心(こヽろ) 先生の遺書(三十一)

 其日(ひ)の談話も遂にこれぎりで発展せずにしまつた。私は寧ろ先生の態度に畏縮して、先(さき)へ進(すヽ)む気が起(おこ)らなかつたのである。
 二人(ふたり)は市(し)の外(はづ)れから電車に乗(の)つたが、車内では殆んど口(くち)を聞(き)かなかつた。電車を降(お)りると間(ま)もなく別(わか)れなければならなかつた。別(わか)れる時(とき)の先生は、又変(かは)つてゐた。常(つね)よりは晴(はれ)やかな調子で、「是から六月迄は一番気楽な時(とき)ですね。ことによると生涯で一番気楽かも知れない。精出(だ)して遊(あそ)び玉(たま)へ」と云つた。私は笑つて帽子を脱(と)つた。其時私は先生の顔(かほ)を見(み)て、先生は果(はた)して心の何処(どこ)で、一般の人間(にんげん)を憎(にく)んでゐるのだらうかと疑(うたぐ)つた。その眼(め)、その口(くち)、何処(どこ)にも厭世的の影(かげ)は射(さ)してゐなかつた。
 私は思想上の問題に就(つ)いて、大いなる利益を先生から受(う)けた事(こと)を自白する。然し同じ問題に就いて、利益を受(う)けやうとしても、受(う)けられない事(こと)が間々(まヽ)あつたと云はなければならない。先生の談話は時(とき)として不得要領に終つた。其日(ひ)二人(ふたり)の間(あひだ)に起つた郊外の談話も、此不得要領の一例として私の胸(むね)の裏(うち)に残つた。
 無遠慮な私は、ある時遂にそれを先生の前(まへ)に打ち明(あ)けた。先生は笑つてゐた。私は斯(か)う云つた。
 「頭(あたま)が鈍(にぶ)くて要領を得ないのは構(かま)ひませんが、ちやんと解(わか)つてる癖(くせ)に、はつきり云つて呉(く)れないのは困ります」
 「私は何(なん)にも隠(かく)してやしません」
 「隠(かく)してゐらつしやいます」
 「あなたは私の思想とか意見とかいふものと、私の過去とを、ごちや\/に考へてゐるんぢやありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分(じぶん)の頭(あたま)で纏(まと)め上(あ)げた考(かんがへ)を無暗に人(ひと)に隠(かく)しやしません。隠(かく)す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前(まへ)に物語(ものがた)らなくてはならないとなると、それは又別問題になります」
 「別問題とは思はれません。先生の過去が生(う)み出(だ)した思想だから、私は重きを置(お)くのです。二(ふた)つのものを切り離(はな)したら、私には殆んど価値のないものになります。私は魂(たましひ)の吹(ふ)き込(こ)まれてゐない人形(にんぎやう)を与へられた丈(だけ)で、満足は出来(でき)ないのです」
 先生はあきれたと云つた風に、私の顔(かほ)を見た。巻烟草を持(も)つてゐた其手が少し顫(ふる)へた。
 「あなたは大胆だ」
 「たヾ真面目(まじめ)なんです。真面目(まじめ)に人生(じんせい)から教訓を受(う)けたいのです」
 「私の過去を訐(あば)いてもですか」
 訐(あば)くといふ言葉が、突然恐ろしい響(ひヾき)を以て、私の耳(みヽ)を打(う)つた。私は今私の前に坐つてゐるのが、一人(ひとり)の罪人(ざいにん)であつて、不断(ふだん)から尊敬してゐる先生でないやうな気がした。先生の顔(かほ)は蒼(あを)かつた。
 「あなたは本当に真面目(まじめ)なんですか」と先生が念(ねん)を押した。「私は過去の因果で、人(ひと)を疑(うたぐ)りつけてゐる。だから実はあなたも疑(うたぐ)つてゐる。然し何(ど)うもあなた丈は疑(うたぐ)りたくない。あなたは疑(うたぐ)るには余りに単純すぎる様だ。私は死ぬ前にたつた一人(ひとり)で好(い)いから、他(ひと)を信用して死(し)にたいと思つてゐる。あなたは其(その)たつた一人(ひとり)になれますか。なつて呉(く)れますか。あなたは腹(はら)の底(そこ)から真面目(まじめ)ですか」
 「もし私の命(いのち)が真面目(まじめ)なものなら、私の今いつた事(こと)も真面目(まじめ)です」
 私の声は顫(ふる)へた。
 「よろしい」と先生が云つた。「話(はな)しませう。私の過去を残らず、あなたに話(はな)して上(あ)げませう。其代り…。いやそれは構(かま)はない。然し私の過去はあなたに取(と)つて夫程(それほど)有益でないかも知れませんよ。聞(き)かない方(はう)が増(まし)かも知れませんよ。それから、ー今(いま)は話(はな)せないんだから、其積でゐて下(くだ)さい。適当の時機が来(こ)なくつちや話(はな)さないんだから」
 私は下宿へ帰つてからも一種の圧迫を感じた。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十二)

 私の論文は自分が評価してゐた程に、教授の眼(め)にはよく見えなかつたらしい。それでも私は予定通り及第した。卒業式の日、私は黴臭(かびくさ)くなつた古(ふる)い冬服(ふゆふく)を行李の中(なか)から出(だ)して着(き)た。式場にならぶと、何(ど)れもこれもみな暑(あつ)さうな顔(かほ)ばかりであつた。私は風(かぜ)の通(とほ)らない厚羅紗(あつらしや)の下(した)に密封された自分の身体(からだ)を持(も)て余(あま)した。しばらく立(た)つてゐるうちに手に持つたハンケチがぐしよ\/になつた。
 私は式が済(す)むとすぐ帰(かへ)つて裸体(はだか)になつた。下宿の二階の窓(まど)をあけて、遠眼鏡(とほめがね)のやうにぐる\/巻(ま)いた卒業証書の穴(あな)から、見える丈の世(よ)の中(なか)を見渡した。それから其卒業証書を机の上(うへ)に放(ほう)り出(だ)した。さうして大(だい)の字(じ)なりになつて、室(へや)の真中(まんなか)に寐(ね)そべつた。私は寐ながら自分の過去を顧(かへり)みた。又自分の未来を想像した。すると其間(あひだ)に立つて一区切(ひとくぎり)を付(つ)けてゐる此卒業証書なるものが、意味のあるやうな、又意味のないやうな変な紙(かみ)に思はれた。
