心(こヽろ) 先生の遺書(二十一)

 冬(ふゆ)が来(き)た時、私は偶然国へ帰ヘらなければならない事(こと)になつた。私の母から受取つた手紙の中(なか)に、父(ちヽ)の病気の経過が面白くない様子を書(か)いて、今(いま)が今(いま)といふ心配もあるまいが、年(とし)が年(とし)だから、出来(でき)るなら都合して帰つて来(き)てくれと頼(たの)むやうに付(つ)け足(た)してあつた。
 父(ちヽ)はかねてから腎臓を病(や)んでゐた。中年以後の人に屡(しば\/)見(み)る通り、父の此病(やまひ)は慢性であつた。其代り要心さへしてゐれば急変のないものと当人も家族のものも信じて疑はなかつた。現に父は養生の御蔭(かげ)一つで、今日迄(こんにちまで)何(ど)うか斯(か)うか凌(しの)いで来(き)たやうに客(きやく)が来(く)ると吹聴してゐた。其父が、母(はヽ)の書信によると、庭(には)へ出(で)て何(なに)かしてゐる機(はづみ)に、突然眩暈(めまひ)がして引(ひ)ッ繰返(くりかへ)つた。家内のものは軽(けい)症の脳溢血(のういつけつ)と思ひ違(ちが)へて、すぐその手当(あて)をした。後(あと)で医者から何(ど)うも左右(さう)ではないらしい、矢張り持病の結果だらうといふ判断を得て、始めて卒倒と腎臓病とを結(むす)び付けて考へるやうになつたのである。
 冬(ふゆ)休みが来(く)るにはまだ少(すこ)し間(ま)があつた。私は学期の終り迄待(ま)つてゐても差支(さしつかへ)あるまいと思つて一日(にち)二日(ふつか)其侭にして置いた。すると其一日二日(ふつか)の間に、父(ちヽ)の寐(ね)てゐる様子だの、母(はヽ)の心配してゐる顔だのが時々(とき\゛/)眼(め)に浮(う)かんだ。そのたびに一種の心苦(こヽろぐる)しさを嘗(な)めた私は、とう\/帰る決心をした。国から旅費を送らせる手数(かず)と時間(じかん)を省(はぷ)くため、私は暇乞(いとまごひ)かた\゛/先生の所(ところ)へ行つて、要(い)る丈の金(かね)を一時(いちぢ)立(た)て替(か)へてもらふ事(こと)にした。
 先生は少し風邪(かぜ)の気味で、座敷へ出(で)るのが臆劫だといつて、私をその書斎(しよさい)に通(とほ)した。書斎の硝子戸から冬(ふゆ)に入(いつ)て稀(まれ)に見(み)るやうな懐(なつ)かしい和(やわ)らかな日光が机掛(かけ)の上(うへ)に射(さ)してゐた。先生は此日(ひ)あたりの好(い)い室(へや)の中(なか)へ、大きな火鉢を置(お)いて、五徳(ごとく)の上(うへ)に懸けた金盥から立(た)ち上(あが)る湯気(ゆげ)で、呼吸の苦しくなるのを防(ふせ)いでゐた。
 「大病は好(い)いが、ちよつとした風邪(かぜ)などは却つて厭(いや)なものですね」と云つた先生は、苦笑しながら私の顔(かほ)を見た。
 先生は病気といふ病気をした事(こと)のない人(ひと)であつた。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなつた。
 「私は風邪(かぜ)位なら我慢しますが、それ以上の病気は真平(まつぴら)です。先生だつて同じ事(こと)でせう。試(こヽ)ろみに遣(や)つて御覧になるとよく解(わか)ります」
 「左右(さう)かね。私は病気になる位なら、死病に罹(かヽ)りたいと思つてる」
 私は先生のいふ事(こと)に格別注意を払はなかつた。すぐ母(はヽ)の手紙の話をして、金(かね)の無心を申し出(で)た。
 「そりや困るでせう。其位なら今手元(てもと)にある筈だから持(も)つて行き玉へ」
 先生は奥さんを呼んで、必要の金額(きんがく)を私の前(まへ)に並(なら)べさせて呉れた。それを奥の茶箪笥か何かの抽出(ひきだし)から出して来(き)た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧に重ねて、「そりや御心配ですね」と云つた。
 「何遍も卒倒したんですか」と先生が聞(き)いた。
 「手紙には何とも書(か)いてありませんが。ーそんなに何度(なんど)も引(ひ)ッ繰り返(かへ)るものですか」
 「えヽ」
 先生の奥さんの母親(はヽおや)といふ人(ひと)も私の父(ちヽ)と同じ病気で亡(な)くなつたのだと云ふ事(こと)が始めて私に解(わか)つた。
 「何(ど)うせ六づかしいんでせう」と私が云つた。
 「左右(さう)さね。私が代られヽば代つて上(あ)げても好(い)いが。ー嘔気(はきけ)はあるんですか」
 「何(ど)うですか、何(なん)とも書(か)いてないから、大方(おほかた)ないんでせう」
 「吐(はき)気さへ来(こ)なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんが云つた。
 私は其晩の汽車で東京を立つた。


心(こヽろ) 先生の遺書(二十二)

 父(ちヽ)の病気は思つた程悪(わる)くはなかつた。それでも着(つ)いた時(とき)は、床(とこ)の上(うへ)に胡坐(あぐら)をかいて、「みんなが心配(しんぱい)するから、まあ我慢して斯(か)う凝(じつ)としてゐる。なにもう起きても好(い)いのさ」と云つた。然し其翌日からは母(はヽ)が止(と)めるのも聞(き)かずに、とう\/床(とこ)を上(あ)げさせて仕舞(しま)つた。母(はヽ)は不(ふ)承無性(ぶせう)に太織(ふとおり)の蒲団を畳(たヽ)みながら「御父(おとう)さんは御前が帰(かへ)つて来(き)たので、急に気が強くおなりなんだよ」と云(い)つた。私には父(ちヽ)の挙動がさして虚勢(きよせい)を張(は)つてゐるやうにも思へなかつた。
 私の兄(あに)はある職を帯びて遠い九州にゐた。是は万一の事(こと)がある場合でなければ、容易に父母(ちヽはヽ)の顔(かほ)を見(み)る自由の利(き)かない男であつた。妹は他国へ嫁(とつ)いだ。是も急場(ば)の間(ま)に合(あ)ふ様に、おいそれと呼(よ)び寄(よ)せられる女ではなかつた。兄妹(きやうだい)三人(にん)のうちで、一番(いちばん)便(べん)利なのは矢張り書生をしてゐる私丈であつた。其(その)私が母(はヽ)の云ひ付(つ)け通(どほ)り学校の課業を放り出(だ)して、休(やす)み前(まへ)に帰(かへ)つて来(き)たといふ事(こと)が、父(ちヽ)には大きな満足であつた。
