(まへ)に、私自身が何層倍(なんぞうばい)歯痒(はがゆ)い思(おも)ひを重(かさ)ねて来(き)たか知れない位です。私がこの牢屋の中(うち)に凝(ぢつ)としてゐる事(こと)が何(ど)うしても出来(でき)なくなつた時(とき)、又その牢屋を何(ど)うしても突(つ)き破(やぶ)る事(こと)が出来(でき)なくなつた時(とき)、必竟私にとつて一番楽(らく)な努力で遂行出来(でき)るものは自殺より外(ほか)にないと私は感ずるやうになつたのです。貴方(あなた)は何故(なぜ)と云つて眼(め)を■(みは)るかも知れませんが、何時(いつ)も私の心(こヽろ)を握(にぎ)り締(し)めに来(く)るその不可思議な恐(おそ)ろしい力(ちから)は、私の活動をあらゆる方面で食(く)ひ留(と)めながら、死(し)の道(みち)丈を自由に私のために開(あ)けて置(お)くのです。動(うご)かずにゐれば兎も角(かく)も、少(すこ)しでも動(うご)く以上は、其道(みち)を歩(ある)いて進(すヽ)まなければ私には進(すヽ)みやうがなくなつたのです。
 私は今日(こんにち)に至(いた)る迄既に二三度運命の導(みちび)いて行く最も楽(らく)な方向へ進(すヽ)もうとした事(こと)があります。然し私は何時(いつ)でも妻(さい)に心(こヽろ)を惹(ひ)かされました。さうして其妻(さい)を一所に連(つ)れて行く勇気は無論ないのです。妻(さい)に凡(すべ)てを打ち明(あ)ける事(こと)の出来(でき)ない位な私ですから、自分の運命の犠牲として、妻(さい)の天寿を奪(うば)ふなどヽいふ手荒(あら)な所作(しよさ)は、考へてさへ恐(おそ)ろしかつたのです。私に私の宿命がある通り、妻(さい)には妻(さい)の廻(まは)り合(あは)せがあります。二人(ふたり)を一束(ひとたば)にして火(ひ)に燻(く)べるのは、無理といふ点から見ても、痛(いた)ましい極端としか私には思へませんでした。
 同時(どうじ)に私だけが居なくなつた後(あと)の妻(さい)を想像して見(み)ると如何(いか)にも不憫(ふびん)でした。母(はヽ)の死んだ時(とき)、是(これ)から世(よ)の中(なか)で頼(たよ)りにするものは私より外(ほか)になくなつたと云つた彼女の述懐を、私は腸(はらわた)に沁(し)み込(こ)むやうに記憶させられてゐたのです。私はいつも躊躇しました。妻(さい)の顔(かほ)を見(み)て、止(よ)して可(よ)かつたと思ふ事(こと)もありました。さうして又凝(ぢつ)と竦(すく)んで仕舞(しま)ひます。さうして妻(さい)から時々(とき\゛/)物足(ものた)りなさうな眼(め)で眺(なが)められるのです。
 記憶して下(くだ)さい。私は斯(こ)んな風(ふう)にして生(い)きて来(き)たのです。始めて貴方(あなた)に鎌倉で会(あ)つた時(とき)も、貴方(あなた)と一所に郊外を散歩した時(とき)も、私の気分に大(たい)した変(かは)りはなかつたのです。私の後(うしろ)には何時(いつ)でも黒(くろ)い影(かげ)が括(く)ッ付(つ)いてゐました。私は妻(さい)のために、命(いのち)を引きずつて世の中(なか)を歩(ある)いてゐたやうなものです。貴方(あなた)が卒業して国(くに)へ帰(かへ)る時(とき)も同じ事(こと)でした。九月になつたらまた貴方(あなた)に会(あ)はうと約束した私は、嘘(うそ)を吐(つ)いたのではありません。全く会(あ)ふ気(き)でゐたのです。秋(あき)が去(さ)つて、冬(ふゆ)が来(き)て、其冬(ふゆ)が尽(つ)きても、屹度会(あ)ふ積(つもり)でゐたのです。
 すると夏(なつ)の暑(あつ)い盛(さか)りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始(はじ)まつて天皇に終(をは)つたやうな気(き)がしました。最も強く明治の影響を受(う)けた私どもが、其後(そのあと)に生(い)き残(のこ)つてゐるのは必竟時勢遅(おく)れだといふ感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました。私は明白(あから)さまに妻(さい)にさう云ひました。妻(さい)は笑つて取(と)り合(あ)ひませんでしたが、何(なに)を思(おも)つたものか、突然私に、では殉死でもしたら可(よ)からうと調戯(からか)ひました。

■/目爭


心(こヽろ) 先生の遺書(百十)