 私は其晩先生の家(いへ)へ御馳走に招(まね)かれて行つた。是(これ)はもし卒業したら其日の晩餐は余所(よそ)で食(く)はずに、先生の食卓で済(す)ますといふ前からの約束であつた。
 食卓は約束通り座敷(ざしき)の縁近くに据(す)ゑられてあつた。模様の織り出(だ)された厚(あつ)い糊(のり)の硬(こわ)い卓布(テーブルクロース)が美(うつ)くしく且(かつ)清(きよ)らかに電燈の光(ひかり)を射返(かへ)してゐた。先生のうちで飯(めし)を食(く)ふと、屹度此西洋料理店に見るやうな白(しろ)いリンネルの上(うへ)に、箸(はし)や茶碗が置(お)かれた。さうしてそれが必ず洗濯したての真白(まつしろ)なものに限(かぎ)られてゐた。
 「カラやカフスと同(おな)じ事(こと)さ。汚(よご)れたのを用ひる位なら、一層(いつそ)始から色(いろ)の着(つ)いたものを使ふが好(い)い。白(しろ)ければ純白(じゆんぱく)でなくつちや」
 斯(か)う云はれて見(み)ると、成程先生は潔癖(けつぺき)であつた。書斎なども実(じつ)に整然(きちり)と片付(かたづ)いてゐた。無頓着な私には、先生のさういふ特色が折々著(いちヾ)るしく眼(め)に留(と)まつた。
 「先生は癇性(かんせう)ですね」とかつて奥(おく)さんに告(つ)げた時(とき)、奥さんは「でも着物(きもの)などは、それ程気(き)にしないやうですよ」と答へた事(こと)があつた。それを傍(そば)に聞(き)いてゐた先生は、「本当をいふと、私は精神的に癇性(かんせう)なんです。それで始終苦(くる)しいんです。考へると実に馬鹿々々しい性分(せうぷん)だ」と云つて笑つた。精神的に癇性(かんせう)といふ意味は、俗にいふ神経質といふ意味か、又は倫理的に潔癖だといふ意味か、私には解(わか)らなかつた。奥さんにも能(よ)く通じないらしかつた。
 其晩私は先生と向(むか)ひ合(あは)せに、例の白(しろ)い卓布(たくふ)の前(まへ)に坐(すは)つた。奥(おく)さんは二人(ふたり)を左右に置いて、独(ひと)り庭(には)の方(はう)を正面にして席(せき)を占(し)めた。
 「御目出(おめで)たう」と云つて、先生が私のために杯(さかづき)を上(あ)げて呉れた。私は此盃(さかづき)に対(たい)して夫程嬉(うれ)しい気を起(おこ)さなかつた。無論私自身の心が此言葉(ことば)に反響するやうに、飛び立つ嬉(うれ)しさを有(も)つてゐなかつたのが、一つの源因であつた。けれども先生の云ひ方(かた)も決して私の嬉(うれ)しさを唆(そヽ)る浮々(うき\/)した調子を帯びてゐなかつた。先生は笑つて杯(さかづき)を上(あ)げた。私は其笑のうちに、些(ちつ)とも意地の悪(わる)いアイロニーを認めなかつた。同時に目出たいといふ真(しん)情も汲(く)み取(と)る事(こと)が出来なかつた。先生の笑は、「世間はこんな場合によく御目出たうと云ひたがるものですね」と私に物語つてゐた。
 奥さんは私に「結構ね。嘸(さぞ)御父(とう)さんや御母(かあ)さんは御喜(およろこ)びでせう」と云つて呉れた。私は突然病気の父(ちヽ)の事(こと)を考へた。早くあの卒業証書を持(も)つて行(い)つて見せて遣(や)らうと思つた。
 「先生の卒業証書は何(ど)うしました」と私が聞(き)いた。
 「何(ど)うしたかね。ーまだ何処(どこ)かに仕舞つてあつたかね」と先生が奥さんに聞(き)いた。
 「えヽ、たしか仕舞つてある筈ですが」
 卒業証書の在処(ありどころ)は二人(ふたり)とも能く知らなかつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十三)

 飯(めし)になつた時(とき)、奥さんは傍(そば)に坐(すは)つてゐる下女を次(つぎ)へ立(た)たせて、自分(じぶん)で給仕の役をつとめた。これが表立(おもてだ)たない客(きやく)に対する先生の家(いへ)の仕来(しきた)りらしかつた。始めの一二回は私も窮屈を感じたが、度数の重(かさ)なるにつけ、茶碗を奥さんの前へ出すのが、何(なん)でもなくなつた。
 「御茶?御飯(はん)? 随分よく食(た)べるのね」
 奥さんの方(はう)でも思ひ切(き)つて遠慮のない事(こと)を云ふことがあつた。然し其日(そのひ)は、時候が時候なので、そんなに調戯(からか)はれる程食慾が進(すヽ)まなかつた。
 「もう御仕舞(しまひ)。あなた近頃大変小食(しやうしよく)になつたのね」
 「小食になつたんぢやありません。暑(あつ)いんで食はれないんです」
 奥さんは下女を呼(よ)んで食卓を片付(かたづ)けさせた後(あと)へ、改めてアイスクリームと水菓子を運(はこ)ばせた。
 「是(これ)は宅(うち)で拵(こしら)えたのよ」
 用のない奥さんには、手製のアイスクリームを客(きやく)に振舞(ふるま)ふだけの余裕があると見えた。私はそれを二杯更(か)へて貰(もら)つた。
 「君も愈卒業したが、是(これ)から何(なに)をする気ですか」と先生が聞(き)いた。先生は半分縁側の方(はう)へ席をずらして、敷居際(しきゐぎは)で脊中(せなか)を障子に靠(も)たせてゐた。
 私にはたヾ卒業したといふ自覚がある丈(だけ)で、是(これ)から何(なに)をしやうといふ目的(あて)もなかつた。返事(へんじ)にためらつてゐる私を見た時(とき)、奥さんは「教師?」と聞(き)いた。それにも答へずにゐると、今度(こんど)は、「ぢや御役人?」と又聞(き)かれた。私も先生も笑ひ出(だ)した。
 「本当いふと、まだ何をする考(かんが)へもないんです。実は職業といふものに就いて、全く考(かんが)へた事(こと)がない位なんですから。だいち何(ど)れが善(い)いか、何(ど)れが悪(わる)いか、自分が遣(や)つて見(み)た上(うへ)でないと解(わか)らないんだから、選択に困る訳だと思ひます」
 「それも左右(さう)ね。けれどもあなたは必竟財産があるからそんな呑気(のんき)な事(こと)を云つてゐられるのよ。是(これ)が困(こま)る人(ひと)で御覧(らん)なさい。中々あなたの様に落付(おちつ)いちや居られないから」