 「是(これ)しきの病気に学校を休(やす)ませては気の毒だ。御母(かあ)さんがあまり仰山な手紙を書(か)くものだから不可(いけな)い」
 父(ちヽ)は口では斯う云つた。斯ういつた許(ばかり)でなく、今迄敷(し)いてゐた床(とこ)を上(あ)げさせて、何時(いつ)ものやうな元気を示(しめ)した。
 「あんまり軽(かる)はづみをして又逆回(ふりかへ)すと不可(いけ)ませんよ」
 私の此注意を父は愉快さうに然し極めて軽(かる)く受けた。
 「なに大丈夫、是(これ)で何時(いつ)もの様に要心さへしてゐれば」
 実際父(ちヽ)は大丈夫らしかつた。家(いへ)の中(なか)を自由に往来して、息(いき)も切(き)れなければ、眩暈(めまひ)も感じなかつた。たヾ顔色(かほいろ)丈は普通の人(ひと)よりも大変悪(わる)かつたが、是は又今始(はじ)まつた症状でもないので、私達は格別それを気に留(と)めなかつた。
 私は先生に手紙を書(か)いて恩借の礼を述(の)べた。正月上京する時に持参するからそれ迄待つてくれるやうにと断(ことわ)つた。さうして父の病状の思つた程険悪でない事、此分(このぶん)なら当分安心な事、眩暈(めまひ)も嘔気(はきけ)も皆無(かいむ)な事(こと)などを書(か)き連(つら)ねた。最後に先生の風邪に就いても一言(いちごん)の見舞(みまひ)を付(つ)け加へた。私は先生の風邪を実際軽く見てゐたので。
 私は其手紙を出す時(とき)に決して先生の返事(じ)を予期してゐなかつた。出(だ)した後(あと)で父(ちヽ)や母(はヽ)と先生の噂などをしながら、遙かに先生の書斎を想像した。
 「こんど東京へ行くときには椎茸(しいたけ)でも持(も)つて行つて御上(おあ)げ」
 「えヽ、然し先生が干(ほ)した椎茸なぞを食(く)ふかしら」
 「旨(うま)くはないが、別に嫌(きらひ)な人(ひと)もないだらう」
 私には椎茸と先生を結び付けて考へるのが変であつた。
 先生の返事が来(き)た時(とき)、私は一寸(ちよつと)驚ろかされた。ことにその内容が特別の用件を含(ふく)んでいなかつた時(とき)、驚ろかされた。先生はたヾ親切づくで、返事を書(か)いてくれたんだと私は思つた。さう思ふと、その簡単な一本の手紙(てがみ)が私には大層な喜びになつた。尤も是は私が先生から受取つた第一の手紙には相違なかつたが。
 第一といふと私と先生の間(あひだ)に書信の往復がたび\/あつたやうに思はれるが、事(じ)実は決してさうでない事を一寸断つて置きたい。私は先生の生前にたつた二通の手紙しか貰(もら)つてゐない。其一通は今いふ此簡単(かんたん)な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私宛(あて)で書(か)いた大変長いものである。
 父(ちヽ)は病気の性質として、運動を慎(つヽ)しまなければならないので、床(とこ)を上(あ)げてからも、殆んど戸外(そと)へは出(で)なかつた。一度(いちど)天気のごく穏やかな日(ひ)の午後庭(には)へ下(お)りた事(こと)があるが、其時(とき)は万一を気遣(づか)つて、私が引き添ふやうに傍(そば)に付(つ)いてゐた。私が心配して自分の肩(かた)へ手を掛(か)けさせやうとしても、父(ちヽ)は笑つて応じなかつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(二十三)

 私は退屈な父の相手としてよく将碁盤に向つた。二人(ふたり)とも無精な性質(たち)なので、炬(こ)燵にあたつた侭(まヽ)、盤を櫓(やぐら)の上(うへ)へ載(の)せて、駒(こま)を動(うご)かすたびに、わざ\/手を掛(か[け])蒲団の下(した)から出(だ)すやうな事(こと)をした。時々(とき\゛/)持駒(もちごま)を失(な)くして、次(つぎ)の勝負の来(く)る迄双方とも知らずにゐたりした。それを母(はヽ)が灰(はい)の中(なか)から見付出(みつけだ)して、火箸で挾(はさ)み上(あ)げるといふ滑稽もあつた。
 「碁だと盤(ばん)が高過(たかす)ぎる上(うへ)に、足(あし)が着(つ)いてゐるから、炬燵の上(うへ)では打(う)てないが、其所(そこ)へ来(く)ると将碁盤は好(い)いね、斯(か)うして楽(らく)に差(さ)せるから。無(ぶ)精者(もの)には持(も)つて来(こ)いだ。もう一番遣(や)らう」
 父は勝(か)つた時は必ずもう一番遣(や)らうと云つた。其癖(くせ)負(ま)けた時(とき)にも、もう一番遣(や)らうと云つた。要するに、勝つても負(ま)けても、炬燵にあたつて、将碁を差(さ)したがる男であつた。始めのうちは珍(めづ)らしいので、此隠居じみた娯楽(らく)が私にも相当の興味を与へたが、少し時日(じじつ)が経(た)つに伴(つ)れて、若い私の気力は其位な刺戟で満足出来なくなつた。私は金(きん)や香車(きやうしや)を握(にぎ)つた拳(こぶし)を頭(あたま)の上(うへ)へ伸(のば)して、時々(ときどき)思い切つたあくびをした。
 私は東京の事(こと)を考へた。さうして漲(みなぎ)る心臓の血潮(ちしほ)の奥に、活動々々と打ちつヾける鼓動を聞(き)いた。不思議にもそ其鼓動の音(おと)が、ある微妙な意識状態から、先生の力(ちから)で強(つよ)められてゐるやうに感じた。
 私は心(こヽろ)のうちで、父(ちヽ)と先生とを比較して見(み)た。両方とも世間から見れば、生きてゐるか死んでゐるか分(わか)らない程大人(おとな)しい男であつた。他(ひと)に認(みと)められるといふ点からいへば何方(どつち)も零(れい)であつた。それでゐて、此将碁を差(さ)したがる父(ちヽ)は、単(たん)なる娯楽の相手としても私には物足りなかつた。かつて遊興のために往来(ゆきき)をした覚のない先生は、歓楽の交際から出る親(した)しみ以上に、何時(いつ)か私の頭(あたま)に影響を与へてゐた。たヾ頭(あたま)といふのはあまりに冷(ひやヽ)か過(す)ぎるから、私は胸(むね)と云ひ直(なほ)したい。肉(にく)のなかに先生の力(ちから)が喰(く)い込(こ)んでゐると云つても、血のなかに先生の命(いのち)が流(なが)れてゐると云つても、其時の私には少しも誇張でないやうに思はれた。私は父(ちヽ)が私の本当の父(ちヽ)であり、先生は又いふ迄もなく、あかの他人であるといふ明白な事実を、ことさらに眼(め)の前に並(なら)べて見(み)て、始めて大きな真理でも発見したかの如くに驚ろいた。