「私は殉死といふ言葉(ことば)を殆んど忘(わす)れてゐました。平生使(つか)ふ必要のない字(じ)だから、記憶の底(そこ)に沈(しづ)んだ侭(まヽ)、腐(くさ)れかけてゐたものと見えます。妻(さい)の笑談を聞(き)いて始(はじ)めてそれを思ひ出した時、私は妻(さい)に向つてもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積(つもり)だと答へました。私の答も無論笑談に過ぎなかつたのですが、私は其時(そのとき)何(なん)だか古(ふる)い不要な言葉(ことば)に新(あた)らしい意義を盛(も)り得たやうな心持(こヽろもち)がしたのです。
 それから約一ヶ月程経(た)ちました。御大葬の夜(よる)私は何時(いつ)もの通り書斎に坐(すわ)つて、相図の号砲を聞(き)きました。私にはそれが明治が永久に去(さ)つた報知の如く聞(き)こえました。後(あと)で考(かんが)へると、それが乃木大将の永久に去つた報知にもなつてゐたのです。私は号外を手にして、思はず妻(さい)に殉死だ\/と云ひました。
 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書(か)き残(のこ)して行つたものを読(よ)みました。西南戦争の時(とき)敵に旗(はた)を奪(と)られて以来、申し訳(わけ)のために死(し)なう\/と思つて、つい今日(こんにち)迄生(い)きてゐたといふ意味の句(く)を見(み)た時(とき)、私は思はず指(ゆび)を折(を)つて、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生(い)きながらへて来(き)た年月(としつき)を勘定して見(み)ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年迄(まで)には三十五年の距離があります。乃木さんは此三十五年の間(あひだ)死(し)なう\/と思つて、死(し)ぬ機会を待(ま)つてゐたらしいのです。私はさういふ人(ひと)に取(と)つて、生(い)きてゐた三十五年が苦(くる)しいか、また刀(かたな)を腹(はら)へ突(つ)き立(た)てた一刹那が苦(くる)しいか、何方(どつち)が苦(くる)しいだらうと考へました。
 それから二三日して、私はとう\/自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死(し)んだ理由が能く解(わか)らないやうに、貴方(あなた)にも私の自殺する訳(わけ)が明(あき)らかに呑(の)み込(こ)めないかも知れませんが、もし左右(さう)だとすると、それは時勢の推移から来(く)る人間(にんげん)の相違だから仕方(しかた)がありません。或は箇人の有(も)つて生(うま)れた性格の相違と云つた方(はう)が確(たしか)かも知れません。私は私の出来(でき)る限(かぎ)り此(こり)不可思議な私といふものを、貴方(あなた)に解(わか)らせるやうに、今迄の叙述で己(おの)れを尽(つく)した積(つもり)です。
 私は妻(さい)を残(のこ)して行きます。私がゐなくなつても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻(さい)に残酷な驚怖を与へる事(こと)を好みません。私は妻(さい)に血(ち)の色(いろ)を見せないで死ぬ積(つもり)です。妻(さい)の知らない間(ま)に、こつそり此世(このよ)から居(ゐ)なくなるやうにします。私は死んだ後(あと)で、妻(さい)から頓死したと思はれたいのです。気が狂つたと思はれても満足なのです。
 私が死なうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分は貴方(あなた)に此長(このなが)い自叙伝の一節を書(か)き残(のこ)すために使用されたものと思つて下(くだ)さい。始めは貴方(あなた)に会(あ)つて話(はなし)をする気でゐたのですが、書(か)いて見(み)ると、却つて其方(そのはう)が自分を判然(はつきり)描き出(だ)す事(こと)が出来(でき)たやうな心持がして嬉(うれ)しいのです。私は酔興に書(か)くのではありません。私を生(う)んだ私の過去は、人間(にんげん)の経験の一部分として、私より外(ほか)に誰(だれ)も語(かた)り得るものはないのですから、それを偽(いつわ)りなく書(か)き残(のこ)して置く私の努力(どりよく)は、人間(にんげん)を知る上(うへ)に於て、貴方(あなた)にとつても、外(ほか)の人(ひと)にとつても、徒労ではなからうと思ひます。渡辺崋山は邯鄲(かんたん)といふ画(ゑ)を描(か)くために、死期を一週間繰(く)り延(の)べたといふ話(はなし)をつい先達(せんだつ)て聞(き)きました。他(ひと)から見(み)たら余計な事(こと)のやうにも解釈できませうが、当人にはまた当人相応の要求が心(こヽろ)の中(うち)にあるのだから已(や)むを得ないとも云はれるでせう。私の努力も単(たん)に貴方(あなた)に対する約束(やくそく)を果(はた)すためばかりではありません。半(なか)ば以上は自分自身の要求に動(うご)かされた結果なのです。
 然し私は今其要求を果(はた)しました。もう何(なん)にもする事(こと)はありません。此手紙が貴方(あなた)の手に落ちる頃(ころ)には、私はもう此世(よ)にはゐないでせう。とくに死んでゐるでせう。妻(さい)は十日ばかり前(まへ)から市ヶ谷の叔母の所(ところ)へ行きました。叔母が病気で手(て)が足(た)りないといふから私が勧(すヽ)めて遣(や)つたのです。私は妻(さい)の留守(るす)の間(あひだ)に、この長いものヽ大部分を書(か)きました。時々(とき\゛/)妻(さい)が帰つて来(く)ると、私はすぐそれを隠(かく)しました。
 私は私の過去を善悪ともに他(ひと)の参考に供する積(つもり)です。然し妻(さい)だけはたつた一人(ひとり)の例外(れいぐわい)だと承知して下(くだ)さい。私は妻(さい)には何(なん)にも知らせたくないのです。妻(さい)が己(おの)れの過去に対(たい)してもつ記憶を、成るべく純白に保存して置(お)いて遣(や)りたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後(あと)でも、妻(さい)が生(い)きてゐる以上は、あなた限(かぎ)りに打ち明(あ)けられた私の秘密として、凡(すべ)てを腹(はら)の中(なか)に仕舞つて置(お)いて下(くだ)さい」(終り)