 私の友達には卒業しない前から、中学教師の口(くち)を探(さが)してゐる人(ひと)があつた。私は腹の中(なか)で奥さんのいふ事実を認(みと)めた。然し斯(か)う云つた。
 「少し先生にかぶれたんでせう」
 「碌なかぶれ方(かた)をして下(くだ)さらないのね」
 先生は苦笑した。
 「かぶれても構(かま)はないから、其代り此間(このあひだ)云つた通り、御父(とう)さんの生(い)きてるうちに、相当の財産を分(わ)けて貰(もら)つて御置きなさい。それでないと決(けつ)して油断はならない」
 私は先生と一所に、郊外の植木屋の広(ひろ)い庭の奥(おく)で話(はな)した、あの躑躅(つヽじ)の咲(さ)いてゐる五月の初めを思ひ出(だ)した。あの時(とき)帰り途(みち)に、先生が昂奮した語気で、私に物語つた強い言葉を、再び耳(みヽ)の底(そこ)で繰(く)り返(かへ)した。それは強いばかりでなく、寧ろ凄(すご)い言葉であつた。けれども事実(じじつ)を知らない私には同時に徹底しない言葉でもあつた。
 「奥さん、御宅(たく)の財産は余ッ程(ぽど)あるんですか」
 「何(なん)だつてそんな事(こと)を御聞(きヽ)になるの」
 「先生に聞(き)いても教へて下(くだ)さらないから」
 奥さんは笑(わら)ひながら先生の顔(かほ)を見(み)た。
 「教へて上(あ)げる程ないからでせう」
 「でも何(ど)の位あつたら先生のやうにしてゐられるか、宅(うち)へ帰(かへ)つて一つ父(ちヽ)に談判する時(とき)の参考にしますから聞(き)かして下(くだ)さい」
 先生は庭(には)の方(はう)を向(む)いて、澄(す)まして烟草(たばこ)を吹(ふ)かしてゐた。相手は自然(ぜん)奥さんでなければならなかつた。
 「何(ど)の位つて程ありやしませんわ。まあ斯(か)して何(ど)うか斯(か)うか暮(くら)して行かれる丈よ、あなた。ーそりや何(ど)うでも宜(い)いとして、あなたは是(これ)から何(なに)か為(な)さらなくつちや本当に不可(いけま)せんよ。先生のやうにごろ\/許(ばかり)してゐちや…」
 「ごろ\/許(ばかり)してゐやしないさ」
 先生はちよつと顔丈向(む)け直(なほ)して、奥さんの言葉を否定した。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十四)

 私は其夜十時過(すぎ)に先生の家(いへ)を辞(じ)した。二三日うちに帰国する筈になつてゐたので、座を立つ前に私は一寸(ちよつと)暇乞(いとまごひ)の言葉を述(の)べた。
 「又当分御目にかヽれませんから」
 「九月には出(で)て入(い)らつしやるんでせうね」
 私はもう卒業したのだから、必ず九月に出(で)て来(く)る必要もなかつた。然し暑(あつ)い盛(さか)りの八月を東京迄来(き)て送(おく)らうとも考へてゐなかつた。私には位置を求(もと)めるための貴重な時間といふものがなかつた。
 「まあ九月頃(ごろ)になるでせう」
 「ぢや随分御機嫌よう。私達も此夏はことによると何処(どこ)かへ行くかも知れないのよ。随分暑(あつ)さうだから。行つたら又絵端書(がき)でも送つて上(あ)げませう」
 「何(ど)ちらの見当(けんとう)です。若(も)し入(い)らつしやるとすれば」
 先生は此問答をにや\/笑つて聞(き)いてゐた。
 「何(なに)まだ行くとも行かないとも極(き)めてゐやしないんです」
 席を立(た)たうとした時に、先生は急に私をつらまへて、「時(とき)に御父(おとう)さんの病気は何(ど)うなんです」と聞(き)いた。私は父(ちヽ)の健康に就(つ)いて殆んど知る所がなかつた。何(なん)とも云つて来(こ)ない以上、悪(わる)くはないのだらう位に考へてゐた。
 「そんなに容易(たやす)く考へられる病気ぢやありませんよ。尿(によう)毒症が出(で)ると、もう駄目(だめ)なんだから」
 尿毒症といふ言葉も意味も私には解(わか)らなかつた。此前(このまへ)の冬休(ふゆやす)みに国で医者と会見した時(とき)に、私はそんな術語を丸で聞(き)かなかつた。
 「本当に大事(だいじ)にして御上(おあ)げなさいよ」と奥(おく)さんもいつた。
 「毒が脳(のう)へ廻(まは)るやうになると、もう夫(それ)つきりよ、あなた。笑ひ事(ごと)ぢやないわ」
 無経験な私は気味を悪(わる)がりながらも、にや\/してゐた。
 「何(ど)うせ助(たす)からない病気ださうですから、いくら心配したつて仕方(しかた)がありません」
 「さう思ひ切(き)りよく考へれば、夫迄(それまで)ですけれども」
 奥さんは昔(むかし)同じ病気で死んだといふ自分の御母(あかあ)さんの事(こと)でも憶(おも)ひ出(だ)したのか、沈(しづ)んだ調子で斯(か)ういつたなり下(した)を向(む)いた。私も父(ちヽ)の運命が本当に気の毒になつた。
 すると先生が突然奥さんの方(はう)を向いた。
 「静(しづ)、御前(おまへ)はおれより先(さき)へ死(し)ぬだらうかね」
 「何故(なぜ)」
 「何故(なぜ)でもない、たヾ聞(き)いて見(み)るのさ。それとも己(おれ)の方(はう)が御前(おまえ)より前(まへ)に片付(かたづ)くかな。大抵世間(せけん)ぢや旦那が先(さき)で、細君が後(あと)へ残(のこ)るのが当(あた)り前(まへ)のやうになつてるね」
 「さう極(きま)つた訳(わけ)でもないわ。けれども男の方(はう)は何(ど)うしても、そら年(とし)が上(うへ)でせう」
 「だから先(さき)へ死(し)ぬといふ理窟なのかね。すると己(おれ)も御前(まへ)より先(さき)にあの世へ行(い)かなくつちやならない事(こと)になるね」
 「あなたは特別(とくべつ)よ」
 「さうかね」
 「だつて丈夫なんですもの。殆んど煩(わづら)つた例(ためし)がないぢやありませんか。そりや何(ど)うしたつて私の方(はう)が先(さき)だわ」
 「先(さき)かな」
 「えヽ、屹度先(さき)よ」
 先生は私の顔(かほ)を見(み)た。私は笑(わら)つた。
 「然しもしおれの方(はう)が先(さき)へ行くとするね。さうしたら御前(おまへ)何(ど)うする」
 「何(ど)うするつて‥‥」