 私がのつそつし出(だ)すと前後して、父(ちヽ)や母(はヽ)の眼(め)にも今迄珍(めづ)らしかつた私が段々陳腐になつて来(き)た。是は夏休(なつやす)みなどに国(くに)へ帰る誰(だれ)でもが一様(いちやう)に経験する心持(こヽろもち)だらうと思ふが、当座の一週間位は下(した)にも置(お)かないやうに、ちやほや歓待(もてな)されるのに、其峠(とほげ)を定規通り通り越すと、あとはそろ\/家族の熱(ねつ)が冷(さ)めて来(き)て、仕舞には有つても無くつても構はないものヽやうに粗末に取扱(とりあつ)か[は]れ勝(がち)になるものである。私も滞在中に其峠を通り越(こ)した。其上(そのうへ)私は国へ帰るたびに、父(ちヽ)にも母(はヽ)にも解(わか)らない変(へん)な所(ところ)を東京から持(も)つて帰つた。昔でいふと、儒者の家(いへ)へ切支丹(きりしたん)の臭(にほひ)を持(も)ち込(こ)むやうに、私の持(も)つて帰(かへ)るものは父(ちヽ)とも母(はヽ)とも調和しなかつた。無論私はそれを隠(かく)してゐた。けれども元々(もと\/)身(み)に着(つ)いてゐるものだから、出(だ)すまいと思(おも)つても、何時(いつ)かそれが父(ちヽ)や母(はヽ)の眼(め)に留(とま)つた。私はつい面白くなくなつた。早く東京へ帰(かへ)りたくなつた。
 父(ちヽ)の病気は幸い現状維持の侭(まヽ)で、少しも悪(わる)い方へ進む模様は見えなかつた。念のためにわざ\/遠くから相当の医者を招いたりして、慎重に診察して貰つても矢張(やはり)私の知つてゐる以外に異状は認められなかつた。私は冬休みの尽(つ)きる少し前(まへ)に国を立(た)つ事(こと)にした。立つと云ひ出すと、人情は妙なもので、父(ちヽ)も母(はヽ)も反対した。
 「もう帰るのかい、まだ早いぢやないか」と母が云つた。
 「まだ四五日居ても間(ま)に合(あ)ふんだらう」と父が云つた。
 私は自分の極めた出立の日を動かさなかつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(二十四)

 東京へ帰つて見ると、松飾(まつかざり)はいつか取払(とりはら)はれてゐた。町(まち)は寒い風(かぜ)の吹くに任(まか)せて、何処(どこ)を見ても是(これ)といふ程の正月めいた景気はなかつた。
 私は早速先生のうちへ金(かね)を返(かへ)しに行(い)つた。例の椎茸も序(ついで)に持つて行つた。たヾ出すのは少し変だから、母(はヽ)が是を差上(さしあ)げて呉(く)れといひましたとわざ\/断つて奥さんの前(まへ)へ置(お)いた。椎茸は新らしい菓子折(をり)に入れてあつた。鄭寧に礼を述べた奥さんは、次(つぎ)の間(ま)へ立(た)つ時(とき)、其折を持(も)つて見て、軽(かる)いのに驚ろかされたのか、「こりや何(なん)の御菓子」と聞(き)いた。奥さんは懇意になると、斯(こ)んな所に極めて淡泊な小供らしい心(こヽろ)を見(み)せた。
 二人(ふたり)とも父(ちヽ)の病気について、色々(いろ\/)掛念(けねん)の問(とひ)を繰(く)り返(かへ)してくれた中(なか)に、先生は斯(こ)んな事(こと)をいつた。
 「成程容体を聞(き)くと、今が今何(ど)ういふ事(こと)もないやうですが、病気が病気だから余程気をつけないと不可(いけ)ません」
 先生は腎臓の病(やまひ)に就いて私の知らない事(こと)を多く知つてゐた。
 「自分で病気に罹(かヽ)つてゐながら、気が付(つ)かないで平気でゐるのがあの病(やまひ)の特色です。私の知つたある士官は、とう\/それで遣(や)られたが、全く嘘(うそ)のやうな死(し)に方(かた)をしたんですよ。何(なに)しろ傍(そば)に寐(ね)てゐた細君が看病をする暇(ひま)もなんにもない位なんですからね。夜中(よなか)に一寸(ちよつと)苦(くる)しいと云つて、細君を起(おこ)したぎり、翌(あく)る朝(あさ)はもう死(し)んでゐたんです。しかも細君は夫(おつと)が寐(ね)てゐるとばかり思つてたんだつて云ふんだから」
 今迄楽天的に傾むいてゐた私は急に不安になつた。
 「私の父(おやぢ)もそんなになるでせうか。ならんとも云へないですね」
 「医者は何(なん)と云ふのです」
 「医者は到底(とても)治(なほ)らないといふんです。けれども当分の所(ところ)心配はあるまいともいふんです」
  「夫(それ)ぢや好(い)いでせう。医者が左右(さう)いふなら。私の今話(はな)したのは気が付(つ)かずにゐた人(ひと)の事(こと)で、しかもそれが随分乱暴な軍人なんだから」
 私は稍安心した。私の変化を凝(じつ)と見てゐた先生は、それから斯(か)う付(つ)け足(た)した。
 「然し人間(にんげん)は健康にしろ病気にしろ、どつちにしても脆(もろ)いものですね。いつ何(ど)んな事(こと)で何(ど)んな死(し)にやうをしないとも限(かぎ)らないから」
 「先生もそんな事(こと)を考へて御出(いで)ですか」
 「いくら丈夫の私でも、満更(まんざら)考へない事(こと)もありません」
 先生の口元(くちもと)には微笑の影(かげ)が見(み)えた。
 「よくころりと死(し)ぬ人(ひと)があるぢやありませんか。自然に。それからあつと思ふ間(ま)に死(し)ぬ人(ひと)もあるでせう。不自然な暴力で」
 「不自然な暴力つて何ですか」
 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人(ひと)はみんな不自然な暴力を使(つか)ふんでせう」