 奥さんは其所(そこ)で口籠(くちごも)つた。先生の死(し)に対する想像的な悲哀が、ちよつと奥さんの胸(むね)を襲つたらしかつた。けれども再び顔(かほ)をあげた時は、もう気分を更(か)へてゐた。
 「何(ど)うするつて、仕方(しかた)がないわ、ねえあなた。老少不定つていふ位だから」
 奥さんはことさらに私の方を見(み)て笑談らしく斯(か)う云つた。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十五)

 私は立(た)て掛けた腰(こし)を又卸(おろ)して、話(はなし)の区切(くぎり)の付(つ)く迄二人(ふたり)の相手になつてゐた。
 「君は何(ど)う思ひます」と先生が聞(き)いた。
 先生が先(さき)へ死(し)ぬか、奥さんが早(はや)く亡(な)くなるか、固より私に判断のつくべき問題ではなかつた。私はたヾ笑つてゐた。
 「寿命(みよう)は分(わか)りませんね。私にも」
 「是(これ)ばかりは本当に寿命(みよう)ですからね。生(うま)れた時(とき)にちやんと極(きま)つた年数(ねんすう)をもらつて来(く)るんだから仕方(しかた)がないわ。
 先生の御父(とう)さんや御母(かあ)さんなんか、殆(ほと)んど同(おん)なじよ、あなた、亡(な)くなつたのが」
 「亡(な)くなられた日(ひ)がですか」
 「まさか日(ひ)迄同(おん)なじぢやないけれども。でもまあ同(おん)なじよ。だつて続(つヾ)いて亡(な)くなつちまつたんですもの」
 此知識は私にとつて新(あた)らしいものであつた。私は不思議に思つた。
 「何(ど)うしてさう一度(いちど)に死なれたんですか」
 奥さんは私の問(とひ)に答へやうとした。先生はそれを遮(さへぎ)つた。
 「そんな話(はなし)は御止(およ)しよ。つまらないから」
 先生は手に持(も)つた団扇(うちは)をわざとばた\/云はせた。さうして又奥(おく)さんを顧(かへり)みた。
 「静(しづ)、おれが死んだら此家(このうち)を御前(まへ)に遣(や)らう」
 奥さんは笑ひ出した。
 「序(ついで)に地面も下(くだ)さいよ」
 「地面は他(ひと)のものだから仕方(しかた)がない。其代りおれの持(も)つてるものは皆(みん)な御前(まへ)に遣(や)るよ」
 「何(ど)うも有難(ありがた)う。けれども横文字(よこもじ)の本(ほん)なんか貰(もら)つても仕様がないわね」
 「古(ふる)本屋に売(う)るさ」
 「売ればいくら位になつて」
 先生はいくらとも云はなかつた。けれども先生の話は、容易に自分の死といふ遠い問題を離れなかつた。さうして其死は必ず奥さんの前(まへ)に起るものと仮定されてゐた。(無論笑談らしい軽味(かるみ)を帯びた口調ではあつたが)。奥さんも最初のうちは、其積(つもり)でわざとたわいのない受け答へをしてゐるらしく見えた。それが何時(いつ)の間(ま)にか、感傷的な女の心を重苦(おもくる)しくした。
 「おれが死んだら、おれが死(し)んだらつて、まあ何遍仰(おつ)しやるの。後(ご)生だからもう好(い)い加減にして、おれが死んだらは止(よ)して頂戴。縁喜でもない。あなたが死んだら、何(なん)でもあなたの思ひ通りにして上(あ)げるから、それで好(い)いぢやありませんか」
 先生は庭(には)の方(はう)を向(む)いて笑つた。然しそれぎり奥さんの厭(いや)がる事(こと)を云はなくなつた。私もあまり長くなるので、すぐ席を立(た)つた。先生と奥さんは玄関迄(まで)送つて出た。
 「御病人を御大事(おだいじ)に」と奥さんがいつた。
 「また九月に」と先生がいつた。
 私は挨拶をして格子の外(そと)へ足(あし)を踏(ふ)み出した。玄関と門の間(あひだ)にあるこんもりした木犀(もくせい)の一株(ひとかぶ)が、私の行手(ゆくて)を塞(ふさ)ぐやうに、夜陰のうちに枝(えだ)を張(は)つてゐた。私は二三歩動(うご)き出(だ)しながら、黒(くろ)ずんだ葉(は)に被(おほ)はれてゐる其梢を見て、来(きた)るべき秋(あき)の花と香(か)を想ひ浮(うか)べた。私は先生の宅(うち)と此木犀(もくせい)とを、以前から心(こヽろ)のうちで、離(はな)す事(こと)の出来ないものヽやうに、一所に記憶してゐた。私が偶然其樹(き)の前(まへ)に立つて、再びこの宅(うち)の玄関を跨(また)ぐべき次(つぎ)の秋(あき)に思(おもひ)を馳(は)せた時(とき)、今迄格子の間(あひだ)から射(さ)してゐた玄関の電燈がふつと消(き)えた。先生夫婦はそれぎり奥(おく)へ這入(はいつ)たらしかつた。私は一人(ひとり)暗(くら)い表へ出(で)た。
 私はすぐ下宿へは戻らなかつた。国へ帰(かへ)る前(まへ)に調(とヽ)のへる買物(かひもの)もあつたし、御馳走を詰()めた胃袋(ぶくろ)にくつろぎを与へる必要もあつたので、たヾ賑(にぎ)やかな町(まち)の方(はう)へ歩(ある)いて行(い)つた。町(まち)はまだ宵(よひ)の口(くち)であつた。用事もなささうな男女がぞろ\/動(うご)く中(なか)に、私は今日(けふ)私と一所に卒業したなにがしに会(あ)つた。彼は私を無理やりにある酒場(バー)へ連れ込んだ。私は其所(そこ)で麦酒(ビール)の泡(あは)のやうな彼の気焔を聞(き)かされた。私の下宿へ帰つたのは十二時過であつた。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十六)

 私は其翌日も暑さを冒して、頼(たの)まれものを買ひ集(あつ)めて歩(ある)いた。手紙で注文を受(う)けた時(とき)は何(なん)でもないやうに考へてゐたのが、いざとなると大変臆劫に感ぜられた。私は電車の中(なか)で汗を拭(ふ)きながら、他(ひと)の時間と手数に気の毒といふ観念を丸で有(も)つてゐない田舎者(いなかもの)を憎(にく)らしく思つた。
 私は此一夏(ひとなつ)を無為(むゐ)に過(す)ごす気はなかつた。国へ帰つてからの日程(につてい)といふやうなものを予め作つて置いたので、それを履行するに必要な書物も手に入れなければならなかつた。私は半日を丸善の二階で潰(つぶ)す覚悟でゐた。私は自分に関係の深(ふか)い部門の書籍棚(だな)の前(まへ)に立(た)つて、隅(すみ)から隅(すみ)迄一冊づヽ点検して行(い)つた。
 買物(かひもの)のうちで一番私を困(こま)らせたのは女の半襟であつた。小僧にいふと、いくらでも出(だ)しては呉(く)れるが、偖(さて)何(ど)れを選んでいヽのか、買(か)ふ段(だん)になつては、只迷(まよ)ふ丈であつた。其上(うへ)価(あたひ)が極めて不定であつた。安(やす)からうと思つて聞(き)くと、非常に高(たか)かつたり、高(たか)からうと考へて、聞(き)かずにゐると、却つて大変安(やす)かつたりした。或はいくら比べて見ても、何処(どこ)から価格の差違が出(で)るのか見当(けんとう)の付(つ)かないのもあつた。私は全く弱(よわ)らせられた。さうして心(こヽろ)のうちで、何故(なぜ)先生の奥さんを煩はさなかつたかを悔いた。
 私は鞄(かばん)を買(か)つた。無論和製の下等な品に過(す)ぎなかつたが、それでも金具(かなぐ)やなどがぴか\/してゐるので、田舎ものを威嚇(おど)かすには充分であつた。此鞄(かばん)を買(か)ふといふ事(こと)は、私の母の注文であつた。卒業したら新(あた)らしい鞄(かばん)を買(か)つて、そのなかに一切の土産(みやげ)ものを入(い)れて帰(かへ)るやうにと、わざ\/手紙(てがみ)の中(なか)に書(か)いてあつた。私は其文句を読んだ時に笑ひ出(だ)した。私には母(はヽ)の料簡(けん)が解(わか)らないといふよりも、其言葉が一種の滑稽として訴へたのである。
 私は暇乞をする時先生夫婦に述(の)べた通り、それから三日目(みつかめ)の汽車で東京を立つて国(くに)へ帰(かへ)つた。此冬(ふゆ)以来父(ちヽ)の病気に就いて先生から色々の注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、何(ど)ういふものか、それが大(たい)して苦(く)にならなかつた。私は寧(むし)ろ父(ちヽ)が居なくなつたあとの母(はヽ)を想像して気の毒に思つた。其位だから私は心(こヽろ)の何処(どこ)かで、父(ちヽ)は既(すで)に亡(な)くなるべきものと覚悟してゐたに違(ちがひ)なかつた。九州にゐる兄へ遣(や)つた手紙のなかにも、私は父(ちヽ)の到底(とても)故(もと)の様な健康体になる見込のない事(こと)を述(の)べた。一度などは職務の都合もあらうが、出来(でき)るなら繰(く)り合(あは)せて此夏位(なつぐらゐ)一度(ど)顔(かほ)丈(だけ)でも見に帰(かへ)つたら何(ど)うだと迄書(か)いた。其上年寄(としより)が二人(ふたり)ぎりで田舎(いなか)にゐるのは定(さだ)めて心細いだらう、我々も子(こ)として遺憾の至(いたり)であるといふやうな感傷的な文句さへ使つた。私は実際心(こヽろ)に浮(うか)ぶ侭(まヽ)を書(か)いた。けれども書(か)いたあとの気分は書(か)いた時(とき)とは違(ちが)つてゐた。
 私はさうした矛盾を汽車の中(なか)で考へた。考えてゐるうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄ものヽやうに思はれて来(き)た。私は不愉快になつた。私は又先生夫婦の事(こと)を想ひ浮(うか)べた。ことに二三日前(まへ)晩食(ばんめし)に呼(よ)ばれた時(とき)の会話を憶ひ出(だ)した。
 「何(ど)つちが先(さき)へ死ぬだらう」
 私は其晩先生と奥さんの間(あひだ)に起(おこ)つた疑問をひとり口(くち)の内(うち)で繰り返して見た。さうして此疑問には誰(だれ)も自信をもつて答へる事(こと)が出来(でき)ないのだと思つた。然し何方(どつち)が先(さき)へ死(し)ぬと判然(はつきり)分(わか)つてゐたならば、先生は何(ど)うするだらう。奥さんは何(ど)うするだらう。先生も奥さんも、今のやうな態度でゐるより外(ほか)に仕方(しかた)がないだらうと思つた。(死(し)に近(ちか)づきつヽある父(ちヽ)を国元に控えながら、此(この)私が何(ど)うする事(こと)も出来ないやうに)。私は人間(にんげん)を果敢(はか)ないものに観(くわん)じた。人間(にんげん)の何(ど)うする事(こと)も出来(でき)ない持(も)つて生れた軽薄を、果敢(はか)ないものに観じた。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十七)

 宅(うち)へ帰(かへ)つて案外に思つたのは、父(ちヽ)の元気が此前(まへ)見た時(とき)と大(たい)して変(かは)つてゐない事(こと)であつた。
 「あヽ帰つたかい。さうか、それでも卒業が出来(でき)てまあ結構だつた。一寸(ちよつと)御待(おま)ち、今顔(かほ)を洗(あら)つて来(く)るから」
 父は庭へ出(で)て何(なに)か為(し)てゐた所(ところ)であつた。古(ふる)い麦藁帽の後(うしろ)へ、日除(ひよけ)のために括(くヽ)り付(つ)けた薄汚(うすぎた)ないハンケチをひら\/させながら、井戸のある裏手(うらて)の方(はう)へ廻(まは)つて行(い)つた。
 学校を卒業するのを普通の人間(にんげん)として当然のやうに考へてゐた私は、それを予期以上に喜(よろ)こんで呉(く)れる父の前に恐縮した。
 「卒業が出来(でき)てまあ結構だ」
 父は此言葉を何遍も繰(く)り返(かへ)した。私は心のうちで此父(このちヽ)の喜(よろこ)びと、卒業式のあつた晩先生の家(うち)の食卓で、「御目出(めで)たう」と云はれた時(とき)の先生の顔付(かほつき)とを比較した。私には口(くち)で祝(いわ)つてくれながら、腹(はら)の底(そこ)でけなしてゐる先生の方(はう)が、それ程にもないものを珍(めづ)らしさうに嬉(うれ)しがる父(ちヽ)よりも、却つて高尚に見えた。私は仕舞に父(ちヽ)の無知から出(で)る田舎臭(いなかくさ)い所(ところ)に不快を感(かん)じ出(だ)した。
 「大学位卒業したつて、それ程結構でもありません。卒業するものは毎年(まいとし)何百人(にん)だつてあります」