 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力の御蔭(おかげ)ですね」
 「殺される方(はう)はちつとも考へてゐなかつた。成程左右(さう)いへば左右(さう)だ」
 其日はそれで帰つた。帰つてからも父(ちヽ)の病気の事(こと)はそれ程苦(く)にならなかつた。先生のいつた自然に死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかいふ言葉(ことば)も、其場(ば)限(かぎ)りの浅い印象を与へた丈で、後(あと)は何等(なんら)のこだわりを私の頭(あたま)に残(のこ)さなかつた。私は今迄幾度(たび)か手を着(つ)けやうとしては手を引つ込めた卒業論文を、愈本式に書き始めなければならないと思ひ出した。


心(こヽろ) 先生の遺書(二十五)

 其年(とし)の六月に卒業する筈の私は、是非共此論文を成規通り四月一杯に書き上(あ)げて仕舞はなければならなかつた。二、三、四と指(ゆび)を折つて余(あま)る時日(じつ)を勘定して見(み)た時、私は少し自分の度胸を疑(うた)ぐつた。他(ほか)のものは余程(よほど)前(まへ)から材料を蒐(あつ)たり、ノートを溜(た)めたりして、余所目(よそめ)にも忙(いそ)がしさうに見(み)えるのに、私丈はまだ何(なん)にも手(て)を着(つ)けずにゐた。私にはたヾ年(とし)が改たまつたら大いに遣(や)らうといふ決心丈があつた。私は其決心で遣(や)り出(だ)した。さうして忽ち動(うご)けなくなつた。今迄大きな問題を空(くう)に描(えが)いて、骨組(ほねぐみ)丈は畧(ほヾ)出来上(あが)つてゐる位に考へてゐた私は、頭(あたま)を抑えて悩(なや)み始めた。私はそれから論文の問題を小(ちい)さくした。さうして練(ね)り上げた思想を系統的に纏(まと)める手(て)数を省(はぶ)くために、たヾ書物の中(なか)にある材料を並(なら)べて、それに相当な結論を一寸(ちよつと)付(つ)け加へる事にした。
 私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであつた。私がかつてその選択に就いて先生の意見を尋ねた時、先生は好(い)いでせうと云つた。狼狽した気味の私は、早速先生の所へ出掛けて、私の読まなければならない参考書を聞(き)いた。先生は自分の知つてゐる限(かぎ)りの知識を、快よく私に与へて呉(く)れた上(うへ)に、必要の書物を二三冊貸さうと云つた。然し先生は此点について毫も私を指導する任に当らうとしなかつた。
 「近頃はあんまり書物を読まないから、新らしい事(こと)は知りませんよ。学校の先生に聞(き)いた方(はう)が好(い)いでせう」
 先生は一時(いちじ)非常の読書家であつたが、其後(ご)何(ど)ういふ訳か、前程此(この)方面に興味が働(はた)らかなくなつたやうだと、かつて奥さんから聞(き)いた事(こと)があるのを、私は其時不図(と)思ひ出(だ)した。私は論文を余所(よそ)にして、そぞろに口(くち)を開(ひら)いた。
 「先生は何故(なぜ)元(もと)のやうに書物に興味を有(も)ち得ないんですか」
 「何故(なぜ)といふ訳(わけ)もありませんが。‥‥つまり幾何(いくら)本(ほん)を読(よ)んでもそれ程えらくならないと思ふ所為(せい)でせう。それから‥‥」
  「それから、未(ま)だあるんですか」
 「まだあるといふ程の理由でもないが、以前はね、人の前(まへ)へ出(で)たり、人に聞(き)かれたりして知らないと耻(はぢ)のやうに極(きまり)が悪(わる)かつたものだが、近頃は知らないといふ事(こと)が、それ程の耻(はぢ)でないやうに見え出(だ)したものだから、つい無理にも本を読(よ)んで見やうといふ元気が出(で)なくなつたのでせう。まあ早く云へば老い込んだのです」
 先生の言葉(ことば)は寧(むし)ろ平静であつた。世間(せけん)に脊中(せなか)を向(む)けた人(ひと)の苦味(くみ)を帯びてゐなかつた丈に、私にはそれ程の手応(ごたへ)もなかつた。私は先生を老い込(こ)んだとも思はない代りに、偉(えら)いとも感心(かんしん)せずに帰つた。
 それからの私は殆んど論文に祟(たヽ)られた精神病者の様に眼(め)を赤(あか)くして苦(くる)しんだ。私は一年前に卒業した友達(ともだち)に就いて、色々(いろ\/)様子を聞(き)いて見たりした。そのうちの一人(いちにん)は締切(しめきり)の日(ひ)に車(くるま)で事務所へ馳(か)けつけて漸く間(ま)に合(あ)はせたと云つた。他(た)の一人(いちにん)は五時を十五分程後(おく)らして持(も)つて行(い)つたため、危(あや)うく跳(は)ね付(つ)けられやうとした所を、主任教授の好意でやつと受理(じゆり)して貰(もら)つたと云つた。私は不安を感ずると共に度胸を据ゑた。毎日机の前で精根(せいこん)のつヾく限(かぎ)り働(はた)らいた。でなければ、薄暗い書庫(しよこ)に這入(はい)つて、高い本棚(ほんだな)のあちらこちらを見廻はした。私の眼(め)は好事家(ずか)が骨董でも堀(ほ)り出す時(とき)のやうに脊表紙(せびやうし)の金文字をあさつた。
 梅が咲(さ)くにつけて寒(さむ)い風(かぜ)は段々向(むき)を南(みなみ)へ更(か)へて行(い)つた。それが一仕切(ひとしきり)経(た)つと、桜(さくら)の噂がちらほら私の耳(みヽ)に聞(き)こえ出した。それでも私は馬車馬(ばしやうま)のやうに正面許(ばかり)見(み)て、論文に鞭(むちう)たれた。私はついに四月の下旬が来(き)て、やつと予定通りのものを書(か)き上(あ)げる迄、先生の敷居(しきゐ)を跨(また)がなかつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(二十六)