 私は遂に斯(こ)んな口(くち)の利(き)きやうをした。すると父(ちヽ)が変な顔(かほ)をした。
 「何(なに)も卒業したから結構とばかり云ふんぢやない。そりや卒業は結構に違(ちがひ)ないが、おれの云ふのはもう少し意味があるんだ。それが御前に解(わか)つてゐて呉(く)れさへすれば、‥‥」
 私は父(ちヽ)から其後(あと)を聞(き)こうとした。父(ちヽ)は話したくなささうであつたが、とう\/斯(か)う云つた。  「つまり、おれが結構といふ事(こと)になるのさ。おれは御前(まへ)の知つてる通(とほ)りの病気だらう。去年の冬(ふゆ)御前(まへ)に会(あ)つた時(とき)、ことによるともう三月(みつき)か四月位(よつきぐらゐ)なものだらうと思つてゐたのさ。それが何(ど)ういふ仕合(しあは)せか、今日迄(まで)斯(か)うしてゐる。起居(たちゐ)に不自由なく斯(か)うしてゐる。そこへ御前(まへ)が卒業して呉れた。だから嬉(うれ)しいのさ。折角丹精した息子(むすこ)が、自分の居なくなつた後(あと)で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方(はう)が親(おや)の身(み)になれば嬉(うれ)しいだらうぢやないか。大きな考を有(も)つてゐる御前から見(み)たら、高(たか)が大学を卒業した位(ぐらゐ)で、結構だ\/と云はれるのは余(あま)り面白くもないだらう。然しおれの方(はう)から見(み)て御覧(ごらん)、立場(たちば)が少し違(ちが)つてゐるよ。つまり卒業は御前(まへ)に取つてより、此おれに取つて結構なんだ。解(わか)つたかい」
 私は一言(いちごん)もなかつた。詫(あや)まる以上に恐縮して俯向(うつむ)いてゐた。父(ちヽ)は平気なうちに自分の死を覚悟してゐたものと見える。しかも私の卒業する前に死ぬだらうと思ひ定(さだ)めてゐたと見える。其卒業が父(ちヽ)の心(こヽろ)に何(ど)の位響(ひヾ)くかも考へずにゐた私は全く愚(おろか)ものであつた。私は鞄(かばん)の中(なか)から卒業証書を取(と)り出(だ)して、それを大事(だいじ)さうに父(ちヽ)と母(はヽ)に見(み)せた。証書は何(なに)かに圧(お)し潰(つぶ)されて、元(もと)の形(かたち)を失(うしな)つてゐた。父(ちヽ)はそれを鄭寧に伸(の)した。
 「こんなものは巻(ま)いたなり手(て)に持(も)つて来(く)るものだ」
 「中(なか)に心(しん)でも入(い)れると好(よ)かつたのに」と母(はヽ)も傍(かたはら)から注意した。
 父(ちヽ)はしばらくそれを眺(なが)めた後(あと)、起(た)つて床(とこ)の間(ま)の所へ行つて、誰(だれ)の目(め)にもすぐ這入(はい)るやうな正面へ証書を置いた。何時(いつ)もの私ならすぐ何(なん)とかいふ筈であつたが、其時(とき)の私は丸で平生と違(ちが)つてゐた。父(ちヽ)や母(はヽ)に対して少(すこ)しも逆(さか)らふ気が起(おこ)らなかつた。私はだまつて父(ちヽ)の為(な)すが侭(まヽ)に任(まか)せて置いた。一旦癖のついた鳥(とり)の子(こ)紙(がみ)の証書は、中々(なか\/)父の自由にならなかつた。適当な位置に置(お)かれるや否や、すぐ己(おの)れに自然な勢を得て倒れやうとした。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十八)

 私は母(はヽ)を蔭(かげ)へ呼(よ)んで父(ちヽ)の病状を尋(たづ)ねた。
 「御父(とう)さんはあんなに元気さうに庭(には)へ出(で)たり何(なに)かしてゐるが、あれで可(い)いんですか」
 「もう何(なん)ともないやうだよ。大方(おほかた)好(よ)く御なりなんだらう」
 母(はヽ)は案外平気であつた。都会から懸(か)け隔(へだ)たつた森(もり)や田(た)の中(なか)に住(す)んでゐる女の常(つね)として、母(はヽ)は斯(か)ういふ事(こと)に掛(か)けては丸で無知識であつた。それにしても此前(まへ)父(ちヽ)が卒倒した時(とき)には、あれ程驚ろいて、あんなに心配したものを、と私は心(こヽろ)のうちで独(ひと)り異な感じを抱いた。
 「でも医者はあの時(とき)到底(とても)六(む)づかしいつて宣(せん)告したぢやありませんか」
 「だから人間(にんげん)の身体(からだ)ほど不思議なものはないと思ふんだよ。あれ程御医者が手重(ておも)く云つたものが、今(いま)迄しやん\/してゐるんだからね。御母(おかあ)さんも始(はじ)めのうちは心配して、成(な)るべく動(うご)かさないやうにやうにと思つてたんだがね。それ、あの気性だらう。養生はしなさるけれども、強情でねえ。自分が好(い)いと思ひ込(こ)んだら、中々(なか\/)私のいふ事(こと)なんか、聞(き)きさうにもなさらないんだからね」
 私は此前(まへ)帰(かへ)つた時(とき)、無理に床(とこ)を上(あ)げさして、髭(ひげ)を剃(そ)つた父(ちヽ)の様子と態度とを思ひ出した。「もう大丈夫、御母(おかあ)さんがあんまり仰山過(す)ぎるから不可(いけ)ないんだ」といつた其時(とき)の言葉を考(かんが)へて見(み)ると、満更(まんざら)母(はヽ)ばかり責(せ)める気(き)にもなれなかつた。「然し傍(はた)でも少(すこ)しは注意しなくつちや」と云はうとした私は、とう\/遠慮して何(なん)にも口(くち)へ出(だ)さなかつた。たヾ父(ちヽ)の病(やまひ)の性質に就いて、私の知る限(かぎ)りを教へるやうに話(はな)して聞(き)かせた。然し其大部分は先生と先生の奥さんから得た材料に過(す)ぎなかつた。母(はヽ)は別に感動した様子も見(み)せなかつた。たヾ「へえ、矢(や)っ張(ぱ)り同(おん)なじ病気でね。御気の毒だね。いくつで御亡(な)くなりかえ、其方(そのかた)は」などヽ聞(き)いた。
 私は仕方(しかた)がないから、母(はヽ)を其侭(まヽ)にして置いて直接父(ちヽ)に向(むか)つた。父(ちヽ)は私の注意を母よりは真面目(まじめ)に聞(き)いてくれた。「尤もだ。御前(まへ)のいふ通りだ。けれども、己(おれ)の身体(からだ)は必竟己(おれ)の身体(からだ)で、其己(おれ)の身体(からだ)に就いての養生法は、多年の経験上、己(おれ)が一番能く心得てゐる筈だからね」と云つた。それを聞(き)いた母(はヽ)は苦笑した。「それ御覧(らん)な」と云つた。