 私の自由になつたのは、八重桜の散(ち)つた枝にいつしか青い葉が霞(かす)むやうに伸(の)び始める初夏の季節であつた。私は籠(かご)を抜(ぬ)け出(だ)した小鳥(とり)の心(こヽろ)をもつて、広(ひろ)い天地を一目(ひとめ)に見渡しながら、自由に羽搏(はばた)きをした。私はすぐ先生の家(うち)へ行(い)つた。枳殻(からたち)の垣(かき)が黒(くろ)ずんだ枝の上(うへ)に、萌(もえ)るやうな芽(め)を吹(ふ)いてゐたり、柘榴(ざくろ)の枯(か)れた幹(みき)から、つや\/しい茶褐色の葉(は)が、柔らかさうに日光(につかう)を映(うつ)してゐたりするのが、道々(みち\/)私の眼(め)を引(ひ)き付(つ)けた。私は生(うま)れて始めてそんなものを見るやうな珍(めづ)らしさを覚(おぼ)えた。
 先生は嬉(うれ)しさうな私の顔(かほ)を見(み)て、「もう論文は片付(かたづ)いたんですか、結構ですね」といつた。私は、「御蔭で漸やく済(す)みました。もう何(なん)にもする事(こと)はありません」と云つた。
 実際其時の私は、自分のなすべき凡ての仕事(ごと)が既(すで)に結了して、是から先(さき)は威張つて遊んで居ても構はないやうな晴(はれ)やかな心持(こヽろもち)でゐた。私は書(か)き上(あ)げた自分の論文に対して充分の自信と満足を有(も)つてゐた。私は先生の前(まへ)で、しきりに其内容を喋々した。先生は何時(いつ)もの調子で、「成程」とか、「左右(さう)ですか」とか云つてくれたが、それ以上の批評は少(すこ)しも加へなかつた。私は物足(ものた)りないといふよりも、聊(いさヽ)か拍子抜(ぬ)けの気味であつた。それでも其日私の気力は、因循らしく見(み)える先生の態度に逆襲を試みる程に生々(いき\/)してゐた。私は青く蘇生(よみがへ)らうとする大きな自然の中(なか)に、先生を誘(さそ)ひ出(だ)さうとした。
 「先生何処(どこ)かへ散歩しませう。外(そと)へ出ると大変好(い)い心持(こヽろもち)です」
 「何処(どこ)へ」
 私は何処(どこ)でも構(かま)はなかつた。たヾ先生を伴(つ)れて郊外へ出(で)たかつた。
 一時間(いちじかん)の後(のち)、先生と私は目的通(どほ)り市(し)を離(はな)れて、村(むら)とも町(まち)とも区別の付かない静(しづ)かな所(ところ)を宛(あて)もなく歩(ある)いた。私はかなめの垣(かき)から若(わか)い柔らかい葉を■(も)ぎ取つて芝(しば)笛を鳴らした。ある鹿児嶋人(じん)を友達(ともだち)にもつて、その人(ひと)の真似をしつヽ自然に習ひ覚えた私は、此芝笛といふものを鳴らす事(こと)が上手であつた。私が得意にそれを吹(ふ)きつヾけると、先生は知らん顔(かほ)をして余所(よそ)を向いて歩(ある)いた。
 やがて若葉(わかば)に鎖(と)ざされたやうに蓊鬱(こんもり)した小高(こだか)い一構(ひとかまへ)の下(した)に細い路が開(ひら)けた。門(もん)の柱(はしら)に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事(こと)がすぐ知れた。先生はだら\/上(のぼ)りになつてゐる入口(いりぐち)を眺(なが)めて、「這入(はい)つて見やうか」と云つた。私はすぐ「植木屋ですね」と答へた。
 植込の中(なか)を一(ひと)うねりして奥へ上(のぼ)ると左側(ひだりがは)に家があつた。明(あ)け放(はな)つた障子の内(うち)はがらんとして人(ひと)の影(かげ)も見(み)えなかつた。たヾ軒先(のきさき)に据ゑた大(おほ)きな鉢(はち)の中(なか)に飼(か)つてある金魚が動(うご)いてゐた。
 「静(しづ)かだね。断(こと)わらずに這入(はい)つても構はないだらうか」
 「構(かま)はないでせう」
 二人(ふたり)は又奥の方(はう)へ進(すヽ)んだ。然しそこにも人影(ひとかげ)は見(み)えなかつた。躑躅(つヽじ)が燃(も)えるやうに咲(さ)き乱(みだ)れてゐた。先生はそのうちで樺色(かばいろ)の丈(たけ)の高(たか)いのを指(さ)して、「是は霧島(きりしま)でせう」と云つた。
 芍薬(しやくやく)も十坪あまり一面に植付(うゑつ)けられてゐたが、まだ季節が来(こ)ないので花を着(つ)けてゐるのは一本もなかつた。此芍薬畠(ばたけ)の傍(そば)にある古(ふる)びた縁台(えんだい)のやうなものヽ上(うへ)に先生は大(だい)の字なりに寐(ね)た。私は其余(あま)つた端(はじ)の方(はう)に腰(こし)を卸(おろ)して烟草を吹(ふ)かした。先生は蒼(あを)い透(す)き徹(とほ)るやうな空(そら)を見てゐた。私は私を包(つヽ)む若葉の色(いろ)に心(こヽろ)を奪(うば)はれてゐた。其若葉の色(いろ)をよく\/眺(なが)めると、一(いち)々違つてゐた。同じ楓(かへで)の樹(き)でも同じ色(いろ)を枝に着(つ)けてゐるものは一つもなかつた。細い杉苗の頂(いたヾき)に投(な)げ被(かぶ)せてあつた先生の帽子が風に吹(ふ)かれて落ちた。

■部/手編に劣のつくり


心(こヽろ) 先生の遺書(二十七)

 私はすぐ其帽子を取(と)り上(あ)げた。所々(ところどころ)に着(つ)いてゐる赤土(あかつち)を爪(つめ)で弾(はぢ)きながら先生を呼んだ。
 「先生帽子が落ちました」
 「ありがたう」
 身体(からだ)を半分起(おこ)してそれを受取(うけと)つた先生は、起(お)きるとも寐(ね)るとも片付(かたづ)かない其姿勢の侭(まヽ)で、変な事(こと)を私に聞(き)いた。
 「突然(とつぜん)だが、君(きみ)の家(うち)には財産が余程(よつぽど)あるんですか」
 「あるといふ程ありやしません」
 「まあ何(ど)の位あるのかね。失礼の様だが」
 「何(ど)の位つて、山(やま)と田地(でんぢ)が少しある限(ぎり)で、金(かね)なんか丸(まる)で無(な)いんでせう
 先生が私の家(いへ)の経済(けいざい)に就(つ)いて、問(とひ)らしい問(とひ)を掛(か)けたのはこれが始(はじ)めてヾあつた。私の方はまだ先生の暮(くら)し向(むき)に関して、何(なに)も聞(き)いた事(こと)がなかつた。先生と知合(しりあひ)になつた始(はじ)め、私は先生が何(ど)うして遊(あそ)んでゐられるかを疑(うた)ぐつた。其後(ご)も此疑(うたが)ひは絶えず私の胸(むね)を去(さ)らなかつた。然し私はそんな露骨(あらは)な問題を先生の前に持(も)ち出すのをぶしつけと許(ばかり)思つて、何時(いつ)でも控えてゐた。若葉(わかば)の色(いろ)で疲(つか)れた眼(め)を休(やす)ませてゐた私の心は、偶然また其疑(うたが)ひに触(ふ)れた。
 「先生は何(ど)うなんです。何(ど)の位の財産を有(も)つてゐらつしやるんですか」
 「私は財産家と見えますか」
 先生は平生から寧ろ質素な服装(なり)をしてゐた。それに家内(かない)は小人数(こにんず)であつた。従つて住宅も決して広(ひろ)くはなかつた。けれども其生活の物質的に豊(ゆたか)な事(こと)は、内輪(うちわ)に這入(はい)り込(こ)まない私の眼(め)にさへ明(あき)らかであつた。要するに先生の暮(くら)しは贅沢といへない迄も、あたぢけなく切り詰(つ)めた無弾力性(りよくせい)のものではなかつた。
 「左右(さう)でせう」と私が云つた。
 「そりや其位の金(かね)はあるさ。けれども決して財産家ぢやありません。財産家ならもつと大きな家(うち)でも造(つく)るさ」
 此時先生は起(お)き上(あが)つて、縁台(えんだい)の上(うへ)に胡坐(あぐら)をかいてゐたが、斯(か)う云ひ終ると、竹の杖の先(さき)で地面の上(うへ)へ円(えん)のやうなものを描(か)き始めた。それが済(す)むと、今度はステツキを突(つ)き刺(さ)すやうに真直に立(た)てた。
 「是(これ)でも元(もと)は財産家なんだがなあ」
 先生の言葉(ことば)は半分(はんぶん)独言(ひとりごと)のやうであつた。それですぐ後(あと)に尾(つ)いて行き損(そこ)なつた私は、つい黙(だま)つてゐた。
 「是(これ)でも元(もと)は財産家(か)なんですよ、君(きみ)」と云ひ直した先生は、次(つぎ)に私の顔を見(み)て微笑した。私はそれでも何(なん)とも答へなかつた。寧ろ不(ぶ)調法で答へられなかつたのである。すると先生が又問題を他(よそ)へ移(うつ)した。
 「あなたの御父(とう)さんの病気は其後(そのご)何(ど)うなりました」
 私は父(ちヽ)の病気について正月以後何(なん)にも知らなかつた。月々(つき\゛/)国(くに)から送つてくれる為替(かはせ)と共に来(く)る簡単な手紙は、例の通り父(ちヽ)の手蹟であつたが、病気の訴へはそのうちに殆んど見当らなかつた。其上(うへ)書体も確(たしか)であつた。此種(このしゆ)の病人に見(み)る顫(ふるへ)が少しも筆の運(はこび)を乱(みだ)してゐなかつた。
 「何(なん)とも云つて来(き)ませんが、もう好(い)いんでせう」
 「好(よ)ければ結構だが、ー病症が病症なんだからね」
 「矢張(やつぱ)り駄目(だめ)ですかね。でも当分は持(も)ち合(あ)つてるんでせう。何(なん)とも云つて来(き)ませんよ」
 「さうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞(き)いたり、私の父(ちヽ)の病を尋ねたりするのを、普通の談話ー胸に浮(う)かんだ侭(まヽ)を其通り口(くち)にする、普通の談話と思つて聞(き)いてゐた。所が先生の言葉(ことば)の底(そこ)には両方を結び付(つ)ける大きな意味があつた。先生自身の経験を持(も)たない私は無論其処(そこ)に気が付(つ)く筈がなかつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(二十八)

 「君のうちに財産があるなら、今(いま)のうちに能く始末をつけて貰(もら)つて置(お)かないと不可(いけな)いと思ふがね、余計な御世話だけれども。君の御父(とう)さんが達者なうちに、貰(もら)うものはちやんと貰(もら)つて置(お)くやうにしたら何(ど)うですか。万一の事(こと)があつたあとで、一番面倒の起(おこ)るのは財産の問題だから」
 「えヽ」
 私は先生の言葉(ことば)に大(たい)した注意を払(はら)はなかつた。私の家庭でそんな心配をしてゐるものは、私に限(かぎ)らず、父(ちヽ)にしろ母(はヽ)にしろ、一人(ひとり)もないと私は信じてゐた。其上先生のいふ事(こと)の、先生として、あまりに実際的なのに私は少し驚ろかされた。然し其所(そこ)は年長者に対する平生の敬意が私を無口(むくち)にした。
 「あなたの御父(とう)さんが亡(な)くなられるのを、今から予想して掛(かヽ)るやうな言葉遣(ことばづかひ)をするのが気に触(さわ)つたら許(ゆる)して呉(く)れ玉へ。然し人間(にんげん)は死(し)ぬものだからね。何(ど)んなに達者なものでも、何時(いつ)死ぬか分(わか)らないものだからね」
 先生の口気は珍(めづ)らしく苦々(にが\/)しかつた。
 「そんな事(こと)をちつとも気に掛(か)けちやゐません」と私は弁解した。
 「君の兄妹(きやうだい)は何人(なんにん)でしたかね」と先生が聞(き)いた。
 先生は其上に私の家族の人数(にんず)を聞い(き)たり、親類の有無(うむ)を尋ねたり、叔父や叔母の様子(やうす)を問(と)ひなどした。さうして最後に斯(か)ういつた。
 「みんな善(い)い人(ひと)ですか」
 「別に悪(わる)い人間(にんげん)といふ程のものもゐないやうです。大抵田舎者(いなかもの)ですから」
 「田舎者(いなかもの)は何故(なぜ)悪(わる)くないんですか」
 私は此追窮に苦(くる)しんだ。然し先生は私に返事を考へさせる余裕さへ与へなかつた。
 「田舎者(いなかもの)は都会のものより、却つて悪(わる)い位なものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、是(これ)といつて、悪(わる)い人間(にんげん)はゐないやうだと云ひましたね。然し悪(わる)い人間(にんげん)といふ一種の人間(にんげん)が世(よ)の中(なか)にあると君は思つてゐるんですか。そんな鋳型(かた)に入れたやうな悪人は世の中(なか)にある筈がありませんよ。平生はみんな善人(ぜんにん)なんです、少なくともみんな普通の人間(にんげん)なんです。それが、いざといふ間際(まぎは)に、急に悪人(あくにん)に変(かは)るんだから恐(おそ)ろしいのです。だから油断が出来(でき)ないんです」