 「でも、あれで御父(とう)さんは自分でちやんと覚悟丈はしてゐるんですよ。今度(こんど)私が卒業して帰(かへ)つたのを大変喜(よろ)こんでゐるのも、全く其為(そのため)なんです。生きてるうちに卒業は出来まいと思つたのが、達者(たつしや)なうちに免(めん)状を持(も)つて来(き)たから、それで嬉(うれ)しいんだつて、御父(とう)さんは自分でさう云つてゐましたぜ」
 「そりや、御前(まへ)、口でこそさう御(お)云ひだけれどもね。御腹(なか)のなかではまだ大丈夫だと思つて御出(おいで)のだよ」
 「左右でせうか」
 「まだ\/十年も二十年も生(い)きる気(き)で御出(おいで)のだよ。尤も時々(とき\゛/)はわたしにも心細(こヽろぼそ)いやうな事(こと)を御云(い)ひだがね。おれも此分(ぶん)ぢやもう長(なが)い事(こと)もあるまいよ、おれが死(し)んだら、御前(おまへ)は何(ど)うする、一人(ひとり)で此家(このうち)に居る気(き)かなんて」
 私は急に父(ちヽ)が居なくなつて母(はヽ)一人(ひとり)が取(と)り残(のこ)された時の、古(ふる)い広(ひろ)い田舎家(いなかや)を想像して見た。此家(いへ)から父(ちヽ)一人(ひとり)を引き去(さ)つた後(あと)は、其侭(そのまヽ)で立ち行(ゆ)くだらうか。兄(あに)は何(ど)うするだらうか。母(はヽ)は何(なん)といふだろうか。さう考へる私は又此所(こヽ)の土(つち)を離(はな)れて、東京で気楽に暮(く)らして行けるだらうか。私は母(はヽ)を眼(め)の前(まへ)に置(お)いて、先生の注意ー父(ちヽ)の丈夫でゐるうちに、分(わ)けて貰(もら)ふものは、分(わ)けて貰(もら)つて置(お)けといふ注意を、偶然思ひ出(だ)した。
 「なにね、自分で死ぬ\/つて云(い)ふ人(ひと)に死(し)んだ試(ためし)はないんだから安心だよ。御父(とう)さんなんぞも、死ぬ死ぬつて云ひながら、是(これ)から先(さき)まだ何年(なんねん)生きなさるか分(わか)るまいよ。夫(それ)よりか黙(だま)つてる丈夫の人(ひと)の方(はう)が劒呑(けんのん)さ」
 私は理窟から出たとも統計から来(き)たとも知れない、此(この)陳腐なやうな母(はヽ)の言葉を黙然(もくねん)と聞(き)いてゐた。


心(こヽろ) 先生の遺書(三十九)

 私のために赤(あか)い飯(めし)を炊(た)いて客(きやく)をするといふ相談が父(ちヽ)と母(はヽ)の間(あひだ)に起(おこ)つた。私は帰(かへ)つた当日(じつ)から、或は斯(こ)んな事(こと)になるだらうと思つて、心(こヽろ)のうちで暗にそれを恐(おそ)れてゐた。 私はすぐ断わつた。
 「あんまり仰山な事(こと)は止(よ)して下(くだ)さい」
 私は田舎(いなか)の客(きやく)が嫌(きらひ)だつた。飲(の)んだり食(く)つたりするのを、最後の目的として遣(や)つて来(く)る彼等は、何(なに)か事(こと)があれば好(い)いといつた風(ふう)の人(ひと)ばかり揃つてゐた。私は子供の時(とき)から彼等の席に侍(じ)するのを心苦(こヽろぐる)しく感じてゐた。まして自分のために彼等が来(く)るとなると、私の苦痛は一層甚しいやうに想像された。然し私は父(ちヽ)や母(はヽ)の手前、あんな野鄙な人(ひと)を集めて騒ぐのは止(よ)せとも云ひかねた。それで私はたヾあまり仰(ぎやう)山だからとばかり主張した。
 「仰山々々と御云(い)ひだが、些(ちつ)とも仰山ぢやないよ。生涯に二度とある事(こと)ぢやないんだからね、御客位(ぐらゐ)するのは当(あた)り前だよ。さう遠慮を御為(おし)でない」
 母(はヽ)は私が大学を卒業したのを、丁度嫁(よめ)でも貰(もら)つたと同じ程度に、重く見(み)てゐるらしかつた。
 「呼ばなくつても好(い)いが、呼ばないと又何(なん)とか云ふから」
 是は父(ちヽ)の言葉(ことば)であつた。父(ちヽ)は彼等の陰口(かげぐち)を気にしてゐた。実際彼等はこんな場合に、自分達の予期通りにならないと、すぐ何(なん)とか云ひたがる人々(ひとびと)であつた。
 「東京と違(ちが)つて田舎(いなか)は蒼蠅(うるさ)いからね」
 父は斯(か)うも云つた。
 「御父(とう)さんの顔(かほ)もあるんだから」と母が又付け加へた。
 私は我(が)を張る訳(わけ)にも行かなかつた。何(ど)うでも二人(ふたり)の都合の好(い)いやうにしたらと思ひ出した。
 「つまり私のためなら、止(よ)して下(くだ)さいと云ふ丈(だけ)なんです。陰(かげ)で何(なに)か云はれるのが厭(いや)だからといふ御主意なら、そりや又別(べつ)です。あなたがたに不利益な事(こと)を私が強ひて主張したつて仕方がありません」
 「さう理窟を云はれると困(こま)る」
 父(ちヽ)は苦(にが)い顔(かほ)をした。
 「何(なに)も御前(まへ)の為(ため)にするんぢやないと御父(とう)さんが仰(おつ)しやるんぢやないけれども、御前(まへ)だつて世間への義理位は知つてゐるだらう」
 母は斯(か)うなると女だけにしどろもどろな事(こと)を云つた。其代(そのかは)り口数(くちかず)からいふと、父(ちヽ)と私を二人(ふたり)寄(よ)せても中々(なか\/)敵(かな)ふどころではなかつた。
 「学問をさせると人間(にんげん)が兎角理窟(りくつ)つぽくなつて不可(いけ)ない」
 父(ちヽ)はたヾ是(これ)丈しか云(い)はなかつた。然し私は此簡単な一句のうちに、父(ちヽ)が平生から私に対(たい)して有(も)つてゐる不平の全体を見(み)た。私は其時自分の言葉使ひの角張(かどば)つた所(ところ)に気が付(つ)かずに、父(ちヽ)の不平の方(はう)ばかりを無理の様に思つた。父(ちヽ)は其夜(よ)また気を更(か)へて、客(きやく)を呼ぶなら何日(いつ)にするかと私の都合を聞(き)いた。都合の好(い)いも悪(わる)いもなしに只(たヾ)ぶら\/古(ふる)い家(いへ)の中(なか)に寐起(おき)してゐる私に、斯(こ)んな問(とひ)を掛(か)けるのは、父(ちヽ)の方(はう)が折れて出たのと同じ事(こと)であつた。私はこの穏(おだ)やかな父(ちヽ)の前(まへ)に拘泥(こだわ)らない頭(あたま)を下(さ)げた。私は父(ちヽ)と相談の上(うへ)招待の日取(どり)を極めた。