 先生のいふ事(こと)は、此所(こヽ)で切(き)れる様子もなかつた。私は又此所(こヽ)で何(なに)か云はうとした。すると後(うしろ)の方(はう)で犬が急に吠(ほ)え出(だ)した。先生も私も驚ろいて後(うしろ)を振(ふ)り返(かへ)つた。
 縁台の横(よこ)から後部(ぶ)へ掛(か)けて植(う)ゑ付(つ)けてある杉(すぎ)苗の傍(そば)に、熊笹が三坪(つぼ)程地を隠(かく)すやうに茂(しげ)つて生(は)えてゐた。犬はその顔(かほ)と脊(せ)を熊笹(くまざヽ)の上(うへ)に現(あら)はして、盛(さか)んに吠(ほ)え立(た)てた。そこへ十位の小供が馳(か)けて来(き)て犬を叱(しか)り付(つ)けた。小供(こども)は徽(き)章の着(つ)いた黒(くろ)い帽子を被(かぶ)つたまヽ先生の前(まへ)へ廻(まは)つて礼(れい)をした。
 「叔父(おぢ)さん、這入(はい)つて来(く)る時(とき)、家(うち)に誰(だれ)もゐなかつたかい」と聞(き)いた。
 「誰もいなかつたよ」
 「姉(ねえ)さんやおつかさんが勝手の方(はう)に居たのに」
 「さうか、居たのかい」
 「あヽ。叔父(おぢ)さん、今日(こんち)はつて、断(ことわ)つて這入(はい)つて来(く)ると好(よ)かつたのに」
 先生は苦笑した。懐(ふところ)中から蟇口(がまぐち)を出(だ)して、五銭の白銅を小供の手に握(にぎ)らせた。
 「おつかさんに左右(さう)云つとくれ。少し此所(ここ)で休(やす)まして下(くだ)さいつて」
 小供は怜悧(りかう)さうな眼(め)に笑(わらひ)を漲(みなぎ)らして、首肯(うなづ)いて見(み)せた。
 「今斥候長になつてる所(ところ)なんだよ」
 小供は斯(か)う断(ことわ)つて、躑躅(つヽじ)の間(あひだ)を下(した)の方(はう)へ駈(か)け下(お)りて行(い)つた。犬も尻尾(しつぽ)を高(たか)く巻(ま)いて小供の後(あと)を追(お)ひ掛(か)けた。しばらくすると同じ位の年格好(としかつかう)の小供が二三人、是も斥候長の下(お)りて行つた方へ駈(か)けていつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(二十九)

 先生の談話は、此犬と小供のために、結末迄進行する事(こと)が出来(でき)なくなつたので、私はついに其要領を得ないでしまつた。先生の気にする財産云々の掛念は其時(とき)の私には全くなかつた。私の性質として、又私の境遇からいつて、其時の私には、そんな利害の念に頭(あたま)を悩(なや)ます余地がなかつたのである。考へると是は私がまだ世間(せけん)に出(で)ない為(ため)でもあり、又実際其場に臨(のぞ)まない為(ため)でもあつたらうが、兎(と)に角(かく)若(わか)い私には何故(なぜ)か金(かね)の問題が遠くの方(はう)に見えた。
 先生の話(はなし)のうちでたヾ一つ底迄(そこまで)聞(き)きたかつたのは、人間(にんげん)がいざといふ間際(まぎは)に、誰(だれ)でも悪人(あくにん)になるといふ言葉の意味であつた。単(たん)なる言葉(ことば)としては、是丈でも私に解(わか)らない事(こと)はなかつた。然し私は此句(く)に就いてもつと知りたかつた。
 犬と小供が去つたあと、広い若葉(わかば)の園(その)は再び故(もと)の静(しづ)かさに帰(かへ)つた。さうして我々は沈黙に鎖(と)ざされた人(ひと)の様にしばらく動(うご)かずにゐた。うるはしい空(そら)の色(いろ)が其時(そのとき)次第に光(ひかり)を失(うし)なつて来(き)た。眼(め)の前(まへ)にある樹(き)は大概楓であつたが、其枝に滴(したヽ)るやうに吹いた軽(かる)い緑(みどり)の若葉が、段日暗(くら)くなつて行く様に思はれた。遠い往来を荷車(にぐるま)を引いて行く響(ひヾき)がごろ\/と聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載(の)せて縁日へでも出掛(でか)けるものと想像した。先生は其音(そのおと)を聞(き)くと、急に瞑想から呼息(いき)を吹(ふ)き返(かへ)した人(ひと)のやうに立(た)ち上(あが)つた。
 「もう、徐々(そろ\/)帰(かへ)りませう。大分(だいぶ)日(ひ)が永(なが)くなつたやうだが、矢張(やつぱり)斯(か)う安閑(あんかん)としてゐるうちには、何時(いつ)の間(ま)にか暮(く)れて行くんだね」
 先生の脊中(せなか)には、さつき縁台(だい)の上(うへ)に仰向(あほむき)に寐(ね)た痕(あと)が一杯着(つ)いてゐた。私は両手でそれを払(はら)ひ落(おと)した。
 「ありがたう。脂(やに)がこびり着(つ)いてやしませんか」
 「綺麗に落(お)ちました」
 「此羽織はつい此間(こないだ)拵(こし)らえた許(ばかり)なんだよ。だから無暗(むやみ)に汚(よご)して帰(かへ)ると、妻(さい)に叱(しか)られるからね。有難(ありがた)う」
 二人(ふたり)は又だら\/坂(ざか)の中途にある家(うち)の前(まへ)へ来(き)た。這入る時(とき)には誰(だれ)もゐる気色(けしき)の見えなかつた縁に、御上(かみ)さんが、十五六の娘を相手に、糸巻(いとまき)へ糸(いと)を巻(ま)きつけてゐた。二人(ふたり)は大きな金魚鉢の横(よこ)から、「どうも御邪魔をしました」と挨拶した。御上(かみ)さんは「いヽえ御構(かま)ひ申しも致しませんで」と礼を返(かへ)した後(あと)、先刻(さつき)小供(こども)に遣(や)つた白銅の礼(れい)を述(の)べた。
 門口(かどぐち)を出(で)て二三町来(き)た時(とき)、私はついに先生に向(むか)つて口(くち)を切(き)つた。
 「さき程(ほど)先生の云はれた、人間(にんげん)は誰(だれ)でもいざといふ間際(まぎは)に悪人(あくにん)になるんだといふ意味ですね。あれは何(ど)ういふ意味ですか」