 其日取(どり)のまだ来(こ)ないうちに、ある大きな事(こと)が起(おこ)つた。それは明治天皇の御病気の報知であつた。新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡つた此事件は、一軒の田舎家(いなかや)のうちに多少の曲折(せつ)を経(へ)て漸く纏(まと)まらうとした私の卒業祝を、塵(ちり)の如(ごと)くに吹き払つた。
 「まあ御遠慮申した方(はう)が可(よ)からう」
 眼鏡(めがね)を掛(か)けて新聞(しんぶん)を見(み)てゐた父(ちヽ)は斯(か)う云つた。父(ちヽ)は黙(だま)つて自分の病気の事(こと)も考へてゐるらしかつた。私はつい此間の卒業式に例年の通り大学へ行幸になつた陛下を憶ひ出(だ)したりした。


心(こヽろ) 先生の遺書(四十)

 小勢(こぜい)な人数(にんず)には広過(ひろす)ぎる古(ふる)い家(いへ)がひつそりしてゐる中(なか)に、私は行李を解(と)いて書物を繙(ひもと)き始めた。何故(なぜ)か私は気が落ち付(つ)かなかつた。あの目眩(めまぐ)るしい東京の下宿の二階で、遠く走(はし)る電車の音(おと)を耳(みヽ)にしながら、頁(ページ)を一枚々々にまくつて行(い)く方(はう)が、気に張(はり)があつて心持(こヽろもち)よく勉強が出来(でき)た。
 私は稍(やヽ)ともすると机にもたれて仮寐(うたヽね)をした。時(とき)にはわざ\/枕(まくら)さへ出(だ)して本式に昼寐(ひるね)を貪(むさ)ぼる事(こと)もあつた。眼(め)が覚(さ)めると、蝉(せみ)の声を聞(き)いた。うつヽから続(つヾ)いてゐるやうな其声は、急に八釜(やかま)しく耳(みヽ)の底(そこ)を掻(かき)き乱(みだ)した。私は凝(ぢつ)とそれを聞(き)きながら、時(とき)に悲(かな)しい思(おもひ)を胸に抱(いだ)いた。
 私は筆(ふで)を執(と)つて友達(ともだち)のだれかれに短かい端書(はがき)又は長い手紙(てがみ)を書(か)いた。其友達(ともだち)のあるものは東京に残(のこ)つてゐた。あるものは遠い故郷に帰(かへ)つてゐた。返事(へんじ)の来(く)るのも、音信(たより)の届(とヾ)かないのもあつた。私は固(もと)より先生を忘れなかつた。原稿紙へ細字で三枚ばかり国(くに)へ帰(かへ)つてから以後の自分といふやうなものを題目にして書(か)き綴(つヾ)つたのを送る事(こと)にした。私はそれを封(ふう)じる時(とき)、先生は果(はた)してまだ東京にゐるだらうかと疑(うた)ぐつた。先生が奥さんと一所に宅(うち)を空(あけ)ける場合には、五十恰好の切下(きりさげ)の女の人(ひと)が何処(どこ)からか来(き)て、留守番(るすばん)をするのが例になつてゐた。私がかつて先生にあの人(ひと)は何(なん)ですかと尋ねたら、先生は何(なん)と見えますかと聞(き)き返(かへ)した。私は其人を先生の親類と思ひ違(ちが)へてゐた。先生は「私には親類はありませんよ」と答(こた)へた。先生の郷里にゐる続(つヾ)きあひの人々(ひとびと)と、先生は一向音信の取(と)り遣(や)りをしてゐなかつた。私の疑問にした其留守番(ばん)の女の人(ひと)は、先生とは縁のない奥さんの方(はう)の親戚であつた。私は先生に郵便を出(だ)す時(とき)、不図(ふと)幅(はヾ)の細(ほそ)い帯を楽(らく)に後(うしろ)で結(むす)んでゐる其人(そのひと)の姿(すがた)を思ひ出(だ)した。もし先生夫婦が何処(どこ)かへ避暑にでも行(い)つたあとへ此郵便が届(とヾ)いたら、あの切下(きりさげ)の御婆(おばあ)さんは、それをすぐ転地先(さき)へ送(おく)つて呉(く)れる丈の気転(きてん)と親切(しんせつ)があるだらうかなどと考へた。其癖その手紙(てがみ)のうちには是(これ)といふ程の必要の事(こと)も書(か)いてないのを、私は能く承知してゐた。たヾ私は淋しかつた。さうして先生から返事(へんじ)の来(く)るのを予期してかヽつた。然し其返事(じ)は遂に来(こ)なかつた。
 父(ちヽ)は此前(このまへ)の冬(ふゆ)に帰(かへ)つて来(き)た時(とき)程将棋を差(さ)したがらなくなつた。将棋盤はほこりの溜(たま)つた侭(まヽ)、床(とこ)の間(ま)の隅(すみ)に片寄(かたよ)せられてあつた。ことに陛下の病気以後父は凝(ぢつ)と考へ込んでゐるやうに見えた。毎日新聞(しんぶん)の来(く)るのを待(ま)ち受(う)けて、自分が一番(いちばん)先(さき)へ読(よ)んだ。それから其読(よみ)がらをわざ\/私の居(い)る所へ持(も)つて来(き)て呉(く)れた。
 「おい御覧、今日(けふ)も天子様(さま)の事(こと)が詳(くわ)しく出(で)てゐる」
 父(ちヽ)は陛下のことを、つねに天子さまと云つてゐた。
 「勿体(もつたい)ない話(はなし)だが、天子(てんし)さまの御病気も、お父(とう)さんのとまあ似たものだらうな」
 斯(か)ういふ父(ちヽ)の顔(かほ)には深(ふか)い掛念(ねん)の曇(くもり)がかかつてゐた。斯(か)う云はれる私の胸(むね)には又父(ちヽ)が何時(いつ)斃れるか分(わか)らないといふ心配がひらめいた。
 「然し大丈夫だらう。おれの様な下(くだ)らないものでも、まだ斯(か)うしてゐられる位だから」
 父は自分の達者な保証を自分で与へながら、今にも己(おの)れに落ちかヽつて来(き)さうな危険を予感してゐるらしかつた。
 「御父(とう)さんは本当に病気を怖(こわ)がつてるんですよ。御母(おかあ)さんの仰(おつ)しやるやうに、十年も二十年も生(い)きる気(き)ぢやなささうですぜ」
 母(はヽ)は私の言葉を聞(き)いて当惑さうな顔をした。
 「ちつと又将棋でも差()すやうに勧(すヽ)めて御覧な」
 私は床(とこ)の間(ま)から将棋盤を取り卸(おろ)して、ほこりを拭(ふ)いた。