 「意味といつて、深(ふか)い意味もありません。ーつまり事実(じじつ)なんですよ。理窟ぢやないんだ」
 「事実(じじつ)で差支ありませんが、私の伺(うかヾ)ひたいのは、いざといふ間際(まぎは)といふ意味なんです。一体何(ど)んな場合を指(さ)すのですか」
 先生は笑ひ出した。恰も時機の過(す)ぎた今(いま)、もう熱心に説明する張合(はりあひ)がないと云(い)つた風(ふう)に。
 「金(かね)さ君。金(かね)を見(み)ると、どんな君子でもすぐ悪人(あくにん)になるのさ」
 私には先生の返事があまりに平凡過(す)ぎて詰(つま)らなかつた。先生が調子に乗(の)らない如く、私も拍子抜(ぬ)けの気味であつた。私は澄(す)ましてさつさと歩(ある)き出(だ)した。いきほひ先生は少し後(おく)れ勝(がち)になつた。先生はあとから「おい\/」と声(こえ)を掛けた。
 「そら見給へ」
 「何(なに)をですか」
 「君(きみ)の気分だつて、私の返事(へんじ)一つですぐ変(かは)るぢやないか」
 待(ま)ち合(あ)はせるために振り向いて立ち留(ど)まつた私の顔(かほ)を見(み)て、先生は斯(か)う云つた。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十)

 其時の私は腹(はら)の中(なか)で先生を憎(にく)らしく思つた。肩(かた)を並(なら)べて歩(ある)き出(だ)してからも、自分の聞(き)きたい事(こと)をわざと聞(き)かずにゐた。しかし先生の方(はう)では、それに気が付(つ)いてゐたのか、ゐないのか、丸で私の態度(たいど)に拘泥(こだわ)る様子を見せなかつた。いつもの通り沈黙がちに落付(おちつ)き払(はら)つた歩調をすまして運(はこ)んで行くので、私は少し業腹(ごうはら)になつた。何とかいつて一つ先生を遣(や)つ付(つ)けて見(み)たくなつて来(き)た。
 「先生」
 「何(なん)ですか」
 「先生はさつき少(すこ)し昂奮なさいましたね。あの植木屋の庭で休(やす)んでゐる時(とき)に。私は先生の昂奮したのを滅多に見た事(こと)がないんですが、今日(けふ)は珍(めづ)らしい所を拝見した様な気がします」
 先生はすぐ返事(へんじ)をしなかつた。私はそれを手応(てごたへ)のあつたやうにも思つた。また的(まと)が外(はづ)れたやうにも感(かん)じた。仕方(しかた)がないから後(あと)は云(い)はない事(こと)にした。すると先生がいきなり道(みち)の端(はじ)へ寄(よ)つて行(い)つた。さうして綺麗に刈(か)り込んだ生垣(いけがき)の下(した)で、裾(すそ)をまくつて小便をした。私は先生が用を足す間(あひだ)ぼんやり其所(そこ)に立(た)つてゐた。
 「やあ失敬」
 先生は斯(か)ういつて又歩(ある)き出(だ)した。私はとう\/先生を遣(や)り込(こ)める事(こと)を断念した。私達の通る道(みち)は段々賑(にぎ)やかになつた。今迄(いままで)ちらほらと見(み)えた広(ひろ)い畠(はたけ)の斜面(しやめん)や平(ひら)地が、全く眼(め)に入らないやうに左右(さゆう)の家並(いへなみ)が揃つてきた。それでも所々(ところ\゛/)宅地の隅(すみ)などに、豌豆(えんどう)の蔓(つる)を竹(たけ)にからませたり、金網(かなあみ)で鶏(にはとり)を囲(かこ)ひ飼(が)ひにしたりするのが閑静に眺められた。市中から帰る駄馬(だば)が仕切(しき)りなく擦(す)れ違(ちが)つて行つた。こんなものに始終気を奪(と)られがちな私は、さつき迄胸(むね)の中(なか)にあつた問題(もんだひ)を何処(どこ)かへ振り落して仕舞つた。先生が突然(とつぜん)其所(そこ)へ後(あと)戻りをした時(とき)、私は実際それを忘れてゐた。
 「私は先刻(さつき)そんなに昂奮したやうに見えたんですか」
 「そんなにと云ふ程でもありませんが、少(すこ)し…」
 「いや見えても構(かま)はない。実際昂奮するんだから。私は財産の事(こと)をいふと屹度昂奮するんです。君には何(ど)う見えるか知(し)らないが、私は是で大変執念(しうねん)深(ぶか)い男なんだから。人(ひと)から受(う)けた屈辱や損害は、十年立(た)つても二十年立(た)つても忘(わす)れやしないんだから」
 先生の言葉は元(もと)よりも猶昂奮してゐた。然し私の驚ろいたのは、決して其調子ではなかつた。寧(むし)ろ先生の言葉(ことば)が私の耳(みヽ)に訴へる意味そのものであつた。先生の口(くち)から斯(こ)んな自白(じはく)を聞(き)くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかつた。私は先生の性質の特色として、斯んな執着力(りよく)を未(いま)だ嘗(かつ)て想像した事(こと)さへなかつた。私は先生をもつと弱(よは)い人(ひと)と信じてゐた。さうして其弱(よは)くて高(たか)い処(ところ)に、私の懐(なつ)かしみの根(ね)を置(お)いてゐた。一時(いちじ)の気分で先生にちよつと盾(たて)を突(つ)いて見(み)やうとした私は、此の言葉の前(まへ)に小(ちい)さくなつた。先生は斯(か)う云つた。
 「私は他(ひと)に欺(あざ)むかれたのです。しかも血(ち)のつヾいた親(しん)戚のものから欺(あざ)むかれたのです。私は決してそれを忘(わす)れないのです。私の父(ちヽ)の前(まへ)には善人(ぜんにん)であつたらしい彼等は、父の死ぬや否や許(ゆる)しがたい不徳義漢(とくぎかん)に変(かは)つたのです。私は彼等から受(う)けた屈辱と損害を小供の時(とき)から今日(けふ)迄脊負(しよ)はされてゐる。恐らく死ぬ迄脊負(しよ)はされ通(どほ)しでせう。私は死ぬ迄それを忘れる事(こと)が出来ないんだから。然し私はまだ復讐をしずにゐる。考へると私は個人に対する復讐以上の事(こと)を現(げん)に遣(や)つてゐるんだ。私は彼等を憎(にく)む許(ばかり)ぢやない、彼等が代表してゐる人間(にんげん)といふものを、一般に憎(にく)む事(こと)を覚(おぼ)えたのだ。私はそれで沢山だと思ふ」
 私は慰藉(しや)の言葉さへ口(くち)へ出(だ)せなかつた。